2009年02月
2009年02月18日
エナメルの革靴
私が子供の時に、初めてエナメルの革靴を
見たのは父親の靴だった。
昭和二十年代初めの頃、父が大事な用事で
東京に出掛ける時、靴箱から出して履いて行く
キッドの軟らかい靴の先の部分は靴墨をつけ無く
とも何時もピカピカと光っていて不思議に思って
母に尋ねた事が有ったので、現在も記憶している。
あの頃は戦後間もなかったので、殆どの人は
戦前に買った革靴を大事に修理しながら履いていた。
中には軍靴を重そうに履いている大人達も
沢山見かけた時代でもある。
私の父親は若い時からお洒落が好きだった!
コンビの靴とか、形の変わった靴が下駄箱に何足も
並べてあったが、エナメルの革靴は大事にしていたのか、
普段は靴の箱に入れ、特別扱いされていた。
それから何年か過ぎてから、街で総エナメルの革靴を
履いた人や、洒落た靴屋に展示されているのを
見かける様にも成ったが、一般には未だ地方では
珍しい存在だった。
その後、エナメル靴は女性の靴にも流行りだして
街の通りには溢れるまでに目にする様になったが、
段々に流行も変り、昨今は繁華街では婦人靴に
見かける事はあるが、紳士用エナメルの革靴は
余り見かけなく成った。
個人的に、私はエナメルの革靴がピカピカと
光っているのは好まず、一応二足持っているが
十数年履い事が無いので油脂が革から抜けていて
履いて歩くが早く、多分縫い目が裂けるだろうと
先日も普段履きで出掛けた。
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2009年02月17日
羽鳥調圧塔
遠くに見える青い塔の下まで行ってみた。
自宅からクルマで数分走ると雑木林と畑がある。
雑木林の奥は小高い畑になっていて、そのど真ん中に
青く塗られた大きな塔が立っている。
この青い塔の頭部分は何時もクルマで通る道からは
良く見えていたが、別に気にもしないで通っていた。
先日、カメラ片手に雑木林と荒れ地や畑の間に続く
ガタガタで所々に水溜まりや石ころが転がっている
街道からそれた人通りの無い細道を入っていった。
途中で山道のカーブを曲がると目の前に化け物みたいな
馬鹿デカイ青い塔が聳え立っていた。
周辺の鄙びた畑や荒れ地には予期出来ない
立派な工業用水の羽鳥調圧塔だ!
塔の青く塗られた外装が白い雲の中に聳え立つ姿は
美しく、それは雲の上から青空が帯の様に地上に垂れ
下がっているかの様にも見え、人気の無い静かな
塔の下で暫く見入っていた。
これは写真の被写体には面白い!
広角レンズと標準レンズを装着したの二台のカメラを
駆っして写している内に、知らず知らずに畑の細道を
奥の方まで入って行ってしまい、一通り撮影を済ませ
安堵した目で自分の足元を見たら革靴は泥まみれと
成って靴下まで濡れる始末。
不用意で油断禁物な日だった。
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2009年02月16日
図書委員長の赤面
小学校の高学年時代から現在迄、私は何故か
自分では分からないで役員を遣らされて、
その長に推薦される羽目になる。
人はそれぞれ得手があるが、小学校六年生の時に
図書委員長に任命されてしまった。
役員や委員等は最も嫌いな私だったが
学校からの指名には従わなければ成らず、
嫌々引き受ける事に成った。
それから半月程経った月曜日に、
その一番初めの嫌な朝が来た。
当時の朝礼は全校生が校庭に整列して、
其の前に広さ六平方メートルぐらいの
石で拵えた台があり、高さは人の背丈程だった。
この石台の上で校長先生が朝礼とお話をする。
其の後に私の出番が来た!
教頭先生が、「図書委員長から大事なお話が有ります」と
云って、校庭はシーンと静まり返った。
私はすでに心臓がドッキン、ドキンと鳴る音を意識しながら
極めて冷静を装い、石段を一歩一歩上がり、朝礼台に立った。
朝礼台に立って、約千人の顔を見た。
いや、見ようと思ったが途端に目が霞んで
顔が火照り、話す言葉が口から声にならない。
完全にアガってしまったのだ。
千人近い前で、この第一回目は大恥と
冷や汗をかいて朝礼は終った。
第二回目の私の報告は図書室担当の先生が予め原稿を
用意してくれたにも拘らず、またもや失敗した。
今度は原稿の文字に目がくらんでしまい、
真っ白に成って、まともに読めなかった。
私は初めて知ったのだが、屋内と広い青空の下で
仲間達より高い所で話をすると云う事はこんなにも
違うのかと思って、校長先生やラジオ体操を平気な
顔で遣れる体操好きな先生はやっぱり勇気が有り、
偉いと思ったものだったが、私も三学期に入った頃には
朝礼台の上で何でも思った通り話せる様に成った。
慣れとは恐ろしいものと、近年、当時の小学校
六年生時代を思い返しては、あの時は恥ずかしかったと
冷や汗が出そうになる。
この小学校の図書委員は五年生、六年生の
各クラスから男女が一名ずつ担任の先生から
指名されるので、私の時は八クラスで男子八名、
女子八名で十六人だった。
仕事は昼休みと週末午後に図書室で本の貸し出しと
入室者の管理、古く成ってボロボロに成りかけた
本の修理等である。
夏休み中は週に二日だけ図書室を開いたので
午前九時から午後四時迄、私は詰めていた。
他の委員は交替だから良かったが、私は責任者等と
担当の先生に言われて、仕方なく図書室で毎回朝から
時間迄を過ごした。
退屈をしのぐ為にコナン・ドイルの探偵小説や
ゲーテ等の偉人伝を読みあさっていた。
それが元で習慣に成ったのか?
少年時代から現在に至まで暇があれば本屋を回り、
何冊も買って帰っては、雑多な読書を好むのは
小学生の頃の図書委員の後遺症?等と無造作に
本が山積みされた自室を眺めては苦笑いをする時がある。
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昨日の検見川送信所シンポジウムの様子
昨日の『検見川送信所シンポジウム@さや堂』は
前日から強風が吹き荒れ、無事に開催出来るかと
少し心配だった。
当日の朝も空は曇っていた。
『検見川送信所を知る会』のメンバーの方々が
会場の鞘堂に集まる頃にやっと天気になり、
そして暑くなった。
その後、順序良く鞘堂の見学会、午後からは
シンポジウムが無事スタートを切った!
さや堂入り口
見学会の様子
シンポジウム受付
検見川送信所グッズ販売コーナー
用意された資料
シンポジウム会場の様子
私は嬉しかった。
会場では皆さんの元気な笑い顔と逢えて
カッパも笑って挨拶できた。
それは、検見川送信所が白亜の局舎に
甦る日も近いからなのだろう・・と。
甘く、ほろ苦い小さく可憐なチョコレートを
一つ、口に入れたバレンタインでもあった。
2009年02月14日
検見川送信所シンポジウム@さや堂
本日、2月14日(土)は検見川送信所の未来を考える
「検見川送信所シンポジウム@さや堂」の開催日です。
また、千葉市美術館鞘堂(旧川崎銀行千葉支店)の見学会も行われます。
皆様、是非ご参加下さい。
参加費は無料です!
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「検見川送信所シンポジウム@さや堂」
日時 2009年2月14日(土)
11:00〜12:00 千葉市指定文化財、鞘堂見学会
13:30〜16:30 シンポジウム
場所 千葉市中央区中央3-10-8 千葉市美術館11階、講堂
シンポジウムの内容等につきましては『検見川送信所を知る会』のHP、
または久住浩さんのブログ、『モレスキンとめぐる冒険』に
詳しく書かれていますので、そちらもご覧になってください。
2009年02月13日
菜の花
知人の女流画家さんが自宅裏の畑で育てた
菜の花を大袋一杯持ってきてくれた。
春緑の葉に黄色な花と、丸く可愛い緑の蕾が
沢山咲いたり、ついたりしている。
早春の太陽の光に輝く菜の花は何とも新鮮な美しさだ。
白い小さめなカップに入れ飾ってみた。
畑や空き地の無い住宅街に其の小さな花と蕾は
とても大きく輝いた。
空気だけが漂い静かな部屋が途端に賑やかになりだし、
窓の外からは蜜蜂までが飛んできそうだ。
広い畑の小さな花でも野性美が溢れていた。
頂いた菜の花はおひたしにして本鰹節をかけて食べた。
ほんのりと苦みがする・・。
子供の頃には農家の人がリヤカーに積んで
売りにきたのをこの時期は母がよく酢味噌等、
目先をかえては食べさせてくれた。
鰹節の香りにチョットほろ苦い菜の花のおひたし。
箸の向うに笑顔の母を思い出した。
明日も暖かく良い天気なのだろう。
真っ赤で低い夕日がレースのカーテンを紅に染めた。
菜の花(ナノハナ、アブラナ、あぶらな) 1リットル入
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2009年02月12日
ネール首相と牛玖健治
昭和32年(1957年)
国賓としてインドからネール首相が来日した。
その時に洋画家の兄、牛玖健治の版画が
日本の現代作家の代表に選ばれ、政府関係者の
見守る中、兄はネール首相に作品を手渡した。
この時の写真は国内をはじめ、諸外国の
報道関係にも大きく取り上げられた。
後日、国家からネール首相へとプレゼントされた
牛玖健治の版画は一際世界各国の美術専門家、
特に美術館関係から注目された。
そして、作品は海外の美術商にも認められ、
欧米の名立たる美術館に収蔵された。
今もそうだが、当時兄は版画や油絵の制作に
没頭していて、美術評論家や報道関係者との
付き合いを面倒臭がり、アトリエに閉じこもって
ただただ絵だけを描く事に専念する絵描き馬鹿の
生活を送った。
それでも東京、日本橋や銀座の画廊からは
兄の個展は期待されていた。
しかし、人付き合いの良くない兄は、齢を重ねるにしたがい
自分だけの世界で絵を描き続け、膨大な作品の山の中で
お山の大将宜しく、現在も狭すぎる自宅の庭で絵を描く
生き様と成った。
絵に関心のある人でも『画家・牛玖健治』を知らない人が
大半であり、実弟としては兄が描いた作品の山を見るにつけ、
思いは遠く、頭が痛く成ってくる時もある・・。
シングル マイブレンドセット「インドのチャイを楽しもう」
2009年02月11日
エビオスの空瓶
胃腸薬エビオスの大ビンがあと何日かで空になる。
広口瓶をこのまま捨ててしまうには勿体ない気が
するので何かに再利用出来そうだと思っているが、
今の処は思いつかない。
エビオスの空瓶は子供の頃には色々と
利用した思い出がある。
隣の家では家族でエビオスを服用してたので
空瓶が幾つも有って、隣に遊びに行っては
何度か貰った。
その頃は近くの田んぼにメダカや小鮒が泳いでいた
時代なので、広口瓶のエビオスの空瓶を持って
メダカを捕って入れたりするのには便利だった。
ある時、小川の流れる草むらで蛍を捕まえて
エビオスの瓶に入れて持ち帰り、自宅の机の上に
置いておいた事があるが、この時は失敗に終った。
茶色に色がついているエビオスのびんでは
蛍の淡い光りが余り綺麗な色とはならず、
変わった鈍い微かな光りと成ってしまった。
お菓子の金平糖やゼリービンズ等、綺麗な色の
食べ物を入れると、折角のお菓子が薬みたいに見えて、
気のせいか何だか不味く成る様な気がしたので、
敬遠した事もあった。
雑木林で拾ってきたドングリや銀杏等の
木の実や、庭に咲いた向日葵の種等を
入れておくにはとても便利だった。
今度の空瓶はカッパ画廊で色紙を描く時の
水入れか筆さしにでも利用しようかな!
丸い木製テーブルにこの茶色のエビオスの
瓶を幾つか置いたら、成田山と云う土地柄、
カッパ画廊ではなく、カッパの漢方薬局に
間違われてしまうかな?
チョット愉快である。
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2009年02月10日
絵描きの仲間が増えてきた
最近、カッパ画人の友人、知人、近所の幼く可愛い
二人の子供を持つ若いお父さんも絵を描き始めた。
皆さん、私のカッパの絵を観ていると自分でも
描きたく成ってきたと言っている。
今回始めた人達はヘタクソな絵だが、
堂々と自信を持って描いている。
大抵、近年の画家さんは、直ぐに展覧会等で
人の評価を得ようと、低い次元で上手く描こうと
妥協してしまう画家や、学校の絵の先生上がりが
多いので、展覧会を観に行っても面白くも
可笑しくもない作品の展示である。
芸術ではなく、売り絵、ペンキ屋さんに近い
看板かポスターで、自身の哲学等無い
何処かの写真を見て、絵の具でその写真を
塗り替えた物でも、展覧会によっては
入選や何何賞とやらを授与される。
大体が審査員も如何なものかと思われるが、
是が一般社会の通念だから、カッパが一匹
逆らった処で多勢に無勢で、忽ち谷底へ
投げ入れられて二度と世の中へは
復帰出来なくなるだろう。
それがカッパは、屁のカッパであるから幸せ者だ。
地酒のシマヤのオヤジさんも、最近ヘタクソな絵を
力いっぱい描いて、堂々と自分のHPに何点も
貼っているが、描けば描くほど良い絵に成ってきた。
このオヤジさんの人より勝れているのは
自分に絶対な自信を持っている事だ。
精神的、肉体的、管理の調整が天性なのだろう。
私はシマヤのオヤジさんに会う度に、絵はヘタクソに
描いた方が、自分の絵になると言っている。
最近は段々と構図も出来かけてきて、誰が観ても
良い絵、魅力ある絵に成ってきた。
頼むから上手い絵だけは描かないで欲しいものである。
あのダイナミックなエネルギーで職人風な作品を
描かれたら、世界的不景気な時代に、展覧会好きの
職人画家が失業してしまうなんて事になりかねない!
本当の絵を描いていて欲しいと思っている。
カッパの自宅近所の若いお父さんは、最近迄、
絵は別世界で、自身は空手とお酒の世界を好んでいが、
昨年、カッパ画人の画集と油絵を見てから自分でも
絵を描くようになったので、先日は練習用に画用紙を
100枚プレゼントした。
そして付け加えた。
上手な絵を描かないで、これでもかと
ヘタクソに描くように!と。
私、カッパは絵を求めて深夜迄カッパを描いた。
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