2010年10月29日

2段昇段試合に向けて

柔道部












我が柔道部の記念撮影である。
高校チャンピオンやインターハイ準優勝者、そのほとんどが推薦で高校、大学、社会人(国士舘、綜合警備保障アルソック等)へと進んだ柔道一筋の連中がとても多い。練習もやはりレベルが高くて柔道を初めて1年少々の自分は投げ飛ばされる事がほとんどである。
しかし、寝技になるとそこは立場が逆転、ショーン達とガツガツやって来た経験はそこそこ通用している訳だ(笑)。
しかしここに来て2段への昇段試験にも挑戦し、徐々に乱取りで技がかかるようになって来た。得意技にしようと頑張っている内股はまだまだ未完成だが、連続技にも出来る巴投げが決まって来たのである。黒帯の2段ともなるとしっかりとした柔道の技術が無いと試合には勝ち抜けないので、この新しい巴投げの完成は本当にありがたい。これで来年の春には2段の昇段試合も何とかなると思う。

2010年05月30日

挑戦の継続

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およそ3年ぶりの書き込みです。
先日、どこかのテレビ放送で、昔出演していた『ミナミの帝王』が放送されたらしい、友人達に一斉に冷やかされてしまった。
現在、九州の専門学校柔道部で46歳の肉体にむち打ちながら練習に打ち込んでいる。専門学校といってもほとんどの学生は高校時代や大学時代に代表選手だった者や各大会で優勝している者が多く、とてもレベルが高くて練習も厳しい。その中で初段は取れたが二段を目指して頑張っている訳です。
このブログにもたまーに来ていると、コメントを残してくれる人達もいて、とても嬉しい限りです。
プロとしては引退しましたが、柔道と言う格闘技を通して、新しい仲間達も出来て、小さな目標ですが学校対抗の試合に出場する事を目指しています。
そう言えばこの間、ショーンから連絡があって、ロスの柔術界もいろいろと変革していると教えてくれた。
あせらず、じっくりと始めた柔道を中心に、このブログを始めようと思う。もし良かったらまたコメントを残ってみて下さいね。

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格闘技 | Diary

2007年11月19日

解明した勝利の方程式。 5

a2e3d644.jpgショーンウィリアムスの柔術スクールのウェブサイトに紹介されていた写真である。この写真を見て試合の最後に友人のウォーレンは、真の侍を見たと興奮しながらハグして来た事を思い出したが、ショーンもアメリカで出来た親友である事を再認識させられた。
そして彼らがユーチューブにアップした試合の模様を見て、再び鮮明に思い出してしまった。
実はやはり少々緊張気味にリングへ上がり、対面に対戦相手が現れた時気になったのは筋肉の厚さだったのである。
一般に太もも、二の腕、双眸筋そしてアキレス腱を見ればどの程度の練習をして来たか大体分かり、圧力を計算して気持ちを更に入れ直すとか、自分の体調と比べたりする事が多い。
相手は勢いのある22歳、筋肉の張りや太さも十分盛り上がっていたので、嫌な予感が走ったのを覚えている。
そして試合が始まるとその予感は的中、サウスポーに構えた対戦相手は変則な動きをして近づいて来たからだ、何故か自分の距離を掴めない、いわゆるリズムも間合いも全く合わないのである。
何百回も様々な相手と練習して来たのに、ちょうどエアーポケットに入ったかの用に何の確信も掴めないまま、あれよあれよと間合いが縮まって来るのを整理出来ないで、ただ迷い抜いてしまっていた。中途半端な間合いが一番ヤバい事だと常々言い聞かせて来たにも関わらず、よりにもよって自分の引退試合で自分自身がその負けパターンにズッポリとハマっていた訳だ。
完全な負けパターンである、相手の最も得意とするサウスポーの左ストレートをまともに浴びて体が吹っ飛んでしまったのだから当然と言えば当然である。
ここは敵地のリング、しかも腕力の上回る外国人相手に先手を献上してしまったのだから、その後の無数のパンチで意識が飛ばなかったのが不思議なくらいだった。通常はこれで終わり、セコンドのショーンや主催者のウォーレンも終わったと思っただろう、しかし、ガツン、ゴツンと顔面や頭部に衝撃が走る度に何かが自分自身の中で解き放たれて行く感覚に奮い立った。
『こんのボケェー、いつまで殴ってんだぁー!』そう心の底からどす黒い感情が沸き上がって来た時は相手の足を掴みながら体制を立て直そうと必死でもがいていた、ここからはもう意地の張り合いである。
一瞬のうちのパンチの嵐に額が切れ、ドクターチェックが入っても気持ちが切れる事は無く、ただひたすら自分の顔を傷つけた相手への復讐に燃えていた。闘う前のキックとパンチのコンビネーションを使う戦略等は全く頭から綺麗さっぱり消えていて、ただ相手にぶつかってねじ伏せて殴り倒す事しか頭に無い野獣になっていたようだ、間合いも糞も無い肉弾戦、ただ相手を引っ掴んで殴り倒すのみ、これだけ殴られて相手が綺麗な顔のままリングを降りる事だけは死んでもさせたく無いと闘争心むき出しだった。
ただ、本当にギリギリの戦いで、相手も同じ気持ちで野獣になって襲いかかって来ているのは徐々に心に染み込んで来るのだから、段々追いつめられる気分にさせられてしまったのである。
双方の肉体の疲労が限界に達して来ると、何が勝敗を決するのか?それは当然背負っているものの大きさ、簡単に言えば常日頃からの根性である。
33歳の時、成功しかけていた俳優としての夢を自分自身の決断で総合格闘技に挑戦の場を変え、そして44歳と言う年齢まで20代の若いプロ選手達と同じレベルの練習をこなし、大けがで挫折しかけた事も乗り越え、アメリカの仲間達が柔術の最新技術を惜しげも無く授けてくれたのである。更に人生の運命を変える素晴らしい女性と結婚し、その新婚旅行でもあるこの試合で命を尽くした戦いが出来ないと言う事は、自分で運命を変えて来た判断が間違いだったと、死んでも死にきれない後悔と結果を持ち続けて生きて行かなければならない。
それだけは絶対に嫌だった。しかし、渾身の力を込めて相手をなぎ倒した時、力尽きそうで腕を上げるのも苦しかった、ただ、まさしくこの試合のこの時、確かに自分の背中が支えられている感覚があった。とても優しく、とても力強く、たくさんの人達がすぐ後ろにいて体を支えてくれている様な、何かが肉体を鼓舞して来る様な、そんな感覚が走った瞬間、不思議な事に右腕に力が蘇ったのである。
ただ一本右腕だけが、力強く相手にパンチを打ち下ろせるように復活したのである、日本を出発する前に知り合いのサイキックヒーラーの方から『今度の試合は五分五分、左に気をつけなさい、それが無事なら大丈夫』、そう言われた事が現実になるかのように弾けた。背中にいるみんなと一緒に渾身の力で右腕を相手に振り下ろした、渾身の力で肘を相手の顔面へ削り落とした。完全に無意識な状態で相手を叩きのめす事だけで行動しているただの動物だった。レフェリーがこの時止めてくれなかったら間違いなく相手の若い彼は死んでいたと思う、それほど最終の肘は、後のビデオでも恐ろしい程の衝撃音を残している通り、危険すぎる攻撃だった。マウントから大きく振りかぶり、パンチの軌道を描きながら途中で肘をたたんで全体中を掛けて直角にその肘を相手の顔面に振り下ろすのである、それも何度も。
綺麗なワン、ツー、キックのコンビネーションで倒したケーオーとは大違いで、恐らく現在までのUFCを含めた総合格闘技史上一番危険な攻撃だったのでは無いかと思う。ウォーレンも最後のフィニッシュ攻撃には驚いたらしい、仕切りに『危険だ』『危ない』と叫んでいた。
同じように血反吐を吐きながら練習していても、試合になるとショッパイ事態に陥り、負けた後の良い訳をかましながら上手に人のせいにする奴がたまにいるが、それはやはり真摯に考えて生き様だと思う。プロというのは負けたら誰に何を言われても受け入れなければならない、それがたとえトレーナーや友人からでもだ、どんな辛らつな言葉でも負けてしまったら受け入れなければならない、それが嫌ならプロ格闘家を名乗るのは止めた方が良い。勝ち負けが総ての世界、それがプロなのだからと。
そんな気持ちでいたから、余計に最後の蘇りには本当に感謝している。
闘う前、たとえ負けたとしてもその責任を自分自身1人で一生背負い、謙虚に生きて行く覚悟を固めていた。ここまで来て負けると言うみっともない結果を背負い、逃げる事だけはしないと心に決めていた、何故ならそれが自分で選んで来た人生だからだ。言い換えればその覚悟の決意が根性に繋がっていたのかも知れない。
どうしてもこの引退試合の結末を明確にしておきたかった、それは今後の新たな目標に向かう上でも大事な事だからだ、何せ初めて自分のやって来た事の結果が明るい方に翻ったのである。今まで過去40数年の結果と違う今回の事態を徹底検証して自分自身の中でしっかりと消化し、理由と結論を心得にして行かなければならないと思っているからだ。
本当の友人、本物の愛、真の努力、これらを勝ち得る真摯な心と行動力、これが良い結末を迎えるにふさわしい心から思いたい、そして言葉だけの『ありがとう』ではなく、心と行動の『ありがとう』を一生涯その愛する人達に送り続けて行こうと心に決めたのである。


2007年09月28日

手に入れた達成のステージ。 5

c7eb348b.jpg2007年9月23日午後7時13分。南米のコスタリカにある五つ星ホテルの特設会場のリングに降り立った。
UFCと同様の肘有りルール、総合格闘技としては実に7年ぶりの試合である。
あの、大けがと手術とリハビリと、ユサナと共に歩んだ厳しく長いトレーニングも、ようやく最後のステージに到達した瞬間だった。
相手はコスタリカとアメリカの大会で連勝中の新鋭、22歳の怖い物知らずのイケイケで、簡単には行かないなと肌で感じるのは自然な事でもあった訳だ。
コスタリカの気候は雨期に入っていて、午前中晴れていると思ったら急に恐ろしい轟音と共に落雷と豪雨に豹変してしまう。
試合前日にインターコンチネンタルホテルから、試合会場の五つ星ホテルのカリアリホテルに移動した際、近くの道場で練習し、その時に腰を痛めてしまい、不安材料を増やしてしまった。それでなくとも十分な練習が出来ない状態での現地入りである、ましてや引退試合で勝てる確立なんて雀の涙程の確立だから少々落ち込み気味な時間を過ごしていた訳である。
しかし、ショーンやウォーレン、デーヴ、ケヴィン等のロスの仲間達との再会は、緊張体質の神経をリラックスさせてくれた。そして常に隣にいてくれた妻の存在が凍りかけた神経をゆっくりと溶かしてくれたのも良い結果に繋がった大切な原因だったのは確かな事実である。
そして当日、試合開始数秒で右目に衝撃が走り、気が付いたら倒れている事に気付き、尚も襲いかかる様に連続の衝撃が頭を打ち抜いて来る。
薄れて行く意識の中で体が意識を引っ張る様に動き回っていた、まるで7年間の記憶と繰り返し積み上げて来た練習が闘争心に変貌した様に。
ユサナと共に鍛えて来た心臓も、体全身に降り掛かる蓄積された疲労感を回復させるべく、必死のポンピングでかろうじて反撃を試みる事が出来た。
立ってでも寝ていても、全角度の肘打ちありルールは、切り裂かれる事や顔面骨折の危険性がグッと高まる、その中で22歳の若者より動き回れた事は、大きくチャンスを引き寄せるアドバンテージを持てる事が出来た訳である。
最終的には2ラウンド1分過ぎ、マウントからの肘鉄槌で、レフェリーストップによるKO勝ちを手中に収められ、33歳から始まった総合格闘技への挑戦と、腰椎ヘルニア骨折手術からの復活は、勝利のゴングと共に終わりを告げたのであった。
本当にいろんな事があり、いろんな人々に支えられ、幸運にも目的へのけじめと結果を持てる事が出来たのは、これまでの生き様に嘘偽りを交ぜる事はしなかったからだと確信している。何故ならどんなに努力しても勝てない者がいるのは、己の心だけではなく、親しい友人の心さえも言い訳と共に偽っているからで、必ず真剣勝負の戦いの場では生き様が反映されるからである。
この言葉と、格闘技への道を見せてくれた高田さんには、コスタリカテレビで放送された後のビデオと、心を込めてしたためた手紙を添えて、節目の言葉を送ろうと思っている。
これからは今までの勉強と経験を生かして、総合治療の道へ向かう第2部の始まり。
同じ様に怪我や病気で苦しみ、病理学のドクターに見放された人達を、生理学の自然治癒医療で救う為である。
その独特な治療方法の確立に、残りの人生をかけて立ち向かおうと神に誓い、このブログを終えようと思う。
そして立ち上げる新たなブログは、引き続き違うチャンネルで公開して行くつもりである。
44歳からの新たな挑戦も、生理学見地から肉体の変化を克明に記して行き、更に大きな人類の飛躍へと繋げて行きたいと、大きな志を密かに燃やしながら、これまで関わって来た大切な人達への感謝を心に込めている。そして、神と龍の様な、何かとてつもない力に引っ張られている感覚と共に、大きな飛躍を遂げたいと思っている。

Kwonground

2007年09月18日

時は来り。 5

be39d2c1.jpgここ最近移動が多く、落ち着かない日々を過ごして来た。
生涯にただ一度だけの誓いを立てる為の儀式は、世界遺産の候補になっている有名な天主堂で行った。
始めて、最高の伴侶と家族を持ち、総合格闘技生活の節目を迎えるべく、明日コスタリカへ旅立つ訳だ。
正直、練習量を中心に考えてしまえば全盛期より劣っているのは事実で、肉体の強化も全盛期よりはソフトになってきている。
しかし、この時期に最高の舞台を用意してくれたショーンやウォーレンの為にも、そして、今までやって来た事を証明する為にも、全知全霊を使い、潔い最後の試合にするつもりである。一番みっともないのは試合後に始まるいい訳で、それだけはしたく無いからである。
有志達との柔術練習やタイ人と始めた練習はキツく、今が疲れのピーク、筋肉痛の極地の日々を送っていて、試合までに肉体の回復作業を残すのみ。
しかし、最長22時間のフライトがどのように影響するのか全く分からない。
時差ぼけは覚悟しなければならないと思いつつ、何とかユサナで軽減出来る事を祈っている。
とにかく、大いに楽しんで来るつもりである。
試合後の報告はこのブログの第一章の最後の書き込みなると思うので、乞うご期待と言いたい所で、この辺りで眠るとしよう。
charch

2007年08月06日

足固め。 5

a69356d9.jpgこの格闘技編ブログも最終章に近づきつつある中で、モチベーションを保ちながら自己トレーニングを続けている。
しかし、実はここ1ヶ月程悩ませて来たのがランニングシューズであった。
私の場合、総合格闘技の基本となるのはムエタイの立ち技、つまりストライカー中心の組み立てなのでランニングとシャドーは欠かせないトレーニングとなっている訳だが、シューズがこんなにもトレーニングに影響を及ぼす物だとつくづく再確認してしまう出来事があった。
今までは、洒落たプーマのシューズで走っていたのだが、その後いつもふくらはぎとすねがパンパンに腫れ、2、3日走れなくなっていた、特に足首にまで痛みが現れ、踵に歩けない程激痛が走り出したから危険信号である。
原因は走り方で、つまり踵を上げたままの状態、いわゆるつま先だけで全体重を支え、跳ね上げながら走り続けるので、通常のランニングシューズでは一行に役に立たないからだ。
時間を見付けて靴屋を回りながらチェックを心がけていたが、なかなかこの走りに合うシューズを見付ける事が出来なかった、がしかし、とうとう見付けられたのである。
お洒落なプーマを見限って、スポーツ文化の大国アディダスへと移り変えたわけだ。
この最新シューズの機能性の高さ、足へのフィット感、空気を履いている様な軽さ、着地衝撃の吸収力、更には通気性の凄さについて、冷却させる機能さえ感じる様は、まさに走る分野で間違いなく世界最高峰のランニングシューズと言っても過言ではないかも知れない。
それは今までの足の疲れ方に比べ、遥かに心地良い刺激が足の筋肉に適正に入り込んで行く感覚なのである。間違いなくこのシューズはナイキやニューバランスを抜いて、現在のトップに躍り出る最新鋭技術で開発された物だと思う。
これで眼の上のたんこぶ的な悩みが解消され、また1つ集中した時間を人生の中で取り入れる事が出来、悔いの無い最終章を飾れると思っている。
Shoes1

2007年07月01日

龍虎の扉。 5

1d70daeb.jpg9月15日のコスタリカでの総合格闘技の試合がほぼ決まりそうだ。
格闘家として最後の引退試合となるだろう。
5月中旬から自然治癒医学の確立を目指して生体生理学をもっと専門的に勉強を始めている。細胞レベル、微粒子レベルまで掘り下げた人間の体の機能システムは、奇跡としか言いようの無いほど複雑で微妙なバランスを保ちながら力強く生きている、まるで果てしない宇宙を覗き込んでいる様な錯覚を起こす程の魅力に取り付かれ始めている。
それは自分自身水を得た魚の様な新鮮な気分で、脳内の記憶層に勉強した知識が自然と染み込んで行く、やはり第2の人生目標に間違いは無いとサイド確信を得る心地良さなのである。
そこに最後のケジメともなる引退試合をショーンとワォーレンがセッティングしてくれた訳だ、しかも9月8日、9日が人生のケジメとも言える結婚式である。
今まで43年間生きて来た人生の中で、仕事とプライベートの両方の転換期が同じ時期に揃ってやって来た、これはもう何かとてつもない力を感じてしまうのである。
思えば2003年2月7日にユサナと生理学を知り、運命が変わり、裏切られもしたが真に信じられる仲間が増え続け、強力な愛に支えられながら新たな未来と希望が満ちあふれて来たのである。
先日、非常に霊感の強い先生にお会いした。
通常その道の人はあまり良い印象を持っていなかったので、乗り気ではなかったのだが、いやはやその人は非常に物腰の柔らかい優しさがにじみ出ている素晴らしい女性で、人間性に参ってしまった。
そしてその女性を通して神からの言葉を伝えて頂いた。
私には非常に強い龍神と白い虎の2つの世界を持っているらしい、しかも高句麗(コウクリ)と言う韓国の歴史上有名な将軍が守護として後ろに控えているのが見えると言うのである。今後とてつも無い事をやる予感を感じるらしい。
そして龍神と白い虎、2つの世界を持っている人は非常に稀で凄く珍しいと言われてしまった。
確かに今、心身共に気力体力が充満していて、どんな障害があろうとも人生を乗り越えられる自信と勇気を確実に感じているのである、一度も諦めず、今まで死にものぐるいでやり通して来た事が、この自信と力となってエネルギーを醸し出しているのを自ら感じるのである。そのエネルギーが龍神と白虎となって現れる事はあるかもしれない、そこへ最後に訪れた引退試合はそのエネルギーが紡ぎ出した運命の糸かもしれない、そしてそこには多くの信じられる仲間達が確実に存在するのである。
プロアスリートの引退試合、そんなに簡単には勝利で飾れるものではない、そんなに甘い世界ではない事も知っている。だからこそ最後の最後まで自分自身に負けないように、たとえ僅かな時間しかなくても闘う準備を精一杯作り上げて行こうと思っている。
Ring

2007年05月31日

食の街。 5

4e8fe955.jpg5月最後の日を大阪で過ごしている。
何より一番うれしいのが、食い物がうまい!の一語に尽きる。
お好み焼き、たこ焼きに始まり、うどん、串カツ、チキンステーキと、何でもござれである。一歩外へ出るとコンビニの明かりが、懐かしい記憶と匂いを引き連れて、半ば強引に出迎えてくれるのである。ロスでは、こうはいかない、大体日が暮れてしまうとお店が閉まっているのだから。本当に日本はコンビニエンスなストアだと再認識してしまった。
毎日の様にあるユサナの説明や、生体生理学の講義の合間を縫ってトレーニングは続けてはいる、右肩の調子は快方に向かっているものの、本当にゆっくりとしたもので、もう少しリハビリ的なものを続けないと行けないだろうと感じている、これはやはり体重を落とす為に始めたランニングが障害になっていると思う。
今まで10年近く体重を増やす事ばかりして来た体を、今度は絞るのである、当然古傷がきしみ、至る所に痛みが出て来るのは仕方がない。こういう時は焦らないで痛みの出ない練習を繰り返す事が重要だ。
丁度、高田さんがプライド1のヒクソン戦の時、体重を絞って原因不明の背中と首の痛みに悩まされていたのと同じ事である。あの時は目の前で痛みにもがいている高田さんを何も出来ないまま、ただ見つめていただけだった。
今の知識があれば、トレーニング方法を変化させて心の負担を取り除く事が出来るのがある意味悔しい限りである。
さて、明日からもきっちりスケジュールが入っている。
苦しんでいる人達への治療の助けになれる様に頑張りたいと思っている。
Mini

2007年05月11日

最後への序章。 5

f17e56dd.jpg今週末から大阪に1ヶ月滞在する事になった。
リハビリを兼ねて心身共にリフレッシュしようと心待ちにしている。
練習する場所も確保し、ユサナの活動にも力を入れるべく万全の体制で大阪入りが出来そうである。
送り出してくれるショーンとディナーに向かい、今後の未来の事でいろいろと話し合った中で、コスタリカの試合はやはり9月頃を開催として準備に余念がないと言う事を楽しそうに話していた。6月では小規模な大会にしかならず、時間をかけて大きな物にして行きたい意向らしい。必ず参戦してくれと言われてしまった。
コスタリカにはウォーレンと言うショーンの友人が長としてハリウッドブラジリアン柔術のコスタリカ支部を取り仕切っているので、ショーンとしてもそのウォ−レンが初プロデュースするコスタリカMMA大会の成功を心から応援している様子が伺え、私も楽しみになって来た訳である。
それまで3ヶ月くらいあるので、まあ、焦らずじっくりと地元で治療しながら肉体の再調整に取り組もうと思っている。
その代わり、リハビリの空いた時間をユサナ活動にフル活用して大阪の自然治癒医療グループの根幹を作るつもりである。
そして格闘家としては9月のコスタリカ大会で勝っても負けても引退の気持ちが固まった。よしんばコスタリカ大会が消滅しても引退する事になる。
もうそれ以上プロの練習が出来ない状況になって来たからだ。
肉体以上に気持ちの半分以上が第2の人生に向き始めていて、次のステップへの扉を開きたくてうずうずしているのである。
このブログのタイトル『復活への道』と言う意味に置いて、プロ格闘家としての結果こそチャンスが無くて出せないで来たが、肉体再生に置いては十分目的を果たしたと思っている。
9月の試合では44歳になっているだろう、若くから健康だった44歳でUFCチャンピオンになったランディークートゥア選手とは状況的に全く違い、35歳でまともに歩けない程の壊れてしまった肉体状態からの復活である、しかも医者達でさえ見放した状況から、練習で若い選手とドンドンぶつかっても負けない技術と肉体を手に入れたのだから十分復活を果たしたと言えるだろう、しかもその経験と知識は今後の人生に於いて大きく役立てなければならない。
33歳から突然の格闘技界にのめり込み、地獄を見た経験と復活した知識をプロバイドしてくれたユサナとショーン達への恩返しが待っている訳だ。
本当に困った時に助けてくれた仲間達である。
ユサナでの仲間達はもちろんの事、ショーン、フラナリー、アピー、コーンリーその他の沢山の仲間達から教わった事は、きっとこれからもずっと繋がって行くだろう。
そして9月のコスタリカの試合でこのブログの扉も一旦閉じて区切りをつけようと思っている。
格闘技を卒業しての、第2弾のブログの目的は『還元』である。
それまでは、このブログも最後の力を振り絞って自分自身にむち打ちながら追い込んで頑張るつもりである。
Shawn with car

2007年05月07日

やがて来る日の為に。 5

ae27e5bb.jpg試合が秋口、9月頃のコスタリカ大会に延期になってから、有酸素運動中心のメニューに切り替えている。
40分のランニングを始めているのだが、当然最初からそんな距離を走れる訳も無く、20分走ると靭帯の無い右膝が悲鳴を上げていたからである。
焦らずゆっくりとペースを上げて行く事にしてから2週間、持久用に脚力が体重に合わせて来たように40分何とか走れる様になって来た、これはただのランニングではなく、ヒールアップ、つまりつま先だけを使うスプリント用の走り方での40分なので、ふくらはぎへの負担が非常に大きく、少し注意を怠るとあっという間にふくらはぎがパンクしてしまうからとても危険なのである。
しかし、スピードアップと体重のバランスを図るには一番的確な方法である、と共に、右膝に靭帯が無い為、普通の走り方をすると右膝が壊れてしまう危険性を回避出来る事も非常に大きい事だからである。
もちろん、走り込んだ後は回復の為に、入念なストレッチと多量のユサナ摂取と十分な休養は必要不可欠である、この三つを怠ると言う事は自分で自分の体を壊している事と同じであるからだ。
それにしても最近の回復力のスピードの鈍さは少々気になっている所である。
右肩の回復が遅れているせいもあるが、やはりそろそろ一区切り付ける時期に来ていると感じてしまう。
きっと生活環境から来るストレスの影響だと思うのだけど、多分、6月15日のコスタリカがプロとして最後の試合になるであろうと体自身が伝えようとしているのかも知れない。
沢山の人達に助けられ、沢山の応援や裏切りに成長を覚え、ユサナの自然治癒医学の知識に復活する勇気をもらった。
人々を貶める奴は自然と去り、互いを認め合う人達が周りに残った。
その仲間の1つでもあるトーランスの人達との食事会がパロスバーデスのマイクさんとミチコさんの新居で行われ、しみじみと人々の心の温もりを感じていた次第である。そうそう、最近続けてこのブログにも登場しているタエコさんが、『ツーマッチサン』で笑いの壷にハマってしまったようで、そうとう腹筋を鍛えていたようである、最後は涙を流しながらも大声で腹筋を鍛えていた。それは平林さんがとぼけた口調で、日差しを受けすぎている事を英語でトライして日本語になってしまったと言うマカ不思議なマジカルワード『ツーマッチサン』、この2人の近藤マッチさんなのか、2つのマッチで火をつける事を丁寧に言い過ぎたのか、どんな英語を言おうとしたのか、それはきっとタエコさんの鍛えられた腹筋だけが知っているのだろうね(笑)。
とはいえ、トーランスのビバリーヒルズと言われているパロスバーデス、カタリナ諸島が見渡せる素晴らしい風景を自分の物にした邸宅の庭での食事は格別な物で、わざわざにぎり寿司を届けてくれたトラヴィスとは会えなかったが、非常においしい寿司をも堪能させてもらった。
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Profile
Row Kwon (山崎りょう)
少林寺拳法3段、ムエタイボクシング、柔術、レスリング。
WSFミドル級チャンピオン。
KIGDUMにて白星デビュー。その後1998年にアメリカへ渡りジョーチャールズ達(UFCロシアチャンピオン)とMMAアメリカを設立。
小規模のMMA大会を経て、1999年ロスのWOODLAND HILLSで開催されたWSF(ワールドサブミッションファイティング)ミドルウェイトチャンピオンを獲得し、その後、順調だった格闘人生に暗雲が立ちこめ、重度の腰椎ヘルニア骨折で3年近く身体障害の苦悩を味わう。転機が訪れたのは2003年の2月の7日、ユサナと出会い、栄養補助が肉体の最大の再生方法を実践して知識を深めて行く。現在、その一度死んだ体のどこまでの復活が可能なのかををユサナの潜在能力と共に挑戦し続けている。