先日、仕事で日本に来た中国オタクの方からイロイロと面白い話を教えていただいたので、それをまとめてみようかと思います。

現在放映されている中国国産作品が原作となっているアニメの「一人之下」や、以前放映された「霊剣山」に関して、日本の感覚だと主人公に対してあまり感情移入ができない、カッコ良く見えないなどといった意見をいただいております。

いただいた意見を見ていくと
「主人公が頻繁にセルフツッコミや多くの下ネタを交えながら喋り捲る、バカなふりをする、有能に見えないように擬態する」
というのが、日本の感覚では引っかかっているように思えます。

中国のソッチ系の用語ではこういったタイプのキャラクター(及びその行動)を
「扮猪喫虎」、「扮猪喫老虎」(豚に扮して虎を食う)
と呼んだりもしているそうで、ネット小説やweb漫画においてもテンプレ的な要素、設定の一つとなっているとのことです。

中国では主人公のカッコ良さに関して
「必死に戦うのはよろしくない」
「終始余裕をもっているのがカッコイイ」

といった認識も強く、そういった余裕を持って戦えるように見える、言い方を変えるとある種の舐めプレイすらできてしまうなキャラというのが、現在の中国のネット系コンテンツにおける主人公のテンプレ要素の一つなのだとか。

ちなみにこの「扮猪喫虎」的なキャラはともかく、「扮猪喫虎」的なテンプレ展開は中国のネット系コンテンツでは二つくらい前の流行で、その後はいわゆる逆行系、その更に後はミッションクリア系多重トリップとでも言えそうな「無限流」といったテンプレが人気となっているそうです

そんな訳で最近の「霊剣山」や「一人之下」のアニメ化は、作品のお約束的には中国でも「一昔前のパターン」的な感もあるらしく、
「最近のテンセントのアニメは累計的な人気で原作となる作品をピックアップしている企画なので、アニメ化が形になるまでのタイムラグを考えると、単純にアニメ化するだけでは『現在』の新規の視聴者の間で人気になるのはかなり厳しいのでは」
といった話も聞きますね。


そしてもう一つ、この
「豚を装う主人公」
については主人公の人気確保やいわゆる俺TUEEEE感の演出の他に、
中国の武侠系コンテンツにおける
「作品の構成に説得力を持たせる」
といった意味合いもあるそうです。
これは言ってみれば、
「レベル1の時にいきなり強過ぎるボス敵に襲われないため」
なのだとか。

中国の感覚で考えた場合、作中に武侠仙侠系の要素を入れ、武侠仙侠系の能力でのバトルをする場合、敵方の武侠系の能力者には「親」「師匠」的な存在がいるということになり、しかも上の方になると「仙人」クラスの強者が出てしまうといったことになるそうです。

そして更に上になると「天道」という世界の強制力とでも言うべきものが出張ってきてしまうので、最初から力をオープンにして使いまくるというのは
「極めて危険」「強くなる前に潰されてしまう」
といった見方になるのだとか。
(ちなみにこの天道に逆らう、というのは中国の仙侠系コンテンツにおける重要なターニングポイントで、「渡劫」とも言われるこの天道に逆らい生き残るイベントをクリアすることにより世界を好き勝手にできる俺TUEEEEEが可能になるそうです)

また創作の方で見ていくと武芸や気功、仙術などの「門派」では兄弟子の上の方、師匠格が存在することになります。
日本で言う所の学園系の作品であれば敵対するのが学生や教師で済むわけですが、武侠系の門派のトップクラス、仙人クラスのキャラが敵に出てしまうと強過ぎてかなりマズイということになってしまうそうです。

仮にそういった仙人クラスの敵を倒すとなると強さに説得力を持たせる描写がかなり必要になる上に、あっさり倒してしまうと「ストーリーの引き伸ばしができない」「文字数やページ数が稼げないので人気や課金収入的に良いことにはならない」といった事情もあるそうで、主人公が「豚を装って」下の方から敵を倒して強くなっていくというテンプレ展開は作る方としても非常に使い勝手が良いものとなっている模様です。

この手の「豚を装った」主人公がどの程度そういうことを意図して行動しているかは作品次第ですが、結果的に
「主人公がまだそこまで強くない時に、大ボスクラスの敵に目をつけられることがない」
「ボスが出向いて潰しにくることがないので、目の前の強過ぎない敵を倒せばいい」

といった環境を構築できるようになるので、様々な作品で活用されることになっているのだとか。

またそれと同時に弱い、階層の下の方から順番に敵を出して徐々に強さをインフレさせていく理由付けにもなるので、作劇上も使い勝手が良いということで、武侠系の作品、古くは講談作品などでも使われてきた伝統的な「理屈」なのだとか。
そして更に適度に余裕をもって戦える、舐めプレイができるということで読者としても快適な気持ちで作品を読み進めていくことができるようになる……とのことです。


ちなみに別の面から見ていくと、この中国的主人公ムーブ(?)は中国社会の現実やそれに伴った価値観が投影されていると見ることもできるそうです。

中国では伝統的に上の方に物凄く強い力を持ったものが存在する社会が続いてきました。中国には
「棒打出頭鳥」
という日本の「出る杭は打たれる」と似たような意味の言葉がありますが、この「打たれる」レベルは日本よりも更に厳しいもので、出る杭は「潰される」といったようなことになっています。

しかも打ってくる存在は周囲や少し上の方ではなく、上位の極めて強力な存在、現在で言えば共産党、過去には皇帝や門閥といったものがありましたから、
「世の中個人がちょっとくらい強くなったからといってどうにかなるものではない」
という認識が根強いのだとか。

科挙に合格して一般庶民とは違う存在になれたとしても、上には門閥などのもっと強い存在がいるので好き勝手にできるわけではない、そんな中で個人が強さ有能さを発揮し過ぎると積極的に潰されてしまうといった社会だったわけですから、主人公が最初は豚を装う(そして力を手に入れていき、最終的には天に逆らう)という処世術についても説得力や共感が生まれるとのことです。


この件に関して、中国オタクの方と話している時に印象的だったのが
「この力を隠す、豚を装うスタイルの主人公は中国社会の投影でもあり、昔からの定番でもあります」
「三国志の劉備とかもこのテンプレを備えたキャラですよ。曹操に英雄がどうこうと言われたときに、雷に驚いて箸を落としたフリをするのなんかはまさにこれです」

という話です。
そんな訳で、中国の感覚で見ていくと「霊剣山」や「一人之下」の主人公の処世術、力の見せ方は理解し易いものとなっているのかもしれませんね。


とりあえず、こんな所で。
例によってツッコミ&情報提供お待ちしております。