お医者さんの言うことは、なかなかに合っていたりするのですねぇ。
(当たり前。)

お仕事始まりますので、先日帰京しました。

お正月帰省2日目あたり(1/4あたり)は、すっかり痛み止めも効き、

「なんだー。先生は、完治まで1ヶ月くらいかかるって言ってたけど、結構早く治るかもな〜。だって今結構動けてるし!ひゃっほう」

などと、甘く見ていた肩甲骨肉離れでしたが、

うーむ。

痛み止め飲まなければ、まだまだ痛く、
やはり病院の先生の言った通り、長引きそうな予感がします。

予感。それは、

○実家にて「左手」で、
草むしり&枯れ葉拾いをし、そこまでは大丈夫なのですが、
ゴミ袋にそれらをまとめて、その口を結ぶことが、右肩甲骨が痛くて出来ない。

○ペットボトルのキャップが右手では開けられない。

○咳をすると、激痛ふたたび。

○くしゃみをすると、激痛ふたたび。


○帰京時、荷物が重く、
持つと思ったより痛く、結局全宅配便送り。(不経済極まりない。)


など。
しばらくは注意が必要ですねぇ。


ちょっと動きの鈍い、1月の私です。





帰京当日、その足で、友人の舞台を観に行ったのだけれど、
少しお時間長めの舞台で、観ているうちに肩甲骨がズクズクとうずきだし、

浜松駅でわざわざ購入した素敵差し入れを、うずきに気を取られ、渡しそびれてしまう事件が発生しました。

なんて事だ。

せめて、写真でも載せておこう。(これ、お菓子なんです。)




たくさんの友達に、

大丈夫?
言えや!
連絡してよ!
何か手伝える事あったら言ってね!
お大事に!

など、連絡もらいました。

それだけで、感謝です。。。
ありがとうございます。









さて、そんな私も今年の目標などたててみました。


「マイペース。」



人それぞれ、スピードが、違う。
考え方も、違う。
でも、私は私。

それを、
するっとまるっと受け止めて、


んで、私は、


「マイペース。」で。



全然関係ないのですが、ルノアールの「喫茶室」の文字が
なんでこの書体なのか、ちょっと不思議な気持ちがしている今日この頃。


な、なんか、怖い感じがするぞ。







去年の年越しは、インフルエンザとノロウィルスに侵され大変な事になっていましたが、

今年の年越しも、なかなかの体験をしている真っ最中の吉岡です。

ちょっと遅れてしまいましたが、明けましておめでとうございます。



年12/29

仕事納め。

友人の バンドLIVEの、音響参戦。

LIVEの前に30分程の、芝居があったのですが、(こちらの音響参戦)
これがまた、面白かったー。

ビジュアル系へびぃめたるなLIVEも体験したことなかったので、
そちらも楽しかったー!!
ちょっと経験したことのない音量にドキドキして、新鮮! 


本来、見知らぬ人に出会ったり、話したりが、ものすごーく苦手な私ですが、

この友人の周りの方達は、とても良い人が多く、風通しがとても良いので、楽しいのです。

呼んでくれて本当にありがとう。
 

んでこの日の、最高のご褒美、2点。




にゃっはー(≧∇≦)

ゲスト出演されていた、鳥肌実さん。
…おもしろすぎました(笑)
お腹がよじれるかと思いました。
実際、よじれました。

音の打ち合わせの時も、優しい声で、とても穏やかな方で、びっくりしました。
猛烈ファンになってしまいました。



NINJAMAN  JAPANのTシャツも可愛い!!

よし、来年は、この2枚、仕事でヘビロテ決定だな。



最後の仕事を無事に終え、

新しいご縁などもあり、幸せな気持ちで帰宅。

帰宅して、コタツのあるテレビ部屋に荷物を降ろし、
さて、お風呂でも入れようかな、と思ったその瞬間。

私の身体の中で何やら音がした。


「パキャッ」


キャッ?
っていった?今?
私の身体の中から???
…と思った瞬間、背中に激痛。
かなりの、激痛。
近年、稀に見る、激痛。

ぬをー!
な、なんじゃこりゃー!?
と、ジーパン刑事のように叫んだまま、もう動けず。
ちょっとでも動くと、背中に物凄い激痛が走るのです。

な、何が起きたんだろう?

ぎっくり腰?

いや、

今痛いのは、、、、右の肩甲骨あたり?息をするだけで、激痛が走るぞ。
首も動かせない。手も動かせない。
つまりは全く動けない。

ここここ、困った。

携帯はちょっと離れたかばんの中。

私の異変に気付いた猫たちが、怪獣のようにのしのしわらわら寄ってくる。
頼む。今、寄らんでくれ。
ぎゃー、乗らないでくれ。
今、私は猛烈に痛いのだ。

パキャッといった後、すぐにうずくまったので、私はコタツの側にいる。

えりこよ、まずはコタツのスイッチを入れろ。暖をとれ。
そして横になるのだ。

「イタッ!はー、はー、よっ!イタッ!!」

とかなんとか叫びながらなんとか横になったのはいいが、
横になったらなったで、もう起き上がる事は、自力では不可能だ。

息をするだけで、激痛なんて、
普段へらへら生きている私でも、流石にちょっと怖い。


しかし、携帯はちょっと離れたかばんの中。
家電話はもっと離れたところにある。
誰にも連絡出来ない、、、。


…あきらめよう。(早っ!)


多分、この痛みは、骨か筋な感じがする。

きっと一晩寝たら、
「何だったんだろう?昨日の痛みは?らららららー♪」
となっているに違いない。


と、全てをあきらめ、寝てみた。

かなり疲労が溜まっていたので、あっさり爆睡してしまった。

12/30
起きたら♪らららららー
とはなっていなかった。

全く昨夜と状況は変わらない。
いや、昨夜より、ヒドイかもしれない。

流石にこれは大変な事が起きている。
そうは思ったけど、動けない。
朝だから猛烈な尿意に背中を押され、

「ぎゃー!イタッ!はぉっ!」とか言いながら、

普段なら徒歩5秒のトイレまで10分くらいかけて行き、
猫たちに大量のエサと水を与え、猫トイレを綺麗にして、
とにかくベッドへ向かった。

そこでやっと気付いたのは、

…コタツ時代より、更に遠くになってしまった携帯の存在。

何故携帯を取らなかったんだ、私は?!
しかし、また「ぎゃー」とか言いながらコタツの部屋に行く勇気もない。あまりの激痛に、もう、本当に動けなかったのだ。

…と、また寝てしまった。


痛いってのは、とにかく体力を奪う。
次に目が覚めた時、またも尿意で、
…いや、私も人間である以上、仕方がないのだ。尿意には勝てない。また叫びながらトイレに行き、今度こそ携帯を取りに行き、

しかし、指が動かせないのでした。
指を動かしても痛いなんて、
もう普通じゃない。

昨夜の友人から、LINEがきていた。
やっとの思いで、良いお年をと左手で返信を打ち、書こうか迷ったが、もうそれ以上打てず、力尽きた。

明日、朝になったら、誰かに連絡しなくては。
これはかなり、マズイぞ。


12/31

朝起きたら、お腹が空き過ぎていて、
猛烈な尿意と空腹にまたもや背中を押され、
起き方も、なるべく激痛が走らない起き方をその場で編み出し、
起きた。

立ち上がり、一歩歩くだけで振動で激痛が走るけれど、 

流石に孤独で痛い日々が続き、誰かに連絡して、「た、助けてくれ」と言ってみたい気持ちにかられた。

が、

世の中は、大晦日。 

きっとみんな忙しい。

でもこのまま年を越すなんて、あまりに悲しい。

トイレに行き、魚肉ソーセージを食べ、
落ち着いて3分ほど真剣に考えて、(短っ!)
私は、なんとか自力で病院に行くことにしました。

救急のある、ちょっと大きな、あの病院へ。

そこで鏡を見てびっくり。
連日痛くない体勢優先で寝ていたため、
髪の毛が、井戸から怨んで這い上がってきた人みたいなレベルで過激な事になっていた!
危ない危ない。
そのまま出るとこだった。

あわてて帽子を被り、

変な歩き方しながらタクシーに乗り、
(乗るのにも痛くてうまく乗れず、運転手さんが手伝ってくれました。)
やっとこさ、整形外科へ。


「これは、かなり痛かったでしょう。
筋断裂、いわゆる肉離れですねぇ。
うーん、これはかなり重症ですね。
年末から、大変でしたねぇ。」


がーん、、、。



確かに、疲労に疲労が重なっていた、ここ数ヶ月。

背中がバリバリなのを気付いてはいたが、
緩める事もほぐす事も、何もしないでいたからこんな事になってしまったんだ、、
自業自得。

完治まで1カ月くらいかかるそうだ。

一月の仕事、どうしよう、、、。

肉離れって、初体験だけど、こんなに痛いものなんだ、、。

しかし、痛み止めをもらったので、右手は使えないが、なんとなく歩く事は、出来るようになったぞ。

1/1
年を越し、ただひたすらに眠り、安静。
1/2
今年も2日目になっちゃったじゃないか。で、ただひたすらに眠り、安静。
まだ右手は動かせず。
1/3
で、やっと、強烈な痛みが少なくなってきた(慣れてきた?)3日夕方、
「年末に帰るねー」と言ったっきり、音沙汰のない娘を待つ母の元へ。

とても猫は持てないので、今回は東京で、お留守番。ごめんよ。

で、なんとか、到着。左手で撮ってみたりした。




しかし、要介助の母に、要介助の娘が行ったところで、、
なのだけど、

お正月は、母を介助してくださる人々もお正月なワケでして、
私が行かねば誰が行く、の心意気が肩甲骨に届いたのか。
激痛は更に少なくなり。

1/4
相変わらず右手は動かせないが、なんとか左手だけで、
老人一人暮らし感満載の、
枯葉落ちまくりで、雑草の生えた玄関まわりのそうじをし、

遅くなった大掃除、簡単バージョンもこなしたりして、(ただの掃除かσ(^_^;))

気合いで自転車にも乗れ、買い物もすませ、

無事、実家も正月っぽくなりひと安心。


で、今日に至ります。
まだ右手は動かせないのですが。


去年は、仕事やら公演やらなんやらを詰め込み過ぎたラストスパート4ヶ月。
おばさん体力の限界を痛感しつつ、
ずさんな健康管理を猛反省。

バカボンのパパより3っつも歳上な事実を、しっかりと受け止め、
今年もマイペースで頑張ろうと、

誓ったお正月なのでした。


年賀状も書けないまま、
連絡せねばならない人々にも、
去年お世話になり、ご挨拶をせねばならない方々にも、
全く連絡できないまま、今年も5日目に突入。
大変申し訳ありませんでした。
連絡します。


「肉離れになったりしたけど、私は元気です。」
(魔女の宅急便風)



今年も、どうぞ宜しくお願いいたします!


吉岡英利子




続く。

















宮城県には、兄貴家族と、親戚、
そして友達がいる。

夏に宮城に行くつもりが、
仕事や台風や、いろんな事情により、延期になっていて、

10月頭の連休、やっと行く事が出来た。

東海道新幹線は、年に何度も乗るので慣れたものだが、

東北新幹線は、人生で2回くらいしか利用したことがないため、
早速東京駅で、東北新幹線のシステム知らずの私に数々の試練が待ち受けていた。

出発時間だけを見て、これに乗ろう!と
3日前から決めていた新幹線は、
全席指定の新幹線だった。
私の券は、自由席のみ券だぞ。


数分後に見つけた、自由席のある新幹線は、
無情にも、福島駅で、真っ二つに割れ、行き先を変えるらしい。

なんておっかない乗り物なんだ。

私は仙台へ行きたいのだが、うっかり間違え山形に行ってしまったらどうなってしまうのだろう。

実際私は、仙台行きではない方にしばらく堂々と座っていた。

コーヒーまですすっていた。

危ない危ない。


なんとか無事に着いたよ。













まずは仙台市の兄貴家族に会いに行ってきた。

甥っ子も1歳9ヶ月となり、可愛い盛りだろう。

…しかし。

人見知りが始まっちゃったかな?
私を見た瞬間、ギャン泣き!!

「お兄ちゃんの、妹だよー!」
などと、よくわからない説明をしてしまい、
(パパの妹だった)

さらなるギャン泣き。

ご、ごめんよぅ!!

私にも記憶がある。
母親の弟に抱っこされて、
「ギョエー!こ、殺される!
ママ!笑ってないで助けてよぅ!」
と、ギャン泣きした記憶が。
(本当に記憶にある。)


しかし、今、 
そのおじさんと私はとても仲良しであるため、いずれ甥っ子とも仲良しになれるハズだ。

叔母さんは待つよ。いつまでも。(笑)





















東北新幹線がおかしな状態でくっついている中、 

東海道新幹線と、
あきらかに邪魔になるであろうデカいレールは、私の勝手な趣味のお土産である。

よし。クリスマスには、九州の新幹線と北陸新幹線を贈り、全国制覇を狙おう!




そして夜は、兄貴と、兄妹会議。
今回の旅の最重要任務。

母親が、足が悪く、要介助なのに、浜松で一人暮らしをさせているため、今後の相談。

しかし兄貴は、仙台で仕事をし、家庭もあるのだ。
私がしっかりと母親の今後を考えていかねばなるまい。


などと、真面目な話をしつつ、

飲み代は兄貴におごってもらう、ちゃっかりした妹で申し訳ない。

子供の時から、
「しっかりした兄。ちゃっかりした妹。」の図は、今後も変わらないであろう




2日目は、同じく仙台市に住む叔母(母の姉)と、いとこの家に行き、

数年前に亡くなった叔父さんにお線香をあげに行ってきた。

仙台の叔母家族は、一族で変わり者No.1の私に、いつも優しい。 

叔父さんは、私の変わりっぷりを、絶賛してくれていた。(笑)
1つ上のいとこのお姉ちゃんも、いつもいつも私に優しい。
いとこ仲間の中でも、一番仲良しのお姉ちゃん。

しかし、流石、姉妹だ。
うちの母親の3つ上の姉である叔母は、
ぼんやりしていたら、母親と見間違えてしまうくらいそっくりになっていた。(昔は似てるなんて思わなかったのになぁ)


叔父さんのお墓に手を合わせ、会いに来るのがずいぶん遅くなってしまった事を謝り、
うちの父ちゃんが、昔々叔父さんに頂いた、万年筆とボールペンのセットを、嬉しそうに毎日会社に持ってゆき、そして、死ぬまで大事にしていた事などを報告、お礼をした。

そして、
昔、叔母家族が住んでいた、石巻市へ行った。














日和山公園から、かつて叔母の家があった所を望む。
震災で、この辺りもすっかり姿を変えてしまった。

丸一日、叔母といとこと過ごした。
叔母にご馳走してもらった、はらこ飯の美味しいことといったら!!




最終日は、友達の住む角田市へ。
ずっと行きたかった所だ。

仙台から、東北本線で、槻木駅、そこから阿武隈急行線で角田市へ。
彼女の、『急いで行っているとは思えない、のんき電車』
って表現が、笑ってしまう。






































友人、森ちゃん。
やっと会えたね!
(なんで不良ポーズ?笑!)

森ちゃんは、パントマイマーであり、ピアノの先生でもあり、タップダンスも踏め、保育の仕事にも携わり、
まっさらな言葉を生み、
そして美しい写真も撮る、

書ききれないほどの、いろんな顔を持つ、お友達。


彼女は、パントマイムのお師匠さんのレッスンを受けるため、よく東京へやって来るのだが、ここの所ずっと、会うタイミングを逃していた。



ごはんを食べ、ぺちゃくちゃ。
車に乗り、ぺちゃくちゃ。
外のベンチで、ぺちゃくちゃ。
駅のベンチで、ぺちゃくちゃ。

午後いっぱい、たくさん話をした。


いろんな顔を持つ森ちゃんの頭には、たくさんのアンテナがにょきにょき生えている、と、ずっと思っていたが、

彼女の住む街、角田の広い広い景色を見ながら、外にあるベンチでたくさん話していて、
私は気が付いたんだ。

彼女のアンテナは、一つなんだ。

そのアンテナは、たくさんのものを、いろんな角度から受信出来る、一つのアンテナだったんだ。

私などは、
なんとかアンテナをたくさん増やさなくちゃ!
もっと高くしなければ!
などと考えてしまう平凡タイプだが、

たくさんの顔を持っていても、
彼女のアンテナは一つだから、
根っこには、必ず一つの大切な何かが、ある。

だから私は憧れてしまうんだ。

もちろん、だからこその悩みもあるだろう。

でも、そういうアンテナを持つ人は、そんなには、いないんだ。 

やっぱり憧れてしまうんだ。

だから、森ちゃんは森ちゃんのまんまで、
そしてずっと友達でいてね。

またすぐに会おうね! 
すごく嬉しかった、ありがとう!


そしてまた、
「急いで行っているとは思えない、のんき電車」阿武隈急行線に乗り込み、帰りは福島駅から新幹線で帰京した。
























私はいつもいつも自分の事だけで精一杯で暮らしていて、
なかなか会いに行けないうちに、

私の「大好きなお兄ちゃん」は、「父親」になり、

叔母はいつの間にか79歳になっていた。

甥っ子は、きっとすぐ大きくなってしまうだろう。

年に1回くらいは、宮城に行けるような
余裕のある私になりたい。


そう思いつつ、 
今年夏から、かなりのフルスケジュールにて、
秋からのいろんな準備がかなり遅れてしまっている。

一緒に宮城に行った、スーツケースの中身も昨夜全部片付けた。

かなりいろいろ遅れてしまった全てを取り戻すべく、 
また私は、てくてくと歩いてゆくのであります。




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