日中間のゴタゴタはなかなか収束に向かわず、
中国で反日デモが起こったり、日本でもデモが起こったりとなかなかに難しい状況が続いているようです。

私は中国に留学しているときに北京で反日デモが起こったりした経験があるので
周りから今回のデモについてのことをよく聞かれたりもしますし
「住んでいる街でデモが起こるなんて怖かったでしょう」
「中国生活で一番怖かったのはやはり反日デモですか?」
といったお言葉をいただいたりもしています。

確かに2005年の時には、私の出先のビルの真下を暴走気味のデモ隊が通ってヒヤッとしたことなんかもあるのですが、実は私の十数年に及ぶ中国生活の経験の中で、このデモより怖いと感じたものがありまして。

それが、2002年の冬に始まった「SARS(重症急性呼吸器症候群)の流行」です。

実はこれに関して日本のネットにナイスなコピペを投稿しているのが知り合いにいまして、この前会ったときに掲載&説明の許可をもらえました。

以前の記事で中国のネットで流行っているコピペ
「日本に来てやっと知った」
を紹介させていただいてから、ありがたいことに
「中国関連で何かコピペみたいなものはありませんか?」
という質問をいくつかいただいておりますし、中国関連のコピペということで今回はそれを紹介させていただきます。

それでは以下、そのSARSについてのコピペになります。



194 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2008/01/24(木) 22:36:20 ID:8ety/nhe0
>>144
亀レスだけど、
当時は結構有名な理系の大学に居たんだ。
北京で大流行する半年ぐらい前は「なんか香港の方がヤベーらしい。」みたいな噂程度のモノだった。
政府の大本営発表もあったから危機感は全くといって無かった。
外食の手洗い場が使われる事もほとんど無い。
ところがどうも北京でも相当な数の感染者がいるんじゃないかって事がまことしやかに囁かれ始めた頃、政府による重大な発表があるということである日みんなラジオやテレビ、PCに注意していた。
「北京での感染者は十数名ではなく、800名あまり存在していた事が判明した。」
冷静さをもって語っていただろうニュースキャスターの表情とは裏腹に北京はあっという間に様変わりしてしまった。
いつも渋滞していたはずの南北に一直線にはしる幹線道路には猫の子一匹見当たらなくなり、スモッグで視界がぼやけたその道路はまるで永遠に続いてるように見えた。
ほどなくして大学は外界との接触を避けるため全ての校門を予告無しに封鎖、外に住んでいた学生は締め出しを食らってしまった。
日々増え続ける患者数のニュース、
次々と制限されていく活動範囲、
寮のすぐ隣に突貫で建てられた煉瓦塀とその中の仮設住宅、
以前とはうってかわって人で溢れかえる食堂の手洗い場、
救急車のサイレンで目覚める朝、
授業における学生のゾーニング処置、
ノイローゼから発熱してしまい、それをルームメイトに知られまいとひた隠す学生、
冷静さを失い、藁にもすがる想いでウィルスに効くとされる線香を灯しまくる人、
「お前が飲まなきゃこっちが迷惑するんだ!」と無理矢理怪しげな漢方薬を飲ませようとする食堂のオヤジ、寮に帰ってその漢方薬の集団食中毒のニュースを見た時の脱力感、
「SARSに感染しても大学は責任を負わない」とする書類に署名を迫る大学関係者、
非現実的な状況に逆にカタルシスを覚えてしまい始終興奮気味のクラスメート、
脱走者(しかも後でわざわざご丁寧に大学の塀をよじのぼって帰ってくる)、
 
文字どおり「見えない敵」がいるわけで、冷静さを欠く人が多かったのが目に付いた。
正しい知識と前準備をしっかり整える事が何よりも重要。
 

195 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2008/01/24(木) 22:44:08 ID:ne2hl5jU0
>>194
サンクス
 
凄い!凄すぎる、、だが中国が結構まとに対処していて関心した。
 

198 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2008/01/24(木) 22:53:57 ID:8ety/nhe0
>>195
マトモなもんか、超法規的措置のオンパレードだよ。
中国は救急車呼ぶのが自費なんだが、感染が疑われると乞食でも無理矢理押し込められる。
ところがその乞食は払う金が無いから走行中の救急車から飛び出して逃げるんだよ。
キャリアなのに。
地方の人間は都市の方がいい治療を受けられると思ってかどんどん患者が入り込んでくる。
天津じゃ市民が自警団組んで都市間の道路を土嚢で封鎖しやがった。
大規模な患者隔離施設が無理矢理作られようもんなら近隣の住民がそれこそ一揆よろしく打ち毀しに行くんだぜ。
冷静ささえあればほとんどの二次災害は防げたはずなのに。
 
211 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2008/01/24(木) 23:23:08 ID:8ety/nhe0
で、こっからが日本にも関係してくる話なんだが???
あまりの緊急事態にとうとう外務省が帰国勧告を出した。
外務省が
勧告というのはほぼ命令に近い。
「指示に従って帰国しないと帰れなくなるかもしれません。」って事だ。
未練の無い短期留学生は早々に帰国してる人も多かったが、学部生、研究生は帰るわけにはいかなかった。
だがここまできて残り少ないほとんどの日本人が帰国せざるを得なくなった。
俺もそのうちの一人だ。
全てが解決した後再度入国するためビザの申請を行うんだが、申請は学校外にある公安局でしか行えないこともあって大学が集団申請および航空券購入の肩代わりを行う事になった。
もっともこの大学側との交渉も難航を極めたんだが。
帰国の日になり、俺らはマイクロバスに揺られながら死んでしまった街を横目にガラガラの空港へと向かう。
ほっと一息つきながらもターミナルで搭乗を待つ日本人御一行様。
ところが予定の搭乗時刻を過ぎても搭乗アナウンスが行われない。15分、30分……
次第に嫌な空気がたちこめてゆく。
小一時間ほどしたところでようやくアナウンスがあった。
「関空行きの便は交換不能の部品に問題が発生したため、キャンセルとなりました。
つきましては関空へご出発の皆様には成田行きの便にご搭乗頂くか、北京で一泊してもらう
こととなります。」
疲れに疲れきってやっと辿りついた空港で俺らを待ち受けていたのは航空会社からの信じられない裏切りだった。
搭乗数が無いものだから成田行きと合わせてコストカットしようとする会社の思惑は誰の目にも明らかだった。
無駄だとは分かりつつもフライトアテンダントとの押し問答が始まる。
早く脱出したいのに北京に留まれとはどういう了見か、
関西の人が成田へ行った後どうやって関西へ行けというのか、
一体運賃は誰持ちになるのか、
そもそも機体の故障なんてフカしじゃないのか、
航空会社の提示した解決方法は、「成田から新幹線もしくは国内線で関西へ行って頂く。」
との事。
冗談じゃない。俺らはこの時期に北京から日本に入国しようとしてるんだ、いきなりおいそれと公共の交通機関を使っていいはずが無い。
だが、超法規的な措置は相手が日本人でも通用するようだった。
こんな状況で集団心理に逆らって航空会社に反目できる人などいるはずもない。
つづく
 

216 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2008/01/24(木) 23:35:56 ID:8ety/nhe0
俺らは結局航空会社の甘い提案を受け入れてしまった。
早くこの場から立ち去りたいという気持ちは確かにあった、そんな他のみんなに逆らって
航空会社の倫理を説く場面でもなかった。
関空行きの便に乗る予定だった搭乗者は皆成田行きの便に搭乗し、
羽田で一泊した後各々のマスクをかなぐり捨て、PEKと印字されたトランクのテープを破り
さながら一仕事終えた銀行強盗犯が人目を忍んで帰路につくように国際線に乗り込んだ。
国際線は他の乗客も多く、日本語での喧騒から離れて久しい俺らはまるで自分が非難されているかのような錯覚だった。
そのざわめきから逃げるようにイヤホンをかぶり、ジャックを無理矢理座席に差し込んでも、
聞こえてくるSARS関連のニュースが耳から離れなかった。
 
とまぁ、こんなとこだ。
もし俺らが原因で日本で感染が拡大なんかしてたらその航空会社は倒産の憂き目にあってただろうな。どことは言わんが。
日本は人権がややこしくて帰国した際もこれといって厳密な検査を受けたわけじゃない。
危機感は持っておいたほうがいい。

 
221 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2008/01/24(木) 23:43:02 ID:7caYmIWk0
>>216
これ、むちゃくちゃ危ないよ。本当にSARSってラッキーとラッキーが何重にも重なって
日本で流行しなかったんだなあ
 

223 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2008/01/24(木) 23:43:39 ID:XS0g+3EL0
SARSのときの空港での対策って、サーモグラフィ?みたい
ので熱があるヒトを見つけて、見つけたら問診?するみたい
な感じだったよな。 
潜伏期間中だったら絶対見つけられないという..
 
まぁ事実上水際阻止は不可能だよね。
それするためには海外からくるやつを皆1週間とか
隔離するとかしないとだめなんだろうから。
 

236 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2008/01/24(木) 23:53:50 ID:8ety/nhe0
>>221
正直日本人で感染者が一人も居ないなんて発表は嘘だと思ってる。
 
>>223
あのサーモグラフィ、横に
「これはテストです、問題を発見する為や人権を無視した拘束を行うものでもありません。」
って書いてあった。
どちらかというと自分がシロだと
確認できてから入国したかったんだけどな。
国内線の事も考えると。
 

246 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2008/01/24(木) 23:59:54 ID:8ety/nhe0
人命よりも人権を尊重する風潮は是正されるべきだと思う。
同じ便に乗ってた沖縄人が「せっかくだから」で東京観光やって山手線乗りまくって
国内線で帰国した話を聞いてぞっとした。
いい沖縄人は多いんだけどそいつはヤンチャだったな。



以上です。
当時のSARS関連の出来事はホントにこのコピペの状態でしたね。

このコピペの作者と私は北京でSARSが発生したときに同じ大学にいまして、
SARSのときは彼と一緒にその大学の日本人留学生自治組織の一員として、
断絶状態になった留学生同士の連絡や、デマも混じったりする情報の選別や伝達、大学との交渉やらなにやらを一緒にやっていました。

彼はSARSの緊迫した状況でも笑いを忘れないナイスガイでしたが、
オタクとしても非常に面白い人間で、現在も中国オタク関連で大活躍しています。


SARSの流行の渦中にいたときは
「SARSになってしまうかもしれない」
という怖さもさることながら、それ以上にSARSになってしまった場合
「日本に入れてもらえないかもしれない」
というのが恐ろしかったですね。

一応中国の生活では最終手段として
「日本に帰る」
という選択肢があるのですが、SARSのときはこの手段が不可能になる可能性がありまして、その
「退路を断たれるかもしれない不安」
というのが本当にキツかったです。

そして日本に帰ったら帰ったで、
今度は帰国後数日間は自宅待機という名の自己隔離をしないといけませんでしたし、
その間はずっと
「もしかしたら自分はSARSにかかっているのではないか」
と疑い続けることになるので、精神的にかなりまいってしまいましたね。


それにしても、中国での生活は基本的に
「情報をきちんと調べて危ない所には近づかない」
というのを押さえておけばそれほど問題はないのですが、
このSARSのときだけはどこが安全なのか分からない状態でした。

しかもコピペにもあるように、
日常とは全く違うガランとして生気の感じられなくなった街の中で、
周囲の人間からはどんどん冷静さが失われていき、
日に日に自分の行動できる範囲も狭まっていき、
自分の住んでいる寮のある大学内にも簡易の隔離施設が建てられるなど、
「追い詰められている」
というのがひしひしと感じられる日々が続きました。

この当時の自分ではどうにもならい上に、目に見えない、分からないということによる恐怖は、私の十数年の中国生活のなかでもトップクラスの怖さでした。


とりあえず、こんな所で。
例によってツッコミ&情報提供お待ちしております。


中国のネットで話題のコピペ「日本に来てやっと知った」