2006年02月25日

心を開いてもらう 1

 いけない、いけない。2月にして今年の抱負を早くも破ってしまうところでした。このままじゃ「私はいい加減なことを宣言する人間です」、と宣言するようなものです。ブログを頻繁に更新する、というのは根気が要りますね。大変です。

 さて、今回は、「人に心を開いてもらうにはどうしたら良いか」についてお話します(何者だ)。別に心を二枚貝のようにピッタリ閉じちゃってる人に困り果てている、というわけではありませんよ。それどころか、私自身、「心なんか開けるかッ」「どうせバカにするくせに!」「キィ〜ッ!!」なんてイジけることだってあります。でも、人間誰しも本当は心を開きあいたいと思っています(多分)。そこで、良い人間関係を築くために必要なことの一つとして、「相手を見る」ってことを挙げてみたいと思います。

 相手の外見にとどまらず、相手の中にあるDepth(深み)を見るのです。誰も気づかないであろう(小さすぎる)気遣い、笑顔に隠された哀しみ(または般若顔)、自慢話のヴェールで包まれた「認めてくれぇ」の叫び声。つまり、人って、分かって欲しいと思う部分に限って変にかっこつけて、そのくせ内心(わからないのかよ)なんて思ってるもんなんですよね(まさか私だけ?)だから、まずはそんないじっぱりさ、不器用さを見抜き、「ほんまに言いたいことお見通しやで。」ということをこちらから示しましょう。人は、相手が自分について見ている部分を進んで見せてくれるものです。ファッションを褒めてくれる人の前ではお洒落に磨きがかかるでしょう?それと同じ。優しさ、謙虚さ、強さ、忍耐強さ、器用さ、・・・相手の中に本当にあるもの、隠されたものを出来るだけ沢山、宝探しのように見つけてあげることで、相手はよくぞ気づいてくれましたとばかりに心を開き始めるでしょう。逆に、本音を包んだヴェールにばかり目を向けていると、相手はいつまでもそのヴェールを見せ続けることでしょう。もちろん、自分を分かってもらうように努力することも大事ですが、相手のねじまがった表現を進んで解いてあげるのも同じように大事だと思うんです。えっ、解いてもらう部分なんか何もないですって?面白くないナー。

  
Posted by katan_katan at 22:54Comments(2)

2006年01月01日

2006年スタート

あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。もう2006年だなんて・・・。ついこないだまで、2000年問題で騒いでいたばかりではありませんか?そんでもって、そのチョット前に年号が昭和→平成になったのではありませんでしたっけ?えっ、さすがにそれは大分昔のことですって?でも、平成ベイビーが今やもう大学生になる年齢ですよ。そう思うと、ショックでしょう(何故同意を求めてしまうのか自分でも分からない)。ところでこのブログの存在を覚えててくれてる人っているんでしょうか。

さて、今年は元旦の明け方にアイスクリームのバカ食いをして胃を壊してしまい、正直、辛い年明けでした。というわけで、自らを反省するついでに今年度の抱負を宣言しようと思います。

<2006年の抱負>

その1.ブログをもっと頻繁に更新する。(昨年よりもね☆)

その2.みんなと仲良くする。(昨年よりさらにね、みんなヨロシクネ!)

その3. 日々悔いなくエエイッ!っていう感じで過ごす。(先のことなんか知るかっ)

というわけで、今年もまたトラブルの避けられない一年となりそうですが、それでもひたすら、よい一年でありますようにと願っています。いや、意識的に良い一年にしようじゃないか、みなさん。12ヵ月後、達成感でいっぱいの気分でニヤリとしていたいものですね。ウフフ。

  
Posted by katan_katan at 18:50Comments(4)

2005年06月26日

説教占い師

 以前から中国の易学に興味を持っていたわたしはついに、今日こそザ・仙人みたいな人を探し歩いてわたしの運命を教えてもらおうじゃないのと思い立ちました。まずは街をウロウロして「占」の看板を探しました。品のないぎらぎらの色彩に仰々しく「あなたの運命ずばり的中」「人生のお悩みこれですっきり解決」などと書かれた看板は幾らでもありましたが、どこもここも流行っていそうで、それが逆にわたしを不安にさせるのでした。というのも、流行っている=儲かる=儲かる占い師はきっと調子に乗っている=真剣に見てくれるはずはないだろう、というひそかな偏見があったんですよね。

 というわけで、本当によくあたる占い師は見えないものが見えるが故に誰にも理解されず孤独で街角でポツンと虚ろな表情をしている人に違いない、というイメージは発展していき、ふらりふらりと歩き続けた挙句、人気のない通りにあるなんだか小汚いボックスみたいなところに薄汚れた男が円柱のようなへんてこりんな紫色の帽子をかぶって座っているのが見えるではありませんか。周辺には手書きで一生懸命書いた「手相」「霊感」「親身になります」などという色紙が張られています。易はないのかな〜。と思ったわたしを待っていたかのように、その男はひょろひょろとボックスから出てきて「はいんしゃい」とわたしを手招きしました。

 結局、その占い師は易ではなく、手相占の専門だったんですが、それ以外の条件は全て整っていたため、歩き疲れたわたしは「ま、今回は手相でもいいや」といとも簡単に思い直し、手相を見てもらうことにしました。
 男はフムフムといいながら虫眼鏡でわたしの手の平を観察して、まず「あんたは男にわがままばかり言う」と断言しました。「(だから)これからどんどん試練がくる」「覚悟しなはれ」その時点でわたしはかなり不信になっていたのですが、お金を払った以上色々言わせてやれと思いました。彼はおもむろに汚いノートを取り出し、わたしの生年月日を聞きました。告げると、なんやらという星の名前を指摘した後「おお・・・これは・・」としばらく感動しているので何かと思うと、「さっき来ていた人と同じだ、驚きだ」というのです。そして、「あんたは12のランクで2位の幸せ度だ」等と言い出し、紙に幸せ定規たるものを書き出し、12に分割し、わたしの誇らしきポジションをわざわざ指し示すのです。「でも、わたしはあまり運がよくないらしきことをおっしゃったじゃないですか」というと、男はみるみる不機嫌になり、「今はだめだ!」と説教を始めました。なんでも、もっとエゴを押さえ、人に優しくなり、試練を何年も重ねなければ幸せになどなれるものか、というのです。その上、何の躊躇もなく私の両手にボールペンでたくさん線を書きながら、「ここの線がこうなってたらよかったのに」などと愚痴をこぼし出し、嫌気が差してきたわたしはお金を払ってさっさと店を飛び出しました。あー、やな気分。あのおっさんはいい加減に違いない。

 そう思ってプンプンしながら2キロほど歩いた時点で、こともあろうに、その占いボックスに日傘を忘れていたことに気づきました。あちゃー、買ったばかりなのに。ほんとついてないや、と、とぼとぼまた2キロ引き返してきたら・・・なんとそのボックスのシャッターが下りているではありませんか。営業時間は19時までとなっていて、今はまだ18時です。ドンドンドン!開けてくださいョ!とノックするも、無反応。とっさにわたしは名刺に書いてあった携帯に電話をしました。「あの、さっき占っていただいたものなんですが・・」「は?どしたんですか」「日傘を置き忘れてきたみたいで・・」「悪いがもう帰りの電車に乗っているところでね」「19時まで営業って書いてあるじゃないですか」「ああ、あれは書いてあるだけだ。その日によって変えることもある」また険悪になってきてそのうち会話の途中でブツリと電話が切れてしまいました。
 ああ、今日はくたくたになりました。明日はツイてますように。
 
今日の教訓:人間を見た目で判断してはいけない。占い師も人間である。  
Posted by katan_katan at 23:48Comments(3)TrackBack(0)