ありがたいことに私の友人の古参の中国オタクの強者にしてオタク文化の探究者のフギョウさんから
「中国における藤子不二雄漫画単行本の出版状況およびアニメ状況について」
という大作を寄稿していただきましたので以下に掲載させていただきます。
既にnoteの方に同じ内容をアップしていますが、中国からどっちが見やすいのか分からないのでnoteとブログ両方にアップしていく予定です。


中国における藤子不二雄漫画単行本の出版状況およびアニメ状況について


本研究は個人研究であり、研究方法はネット検索及び中国本土の通販サイト/ネットオークションの出品データから出版時期を調べ、筆者の幼少期の記憶と結び付けて説明を加えたものです。また、本稿で触れる単行本以外にも、漫画雑誌の出版もあるが、ここでは雑誌版は割愛させていただく。


序論 中国における藤子不二雄漫画全般論

まず、全体像として、正規版/海賊版問わず、ネット通販サイトやオークションでは確認された、中国本土でこれまで発売された藤子不二雄作品(F、Ⓐ含めて)の単行本のタイトルは『ドラえもん(叮当、机器猫、機器猫、哆啦A梦、哆啦A夢)』のほか、『ウルトラB(太空儿UB、太空児UB)』、『怪物くん(怪物太郎、怪物小王子)』、『パーマン(飞人、飛人、小超人帕门、小超人帕門)』、『オバケのQ太郎(Q太郎)』、『ジャングル黒べえ(黄毛仔、叮当小泰山)』、『チンプイ(小宇宙人、大耳鼠芝比)』、『21エモン(外星怪客大聚会、21世纪小福星)』、『キテレツ大百科(小小神通大百科、奇天烈大百科)』、『笑ゥせぇるすまん(七笑星、笑面推销员、笑面推銷員、笑口常开、笑口常開)』、『モジャ公(宇宙猫、宇宙小毛球)』、『ウメ星デンカ(酸梅星王子)』、『忍者ハットリくん(小忍者、忍者服部君)』、『エスパー魔美(超能力魔美)』、『異色短編(异色短篇集)』がある。また、筆者の記憶では『T・Pぽん(时光巡逻队、時光巡邏隊)』、『みきおとミキオ(千奇百怪、三树夫和米奇夫、三樹夫和米奇夫)』、『バケルくん(化身君、变身娃娃、変身娃娃)』の海賊版もあったと認識しているが、二〇二四年一二月の調査では再確認できなかった。

その中で、正規版としては、『ドラえもん』が一九九三年に人民美術出版社から、二〇〇〇年に吉林美術出版社からと二度の出版されている。吉林美術出版社は小学館と提携していた時期があり、一九九七年に『忍者ハットリくん(小忍者)』を出版したほか(しかし、本書●頁の通り、この『小忍者』も許諾を得ずに出版されたものでした)、二〇〇二年から二〇一四年まで『月刊コロコロコミック』の中国版である『吉美漫画』も刊行していた。現在でも吉林美術出版社は、中国におけるドラえもん関係の正規窓口であり、藤子・F・不二雄先生が直接描いていないドラえもん(むぎわらしんたろう先生執筆や藤子プロ作品のものなど)関連の出版も行っている。

筆者としては、ここに挙げた『ドラえもん』シリーズのみが正規版で、これ以外は全てライセンスが怪しい、すなわち海賊版だったのではないかと考えている。

そして、『ドラえもん』のみが、正規版海賊版問わず多数のバージョンが存在し、長期に渡って発売され、国民的なタイトルになっている。他の藤子不二雄作品のタイトルは一部の愛好家かマニアしか注目しておらず、一般的には「子供の頃にチラッと見た」「むかし本を持っていた」程度のものと考えられる。

また今回調査では藤子不二雄作品の出版は一九八〇年代から二〇〇〇年代まで長期に渡ったことが再確認され、それぞれの年代の製版や製本スタイルは藤子不二雄作品に通じて一通り見ることができることが分かった。そのため、次章では参考として、中国本土では漫画印刷と製本を軽く説明させていだだく。


第一章 中国の日本漫画製版/製本事情

製版技術として、現代の写真製版、デジタル製版以前に、職人による手彫り製版で絵を印刷していた。中国は、建国直後の時期には国全体が貧しく、写真製版できる印刷所が少なく、機材も貴重だったため、長い間、写真製版は、貴重な資料類の製版にしか使えなかった。子供用の漫画本に写真製版を使い始めたのは、一九八〇年代後半からであると、本稿執筆のための調査で状況証拠が見つかった。

一九八六年九月に「岭南美术出版社(岭南美術出版社)」から出版された『連環画・叮当(ドラえもん)』は、まだ手彫り製版っぽく、絵がぎこちない((図1)参照)。しかし、一九八七年一一月に出版された同シリーズの後半の版の物は一気に絵の再現度が上がり写真製版によるものかと考えられる((図2)参照)。

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図1


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図2


手彫り製版は文字通り原稿の絵を手作業で版に彫っていくので、出来栄えが彫り職人の腕次第となる。日本の「漫画」も現代の「マンガ」に移行されるまでは、長年「線描」のみで描いていて、手彫り製版でも対応できた。また、職人の腕次第で原画以上の味がでることもあった。しかし、手彫り製版は古典的な日本画や版画調ものに対応しやすく、手塚治虫に代表される線の太さが均一で造形が丸い「アニメ調」のキャラにはかなり苦手である。

もう一例は、一九八三年六月に出版された『連環画・铁臂阿童木(鉄腕アトム)』である((図3)参照)。こちらも恐らく手彫製版で、絵の再現度が落ちていた上、横長サイズに変える際にコマ割りがおかしくなっている部分があった。

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図3


また、当時の中国では版権ビジネスという概念があやふやであった。この出版社も恐らく版権侵害と認識してなく律儀に手塚プロに本のサンプルを送った。スタッフが手塚先生に見せたところで、手塚先生が激怒した。ただ激怒した原因は版権侵害ではなく、横長サイズした時のコマ割りと絵の下手さで、「こんな絵では楽しめない」と手塚先生自ら原稿を書き直して中国に送り返したそうだ(宮崎克=吉本浩二『ブラックジャック創成秘話〜手塚治虫の仕事場から〜(第三巻)』(秋田書店、二〇一三年)一〇一頁以下)。

ここで更に注目してほしいところは、中国本土独特の「連環画」というスタイルで、日本の漫画に影響されるまではこの「連環画」というイラストノベルが中国の主流であったのだ。そのため、一九八〇年代いっぱいまで、日本の漫画の輸入する際には、この横長左綴じポケットサイズの「連環画」スタイル、或いは四角い左綴じの絵本サイズにするのが一般的だったということだ。

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(図4)
正方形の絵本版『銀河鉄道999』


そのため、手彫製版による中国版は、再現度の低下のみならず、コマ割りにおいても日本の漫画の再現が難しかったと言える。さらに現代の「マンガ」となると、線描のみならず、スクリーンやエアブラシの導入より、手彫製版がついて限界が来てしまうことがわかった。
(図5)は新世紀出版社の『連環画・聖闘士星矢』。ご覧の通り手彫製版では再現できず、ほぼ書き直しになってしまい、作品が台無しになっている。

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図5


しかし、一九九一年に海南撮影美術出版社が出した『聖闘士星矢』では、恐らく写真製版で絵が原作のままとなっている((図六)参照)。しかも、横長の連環画スタイルではなく、原作単行本に近いというか、左綴じにした以外そのままになっている。

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図6


この海南撮影美術出版社版の『聖闘士星矢』と『ドラゴンボール』は一気に小学高学年から中学まで広がり、一九九〇年代の中国における日本の漫画の海賊版ブームの火付け役になった。そして、その後の日本漫画海賊版の大流行によって漫画本のスタイルが定番化され、連環画は市場から淘汰されることになった。
そして、二〇〇〇年代に入るとデジタル製版の普及より印刷コストがさらに安価となり、四ページを一ページに詰める「四拼(併)一(スービンイー)」というスタイルが流行し始めた。

(図8)のように「四併一」は絵が小さく、文字も過密で、日本漫画に慣れてない方は大変読みずらいと思う。しかし、当時(二〇〇〇年代)の高校生にとっては苦にはならなかった。なぜなら、当時の高校生はみんな子どもの頃から海賊版の日本漫画を読み慣れていた。また、彼らの子供の頃(一九九〇年代)は、お小遣いで単行本全巻揃う財力がなく、海賊版の発刊自体は不安定で途切れることもあり、巻数が多い長編大作となると必ず見逃しや買い損ないが発生していた。そのため、誰もが「全巻読破」を夢見ていたのである。そして、高校生になった頃、一冊で一〇巻分をまとめた「四併一」が学校近辺の市場で現れると、もうそれは買わざるを得ない代物でた。つまりこれらの「四併一」新作ではなく、文庫本のような「買い直し賓」としての役割を果たしていた。また同時期にポケットサイズ(サイズも文庫本)の海賊版漫画も出回り始め、最終的は「四併一」と共に売れ筋となり、通常サイズの漫画本を市場から駆除したのだった。

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図7(図8の本の表紙)


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図8  2003年3月に出版された「四併一」の「ドラえもん」。通常の4ページ分を1ページにまとめて掲載している。名義上は「远方出版社」の出版だが、実際の「远方出版社」は出版しておらず出版社情報は全部偽物である。


また、「四併一」となると完全な違法出版なので(写真製版はまだちゃんとした印刷所しかできないが、デジタルとなるとひょっとしたら普通の業務用コピー機でも作成できる)、法律に則って簡体字で出す必要もなくなり、香港版や台湾版の繫体字版がバンバン出ていた。そのため香港版や台湾版も一通り中国本土に流れ込んだ可能性が高く、香港、台湾出版事情について、筆者はカバーできないため、これ以上は分からないことになる。


その2に続きます。