2008年04月

2008年04月30日

オイル・ショック




昭和のオイルショックは今に思い帰せば

毎日忙しい日々であった。


現代の様に大型店が無かったから近所の

個人商店での買い物は普段でも数日分の

ちり紙やトイレットペーパーを買うのが

関の山だった。


一軒で沢山纏めて買ってしまうと店の在庫が無くなり、

後から買いに来るお客さんが困るからと店の夫婦に

言われるので、隣近所もそれを心得ていた。



そこにある日のオイルショックだった。

家庭でも行き付けの商店にも、ちり紙やトイレットペーパー、

砂糖等が、たちまち在庫が底を尽き無くなってしまった。

慌てた町内の何軒かは家族騒動員でちり紙等を買い集めていた。


ごく近所の家は県の職員であった。

民間人より早くオイルショックの情報を知ったのか?

それは推察の域を出ないが其の家族の行動は早かった。

ある時、町内の用事で其の家を尋ねたところ、

「上がってお茶でもどうぞ」と言われて、屋内で話を

する事になった折り、お茶の間の隣室には足の踏み場も

無いほどに、ちり紙が積まれて有った。


おそらく数年はちり紙を買わずとも間に合う量だった。 

私はその時実感した、パニックは恐いものだと。



我が家は呑気で、用意も此れとてしていなかったが

何とか家族が不便を感じずに切り抜けることが出来た。



その後、私の上から二番目、次男の兄貴に

オイルショックの後遺症が残ってしまった。

ショックの期間中は大分困ったらしく、兄の家には

炭、薪、ちり紙や医療品を始め食料品等を備蓄している。

その量は半端なものではない。


シベリア帰りの兄は若い頃に大陸で敵に捕まり、

炭鉱で散々な目に遭い、やっと日本に帰ってきて

国家公務員を無事に定年退職したのだが、

今だに用心深い男だ・・と私は思った。



そんなことを思ってポカーンとしている私に向かい

兄は整然と積まれた雑貨を指差して、備蓄の品物の

新陳代謝に結構毎日忙しいと楽しそうに笑っている。


こうなると備蓄作業も現代的な趣味の一種目だ。








エリエール ティシュー 180 ダブル 5P★税込3150円以上で送料無料★




シャワートイレのために作った吸水力が2倍のトイレットペーパー 1箱【合計¥2400以上で送料無...







kappa_gallery at 01:17|Permalink昭和の風景 

2008年04月29日

警察犬に成るはずだった大型犬




昭和四十年代前半の一時期、

私は熱海の隣、伊豆山に住んでいた。


未だ絵描きの勉強中で金は出る一方で

私の油絵等全くと言って良い程売れないし、

又売る気も無かった。


現代の画家さんは売り絵を描けるし、

私と違って商売上手であるらしい?

ある意味、立派である!


色々な生き方が有るから生物の社会は面白く

退屈もしなくて済む。



伊豆山に毎日退屈そうな犬が居た。

伊豆山のアパートは木造二階建、一階は大家さんの

住宅に成っていて、其処の少し広めの玄関のたたきに

何時もおとなしく大型犬が座っていた。


私は大家さんの御好意で毎日一番風呂に

入らせてもらっていた。

夕方、私が風呂に呼ばれ玄関に入って行くと

鼻が長いその犬が鼻を私に押し当てて挨拶をする。

人懐っこい奴だが可愛そうに片目が潰れていた。


理由を聞いたら、この犬は警察の訓練所で訓練の

終了間際に不運にも事故で片目を失明してしまった。

それで余りにも性格が良くて可愛そうなので

この大家さんのご主人が貰い受けて来たとの事だ。


大家さん家族は小学生の子供が二人の四人家族だ。

両親は共稼ぎで夕方迄は小さな女の子達だけで

二人で伊豆山の山の中で遊んでいる。


そんな時はこの訓練された大型犬が子供達を守が如くに

子供が遊んでいる近くで見張りをしている。

そんな時の犬の態度は精悍で、狼の様な姿にさえ

見えたものだった。



先日、四街道市大日の畑道を散歩していたら

警察犬訓練所があった。


忘れていた片目のジャックこと、伊豆山の

退官警察犬を思い出した。



あの大型犬に可愛がられた伊豆山の子供達も

もう五十代、孫達がいるだろう。


葉桜がまばゆい散歩であった。






伊豆山の海




子犬の選び方・飼い方





kappa_gallery at 01:18|Permalink昭和の風景 

2008年04月28日

下志津自衛隊・正門前のギャラリー&バー




下志津自衛隊つつじ祭りが近いので自衛隊の

話が続くが、私は十年位前まで飲食店を兼ねた

画廊を開いていた事がある。


その店は下志津自衛隊の正門前近くにあり、

二階建の小ぢんまりした一軒家で、一階は

昔風のカウンターバー、二階が画廊だった。


本格的な画廊を兼たカウンターバーは他に有る様で無い。

有るのは居酒屋風スナックの壁面や食事処の壁面を

画廊風にした店で、大阪方面では何軒か見かけたが

少なくとも、この近辺では無かった。


カラオケ主体のスナックでは画廊は無理であるから

酒や洋酒もそれなりに吟味した。


看板はサントリーが提供してくれていたので

店の棚にはサントリーのアルコール類は限定品を除き

殆どが揃っていて、それは壮観な眺めだった。

お客さんもビックリしていた。


平たい話では当店で人気があった焼酎は

四万十川の火振焼酎だった。

これは酒蔵から直販してもらっていた。


この焼酎は香りが良く、店の常連客には喜ばれた。

常連といっても当時の四街道市の市長や社会教育課、

広報課、総務部長や課長さん方、自衛官は高官達であった。


たまには、ふるさと文化研究会の会長が千葉市の

教育関係者の仲間達と大勢で来てくれた。


読売新聞や朝日、毎日の記者さん方、296ケーブルテレビの

キャスターの一人の女性などは私を尋ねてきては自分の

ボーイフレンドまでも、わざわざ紹介に来たりして

店も画廊も賑やかだった。


ある時、地酒のシマヤのオヤジさんが店に来たので

瓶入りの本格焼酎を紹介した。


「地酒のシマヤに焼酎なんて!」と馬鹿にして帰ったが

暫くして、みつわ台のシマヤ本店へ八海山や久保田などの

地酒を仕入れに行ったら、何と馬鹿にしていたシマヤさん、

焼酎の銘柄をずらりと揃えて販売してた。

負けず嫌いで血液型B型のシマヤのオヤジさんらしくて

思わず笑ったものだ。


店は内閣総理大臣賞を受賞した画家や女流画家、

書家に文士、陶芸家等、著名な文化人達の隠れた

我が家にもなっていた。


祭りの時期になると自衛隊のお偉いさんが

若い隊員を従えて寄付を集めに遣ってきた。

これが終ると夏の花火大会の寄付だった。


万円単位の寄付をしていたので特別に招待席を設けて

呉れてはいたが、私は自衛隊の祭りの日も

夏の自衛隊花火大会も店を開けていた。


それは賑やかな人波から外れ、私の画廊&バーへ

遊びに来るお客さんが大勢いるからだった。


賑やかなその夜は午前一時過ぎ迄、笑い声が耐えなかった。

普段、平日はどんなに混んでいても暇であっても

零時を以て閉店することには変わり無かった。



先日、懐かしい下志津自衛隊前の店の前を久しぶりに

通ったら、あの店の影さえ無く、真新しい住宅が建っていた。



それで何だか・・・ ひと昔も前の話になってしまった。






無手無冠 ダバダ火振 ちびうんすけ




栗をたっぷり50%も使用した四万十川特産の栗焼酎です。栗焼酎 無手無冠 『ダバダ火振』 25度...




【楽天最安値に挑戦中!】この商品は20本P箱入りです贈り物(ギフト)にも最適です♪♪サントリー...




サントリー響・送料込み






kappa_gallery at 01:29|Permalink日々の出来事 

2008年04月27日

ホテイ草




夏が近づきつつあるので今年もホテイ草を買ってきた。

後はメダカが十匹位泳いでいたら良いだろう。

夏の庭には水が似合う・・カッパだからかな?


ホテイ草購入























ひょうたん池 ちびっこ 18?タテヤマアドバンス KKW-153




●ホテイ草(3株)




日本黒メダカ 30匹




ヒナモロコ (ブリード物)




ミナミヌマエビ 50匹










kappa_gallery at 16:19|Permalink日々の出来事 

外国のシャツ




先日、成田門前画廊に海外からお客様がお見えになった。

その時、お土産に貰ったTシャツ、面白い絵だ。

マレーシアTシャツ

kappa_gallery at 13:59|Permalink成田カッパ画廊 

四街道の文化財は知人の所有だった!




JR四街道駅の近くにある一軒の洋館

子供の頃はただの旧い木造の家だった。

でも、変わった窓や近場では見かけない家だ位に見ていた。


木村邸






















その家の近くに同級生の悪ガキが居た。

私はその頃は彼を悪ガキとは思っていなかったので

よく遊んだ。



ある日、彼の家の近くの麦畑で遊んでいたら

近所のオバサンが「また悪ガキのFだな」と

大きな声で怒鳴られた。


その頃はその旧い家が後に四街道で洋館では

唯一の文化財になる等、全く知らない我々は

其の家の近くで戦争カブレの其の悪ガキFの作った

火炎ビン擬い、空きビンにエンジンオイルと

ガソリンか石油を混ぜた物を入れ、ぼろ布を詰めた物に

Fがマッチで火を付けたりしていた。


やはり誰が見ても悪い遊びと言うより危険な遊びだ。

私が注意をFにしてから其の悪ガキFとは喧嘩になり、

暫らくの間は絶交していたが半年程してから

其の悪ガキFは私に子分を連れて無条件降伏してきた。


その時、Fが書いた降伏状にはFの血判があった。

子供ながらに芝居がかった奴だったが彼の人生も

芝居みたいなものだ。




話は大分横道に反れてしまったが、

まあ、そのフランス風文化財の建物とは

私の以上な様な子供の遊び場の中での

出会いである。



それから何十年か過ぎた。

十七年程前から私が親しくしている医院に恰幅が良く、

姿勢の正しい御夫人が医療の仕事をしていた。


半年位前に医院長と世間話をしている折りに

その恰幅が良い御夫人の所有する家が文化財だと

教えて呉れた。


そう知ると又見たく成った。

その御夫人に聞いてみたら、やっぱり自分の

持ち家だから詳しく教えて呉れた。



近いうちに友人を誘って文化財に

再会しようと計画している。







kappa_gallery at 01:30|Permalink昭和の風景・四街道の昔話 

2008年04月26日

加曽利貝塚を世界遺産へ




千葉市にある国指定の史跡、加曽利貝塚。


この貝塚を中心に辺りを縄文の森(仮称)として

世界遺産登録に向けて現在、水面下では色々な動きが

あるようだ。



役員や会員の方々と交友がある「ふるさと文化研究会」では

加曽利貝塚、世界遺産登録を支援している。


千葉市に世界遺産、凄いではないか!

市民一人一人の意見が大切だ。





加曾利貝塚の近くの京葉道路、貝塚トンネル、

このトンネルの上には荒屋敷貝塚がある。

貝塚トンネル

kappa_gallery at 14:36|Permalink日々の出来事 

今日の色紙一枚

四月二十六日の色紙

kappa_gallery at 13:25|Permalinkかっぱの絵・色紙 

有鉛ガソリン




私が幼い頃に大学で講師を遣っていたスポーツ系の

母方の叔父さんが、ある日、借り物の外車で東京・品川方面から

やっとこさと我が家に辿りついた。


来る途中の道が悪路な為に車のボデーが地面にぶつかり、

難儀したと車から降りるや汗を日本手拭いで拭いていた。


一休みしてから車にガソリンを入れに行くと

云うので私も乗って行った。


当時のガソリンスタンドは有鉛ガソリンを販売していた。

未だ田舎だったこの町のガソリンスタンドは

お客が「これだけ入れて下さい」と店員に申し出ると

言われただけの量を丸いハンドルを手で回して

その上にあるガラスのタンクに地下タンクから汲み上げる。


それから落差を利用して自動車のガソリンタンクへ

給油する仕組みだった。


現代の様に簡単に「満タンにしてくれ」等とは

お客も言わなかった様子である。

その頃の日本人はガソリンを現代人と違って

もっと貴重品扱いしていたように見受けられた。


やがて西の空(東京方面)が夕焼けで紅に染まる頃に

お土産にと、私の母が近所の農家で急いで

採りたての野菜を買ってきた。

泥の付いた長葱等を車の後部座席に大事そうに

母の弟さんは積込んで凸凹道をゆっくりと自動車を

走らせ帰って行った。



見送った私の鼻には何時までも青紫色の排気に含まれていた

有鉛ガソリン特有なニオイが残っていた。







Gas Pump Collector's Guide




ドラム型ガソリン缶20L




ガソリン添加剤。ニトロメタン含有のNOS添加剤の最高峰!オクタン価のUPによる、低回転から高回...











kappa_gallery at 01:18|Permalink昭和の風景 

2008年04月25日

天水桶の魚




天水桶といっても現代の子供、若い大人も

目に浮かんでは来ないだろうな。



私が子供の頃は戦前(昭和20年以前)に建てられた

一軒屋の玄関横など軒先には必ずと云っても良い程に

防火用水の丸型や角型コンクリート製の桶が置いて有った。


戦争中等、勿論防火用水の役目もあっただろうが木造住宅、

又戦争等と時代を背景にしたファッションでもあった様だ。



我が家は玄関に向って右側、洋間の窓辺近くに

丸型のコンクリート製天水桶が有った。

紅色の屋根から同じ紅いブリキの管で

白い天水桶に雨水が給水される仕掛けだが、

洋間の外壁がライトブルーに塗られていたので

その一角だけは洋館の様だった。


この天水桶には私は幼い頃から中学生まで

色々な遊びの思い出が雨水の如く沢山ある。



私の上で現在は亡くなってしまった冒険家の兄が

珍しい水草を採取してきては、この桶で培養してみたり、

九歳年下の弟の私を自転車の荷台に乗せて小川や

田んぼで鮒やシャレビタ(タナゴ)、めだか、ドジョウ、

なまずの親方?等、書き切れない程多くの生物を

獲ってきては、この天水桶で飼った。


この天水桶で一番の欠点は給水量を調整出来なかった事だ。

現在ならホームセンターで好きな太さのパイプや蛇口等が

容易に買えるが、当時は素人が改造するにはパーツ類が

入手困難だった。



天水桶の給水を止めると屋根の樋から雨水が

そこら構わず溢れだすから困ったものである。

一番難儀したのは夏季の雷雨だ。

短時間の大雨には対処しきれず、折角獲ってきて

入れた珍しく形の良いナマズやシャレビタが

天水桶から溢れた雨水と一緒に流れ出て庭に転がり、

泥の上であの世行きと成ってしまう。


私や兄がその時に家にいれば土砂降りの中、バケツを

持って助けに行くのだが、そんなに都合が良いのは稀である。


例年の如く、春から初秋位迄は天水桶の中は小魚と

オタマジャクシから孵った青蛙等で賑やかだが、

秋から翌年の春先迄は生き残りのメダカと金魚すくいで

取ってきた元気だけが取り得な赤い金魚だけとなった。



最近、私が立ち寄った親友の家では

ポリ容器を天水桶にされていた。

実用的で掃除も手軽に出来そうだし

現代的で好感が持てた。


雨水を身近で利用する事は子供の教育にも

大変良い事だと私は思っている。








古窯変織部流し天水鉢T28-1 18号




信楽焼き窯肌ケズリ天水鉢T28-4 18号




雨水タンク ウォーターストレージ







kappa_gallery at 01:22|Permalink昭和の風景