空手顔面攻撃 闘道会 馳晩成(和徳)



2007年11月20日

空手顔面攻撃 闘道会 馳晩成(和徳)

空手顔面攻撃 闘道会 馳晩成(和徳)
「空手」表記は、沖縄では明治38年から花城長茂が空手空拳の意味で使い始め、本土では昭和4年(1929年)に慶應義塾大学唐手研究会(師範・船越義珍)が般若心経の空の概念を参考にして初めてこれを用い、その後この表記が広まった。

昭和11年(1936年)10月25日、那覇で「空手大家の座談会」(琉球新報主催)が開かれ、この時、唐手を空手に改めることが決まった。1960年代までは唐手表記も珍しくなかったが、現在では空手の表記が一般化し定着している。また、1970年代からは、主にフルコンタクト空手の流派において、カラテやKARATEと表記されることも多い。以下では、原則として、空手表記に統一して叙述する。



空手は、もともと琉球王国時代の沖縄本島では、手(ティー)もしくは唐手(トゥーディー)と呼ばれていた。「手」とは主に琉球固有の拳法を指し、唐手とは中国から伝来した拳法を指していたとされる[2]。しかし、明治38年(1905年)、空手が沖縄県で学校の体育科に採用された際、糸洲安恒によって唐手表記のまま、読み方が「トゥーディー」から「からて」へ改められ、意味も「手」も含めた琉球拳法一般を指すようになった。それゆえ、唐手(トゥーディー)と唐手(からて)は、言葉の意味する範囲が違うことに注意する必要がある。




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