2008年05月

2008年05月31日

藪蚊と朝顔の葉




近所の幼い子供達がお母さんと一緒に

種を蒔いた朝顔が芽を出した。


今年は気候のせいか例年より育ちが早いようだ。



昭和二十年前半は朝顔が育つに伴い

蚊や蚤も増えてきた。


この連中に刺されると何時までも痒い。


当時は現代のようにムシ刺されの軟膏等も

余り売って無かったし、有っても痒みは止まらなかった。



夏の夕べに、涼んで居たりすると蚊取線香の煙を

潜り抜けた蚊の奴に手の指や足を刺されてしまうと

庭の朝顔の葉を何枚か採り、青汁が出るまで揉み

青汁を患部に塗り込むと、やがて痒みは消えていった。


朝顔の葉は青臭いだけで沁みたりしないので便利だ。

アンモニア水は効き目は有ったが患部につけると

物凄くシミて痛いが、朝顔の葉が無い時季は痛くても

アンモニア水で我慢しなければ成らなかった。



今年も直ぐに夏が遣ってくる我が家の庭で

近所の子供達とバーベキューをしている折りにでも

もし、藪蚊に刺されたら近年忘れかけていた

朝顔の葉で痒みを止めてみようかと思っているが

痒みも現代は強烈だから果してどんなものか

楽しみでもある。








朝顔




アンモニア水 50ml







kappa_gallery at 01:19|Permalink 昭和の風景 

2008年05月30日

白箱入り真空管に想う




白い小さな段ボール箱を大事そうに

胸に抱いた女の子が、すずかけの大木の下に

置かれたベンチに腰掛けてる私の前を

通り過ぎた。



あの白い箱の中のケーキは誰かの誕生日祝いか?

それともお見舞いか?



何故か白い箱はその中身に希望や夢を与える。

「何が入っているんだろうか?」と

不安と希望と夢がある。




半世紀近いある日の学生時代、東京、秋葉原の

電気街を思い浮べた。


白箱入り真空管は昭和の秋葉原パーツ屋の代名詞だった。


当時、大手電気メーカーの元箱入りより、白箱入り真空管は

半値か、それ以下の値段で買えた。


値段だけの魅力だけでは無論ない。

中には国産元箱入り等より素晴らしい掘出し物がある。


それが自作の無線機やオーディオアンプに取り付けて

性能をさらに発揮された時の感動は何とも云われないものがある。


白箱入り真空管は一本一本がそれぞれ

全く違う経歴の持ち主だ。

選ぶこちらもそれなりの経験と眼力が要求される。

何も此れは真空管に限ったことでは無い。




後に泥沼に胸まで浸かってしまった骨董カメラの

ボディーや特にレンズ等では十分に授業料を

払うことに成ったが、物を買う場合に実用品なら

元箱入りに間違いは無いだろうが、趣味の物なら

白箱の中身の夢や希望を広げた方が楽しみは倍増するが、

失敗は限りなく付きまとう。


失敗は明日への希望でもあった。







iPodで楽しむ組み立て真空管アンプ




kappa_gallery at 01:18|Permalink 真空管・オーディオ・他 

2008年05月29日

アッ、検見川送信所の記事だ!




私が、たまに買う無線機関係の本にラジオライフと云うのが有る。



ラジオライフ 表紙


























2008.6月号(先月号)をパラパラと読んでいたら

検見川送信所が載っていた。



心霊スポットの話かと思って読んでみたら違った。


「貴重な文化遺産を後世に残してほしいものである」と

書いてあったのが嬉しかった。

さすが、無線機の本である。


ラジオライフ 記事

kappa_gallery at 01:32|Permalink 検見川送信所 

2008年05月28日

今日の色紙一枚


五月二十八日の色紙



kappa_gallery at 13:16|Permalink かっぱの絵・色紙 

検見川神社・夏の大祓い




JR新検見川の駅より歩いて数分の所に在る

検見川神社から夏の大祓いの案内が届いた。


検見川神社 お祓い





















人型の紙に名前を書いて申し込むとの事、

返信用封筒や振替用紙等も入っていた。


金額の定めは無いが、いくら位なんだろうか?




もうスグ暑い夏が来るなァー。







千葉ロッテマリーンズ【公認】 応援美酒  梅酒720ml





kappa_gallery at 01:21|Permalink 日々の出来事 

2008年05月27日

防空壕と国民服




太平洋戦争時代の昭和十八年頃、

自宅の庭に穴を掘って防空壕を造った。


素人が造った防空豪なんて

キャンプのテントみたいな物だ。


民間人が国で定められた国民服を着た処で

士気等上がりはしない。


冷静に考えれば誰とて理解できるはずだが

日本人は、お上の成す事には自分の意志や行動迄も

無視出来る人達が大半を占めている。


それが良いとか悪いとか私は言っているのではない、念のため。


ただ、私個人からみれば変人達の集団と思う事も多々あるが

何も日本人ばかりでは無いから安心出来る。


国民が安心していると戦争に巻き込まれる。


戦争は何も武力だけではない。

周知の通り、色々身近から国単位、又地球に

生存するもの全てに戦いは付いて回る。




幼い日の微かな思い出が有る。

何日かをかけて庭の隅にお上からの強制で防空豪を造った。

当時は何も可も統制、統制で殆どの物が自由に

買う事は出来なかった。


庭に二つの穴を掘ってトンネルで二つの穴を繋いだ。

穴と穴との二間位のトンネルが防空豪の居住区だった。


穴の上には板の屋根を被せた。

だが、空襲警報が鳴ってもこの防空豪には

一度も入った事は無かった。


後年、父に聞いたら「素人が造った防空豪は

玩具みたいな物で、もしもの時は生き埋めに成るのが

目に見えていたからだ」と話していた。


現代、冷静に考えれば危険極まりない代物だ。

物資や道具が民間人には手に入らない時代に

やっと造れた防空豪は戦後、暫らくは塵捨て場となり

十年近くも活用した。



又、戦時中に国民服と云われるカーキ色の

まるでセンスが無い服を民間人は着る事を

お上から指示されて、街の人々は挙って着用したが

私の親父だけは頑固にも国民服着用を拒み、

街の中でも、何処に出掛けるにも三つ揃いの背広姿で

ステッキを片手に颯爽と歩いた。


私は何時もカッコ良いと眺めていた。

だが、そうとばかりは言って居られない事態も何回か有った。

憲兵隊や警察官の間では親父の背広姿が話題になり、

何度も国民服を着用するように説得に来た。


親父は何時も憲兵隊員を逆に説得して、隊員も

なるほどと納得して帰ったが、又別の隊員が来たりして

仕舞には憲兵隊員も親父の海外の事業や旅行の話を

聴きに、遊びに来る迄に成った隊員も何人かいた。


小さな隊の中で仕事をしていた隊員にしてみれば

親父の海外旅行の話は当時としては新鮮な話だったようだ。


終戦迄、自分の頑固さで国民服を着る事無く出来たのも

親父の広い知識があったからこそ出来たのだろう。








戦争とくらしの事典







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2008年05月26日

今日の色紙一枚

五月二十六日の色紙



kappa_gallery at 13:48|Permalink かっぱの絵・色紙 

最近の自販機




近頃の自販機は進化している。


昔から紙コップで飲むコーヒーの自販機は有ったが

最新のジョージア・カフェマティックと云う

自販機はなかなか凄いらしい。


大きな液晶パネルを見ながら操作をして

砂糖やミルクを加減をしたりする事により、

従来の自販機よりも自分好みのコーヒーが

淹れられるそうだ。


だからコインを投入してもコーヒーは

スグには出てはこない。


それなりに時間が掛かり、本格的だ。

私の通り道にカフェマティックが有れば

一度は飲んでみたいと思っている。



駅で買う切符の券売機も難しくなった。

私は電車に乗る機会は殆ど無いが、東京の路線は複雑で

券売機のドコを押せば良いか迷ってしまう。

慣れてしまえば簡単なのだろうが、後ろに長く列を

作くられると良い気分ではない。


コンビニに設置されているFamiポートや

ATMは未だに使った事が無い。



何しろ旧い人間である・・。








子供の頃ありましたこの形のコーラ販売機!【 COCA-COLA 】 コーラのレトロ自動販売機型の貯金...




子供の頃ありましたこの形のコーラ販売機!【 COCA-COLA 】 レトロ自動販売機型の貯金箱




珈琲と文化 No.69





kappa_gallery at 01:33|Permalink 雑談 

2008年05月25日

ゴム動力で飛ぶライトプレーン




青空を気流に乗って飛ぶゴム動力の飛行機

ライトプレーンと云われ、駄菓子屋や

文房具屋の片隅で売られていた。



細長い紙の袋に部品(材料)と図面が入っていて

図面に合わせながら作っていく。


現在のキットは一次加工をしてあるので

組み立てもそれほどは難しくないのだが

昔のキットの中にはプロペラと細かな部品以外は

ただの材料だけで、竹ひごをローソクの火で焙り、

曲げたりする必要のある物も有った。


出来上がった主翼や尾翼に紙を貼り、乾いたら

霧吹きで霧を吹いて紙をピンと張る。

調子に乗ると張りが強すぎて翼が反ってしまうので

加減が難しいが湿度等の天候にも左右されるので

殆どはカンである。


簡単な構造だが糊の乾く時間が必要であり丁寧に作ると

1日で完成させるにはチョット大変かもしれない。

それで初飛行をさせるのは翌日になる。


そして翌日、ライトプレーンは壊れるか、何処か遠くに

飛んで行ってしまい行方不明となる。


付属のゴムは質が悪いので別売りの切売りの物を

使うと切れにくく余計に巻く事が出来た。


また、上手に作る人の中には主翼、尾翼に貼った

紙には霧を吹かず、たるんだままの方が良いと

何に基づいてかは知らないが、そんな理屈を

云った人もいた。


それぞれが良く飛ぶように工夫をした時代だった。



今、ライトプレーンは一握りの大人の楽しみとなって

しまったのだろうか?


売っている店も少なくなり、飛ばして遊んでいる子供も

見かけなくなってしまった。








【飛行機工作】Bフェニックス号





kappa_gallery at 01:30|Permalink 昭和の風景 

2008年05月24日

デカかったラジカセ




今から三十年位前だったと記憶するが

大型のラジカセが流行した時があった。


電器店に行けば家電メーカーから音響メーカーまで

各社、工夫を凝らした製品が多数発売されており、

一台一台いじりながら見て歩くのは楽しいものだった。


当時のデカいラジカセの特徴の一つに

レベルメーターが有る。


針のメーターとデジタルメーターがあり、

デジタルの方が人気があった様だ。


さて、ラジカセの使い方だが

FM放送から歌謡曲を録音した。

まだCDは発売になっておらず、新曲のレコードは

直ぐに売り切れて、予約も面倒なのでラジオから

録音して聴いていた。


録音の仕方はレベルメーターを見ながら

ツマミを回して丁度良い所に合わす。


テープの種類を選び、直ぐ録音できる様に

一時停止させて置く。


カウンターの数字をリセットする。


それでも録音には失敗が付き物で、何度かは失敗して

がっかりした事もあったが、録音に腕の差が出るのが

面白かった。


我が家で購入したラジカセはナショナル製の

ステレオラジカセでカラオケのマイクが使える様に

なっており、自宅でカラオケを楽しんだりした。


出力は10W、大きな音は出たが音質は今ひとつで

そのうちに飽きてきて、部屋の隅で埃をかぶる事になる。

そうなると直ぐガタガタになってしまい、

その後CDが発売されてデカいラジカセは

粗大ゴミとなってしまった。


現在売られているラジカセは当時の物と比べたら

残念ながらたいへん貧弱な印象を受ける。



もう一度、あの頃のラジカセが現行商品として

新品で買えるなら一台欲しいと思っているのだが・・。








いい音が聴きたい






kappa_gallery at 01:23|Permalink 昭和の風景