自転車

2012年04月17日

自転車磨き




子供の頃の自転車は黒や地味な色の車体で

やたらとピカピカ光るメッキが施されてあった。


毎日、自転車を使う人も使わない人も日曜日や

休日で天気の良い日には油を染み込ませた

雑巾で自転車の車体からスポーク一本一本を

丁重に拭いてから磨き上げ、最後にチェーン等の

回転する部分に油差しで自転車油を注してから

ペタルをクルクルと空回しさせ整備は終る。



現代の自転車は色もカラフルだし、塗装も

駆動部分の材質も昔とは変わり、一般的な

自転車はメンテナンスフリーに近い。

タイヤの空気だけを点検すれば良いぐらいだ。


我が家の近所の子供達や大人の自転車も

天気が悪かろうが構わず濡れたり、大風で

倒れたりしていて、そのままほったらかしでも

錆びたりする部品が少ないから、もう何年も

自転車を掃除したことは無いようだ。


今の自転車は昔のものと比べれば

随分と丈夫になった。



その反面、マニアックな自転車やスポーツ用の

自転車は部品や用品を国内外から色々と選んで

自分なりに楽しめるので面白い趣味でもある。

















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2012年03月27日

すずかけの下に来るパン屋さん




私が、まだ小さな子供の頃、大太鼓の音は

当時住んでいた家から近かった春日神社の

お祭りと小学校(現在の四街道小学校)の

校庭で運動会の応援に打ち鳴らされた音を

自宅の庭で微かに聴いていた。


小学生になったら、当時は太鼓の音で

授業が始まり、太鼓の音で授業は終る。


今に思えば戰みたいである。



そんな背景の中に校庭の端の方に何本も

植えてあるすずかけの木の下へ自転車で

お昼にパンを売りにくる年配の人がいた。



自営業者の次男坊だった同級生の一人は

何時もチョコレート入りのパンを一つ、この

自転車のパン屋さんから買ってきて昼飯に

食べていた。


だが、ほんの数ヵ月すると何か不都合でも

有ったのか、校門の外のやはり木の下で

商いをするようになった。


何故か木の下が好きなパン屋さんだった。



後日に私は先生から頼まれた急ぎの使いで

文具店まで行くの為に東側の校門を出ると、

自転車で売りに来たパン屋さんには数人の

子供が群がるように菓子パンを買っていた。


私はその時、子供ながらに商売繁盛で

良かったな〜と横目でそのパン屋さんを

見ながら、脇を通り過ぎた。


私がこのパン屋を見たのは其が最後だった。


間もなく、すずかけの枝に小さな黄緑色した

新芽が育ち始めた頃に私も卒業式を迎えた

からである。


当時、昼飯にチョコレート入りの菓子パンを

一個買って食べていた同級生は、それから

十数年後に街中でバッタリ会った。


双方が、学生服から背広姿に!

数秒後に「ヤー!」。


当時は私も細身だったが、その次男坊は

小学生時代と変わらずに細かった。


まさか、今でも昼飯に菓子パン一個の

少食なのか?と思わず微笑んだ。




あれから数十年が過ぎた・・・。


先日、我が家にヤクルトおばさんが、バイクで

乳酸菌飲料を売りに来るのを自宅の車庫から

偶然見掛けた。


遠い昔に自転車の荷台に木箱をくくりつけて

売り歩いていたパン屋さんの思い出と重なり、

懐かしく思った。













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2012年01月24日

サイドカー




ハーレーダビッドソンなど大型で高価な外国製の

オートバイにサイドカーを取り付けて青空の下を

気持ち良く走り抜けて楽しむ人は大勢いるが、

そのような金持ちなマニアとは違って、実用型の

自転車にリヤカーを縦半分ぐらいの大きさにした

サイドカーを付けて路地から路地へと忙しそうに

仕事に走り回っていた側車付きの自転車を昔は

よく見たものだ。


しかし、このサイドカー付き自転車、近年では

全くといっても良いほどに見かけ無くなったが、

先日、珍しく東京下町にある私のアトリエ近くの

道路にサイドカー付の自転車が停まっていた。


側車には建具が積んであったので、

昔気質な建具屋さんであろうか!



現在、私が暮らしている四街道の街でも

昔はこのサイドカーをつけた黒い武骨な

車体の実用型自転車を見かけたものだ。


ガラス屋さんや建具屋さんがサイドカーに

大きめな材料や道具などを積んで道路を

走っていたが、近年ではまるで見ない。


東京の下町でも昔とは交通事情が違い、

サイドカー付の自転車でクルマの流れに

乗って道路を走行するのは難しく、小型の

トラックかバンを使用したほうが楽だろう?


そして、このサイドカーを簡単に確実に取り付けが

出来る三角フレームの実用自転車は現在国内の

自転車メーカーからは販売されていないようだが、

サイドカー単体は今でも東京下町の工場で細々と

生産されているらしいので未々需要はあるようだ。



実際、使ってみれば結構便利なサイドカー付の

自転車かもしれない・・。















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2011年11月04日

屋内用トレーニングマシン




見上げれば高い青空、

風も爽やかに気持ちが良い

食欲の秋日和。


此のところ、私は仕事も忙しく、

食べる割には運動不足だ。


今までなら時間に関係無く、夜遅くでも

仕事が一段落すると散歩に出掛けていた。


だが、最近は治安も悪くなっているので、

夜遅くに一人歩きをするのは何処と無く

不安が付きまとうし、近所の慣れた同じ

散歩道だけでは飽きてくる。


また、早朝は眠いしなどと、運動不足の

自分の腹を撫でながら思い出した。


画材や作品を保管している倉庫に

以前、買ったままで使わなかった

室内専用のトレーニングマシンが

あったのを思い出した。


早速、それを引っ張り出し、自宅の軒先に

持ち込んでトレーニングを始めた。


車輪の無い自転車のような機械だ。

ペダルを踏んでいると徐々に脚の筋肉が

痛くなり、疲れて腹も減る。

結構、汗も全身から吹き出てくるので

それなりの運動にはなっているようだ。


心持ち、出っ張って醜い腹も

スッキリとしてきた。



しかし、食欲の秋である。


この爽やかな空気を吸いながら

運動していると腹が空いてくる。


此処で、我慢が出来れば良いのだが、

炭火焼きのカルビや、私が自己流で

焼くいたステーキが食べたくなる。


冬になれば、腹の出っ張りも着膨れで

隠れるだろうから、結局、腹の脂身は

元の木阿弥になっているようだ。


其でも元気ならば、それも良しである。







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2008年11月07日

黄色い自転車と黒鬼




其の男は自転車は黄色い物と

生涯思い込んでいた!


私が子供の頃に過ごした自宅近くで

其の男は年中、黄色い自転車に乗っていた。

黄色な自転車は其の男の仕事の

看板であり、道具であった。


通称、鬼の集金人と一部の村人からは

其の男の姿さえ見るのも恐られていた。


当時、東京電力の集金人の一人であった

この男の稼業は農家である。

萱葺き屋根で庭はタダ広く、盆栽や庭木は無かった。

農繁期には庭が作物の置場になったり、

作業場に使うためである。


その広い庭には電柱が立っていて、当時としては

珍しく外灯が付いており、その電柱には動力用の

電線が引かれ配電盤が取り付けられていた。


モーターで脱穀機等を長いベルトで伝達していた

現場を見た事が有った。



この農家の跡取り息子だった東京電力集金係りは

会社から自分に与えられた集金ノルマを早々と

終らせて農作業に励む為に、自ずからが強引な

電気料金の取り立てをしていた様である。


電気料金を集金日に間に合わせず、後日に

払おうとする方にも問題はあるのだが、

この東京電力集金人には「後日支払いますから」等の

言い訳は通用しなかったそうである。


東京電力専用の黄色い自転車を集金様が

来てやったとばかり、道路の真ん中だろうが、

墓の前だろうが、何処であろうが東京電力様の

看板とばかりに大威張りで停めて、近所中に

聞こえる大きな声で東京電力集金と怒鳴る!


多少耳の遠い年寄りでも聞こえる様にか、

東京電力の威嚇か?

「金が無いなら他家から借りて来い」と

怒鳴りつけて東京電力様が集金に来たからには

絶対に集金せずには帰らない。

強引な集金を年中、茶飯事としていた男であった。



東京電力としては優秀な集金人であったのだろう。

無事にこの男は黄色い自伝車に集金カバンを

提げて定年を全うした。



鬼の東京電力集金人は定年後、不動産ブームで

自分の農地をアパート経営に切り替えて

優雅な老後を過ごしたが、老人に成っても

自転車は黄色であると頑固にも思い続け、

お寺の御寺会費の集金をやはり黄色い

婦人用自伝車に乗って集めていた。


若い時からの集金技術が役に立ったのか、

この男がお寺の集金係になってからは

寺も儲かったらしく、寺の坊さんは

高級外車を乗り回す様に成った。



何年かは平和な日々が続いていたが、

その後、黄色い自転車を生涯の看板にしていた

集金技術師と高級外車の坊さんは二人揃って

あの世とやらに旅立ってしまったが、

あの世でも高級外車に乗る坊さんの後を

黄色い自伝車に三途の渡しの木戸銭を

集金カバンに追っ掛けているのだろうよ!


日焼けで真っ黒な体は見るからに

この世の人間ではなく黒鬼だった。







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2008年08月12日

自転車にも鑑札が付いていた時代




昭和二十年代は市町村で個別な自転車の

鑑札が発行されていた。


現在の四街道市は当時はまだ千代田町だったので、

手の平大のアルミ札に千代田町と黒く印刷された鑑札を

自転車の後輪泥よけのテールランプの上に取り付けていた。


千葉市はオリンピックのメタルの半分以下の小型な

メタルの様な形で、かっこが良かったものだ。


千葉市の自転車の鑑札と我が町の鑑札を較べると

千代田町の鑑札は誰が見ても分かりやすく結構な事だったが、

デザインは如何にも田舎臭く、折角の自転車のデザインを

台無しにした。


当時としては仕方の無い事でもある。

町の中も、町の周辺も田畑や雑木林が大半を

占めていた田舎町だった。


町長、町会議員も農家出身者が大半だった様だから

広い田畑で鑑札が目につく様にと大きく表示したのだろうか?


この不恰好で若者には不人気な自転車の鑑札も

昭和三十年初めには無くなってしまった。


近年は我が街、四街道市も昔とは違う

新しいセンス溢れる人々が増えてきた。


此れからが楽しみな街でもある。









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2007年12月19日

再生自転車、庭工場



昭和二十三年頃に遡る。



近所に何処から来たのか二年程住んで

又何処かへ引っ越して行った家族があった。


この家族、ざっと数えて十二人は居た。

子供十人で女の子が二人いた。

その貸家の庭は50〜60坪位だった。

この庭には錆びたり焼け焦げた自転車が

山と積まれていた。


近所の人の話では千葉方面で空襲で焼かれた所から

拾い集めた物だとのことだった。


昼過ぎ頃から家族総出で庭のボロ自転車を解体し始める。

垣根越しで子供の僕には良くは見えないが

解体したフレームやハンドル等、金属部分が

赤黒く焼けている所はエナメル塗料などを

塗って見たくれ良くしていた。


何故か暗く成ると電気溶接を始める。

鉤を竹竿に付け、電灯線が電柱から屋内に入る手前で

直接に電気をその竹竿で電線に繋ぎ、盗電して電熱器や

溶接機に繋いでた。


お陰様でよく電柱のヒューズが切れて隣近所が停電する。

隣組長が自転車で東電の四街道(当時は千代田町)の

代理店まで頼みに行く、一時間以上は最低待たされる。


時には代理店の親爺さんが出先で酒や濁酒など振る舞われると

酔っ払らって電柱に上れ無いから朝まで停電したままの時も

何度か有った。


あまり頻繁なので東電の親爺さんもなかなか来て呉れなくなった。

丁度、町内に国鉄の電気工事を遣っているお兄さんが居て

それからはお兄さんが何時もヒューズを取り替えた。

お兄さんが暗やみの中、電柱に登って行く姿はカッコ良かった。


ボロ自転車再生工場の髭親爺さんは、此れ又ボロトラックで

継ぎ足し自転車を荷台に積み込んで朝早くどこかに売りに行った。



何だかんだで自転車再生屋さん、お金廻りが良くなったのか

真新しいトラックに家財道具と家族を積み込んで近所に挨拶もせず、

何れの地へと行ってしまった。


その跡の庭の隅には腐り果てた自転車の残骸が

何時までも雨に濡れていた。


暫らくして畑に成った。

色も鮮やかな茄子美が沢山なっていた。


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