東山区の蹴上げにある神社です
この粟田口といいます
粟田口とは京の七口のひとつです
七口とは京の出入り口を表す言葉です
豊臣秀吉が実権を握ると京を大改造しました
それまでは京は風水と呪術によって守護されてきましたが、それを御土居という土塁を築くことによって、構造的に守る方法を取りました
その御土居の切れ目の関所のあるところが七口になります
江戸の見付と同様です
七口には、鞍馬口、大原口、荒神口、粟田口、伏見口、竹田口、東寺口、丹波口、長坂口があります
七つ以上あるではないかと、お気づきだと思いますが、実際のところこの中のどれが七口に含まれているのかわかっていないのが実情です
筆者は長坂口、鞍馬口、大原口、粟田口、丹波口、荒神口の六口と、伏見口、竹田口、東寺口はひとまとめになって一口と呼ばれていたのではないかと考えています
理由としては、伏見口、竹田口、東寺口は伏見城に続く道であり、伏見城は東西の水路と街道の要として作られた城なので、この三口は同様の役目をしていたのではないかと思われるからです
粟田神社は神幸祭が行われる神社です
粟田祭りと呼ばれています
神幸祭とは依り代を立てて練り歩く祭りのことで、粟田祭りは祇園祭の原型ではないかといわれています
御祭神は素戔嗚尊(スサノヲノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)、八大王子命(ハチダイオオジノミコト)(前回出てきた八王子です)、櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)、神大市比賣命(カムオオイチヒメノミコト)、佐須良比賣命(サスラヒメノミコト)で全ての神が鬼であり、そして産鉄に関与した神です
このことからもこの周辺の地は産鉄が行われてのではないかと推測されます
この粟田口といいます
粟田口とは京の七口のひとつです
七口とは京の出入り口を表す言葉です
豊臣秀吉が実権を握ると京を大改造しました
それまでは京は風水と呪術によって守護されてきましたが、それを御土居という土塁を築くことによって、構造的に守る方法を取りました
その御土居の切れ目の関所のあるところが七口になります
江戸の見付と同様です
七口には、鞍馬口、大原口、荒神口、粟田口、伏見口、竹田口、東寺口、丹波口、長坂口があります
七つ以上あるではないかと、お気づきだと思いますが、実際のところこの中のどれが七口に含まれているのかわかっていないのが実情です
筆者は長坂口、鞍馬口、大原口、粟田口、丹波口、荒神口の六口と、伏見口、竹田口、東寺口はひとまとめになって一口と呼ばれていたのではないかと考えています
理由としては、伏見口、竹田口、東寺口は伏見城に続く道であり、伏見城は東西の水路と街道の要として作られた城なので、この三口は同様の役目をしていたのではないかと思われるからです
粟田神社は神幸祭が行われる神社です
粟田祭りと呼ばれています
神幸祭とは依り代を立てて練り歩く祭りのことで、粟田祭りは祇園祭の原型ではないかといわれています
御祭神は素戔嗚尊(スサノヲノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)、八大王子命(ハチダイオオジノミコト)(前回出てきた八王子です)、櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)、神大市比賣命(カムオオイチヒメノミコト)、佐須良比賣命(サスラヒメノミコト)で全ての神が鬼であり、そして産鉄に関与した神です
このことからもこの周辺の地は産鉄が行われてのではないかと推測されます