2004年12月05日

錫と銀で出来た燭台を.《大植さんのお稽古のあとで》

a2f8c239.jpg指揮者稽古に行きました.
大植さんがお持ちの力は本当にすごいです.100名?の合唱団員を一所に導く力、ハート、思いというのが溢れているのです.私たちが力不足なのは重々承知で、それを是正するためのヒントや実践を織り交ぜつつ、総括的に見ていただきました.大植さんの手から、顔から音楽や思いが溢れてくるのが見える.目の当たりにしたがまくんは、呆然としてるわけにはいきません.本番まであと四日、この気分を気分だけにとどめるのではなく、お客さまに伝わる形で、音楽の形にアウトプットしていかなくてはなりません.本気モードで歌っていたら背中や腰がヘトヘトになってしまいました.いつもこのくらい集中して取り組んでいれば・・と思うのですが今の私たちは前を向くしかありません...

大植さんからのご指示を単に反射的に「こなす」だけじゃ駄目でござんすよ.(「こなす」、コトすらもままなってないという指摘もあろうかと思いますが)私たちは人間で、それが演奏し歌っているわけ.曲・台本の背景にある、作曲家の意図、それを大植さんが汲み取ってどのように翻意されているかというのを自分の中で構築して、「その結果としての演奏」という形で返さないと.たんに「下降音形をテヌートします」「1小節の中でデュナミクレンジを大きく」「Ah!の2分音符を短めに」というのを機械的にこなすだけならイラン人先生が仰るところの「発声マシーン」ですわ.云われたとおりのことを鸚鵡返し的に返すコトで音楽が存在するんなら、わざわざ人を使って「演奏会」なんて開かなくったって、音の出るマシーンに楽譜データを入力し、色づけとして「ハイここ長め、ここは強弱を大きくして・・」とかプログラミングして「出力された」のを聴けばいいんですもの.それでは成し得ない「何か」を表現し、お伝えすることを目的に生身の人間が100名150名が、ガン首そろえて格闘してるんですよね!?「何か」というのはイメージを持って歌うことであったり、考え・解釈であったりするわけです.あともう数日ですけど、そういう構築力みたいなのをもう少し考えていきましょうよ〜.頑張るポ.そんな積み重ねでどれだけ曲を自分の中で「成長」させていけるか、それが終演後の「達成感」や「充実感」に繋がると思うのです.

京橋で本番だったかえるくんと待ち合わせて梅田で買い物して帰りました.
写真は、メゾンドファミーユで購入したフランス製の燭台です.台座が錫と銀でできていて火屋の部分はソーダガラス?です.早速食事のときにろうそくを燈してみました.炎を見ていると少しずつ気分も落ち着いてくる気がします.

そうそう、ここのブログは表からはアクセス数が見えないのですが管理者モードでは出てくる仕組みになっています.今年の6/23にこちらへお引越ししてきて以来12/4現在で9536、10,000を超えたらまたご報告いたします.みなさま、ご訪問いただきありがとうございます.

<本日の大植語録>
(1幕冒頭、ヘブル人の哀願の合唱でテノールがハダカになるところ)
「ここはね、ザルツブルクでも、メトでも合唱がフラットします、でも、大阪ではフラットにならない!心意気!がんばって!」
(1幕、ダリラの取り巻きの美しい女たち登場の女声合唱のところ)
「♪春の小川がさらさら〜、ミタイなじゃなくて、もーっと情や薫りを出して、ルバートしますから、着いてきてください」
(3幕大詰め、ペリステ人が繋がれたサムソンを嘲笑しながら高揚するところ)
「みんな、お上品すぎます.駄目、もっと下世話にあざ笑って」
(稽古の終わりに)
「皆さん、上向いていきましょう!大阪から全国へ、世界へ!という気分で歌ってください、よろしく!」


kasumyon at 23:59│Comments(0)TrackBack(0) サムソンとデリラ 

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