白熱電球

2012年09月21日

四つ角の電器店




我が街の四つ角とは、四街道十字路である。

大木の榎が傷つきながら痛々しく、現在も

辛うじて健在だ!


四街道市の名称発祥の地である。



今から五十数年前に榎の側に

掘っ立て小屋風な電器店が出来た。


当時流行りのマジックアイ付き

六球スーパーヘテロダインの

真空管式ラジオが五台か六台と

小型レコードプレーヤーとアイロン、

その他小物類、白熱電球に乾電池が

並んでいた。


この時代のラジオは普通の家庭では

大きな買い物の部類だった。


四街道の住人の殆どは千葉や東京の

秋葉原の電器店で買っていたようだ。


おのずと四つ角の電器店ではラジオの

修理が大半だった。


この店主は、私の家の近所で昔からの

知人だったから、中学生だった私は

よく店に遊びに行った。


その頃、送信管の807ppトランス結合の

出力100ワットのアンプをここの店主は

苦労して作った。

後にこのアンプは春日神社の秋祭り等に

貸出されて町民にも重宝されたものだった。


時を同じくして、四街道にも映画館が誕生した。

この映画館の幕間の休憩時間に鳴らす

音響装置一式をこの店主が請け負い

既製品のアンプケースに組み立てた。


少ない予算で製作したのだろうか、

どう贔屓目に聴いても、音質など隣街の

封切り映画館とは比べ物にならないほど

貧弱だった。



四つ角の電器店も一時は繁盛したものの、

時代はテレビへと移り、ラジオの修理も

閑散となり、店主は店をたたみ都内の

何処かに勤めた。


その後、電器店の何も無くなった蝉の

脱け殻のような建物は、巨大な榎の

下に佇んでいたが、やがて解体されて

跡地にはガソリンスタンドが出来て

現在に至っている。


兄弟の多かった電器店の弟さんと私は

竹馬の友で、現在もこの街では数少ない

親友の一人で、年に何度かはとびきり美味い

コーヒーを飲みながら日の暮れるのも忘れて

話に花をさかせている。


ラジオ店主だったこの親友の兄さんは、

十数年前に高齢と病で他界した。


私達の子供の頃は、榎のある四街道

十字路は空地で紙芝居が来たり、小さな

子供達が遊べる小さな公園であったりと、

時代の流れと共に変貌してきた。


思い出深い榎の下の小さな日陰である。


子供の頃は広く感じた四ツ角も、

現在は狭苦しい十字路である。
















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2007年12月14日

はだか電球の味わい




蛍光ランプが一般家庭に普及するまでは

我が家も白熱電球にお世話に成っていた。



裸の白熱電球の光の色は私は大好きだ、

今でも枕元のスタンドは40Wの裸電球を使っている。


この明るさで本を読むと何故か目が疲れず頭にも入る。

子供の時からの習慣だろか?



親父の親友がたまに山口県から遊びに来たり、

愛知県のオモト屋さんが商用で来たりすると

必ずその夜は家に泊まって、夜遅く迄8畳間をまっぴかりにして

何やら楽しそうに話をしていた。


来る日は予め手紙で連絡があるのか親父は前日は大忙しだ。

電灯の瀬戸物製の白い笠を掃除して普段は60Wの電球を

100Wに取り替える。



新しく万年青を買う時等は素透しのガラス電球を

二股ソケットに増設したりもしていた。

特に新しい新種を買おうとする時等(オモトの品種名が

千代田の松)は出来たばかりで珍しく高価だった。


後年、私が愛知に寄った折にその当時の価格を尋ねたら

千代田の松で葉に芸(美しい模様)が有るものは 

普通のサラリーマンの数か月分の給料位はしたとのことだ。

現在は沢山増えたので希少価値は無くなったが

質の良いものは最低数万円はする。



アトリエで赤味をおびた白熱電球の光で観る絵は

味わい深い美しさが増してそれは面白い。


心が安らぎ、何処からか又、やる気の力が

湧いてくるのが私は好きだ。


味わい深い光、白熱電球に赤ワインで乾杯。



今夜も何だかんだと大分飲んでしまったなァー 、

白熱電球の光の中で。






レトロ照明 レプリカ球




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