ありがたいことに手頃なネタのタレコミをいただきましたので今回はそれについてを。
中国オタク界隈の傾向として整ったキャラクターデザイン、特に美形キャラが歓迎されるといった話はありますが、具体的な好みに関しては個人差もありますし更に同じキャラでも連載時期や媒体によって顔が異なることも珍しくないのでキャラデザやその違い、変化などに関しても何かと話題になるのだとか。
中国のソッチ系のサイトではそんな話題の一つとして
「連載中の画力向上とキャラの顔のカッコ良さ」
などといったことに関するやり取りが行われていましたので、以下に例によって私のイイカゲンな訳で紹介させていただきます。
最近になってようやく気付いたが、漫画家の画力が向上すればキャラもカッコ良くなるとは限らないんだな……
そうだね。
ただ連載作品の場合、ほとんどは初期と比べればカッコ良くなっているはず。評価や好みが分かれるようになるのはそれ以降ではないかと。
作画がよくなればキャラもカッコ良くなるものだろう
もちろん一部に例外はあるだろうけど
お前の言いたいことは分かる!
これは個人的な印象だけど、連載中盤くらいの頃のキャラが一番カッコイイ、受け入れられやすいことが多いと思っている
長期連載作品だと最初と最後で主人公やメインキャラが同一人物に見えなくなるのは珍しくない
そして最初よりは最後の方が良いけど、最後の方の描き方が一番良いとは限らない
考えてみれば「BLEACH」とか「NARUTO」は大体中盤〜くらいの画のイメージだな
ネットでコピペされる画像もその辺が多い
好みから外れてしまうのってあるよね
私も「ONE PIECE」のキャラは昔の描き方の方が好きだった
具体的には空島辺りかな?異論は認める
中盤のキャラがカッコ良く見えるのはそれが一番人気が出ていた時期、その絵柄で記憶している人が多いといった理由もありそうだが
五条悟は終盤の絵柄があんまり評判良くないと聞くし、中盤くらいが総合的に一番良いという見方には説得力を感じる
五条悟はキャラがどんどんダメになっていった所もあるからそのイメージも重なっているのでは……
私は「呪術廻戦」は単行本の表紙がどんどん自分の苦手な方向になっていったのでこのテーマは実感として理解できる
「ジョジョ」はアートな方向に行くと共に「カッコイイと感じる」キャラは少なくなっている気がする
ただ関連作品、アニメやゲームでは現代向けのアレンジが入るからそこまで実害は無いかな?
描けば描くほどキャラが良くなったのが「遊戯王」の高橋和希だけど、これは逆に珍しいケースなのかもね
作品評価はさておき「家庭教師ヒットマンREBORN!」の天野明や「東京喰種」の石田スイは連載が進めば進むほど画の方の評価は上がっていた
私は昔は続けば続くほどキャラの顔も上手くなっていく、カッコ良くなっていくものだと思っていたが、最近の作品は続けば続くほど微妙になっていくケースが多いように感じる
これは連載期間が超長期な作品が増えたのもあるのかな……私の感覚が古くなっている可能性も否定できないけど
キャラデザが高評価な漫画家、マンガ以外にキャラクターデザインをやっているような漫画家でも連載作品を並べてみると時期によってキャラの顔が結構違うからね
そして人気の最盛期、仕事が多かった時期のキャラデザから外れていくのが分かったりもする
例えば藤島康介とかもキャラの顔の変化は結構大きいよね。ベルダンディーも実は連載前期中期後期でかなり違う。
ゲームのキャラデザやアニメ版のイメージしかなかった知り合いが「逮捕しちゃうぞ」の原作を読んで驚いてたこともあったな。
福本伸行みたいに独自の絵柄と表現が構築されていると多少の変化はあまり意識しなくなるし別の作家が描く派生作品も問題なく受け入れられるようになる……!
俺は「こち亀」や「キン肉マン」のように作者側が開き直ってキャラの顔の変化や固まっていなかったキャラの性格設定をネタにするのが大好きだ
「ハヤテのごとく!」も絵柄の変化をネタにしていたっけ
ギャグ要素のある作品だとこういう話をやって読者の抵抗を弱くできるのが何かと便利なのでは
キャラの顔に関しては画力以外に作者が他の作品、その時点の流行の影響を受けることもある
古い作品になるが「BASTARD!!」は作者がその時その時の流行りの絵柄の影響を受けるので上手いけどキャラデザが安定しない、万人受けするカッコ良さではなくなっていった
自分にとっては「バキ」がそんな感じだな
板垣恵介が昔の画風に戻れないわけじゃないけど今の画風の方が本人にとって好みなんだろう
キャラの顔の変化には描き方やツールによる変化もあるから単純に画力だけの問題ではない。
あと単純に加齢や病気などで作家の体力が落ちて昔と同じ画風を維持できなくなり省略してそれがセンスあるように見えているケースもあるかと
冨樫か……漫画家としては本当に才能あるんだけど……
このテーマ的には「幽遊白書」や「ジョジョ」は何かと合致しそうだ
アシスタントが担当することも多い背景と違ってキャラは作家本人が確実に手掛けるから作家の画力の向上、絵柄の変化の影響が如実に出ると聞いたことがある
実際変化が分かりやすい部分だし読者側としても最初に好みを意識させられる部分なので「良かった頃」についても意識してしまうのだろう
省力、良い意味での手抜きが独自の表現として成立する漫画家もいるからな
鳥山明の超サイヤ人は髪を黒く塗るのがめんどくさいというのがデザインの理由の一つだし、バトル描写も作画の省コストを狙った結果でもあるのだとか
現実的な問題として週刊連載の仕事量に完全に対応できる漫画家なんていない
アシスタントなどを使うにしても限界はあるし、画力が向上するのと生産量の向上は完全に「=」というわけではないから連載を続けている作品がこっちの望むような方向に上手くなる、絵柄を維持してくれるとと思うのは現実的ではないのだろう
「チェンソーマン」は後の方のキャラの顔を見ると連載のペースに対応しきれていない感じが……
「ベルセルク」は画力の向上と共にどんどん作画コストが上がっていった作品だった
画力向上と描き込みのこだわりが強くなった結果、ファンとその辺のライトなオタクでは好みが分かれる作品もあるよね
そういう作家は画集を買うようなコアなファンも獲得できるから商業的にも悪いことではないんだろうけど
「トライガン」は連載時期によって主人公の顔はかなり変わっているし同時にマンガの描き方が進化しているのが分かる
ただ顔や表情の好みは人それぞれなので後の方が一番好きではないというのも仕方がないかな?俺はどの時期も好きなんだけどね
連載が進むことによって歪ませ方、誇張表現が進み過ぎるというのもあるんじゃないかな
独自の画風を構築するという面では良いんだろうけど、二次元の流行や一般的な好みから外れていく
連載終盤は作家のモチベーションが落ちていることも多いのでキャラの描写も微妙になることも少なくない
中盤が良く見えるのは人気の高さを作者が意識して気合が入っている、そして技術的にも熟練してきているので精神面と技術面のバランスが良い時期だからというのもあるんじゃないかな
作者も年齢による体調や考えの変化、作画環境の変化、更に他作品からの影響があるからずっと同じ絵柄を維持するというのは簡単な事ではない
絵柄の変化というのも締切や体調の悪化など必要に迫られた結果な部分はあるし、作品終盤が全盛期とは限らないからカッコ良さが微妙になるのも仕方がないんだよ
確かに
そしてそれで思い付いたが「ギャグマンガ日和」の作者は長年の連載で地味に上手くなっていて(カッコ良くなるのとは違うけど)絵柄もネタのキレもずっと維持しているというのは実はとてもスゴイことなんだろうな
とまぁ、こんな感じで。
現在の中国オタク界隈の見方も含めてイロイロな話が出ていました。
ちなみにこのネタを教えてくれた方からは
「中国のオタクはデッサンが整ったデザインのキャラ、美形を好みます。そして歪ませる誇張表現は苦手な人が少なくありません。作者の画力の向上とマンガ的な表現の進歩によってキャラの顔が誇張或いは簡略化して描かれるようになっていく場合、ついていけない人は日本より多くなるでしょう」
「中にはそういった誇張表現がたまらなく好きになる人もいますが、そういう人は自分の好みや性癖を満たす作品やキャラが中国語環境で手軽に楽しめる範囲では見つからなくなるのでとても苦労することになります……」
などといった話もありました。
私の個人的な印象でも、中国オタク界隈では絵柄の変化に対して許容範囲が狭いというか敏感な人が多い気はしますね。
とりあえず、こんな所で。
例によってツッコミ&情報提供お待ちしております。
中国オタク界隈の傾向として整ったキャラクターデザイン、特に美形キャラが歓迎されるといった話はありますが、具体的な好みに関しては個人差もありますし更に同じキャラでも連載時期や媒体によって顔が異なることも珍しくないのでキャラデザやその違い、変化などに関しても何かと話題になるのだとか。
中国のソッチ系のサイトではそんな話題の一つとして
「連載中の画力向上とキャラの顔のカッコ良さ」
などといったことに関するやり取りが行われていましたので、以下に例によって私のイイカゲンな訳で紹介させていただきます。
最近になってようやく気付いたが、漫画家の画力が向上すればキャラもカッコ良くなるとは限らないんだな……
そうだね。
ただ連載作品の場合、ほとんどは初期と比べればカッコ良くなっているはず。評価や好みが分かれるようになるのはそれ以降ではないかと。
作画がよくなればキャラもカッコ良くなるものだろう
もちろん一部に例外はあるだろうけど
お前の言いたいことは分かる!
これは個人的な印象だけど、連載中盤くらいの頃のキャラが一番カッコイイ、受け入れられやすいことが多いと思っている
長期連載作品だと最初と最後で主人公やメインキャラが同一人物に見えなくなるのは珍しくない
そして最初よりは最後の方が良いけど、最後の方の描き方が一番良いとは限らない
考えてみれば「BLEACH」とか「NARUTO」は大体中盤〜くらいの画のイメージだな
ネットでコピペされる画像もその辺が多い
好みから外れてしまうのってあるよね
私も「ONE PIECE」のキャラは昔の描き方の方が好きだった
具体的には空島辺りかな?異論は認める
中盤のキャラがカッコ良く見えるのはそれが一番人気が出ていた時期、その絵柄で記憶している人が多いといった理由もありそうだが
五条悟は終盤の絵柄があんまり評判良くないと聞くし、中盤くらいが総合的に一番良いという見方には説得力を感じる
五条悟はキャラがどんどんダメになっていった所もあるからそのイメージも重なっているのでは……
私は「呪術廻戦」は単行本の表紙がどんどん自分の苦手な方向になっていったのでこのテーマは実感として理解できる
「ジョジョ」はアートな方向に行くと共に「カッコイイと感じる」キャラは少なくなっている気がする
ただ関連作品、アニメやゲームでは現代向けのアレンジが入るからそこまで実害は無いかな?
描けば描くほどキャラが良くなったのが「遊戯王」の高橋和希だけど、これは逆に珍しいケースなのかもね
作品評価はさておき「家庭教師ヒットマンREBORN!」の天野明や「東京喰種」の石田スイは連載が進めば進むほど画の方の評価は上がっていた
私は昔は続けば続くほどキャラの顔も上手くなっていく、カッコ良くなっていくものだと思っていたが、最近の作品は続けば続くほど微妙になっていくケースが多いように感じる
これは連載期間が超長期な作品が増えたのもあるのかな……私の感覚が古くなっている可能性も否定できないけど
キャラデザが高評価な漫画家、マンガ以外にキャラクターデザインをやっているような漫画家でも連載作品を並べてみると時期によってキャラの顔が結構違うからね
そして人気の最盛期、仕事が多かった時期のキャラデザから外れていくのが分かったりもする
例えば藤島康介とかもキャラの顔の変化は結構大きいよね。ベルダンディーも実は連載前期中期後期でかなり違う。
ゲームのキャラデザやアニメ版のイメージしかなかった知り合いが「逮捕しちゃうぞ」の原作を読んで驚いてたこともあったな。
福本伸行みたいに独自の絵柄と表現が構築されていると多少の変化はあまり意識しなくなるし別の作家が描く派生作品も問題なく受け入れられるようになる……!
俺は「こち亀」や「キン肉マン」のように作者側が開き直ってキャラの顔の変化や固まっていなかったキャラの性格設定をネタにするのが大好きだ
「ハヤテのごとく!」も絵柄の変化をネタにしていたっけ
ギャグ要素のある作品だとこういう話をやって読者の抵抗を弱くできるのが何かと便利なのでは
キャラの顔に関しては画力以外に作者が他の作品、その時点の流行の影響を受けることもある
古い作品になるが「BASTARD!!」は作者がその時その時の流行りの絵柄の影響を受けるので上手いけどキャラデザが安定しない、万人受けするカッコ良さではなくなっていった
自分にとっては「バキ」がそんな感じだな
板垣恵介が昔の画風に戻れないわけじゃないけど今の画風の方が本人にとって好みなんだろう
キャラの顔の変化には描き方やツールによる変化もあるから単純に画力だけの問題ではない。
あと単純に加齢や病気などで作家の体力が落ちて昔と同じ画風を維持できなくなり省略してそれがセンスあるように見えているケースもあるかと
冨樫か……漫画家としては本当に才能あるんだけど……
このテーマ的には「幽遊白書」や「ジョジョ」は何かと合致しそうだ
アシスタントが担当することも多い背景と違ってキャラは作家本人が確実に手掛けるから作家の画力の向上、絵柄の変化の影響が如実に出ると聞いたことがある
実際変化が分かりやすい部分だし読者側としても最初に好みを意識させられる部分なので「良かった頃」についても意識してしまうのだろう
省力、良い意味での手抜きが独自の表現として成立する漫画家もいるからな
鳥山明の超サイヤ人は髪を黒く塗るのがめんどくさいというのがデザインの理由の一つだし、バトル描写も作画の省コストを狙った結果でもあるのだとか
現実的な問題として週刊連載の仕事量に完全に対応できる漫画家なんていない
アシスタントなどを使うにしても限界はあるし、画力が向上するのと生産量の向上は完全に「=」というわけではないから連載を続けている作品がこっちの望むような方向に上手くなる、絵柄を維持してくれるとと思うのは現実的ではないのだろう
「チェンソーマン」は後の方のキャラの顔を見ると連載のペースに対応しきれていない感じが……
「ベルセルク」は画力の向上と共にどんどん作画コストが上がっていった作品だった
画力向上と描き込みのこだわりが強くなった結果、ファンとその辺のライトなオタクでは好みが分かれる作品もあるよね
そういう作家は画集を買うようなコアなファンも獲得できるから商業的にも悪いことではないんだろうけど
「トライガン」は連載時期によって主人公の顔はかなり変わっているし同時にマンガの描き方が進化しているのが分かる
ただ顔や表情の好みは人それぞれなので後の方が一番好きではないというのも仕方がないかな?俺はどの時期も好きなんだけどね
連載が進むことによって歪ませ方、誇張表現が進み過ぎるというのもあるんじゃないかな
独自の画風を構築するという面では良いんだろうけど、二次元の流行や一般的な好みから外れていく
連載終盤は作家のモチベーションが落ちていることも多いのでキャラの描写も微妙になることも少なくない
中盤が良く見えるのは人気の高さを作者が意識して気合が入っている、そして技術的にも熟練してきているので精神面と技術面のバランスが良い時期だからというのもあるんじゃないかな
作者も年齢による体調や考えの変化、作画環境の変化、更に他作品からの影響があるからずっと同じ絵柄を維持するというのは簡単な事ではない
絵柄の変化というのも締切や体調の悪化など必要に迫られた結果な部分はあるし、作品終盤が全盛期とは限らないからカッコ良さが微妙になるのも仕方がないんだよ
確かに
そしてそれで思い付いたが「ギャグマンガ日和」の作者は長年の連載で地味に上手くなっていて(カッコ良くなるのとは違うけど)絵柄もネタのキレもずっと維持しているというのは実はとてもスゴイことなんだろうな
とまぁ、こんな感じで。
現在の中国オタク界隈の見方も含めてイロイロな話が出ていました。
ちなみにこのネタを教えてくれた方からは
「中国のオタクはデッサンが整ったデザインのキャラ、美形を好みます。そして歪ませる誇張表現は苦手な人が少なくありません。作者の画力の向上とマンガ的な表現の進歩によってキャラの顔が誇張或いは簡略化して描かれるようになっていく場合、ついていけない人は日本より多くなるでしょう」
「中にはそういった誇張表現がたまらなく好きになる人もいますが、そういう人は自分の好みや性癖を満たす作品やキャラが中国語環境で手軽に楽しめる範囲では見つからなくなるのでとても苦労することになります……」
などといった話もありました。
私の個人的な印象でも、中国オタク界隈では絵柄の変化に対して許容範囲が狭いというか敏感な人が多い気はしますね。
とりあえず、こんな所で。
例によってツッコミ&情報提供お待ちしております。