少し時間ができたので以前の記事、
中国国産アニメの主人公はなぜブタに扮するのか
に続いて、知り合いの中国オタクの方から教えていただいた話の紹介を。

日本の感覚ではイロイロと引っかかる所もあった「霊剣山」ですが、当ブログにいただいた感想や私の周りの意見を見ていくと
「主人公がその辺の一般人を騙して大根を売りつける」
というのにドン引きしてしまった方も多いようで、しかもそれが第一話だったので作品に関するダメな方向のイメージを加速させてしまった感もあります。

その辺りについて中国オタクの方に聞いてみた所
「あれは世渡りの価値観の違いなどの、中国と日本の社会的な背景の違いが出ているのでは……」
という答えが返ってきました。

中国の作品、特に最近の作品の主人公は「勝ち筋を気にしない」的な所が日本の作品の主人公に比べて随分と強く、手段を選ばず他人を出し抜くというのが主人公の優秀さとされるそうで、霊剣山の
「一般人を騙して物を売りつける」
というエピソードに関して、中国では
「頭がいい」
という主人公的なカッコ良さを強調するものとして受け取られるそうです。

もちろんこの手の詐欺的な行為は「明確な弱者」「虐げられている人々」などに対しては行われないそうですが、いわゆる「一般人」、「凡人」に関しては特に問題は無いのだとか。
そのような一般人、モブキャラに関しては「蝼蟻」(アリ)呼ばわれされることもあるそうで、頭のいい主人公が活用するリソース的な何かと見做されているとのことです。

日本のネット小説を見てもモブ扱いのキャラに対する暴走的なものはちょくちょくあるかと思いますが、そういったリソース扱いが中国ではよりはっきりと、躊躇なく、広い範囲で、名も無き一般人にまで発動するようです。

なぜそういった考えになるのかというと、近年の中国で人気のネット小説系作品などにおいて一般人、モブキャラは
「努力しない、或いは努力してのし上がる(強くなる)方法を知らない愚か者、怠け者」
「強くなれる、強くなろうとする主人公とは住む世界が違う、低級の存在」

と見做され、基本的に
「愚か者なので騙したり踏み台にする程度は何の問題も無い」
といった認識になっているからだそうです。

もちろんリソースとしての活用とは言っても精気を吸って大虐殺とかをやるのはさすがにダメだと思われますが、騙して金を巻き上げる程度であれば
「騙される方が悪い」
ということになり、むしろ主人公の世渡り能力の高さ、クレーバーさを強調するプラスのエピソード的な扱いになるそうです。

ちなみにこの辺りの好き勝手というか、収奪っぷりに関して
「日本の作品のキャラで例えると?参考になるキャラはいるか?」
ということを聞いてみた所、中国オタクの方曰く
「あえて言うならテレビアニメ版のリナ・インバース」
「スレイヤーズは中国のテレビでも放映されていましたし、中国の主人公キャラの箍を外す、龍傲天(俺TUEEEEE)のやり方に対する影響が結構あります」

とのことでした。

そう考えると、霊剣山でいきなり一般人を騙して大根売りつけたりしていたのは、ファンタジー的なスレイヤーズの世界で小遣い稼ぎにドラまたリナが山賊狩りしていると思えば理解できる……のですかね……?
この辺については言ってみれば「悪党に人権は無い」的な方向で
「愚か者、下々の者に人権は無い」
ということなのかもしれません。

そしてこんな感じの主人公が人気とされているので、現在の中国においては武侠的なパワーを使うキャラは相変わらず人気ではあるものの、「侠」の生き方に関しては評価されなくなっており、創作の中から「侠の生き方」的なものが消えてしまっているそうです。

近年の中国では偉くなったら、金持ちになったら
「当然裏で悪いことしてる」
というイメージが特に強くなっていますし、近年の中国のネット小説などの作品における価値観においても
「世渡りに必要なのは侠的な生き方ではない、必要なのは悪事もやれるクレーバーさ」
といった考えが強くなってきているそうです。

この辺りに関して印象的だったのが

「道徳や侠の生き方が消えた今の中国では、侠の生き方はバカと見られてしまい評価され難い」

「その結果大陸の方では武侠が消えて仙侠になった」

「恐らく現在の大陸側の人間に武侠っぽい作品を作らせた場合、侠的な要素は消える。東離劍遊紀のような空気の作品を作るのは難しいだろう」


という話でしょうか。
私は中国の最近の若者向け、大衆向けの人気作品の武侠系キャラというのが、行動様式よりも超人的な側面が強調されている印象があったので思わず納得してしまいました。


それからこの種の階層意識というか、主人公と一般人を日本の感覚よりも更にハッキリと、別種の存在として扱うことについては、
「科挙の思想」
「科挙に受かった、或いは科挙に受かることのできる人間とそれが出来ない人間」の差」

という見方もできるそうです。

中国社会には伝統的に科挙による身分差と人生の一発逆転システムがあったわけですが、その思想からの流れが現在のコンテンツの主役とモブの身分差の感覚、作品内における「人」と「侠」と「神」の差、内功が使えるかどうかによる存在価値の差といった辺りに反映されている……と見ることもできるそうです。

実際、私も中国の俺TUEEEEE系の作品は作中の一般人と主人公(とその仲間達)の間が隔絶している、別の世界の住人的な扱いになっている印象がありますし、そういった主人公達が最終的には人間の上位的な存在となるのが人気の方向になっているのを考えると、それが科挙によって別世界の人間になることのできた中国の社会の流れだという話にかなりの説得力を感じてしまいますね。


ちなみにこの見方に関係して教えていただいたのですが、中国の俺TUEEEEE系のコンテンツはほとんどが
「勉強」(方法論)
で強くなるというのも科挙的な思想が透けて見える面白い特徴だそうです。

これは例えば何らかの秘伝書や、特殊な功夫、特別な指導者の授業といったもので、そこで得た方法論によって強くなるのが典型的なパターンだそうです。
日本のアニメや漫画にもあるように修行で、愚直にひたすら鍛えて強くなるのではなく、強くなるための鍛錬をするにもまず「特殊な鍛錬に関する勉強をしてから」になるのだとか。

そして中国の作品ではこの段階で主人公のチート能力、才能が判明する流れも多いそうで、その方法論(チート)を知っている、使う才能があるのが主人公……といった感じになるとのことです。
最近の日本のネット小説では神様転生でチート能力をもらったりするパターンが多いかと思いますが、こういったチートのお約束に関する感覚の違いも興味深いです。


イロイロと並べてみましたが、このような背景の違いや、それに基づいた共感する方向、範囲の違いがあるわけですから、いくら中国で人気だとは言っても、「今の」中国の人気作品、特に若者向けとされる作品の主人公を日本にそのまま持ってくるのは厳しいのかもしれませんね。


とりあえず、こんな所で。
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