2008年07月

2008年07月31日

ライカM3にエルマー90ミリで散歩




ライカM3にエルマー90ミリを装着。

M3にエルマー





























暑い中、ライカM3にエルマー90ミリを付けて

市内を散歩した。

撮影場所は愛国学園付近、スカイライトフィルターに

コダック業務用カラーフイルムで撮影後、PCでモノクロに変換。



クリックで拡大してご覧下さい。
愛国学園周辺1



















愛国学園周辺2




















愛国学園周辺3



















このレンズの描写は個体差で、トライXを

増感した様に画質が荒れて写る。




kappa_gallery at 13:26|Permalink カメラの話 

ライカM3で真夏を写す変な俺だ




近年、レンジファインダーのカメラから

遠ざかっていた私は、再々の手始めに

まず、ライカM5を持って近所の庭に咲く

花等を写して歩いた。



何故ライカM5を選んだか?



ライカM5は露出計付きで、ファインダーもピント合わせが

容易で、M5のボディーはズッシリ重く、安定が有る。


超スローシャッターを切っても手ブレをしない安心感がある。

又、M3と違いフイルムの装填が容易に出来る事等、

一度使えば手放せない良さの有るライカM5である。



だが、私にはあくまで二十数年振りに私の手の中に

里帰りしたライカM3を使いこなす為の手段に過ぎない。


先日あたりから、露出もレンジファインダーも

昔の感を取り戻して来た!


東京で頭の真上からの雷鳴を聴きながら

川みたいになった道路の車中でライカM3は

私の要望にキチント答える働きをしてくれた。


昨日は昼の暑い最中に市内に点在している

旧い建造物を旧式なライカM3とエルマー90ミリで

撮りまくって来た。



ライカM3は私の手に馴染み、国産カメラとは

全く異なる良さが有る。


シテヤッタリと出来上がった作品を家人と

観ていたら、やっぱり私は歳だね。

撮影時のこの暑さが身体にこたえたのか?


疲れを感じたが、ライカM3もM5もライカの

交換レンズもバシッと直立不動な姿勢を崩さない

ドイツそのものを象徴していた。







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2008年07月30日

中判カメラでユリを写す




ユリの花が咲いていたので6×6の中判カメラを

持ち出して撮影、現像には一週間ほどかかった。


さすがに中判カメラの画質は立体感があり素晴らしい。


残念なのはプリントされた物をスキャナーでPCに

取り込むのだが、我が家のスキャナーは解像度が

落ちるのでイマイチの画質になってしまう事である。


ユリ

kappa_gallery at 14:24|Permalink カメラの話 

色水遊び




夏休みに成ると昔は至所に草花が咲いていた。


赤、黄、青、紫、ピンク等、数え切れない程だ。


花を摘んで、水の入ったガラスビンに入れては色水を作った。

透明なガラスビンは現代の様に手頃な大きさな物が

中々無いので、牛乳瓶を利用した。


其の色水を使って、朝顔やひまわりの花を描いたが、

色水が画用紙の上で乾かない時はクレヨンや

水彩絵の具の色感とは違った淡い色は好きだったが、

乾いてしまうと色が飛んでしまったり、変色してしまった。


ある日、絵描きの兄が黙って私の絵を観ていたが、

兄の部屋から岩絵の具を乳鉢で粉末にした何色かを

私に手渡して、「今度はこの絵の具で描いてごらん」と言った。


翌日、兄に言われた通りに岩絵の具で描いてみたら

素晴らしい色で朝顔を描くことが出来たが、今度は

何日かしたら絵の具が画用紙から剥がれ落ちてしまった。


そんな事を繰り返し遊んでいたが、冬休みのある日に

膠を混ぜる本格的な岩絵の具の使い方を伝授してくれた。


画家の兄は何時も技術的な事を私に教えてくれる時は

必ず、私が考え悩んだ後にヒントだけをあたえてから

最後に手をとる様に詳しく伝授してくれる。


二十年近くも年上の兄はそれなりに考えが有っての事と

我慢をしているが、今だに私は画家の兄には絵の事でも、

他の雑事でも、怒られた記憶は一度も無い。


私も、兄は絵の神様だと悟っているからなのかなと

勝手に思っている。









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2008年07月29日

ゼンザブロニカの思い出




黒くて武骨で私の手には馴染まない

中判カメラ、ゼンザブロニカ。


まさに日本的な道具の意識で造られた

ボディースタイルだ。


昔から日本に存在する道具は、使用する職人さんが

道具に妥協しながらその道具を使いこなした物が多いが、

このゼンザブロニカは使い勝手等は考えず、

丈夫なボディに精確なメカニズムを組み込んだ

日本的な優等生であった。


またレンズも真面目な写りだった。


結果は実に面白く無い真面目な性格のカメラだったが、

このカメラも私の手元には、ある日突然に現代のカメラの

買取名人が買い取る様なバッタ値で手に入れる事が出来た。



今から二十五年以上前に成るが、その日は描きかけていた

油絵が、何か暗く長いトンネルの中をさ迷い歩いて

居るような先が見えず、さりとて別な方面の進路も浮かばず、

取り敢えず気分転換に行きつけのカメラ店に遊びに行ってみた。



店主の奥さんが早速コーヒーを淹れて呉れたので

店の事務所兼喫煙室?で店員と他愛無い雑談をしていた処へ

店主が外から帰ってきた。


何だか機嫌が良い顔である!


テーブルの私の前に座る成り、

「丁度良かった、お土産を上げます」と

カバンの中から重そうに紙包みを出した。


紙包みを開けると新品同様のゼンザブロニカが出てきた。


以前に私が「ハッセルブラッドに代わる出物で

ブロニカが無いか?」と話をした事が有った。


当時、私は嵐の海や土砂降りの雨に揺れる山の木、

強風で折れ下がった枯れ枝等を写真に写す事を

面白がっていた時代であった。


だが、ハッセルブラッドのボディーやレンズは

一つで数十万円もする物ばかりである。


大事に扱っていた私のハッセルブラッドを波飛沫や

雨風に晒すのは勿体なく思っていたし、撮影後の

カメラのボディーやレンズの手入れが大変な作業に

成ってしまう。


写真家で飯を喰って居るのなら仕方がないが、

私は写真はプロではなく、カメラマニアに過ぎない!

だから、日常の実用に使っても悔いが残らず、

正確に写るブローニー判のカメラが一台欲しかった。



カメラ屋の店主が見せたブロニカは展示用を誤って

お客がボディーにカスリ傷を付けてしまったので

修理依頼をしたが修理代が高いので止めたとの話だった。



店主は上得意客だった私に「タダであげますから

お使いに成ってみてください」と言ってくれたが、

タダより高い物は無い。

 (店主は私にカメラをタダであげれば

  又、交換レンズ等システム一式を

  買い揃えるだろうと企んだのである)


私は純正の標準レンズ付きで5万円で買い取る事にした。


手にしたカメラは早速、使いたく成る私だ!

翌日は房総半島、大原方面へ撮影に車を飛ばして行った。



その日の写真の出来栄えは良く無かった。



半年程でブロニカはガラス扉のカメラケースに納められ、

その後、出番は無かった。






中古カメラの逆襲




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kappa_gallery at 01:36|Permalink カメラの話 

2008年07月28日

ロバのパン屋




始めは若々しく元気が良さそうなロバだった。

年老いたロバでは無かった!


何年かの後に街の広場で偶然にロバのパン屋

出合ったら、未だその時は軽トラック等ではなく、

本物のロバが首をのばしながら重そうなパンを

載せた荷台を引っ張っては売りに歩いてた。


段々と月日と共に生物は年をとる!


年を重ねて美しく成ったり、立派に成ったりと

それぞれが特徴を生かすが、このロバのパンの

ロバさんは歳を重ねる毎に可愛そうにと私には

見えて来た。



人間だったら定年退職して、毎日呑気な年金生活を

しながら、好な自分の趣味等を満喫出来たり?

退屈な日々を公園のベンチでボンヤリと過ごして

居られるだろうに!


人間に飼われたロバは死ぬか、病気で再起不能に成る迄、

重いパンの荷台を引かなければ成らない。


子供の私は年金生活の事等は知ることは無かったが、

小さな体で毎日大きな看板の付いた荷台を引いて

同じロバのパンの歌を聞きながら生きてるロバは

元気な子供達と逢えるのが、もしかして楽しみなのかな?

なんて想像したりしていたが、それから何年か

ロバのパン屋にも逢わなくなっていた。


ある日、遠くの方から懐かしいロバのパンの歌が聞こえて来た。


拡声器のスピーカーから流れ出る其の歌は風に吹かれて

小さく聞こえなく成ったり、大きく聞えたりしながら

近所の空き地へと遣ってきた。


何分か過ぎてからロバを見に空き地を覗いた!


其処にはロバでは無く、トラックが停まっていた。


嘗ての子供達の賑わいも無く、一人、二人の

近所のオバサンが買い物をしている様だった。


近頃は近所にも子供は居なく老人が増えてきた。


現在は駐車場に成ってしまった旧い住宅街の

昼下がりの出来事である。







昭和レトロ貯金箱【ロバのパン屋】





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2008年07月27日

キャノン7 思い出の悪戯カメラ




昭和54年、夏の夕方だった。


昼間の暑さから三時過ぎに夕立があり、

暑さから少し解放された。



この日は都内のアトリエで秋の展覧会出品の

作品を朝から描いていた。


窓から涼しい微風が入って来だしたので

近所の喫茶店へコーヒーを飲みに出掛けた。


其のついでに知り合いのカメラ店に立ち寄り、

暇そうな店員とカメラ談議に花を咲かせていた。


店の前の大道りは通勤の人達が電車の駅に向って

人肌色の川の様に流れ始めた。

其の中から一人の紳士?がカメラ店へ入ってきて、

ショルダーバックの中から革ケース入りのキャノン7を

取り出し、店員に買い取って欲しいと言った。


店員が「下取りですか?」と聞いたら、

其の中年の男は一眼レフのカメラの頭金にしたいと

言っていたが、私は商売の邪魔はしたく無かったので、

店の奥に有る事務所でお茶を馳走に成る事にした。


カメラ店の店主とお茶を飲んで居る処へ店員が

困った様な顔で店主に「店の買取価格でお客が

納得しないのでどうしましょうか?」との事だ!


「こんな物、下取りしても後で売れやしないヨ」と

店主は冷たい反応で私にキャノン7を見せた。


私が手に取ってよく見ると大変綺麗でカビも無く、

大事に保管していたのだろうか?


私は即座に「5000円で良ければ私が今買うよ」と

言ったら、店主が売りに来た客に何やら話をしていたが、

話は決まり、私は5000円でキャノン7を買ってきた。



当時でも中古カメラ店でレンズ付きの綺麗な

キャノン7は5000円では買えなかった。


Lマウントの7はライカのレンズが装着出来たので

ライカのレンズでも不人気なレンズや、

極旧いレンズを探してはキャノン7に装着して、

イサキ釣りやシロギスや鰈の船釣りに持っていっては、

朝霧に浮かぶ外国の貨物船や又、嵐の犬吠岬等を

写して遊んだ。


塩水で壊れた処でリスクは少ないし、

一応はライカのレンズで有る。


写した写真は納得がいく作品も何点か出来て

コストパフォーマンスの高い悪戯の撮影が出来る

キャノン7であった。


特に悪条件な天候や撮影現場で酷使して遊んだが、

数年は使えた。



私の旧い記憶の中で、それなりに楽しかった

キャノン7であった。








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2008年07月26日

リコー、Caplio R7を買った




今さらになるが、型遅れとなったデジカメ、

リコー、Caplio R7を注文、昨日届いた。

買った理由は安かったからである。(笑)


r7-1





















r7-2





















さて、このカメラでどんな写真が撮れるのだろうか?




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kappa_gallery at 13:54|Permalink カメラの話 

飛行学校の廃棄物は宝の山




敗戦後の一時期、下志津飛行学校には進駐軍が

駐留していたが、直に駐留隊は居なく成った。


その後、進駐軍が破壊した旧日本軍の飛行機や

車両等の破壊された部品が山と積まれて残っていた。


其の中には新品同様なバッテリーや電子部品、

特殊な望遠鏡、戦車の標準器等、見たことも無い物

だらけであった。



当初の頃はまだ黒人のアメリカ兵が何人か残り、

旧飛行場内を巡回していたが、子供が張り巡らされた

鉄条網を潜り抜けて廃棄物の山で捜し物をしていても

黒人のアメリカ兵は英語?で何やらベラベラと言って

笑って、チューインガムやチョコレートをポケットから

出して呉れた。


今に思えば、黒人の母国には自分の子供か

兄弟がいたのだろうか?

信仰する主の恵みを施して呉れたのか?


どちらにしても、当時は子供達には微笑みを

施した黒人兵であった。



近所の大学生は黒人兵に銃を向けられ、

怒鳴られたと聞いた。


其の工学系大学生は下級生数人を連れて

何度も飛行機の残骸や車両の残骸から

黒人兵の巡回時間を見計らっては鉄条網を

潜り抜けて、電子部品を持ち出して来ては

当時流行の短波ラジオやポータブルラジオを

組み立てて楽しんでいた。


私が其のポータブルラジオを欲しがって居たら

別のラジオを組み立てて呉れた事が有った。



当時のポータブルラジオと云えども、大きさは

そば屋さんの出前用のオカモチを一回り小さくしたぐらいの

大きさで、電池は鉛電池だから重量も有り、連続で

NHK第一放送を聴いていたら一時間足らずで

バッテリーがあがってしまった。



現在の携帯小型ラジオは当時の技術や電子部品、

電池等では夢や漫画の世界だった様だ。



鉄クズ屋と一部の近隣の人々には

旧下志津飛行学校の残骸は宝の山だった。







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2008年07月25日

ポラロイドカメラとマミヤプレス




ポラロイドカメラのフィルムも製造を終了と聞いた。


私は商品撮影や作品撮影のテスト撮影に

ポラロイドカメラを活用した時代があった。


色々な機種を買っては使ったが、実用に成って

思い出に残るのはマミヤ、ユニバーサルプレスに

装着するポラロイドフイルムパックだ。


最後迄、手元で活用出来たのはSXー70だった。

このポラロイドカメラはフイルムサイズが

気に入らなかったが、丈夫でフラッシュも

オートだったから手軽さでは一番使い勝手は

良かったが、メカを楽しむには無愛想な奴だった。



何と云っても手軽に撮影、悪戯できたのは

マミヤ、ユニバーサルプレスだ。

六センチ×九センチのフイルムに魅力が有ったし、

交換レンズも広角・望遠が揃っていた。


私はこのカメラは写真機の総合カタログを見て

神田の知人の写真屋に注文した。

当時はその写真館でも自動車免許証用写真や

パスポート用写真の撮影にスタジオで使っていた。


私は面白半分でバルブフラッシュライトで昔の映画に

出てくる新聞記者が大型プレスカメラに装備してた

デカイ旧式な形の物も同時に注文して、それをマミヤ

ユニバーサルプレスに装着して得意になっていた。



この大型バルブフラッシュは区や街の公民館位の

広さなら最後列からでも、舞台迄光りが飛んで、

マミヤのプレス用交換レンズでも十分に写真は

撮れたがナンテッタッテ!レンズの性能かマミヤカラーか?

色彩が何ともローライレフレックスとは比較に

成らない程に悪かった。


唯一つ、フイルムサイズが6×9なのが集合写真で

僅かな救いであった。


だが、マミヤユニバーサルプレスはプロ機と

聞いてはいたが、新品でもガタガタボディーで

レンジファインダーは何回メーカー修理をしても

又直ぐ壊れてしまい、安かろう悪かろうの代名詞

みたいな敗戦後、一時代の日本製品の性格を

残していた懐かしさあるカメラだった。


全てのマミヤユニバーサルプレスが壊れやすいとは

思わないし、日本人として思いたくは無いが、

機械ものには当り外れが有るものとその後は

マミヤ製品を買うことは無かった。


其の後6×9サイズの魅力はリンホフ6×9サイズの

グレーを買うことに成った。







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