January 22, 2007 14:04

また死ぬってことを考える日々が.........狂人日記とも 2

死は最悪の逃げなのだろうか
確かに悲しみから逃げたくて死を選ぶ人は多い
泣くことに疲れたという人、仕事に忙殺される人、救いなどはないと絶望した者
しかし、死という現象はその人本人よりも周りの人に影響を与えるものだ
自分の大切な人の死によって自分が壊れてしまうすらある
大切な人の死を乗り越えること題材としたドラマなどは人の心に感動を呼ぶ
しかし、このようなドラマなどの氾濫により死を乗り越えることが自分と異なる世界に感じてしまっている人がいるのではないだろうか
そんなことは決してない
誰にでもできることだ
そんなかっこいい生き方などできないという人は、真剣に生きていない人だ
私は、本当に死を受け入れていい者は真剣に生きてきた人だけだと考えている
確かに、青臭い理想論だよ
死は、突然に理不尽にやってくる
交通事故で死ぬ、謎の病気で死ぬ、狂った通り魔に刺される、自殺、、、
他人や環境が要因になる場合もあれば自分の中から出てくる衝動的な自殺衝動まで
ホントいろいろあるよ
さて、私は自殺が絶対的な悪や罪悪であるとは考えてはいない
芸術家、音楽家、文学者といったものは自殺者が多いことは有名だが、それに対する批評を私は数えるほどしか聞いてない(何が何でも非論理的に自殺は絶対悪としか捉えられない人は除いて)
あの自殺癖で有名な太宰治だってあまり批評を聞かないが私は彼ほど自殺という行為を軽く捉えて自殺者はいないのではないか(女に付き合い、自殺体験で執筆活動)
今の若年の自殺者のほうがよほど自分の生を悩み考えて死を選んでいるとかんじる
若年者の自殺の原因のほとんどは、中高年の自殺とは大きく異している
中高年は社会的な事由が原因となりやすい
若年者は自分自身の存在の不安が多い
私はどうして生きているのか、○○さんから嫌われてしまった
といった自己の存在をしっかり形成しきれないところを自己、他者から指摘されることによって自分の存在は邪魔でイラナイモノだと考えるようになることが多い
私は自殺否定者ではないが自分の存在を邪魔なイラナイモノということは決してないのである
では、生きる意味とは何なんだろうか
いくら他人にイラナイモノといわれても自分と世界に一人くらいは自分を必要としてくれる人はいるかもしれない
誰だって人のためだけに生きているわけではない
すべての人に好かれようとしてはいけない
私の存在は私と私を必要としてくれている誰かのためだけにあればいいとも思っている
ほかの人に殺意を抱かれるほど憎まれようが構わない
しかし、そこまで考えても自殺の選択肢は消えないかもしれない
そして、自殺を選択することを私はとてもではないが否定できない
私事のことではあるが、私は恐らく何一つ否定する要素がないほどに生きる意味を失った時に自殺という選択をするのではないかと思っているわけであるし
本当に自殺を選択してしまうのは周りにとっていいことではないが
本人の意志を意地を私は一方的に適当に否定してしまうことは死者の意思を踏みつけにしてその自殺者を本当の意味で殺す行為だと私は考えている
それを否定するほどに生きること、死ぬことを考えているのかと思う......










 あ〜ぁ、やっちゃいました。熱くなりすぎて詩形式なんて言えない状態に......
でも、近頃ランニングを再開(二年のブランクは辛い〜)につきこういったことを考える時間のゆとりが出てきました。いいこと(?なのか)です。二、三日中に更新しそうな感じがします。
 こういう内容なんで、お勧め本の紹介をします、『卒業式まで死にません』ポップな女子高校生の日記(なんかエチィ感じですが)なのですが彼女は自傷癖があり卒業式迄生きた女子高生の本です。この本を読んでから(自分はホームページで公開中から)こういったことをより考えるようにもなった思い入れの大きい一冊です。 

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