ありがたいことにネタのタレコミをいただきましたので今回はそれについてを。

中国における作品の評価、キャラクターの人気に関しては「元敵キャラ」「過去に悪い事をしていたキャラ」に対する評価が厳しい傾向があるとされています。
元敵キャラの扱いについては日本でも似たような評価になることはあると思いますが、中国では日本と比べても更に厳しく、特に罪を償っていないと見做されるキャラに関しては作品や作者に対する批判も出るようなレベルのキツイ評価になることも珍しくないのだとか。
そしてそんな作品やキャラの扱いに関する話題が伸びたりすることも多いとのことです。

中国のソッチ系のサイトではそんな話題の一つとして
「元いじめっ子キャラが仲間や友人になる展開を上手くやったキャラは」
などといったことに関するやり取りが行われていましたので、以下に例によって私のイイカゲンな訳で紹介させていただきます。


元いじめっ子キャラが仲間や友人、良いヤツ扱いになる展開を嫌う人も少なくないけど、そういう展開を上手くやったキャラって誰かいるかな?

劇場版のジャイアンとスネ夫

その二人を出されると納得しかないが、いじめた側のキャラを「良いヤツ」側にするのは何かと難しいよね
「僕のヒーローアカデミア」とか爆豪だけで大量のアンチを生み出してそれがそのまま作品叩きの燃料になってしまった感もあるし

「スラムダンク」の三井寿はそういうのを上手くやったと思うが
何かとやらかしているけど、男女問わずの人気キャラだしファンの間でもいじめキャラとしては扱われていないだろう

三井寿は不良のケンカという印象が強いのもあるな。宮城も桜木も普通に反撃してるし描写的に三井そんなにケンカ強くなかったからね。
しかし作者の方針転換で仲間入りする、追加の過去エピソードで美化されるなど、嫌われる元いじめっ子キャラにありがちな部分があっても人気が高いのは「上手くやった」と見ても良さそう?

いじめっ子キャラに関してはキャラ自身のやったことに対する後悔、謝罪、やったことに対する何らかの罰や懲らしめられる展開がないと納得されないことも多い
日本の作品はそこを軽く扱う、すぐに仲間扱いして良い立場にしてしまう作品も目に付くが、そのせいでキャラがずっと嫌われ続けるしその時だけの軽いファンが離れた後に嫌う人間ばかりが残ることに……

なんとなく成り行きでいつの間にか仲間、良いキャラ扱いされているとそういう反応が常について回ったりする
これは敵キャラが仲間になるパターンでもよくある問題だが、いじめた側のキャラに関しては過去のやらかしがなかなか消えない印象だ

いじめていたキャラの仲間化で一番うまくいったのは「遊戯王」の城之内だと思う。あと本田も。

城之内は作品の最初はヒドイいじめをやっていたが、自分の間違いを認めて遊戯の友人ポジションに落ち着いたよね

こういうのって分かりやすい悪事よりも学校を舞台にした作品のいじめの方がその後の物語における修正処理が難しい気もするな

学校のいじめキャラって主人公にとっての最初の舞台だから相対的にやらかしたことの規模が小さいので無視しても良いような流れにされることも多い
しかし見ている側からすれば現実の体験の延長になる学校生活だから、ある意味では最も感情移入できるものになったりするのだよ

同意。
そして近年の作品ではキャラを強調する、話で目立つためにいじめの言動が過激で記憶に残りやすいものになっているから「許せない」「まだ懲罰を受けていない」という評価になる。

これは「聲の形」の石田翔也だろう。
作品のテーマの関係上いじめをしたキャラのその後の行動、考え方に違いを出しているのでその中で相対的に良く見えている部分もあるかもしれないけど。

石田翔也というか「聲の形」自体が当時賛否両論あったから作品として成功していても、いじめっ子キャラの扱いとしては疑問が残る。少なくともウチの国のオタク界隈で考えた場合、当時石田翔也をはじめとするいじめていた側が許される展開に対する批判、ヒロインを「聖母」だと嫌う声は少なくなかった。

「聲の形」の主人公は良いんだよ。ちゃんと代償を払ったし自分も同じようにいじめられる経験をした。
問題はサブヒロイン、あいつ全然反省してないしその後もやらかすしでね

「聲の形」の主人公に関しては理解できるが何人かの女キャラについてはちょっと。
ヒロインに関してもなぜエンディングでそんな連中と一緒に遊ぶのか。グダグダで意味の分からん終わり方になったし批判されるのも仕方がない。

俺は「涼宮ハルヒ」を思い付いたのだが

あの作品は電波キャラが暴走する話だからいじめとは違う気もする。作品が人気だった当時はいじめ要素を問題視する声は目立たなかったしね。

アメコミだが「スパイダーマン」のフラッシュ・トンプソンは元いじめっ子だけど良い仲間キャラのイメージがあるな
これに関しては昔の作品なので和解や本人のダメージに関するエピソードも十分に積み重なった状態で伝わっているのもありそうだが

ある意味では学校のいじめキャラだった「水星の魔女」のグエル
あそこまでヒドイ目に遭い続けるとさすがに十分というか、もう少し良いイベント増やしてやってくれと思うようになる

いじめは人によっては非常に嫌われるし、その後の処理が納得できないとイメージ悪くなるよな。過去の清算が上手くいっていないので人気になっても強いアンチが存在することも多い

娯楽作品だからそういうのを気にし過ぎるのもどうかというのは分かるけど、現実のいじめってやられた方が忘れない、その後の人生でも何かと影を落とすことになるものだからね
それに現実ではいじめをしていた方が罰を受けなかったりするから余計に娯楽作品に対しては厳しくなるよ
特に現代の環境では価値観を理由にした通報が可能だからすぐに攻撃を繰り出す人も出てくる

日本の作品に出てくる元いじめキャラって被害者の苦痛を体験してもいないくせに仲間、友人面するのが嫌われる。
そういうキャラが作中で正しいことを言っているカッコイイキャラ扱いされると作品の世界観も価値観も人生観も狂っているように感じてしまうよ。

言ってみれば死んだいじめっ子だけが良いいじめっ子ということだよ
日本の作品はいじめキャラが許されないのを理解せずに出す作家が多過ぎる

その辺は日本の作品の伝統、熱血作品や不良作品での積み上げに加えて文化的な違いも出てくる部分だから外作品を見ている上で割り切って考える場所だと個人的には思うが……娯楽として入っているから好き嫌いが極端になるのは止められないし、現代の環境だとアンチ層が育って炎上の燃料になるのがなー

俺がなかなか悪くないと感じたのは「はじめの一歩」のいじめてたヤツ。
主人公に憧れるようになり主人公の応援団長になったが、いじめの罪にも向き合って本人だけでなくその親に対しても謝罪して主人公の家の家業を手伝ったりしている。
ただこれも人によっては主人公がボクシングやらなかったら……と考えてしまう人がいるのは分かるかな。

梅沢正彦だっけ。言われてみれば確かに。
主人公のボクシングの試合を見てファンになり、謝ろうと思ってもプライドが邪魔をするという小ささを描写するけど、同時に行動ではずっと主人公を応援しているとか、主人公の母親が過労で倒れてボクシングを諦めようとした時に主人公の家の仕事をバイトで手伝うなど言葉にせずに支える友人的なポジションになっていくのは上手いと思う

そのキャラに関して調べてみたけど、いわゆる日本人の強い人間に従う、強ければ周りを従えられるという思想が出ているようで気持ち悪い展開にしか思えないのだが

「はじめの一歩」のキャラに関してはあらすじと作品内の描写による印象は結構違うかな。
実の所、日本の作品では単純に強いだけのキャラだと尊敬されないし仲間も出来ない。美学とまではいかなくてもキャラが立った行動の一貫性は必要になるので交流やサブストーリー的な描写が入ったりする。
よく言われる呂布に関しても養子で家を維持するのが当然な日本では三姓家奴な罵倒は理解されないからこその人気でもあるようだし。
(訳注:「三姓家奴」は「三つの家の奴隷」とも訳されますが呂布が呂、丁、董の三つの姓を持つ不忠不義で賊として侍る者であるといった強烈な風刺、罵倒の言葉になるとのことです)

「はじめの一歩」の序盤はいじめられっ子だった主人公の成長と成功のストーリーだから、先に進んだ一歩と昔のままのいじめっ子という立場の対比もあるし、私は実際に作品で見ていると別に気にならなかったが、あらすじだけ見ると確かに引っかかるかもしれない

しかしなんで日本の作品はいじめといじめたキャラが仲間、友人になる展開をやたらと入れたがるのかね。日本の二次元作品ではそこがダメで感情移入できなくなることも多いかな。
もしかして日本の漫画家は元いじめっ子が多かったりするのか?

学校を舞台にした際に主人公が苦しい、不幸な環境にいるというので分かりやすいのがいじめだからだろう。しかし言っては何だが漫画家は社会経験が少ないのでいじめの描写やそれを見た読者の感覚が想像できずに失敗するのでは。

日本社会でいじめは罪として軽い扱いだから創作の中でも雑に許される
あと作劇上の便利さやキャラ人気の関係から主人公が強くなった後にいじめていたキャラが友人(或いは仲間キャラ或いは強敵に対するかませキャラ)になることも多く、これは小さな悪より大きな悪に立ち向かうパターンになりがちだった

結局、日本の作品特有の主人公をいじめていたキャラが主人公の友人になる展開の問題って「主人公が強くならなければずっといじめ続けていたんだろう?」ということに尽きるね
だから全く共感できない

完全に同意。現実だとアニメや漫画の主人公のように強くなっていじめられなくなるなんてのはとても難しいからな。
そういう展開で罪を無くそうなんてのがおかしい。

しかしいじめに関しては当事者の問題だしキャラクター性も関係するから、いじめていたキャラに関して納得できない爽快感が無いと引きずるのもどうなのかと思う時もある。
例えば上で出ている「はじめの一歩」とか、主人公のキャラ的に試合の勝利以外で復讐するのはありえないし、いじめたヤツがあまりヒドイ目に遭うと作品の方向性がブレてしまう。

その辺は日本の学園モノ、不良キャラのテンプレ的なものがある。全力でケンカすれば仲間になる、互いを評価するというヤツだ。例えば「ペルソナ4」の花村陽介のコミュで最後いきなりケンカになるのもその価値観によるものだ。
昔の作品はそういう前提を知っている日本の読者向けで作られていたから問題にならなかったのだろうけど、今の作品はそこからテンプレ展開だけを持ち出していじめキャラを仲間入りさせるから批判が巻き起こることになるわけだな。



とまぁ、こんな感じで。
現在の中国オタク界隈の考えも含めてイロイロな話が出ていました。

ちなみにこのネタを教えてくれた方からは
「中国の作品における復讐の扱いや中国の歴史と権力闘争を見ていただけば分かるのではないかと思いますが、中国では少しの処罰で許されて仲間になるということは無く、やってきた相手を徹底的に倒す、処罰しようとします。その考えはいじめについても同じなので、日本の作品によくあるケンカをして認め合うという展開が受け入れられないという人も少なくありません」
などといった話もありました。

中国オタク界隈では日本の作品の悪役、いじめっ子キャラなどに関して罰を受けていない或いは十分でないから許せないという声、そこから更にこの作品は価値観がおかしいという批判も割とよく見かけますが現在の中国の感覚で創作における納得できる復讐、与えられる罰のレベルがどの程度なのかは気になる所ですね。

とりあえず、こんな所で。
例によってツッコミ&情報提供お待ちしております。