Ⅰ 世界で一番孤独な……

 渋谷の雑踏で女の子を拾った。
拾ったわけじゃない。正確に言うと誘われたというべきか。
「オジサン、わりきりでどう? 今晩だけ」
「オジサンって……三十前だぜ」
「じゃあお兄ちゃんて言いかえる、どう?」
紺のブレザーに白のブラウス、見えそうなほど短いチェックのスカート、素足に黒のローファー、なんちゃって女子高生かもしれない。
「興味ないよ」
夕方の人いきれ、帰宅を急ぐ人ごみの視線が痛い。
「二枚でいいよ、負けてやるよ。普段は四枚なんだよ、やろうよ」
クシャクシャの黒髪、やけにタップリのマスカラ、口びるのルージュが真っ赤に燃えていた。
「半額なんて、ずいぶんダンピングするんだな、安売りかよ」
「かっこいいじゃんお兄ちゃん。タイプなんだよ、わりとね。それとね、黒縁メガネフェチなんだよわたし」
「ついてくんなよ、仕事中なんだよ、これから社に帰って打ち合わせがあるんだ」
嘘だけどね、全部。
 雨粒が数滴舗道に落ちた。足早になる。傘を開く人がちらほら。
「なんだよ、草食系かよ、お兄ちゃん。ほらほらDカップピチピチ女子高生抱けるんだよ、それも2枚なんて破格だろ、違う?」
「しつこい! 興味ないんだよ。付いてくんなったら」

いきなり、腕を掴まれ狭い路地に連れ込まれた。
唇をふさがれた。
「な、なに、する……」
舌が絡まった。意外とうまいな、なんて……。
力ずくで拒むこともできた。でもしなかった。
ルージュの匂いでむせた。
 背中に腕を回し、引き寄せ、いつか夢中でキスしていた。
「べろちゅーはただだよ」
離れたその子が言った。
「おっぱい揉むつもりなら、こっから有料」
錆びた鉄管の匂い。野良猫がこっちを見ていた。チェシャ猫だったら笑える。
「半額にしてあげる……上手いから」
「少し、黙れよ。君も中々だ……」
 狭い路地から見える雑踏は雨に染まっていた。
色とりどりの傘が行き交う。シェルブールの雨傘って映画思いだした。白黒だっけか、あれ?
暫く夢中でキスしていた。身体を弄りあった。乱れたブラウスからはみ出しそうな乳房、捲れあがったスカートから太股の白さが目に飛び込んできた。
 勢いでパンティに手をかけた。
「やだ! こんなとこで……寒いんだもん、汚いし」
「名前は……」
「そんなこと聞いてどうすんの、お兄ちゃん」
 始めて正面から彼女を見た。ショート・ヘア、整った顔立ち、年齢不詳のベビーフェイス。かなり可愛い。
「さあね、訊いてみたくなっただけかも」
彼女の手はしっかり勃起した僕のジーンズの股間の上を所在なげに行ったりきたり。
「あまり……この世界から余っちゃってるって意味であまり」
面白いなこいつ、彼女と久々のデートだっていうのに、断る言い訳考えてるなんてね、すでに……。
 付き合うつもりなのかよ、この子に……声掛けて、売りやるような子に見えないんだけど……。
化粧も服装もわざとすれっからし演出してるみたいでさあ。なにもかもが贋物? くさく見えた。
雑踏で声掛けられて、やろうなんてね、なにもかも始めてで新鮮な体験? だったのかも。

 狭い路地、少なくとも雨つゆはしのげた。壁から出っ張った調子の悪いエアコンの室外機が嫌味な音を立て続ける。
ダンボールを引き、薄汚れたビルの壁の隙間に二人並んで座った。
「雨、止まないかな」
「アメダスに文句言ってやろうか、予報では今日は雨は降らない」
「いいよ、夕立だもん、きっとすぐ止む」
「空けない夜はなく、止まない雨はない」
あまりがぽかーんとした顔でこっちを見た。
「詩人かよ。サラリーマンっぽくないしね、ウソだろ、さっきの打ち合わせなんてさ」
「サラリーマンではないけれどね。打ち合わせはホント、それと……」
「それとなに……」
世間話してるって、なんか笑える。
「いつもこんなことしてるの?」
「関係ある? なんか、やる気ないなら消えてよ」
さて、どうしたもんかななんて、好奇心が勝つ。メールを二つ打つ。彼女に今日、原稿の打ち合わせが長引いててデートはまた今度って、この埋め合わせは必ずするってのが一つ。出版社には、教授の手伝いが長引いて原稿の打ち合わせには後日伺うというのが二つ目。

「やる気になってきたぞ、これでいい?」
言うとうれしそうな顔で僕にしなだれかかってきた。
「寒いね、ここもすっかりしぼんじゃったしね」
言いながら手馴れた手付きでファスナーを、おろす。
しぼんだペニスを引っ張り出して、熱心に触り始めた。
「これはサービスだよ。ホテル代とで3枚、大丈夫、ある?」
 頷くと勃起したペニスを口に含んだ。
「うまいんだってわたし」
と、言ったんだと思う。ペニスを咥えたまま確かにそう言った。
「なにが?」
「……フェラに決まってるし」

 あまりの言う通り、雨はほどなく止んだ。相変わらずにぎやかな街だ。まるで、無秩序な原子核みたいに。
舗道にはそこここに水溜りが残っていた。
 足早に通り過ぎる人の波、パトカーのサイレンの音がけたたましく響く。いつもの日常とはちょっとだけ違う景色。女子高生と歩く雨上がり……。
 道玄坂の方にスタスタ歩くあまりの後をついていった。ON AIR EAST裏のど派手なラブホに消えた。

「わたしってさ、最近まで天使だったんだよ」
手早く服を脱ぎながらあまりが言った。
 僕の寝てるベッドに潜り込む姿はかわいい子猫みたいだけどね。
「なんの冗談だよ、それ」
シーツの中であまりが僕のペニスを弄ぶ。まるで、猫がネコジャラシでじゃれてるみたい。
「大きくならないね、ここ」
「うん、緊張してるんだ。こんなこと始めてだからね。セックスじゃないよ、もちろん。ストリートで声、掛けられてラブホなんかにのこのこ着いてきちゃったってこと」
「でさ、つい最近まで天使だったから、今は片翼しかないけれど、ある程度のパワーは残ってるわけね。お兄ちゃんとセックスしながらだって、この世界を破滅させることだってできるわけ」
 シーツからはみ出したお尻は桃みたいなハート型で、そこからすらっとした脚が伸びてて気付かなかったけれど、足首にティファニーのシルバーのアンクレットしてて、真っ赤なペディキュが剥げ掛かっていた。
「もちろん、隣国かなんかの核爆弾が誤発射しましたって設定なんかでね」
「そんな設定じゃ僕も君も死んじゃうじゃんか……」
「大丈夫、わたしは天使なんだからバリアーくらい簡単に張れちゃうわけで、もちろんお兄ちゃんもお情けで入れてあげるから死にはしないってわけね」

 僕はなぜかシスティーナ礼拝堂の天井画を思い出していた。人類史上最も壮大なフラスコ画だ。
「うーん、立たないなあ。クンニでもして気分、盛り上げてみる?」
「今日は諦めるよ。いつもはビンビンなんだけどね」
「なに見栄張ってるの、あはは。まあ時間いっぱいまで努力してあげるよ」
頭の中が人類誕生と最後の審判で埋め尽くされてるんだ。勃起しないのも無理はない。
「ま、まさかわたしが好みじゃないから急に勃起不全になったなんていいわけはなしよ、あはは」
つんと上を向いたお椀を伏せたみたいな乳房がプルプルふるえていた。
笑うと確かに天使みたいにかわいい。お世辞なんかじゃなくそう思った。
 薄い陰毛、透明な肌、僕は明日で三十だけれど、君は充分に若い。
なんでこんなことしてるんだよ、なんてしたり顔で言うつもりなんかもちろんないよ、かわいい天使さん。

 シーツから顔を出してあまりが言った。
「でさ、さっきの話だけれど……」
「さっきって君は僕のタイプじゃないから勃起しないんだって話?」
「違う、違う、ちゃんと人の話、聞かないタイプね」
「うん、よく言われるね、それ。それと最低なやつとかね」
天井は鏡が張ってあって、全裸の男女が二人。僕は探していた。あまりの背中に片方の翼を……。
 相変わらずあまりは僕の勃起しないペニスと格闘していた。いや格闘ってより探求者の瞳で観察してるといったほうがあたってる。
「なにかやって見せようか、わたしが天使だった証拠」
半ばあきらめ顔のあまりが言う。僕のペニスへの興味は失せたらしい。
「ペニスごとき立たせられないくせに?」
「なにその皮肉、なんか腹立つなぁ……神には見放されたけれど、すごいんだよ、わたしほんとはね」
「出ようか? シャワー浴びるよ、役に立たないしね」
「いいの、やんなくて? お金は頂くよ」
「ああ、天使に二時間も付き合ってもらったんだもの、安いもんだよ」

 シャワーを浴びて出てくるとあまりはいなかった。
窓が開けっ放しになっていた。猥雑な都会の音が拡声器で増幅されたみたいに室内を満たしていた。
ベッド・サイドのテーブルに走り書きのメモがあった。

 『はい、天使のあまりです。わたしって長時間裸でいると浮いちゃうんだよね、で、そのまま窓から出ちゃうことにする。お兄ちゃんとは運命を感じたから、またきっとどっかで会えるよね。あっ、パンツ履くの忘れた。拾っておいて』

 メモの横にくしゃくしゃのパンティ。まるで迷子の子犬みたいだ。毛並みは白だもちろん。
 パンティを握り締め思わず窓から外を見た。九階だぜ、ここ。なんの冗談だよ。
大体、なんでパンティなんか握り締めてるんだよ?
 ネオンが明るすぎて星屑ひとつ見えやしなかった。
 あまりはどの辺飛んでるんだろう。目を凝らしたけれど、見えるのは切り取られた四角い空だけだった。

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 香坂慎也(こうさかしんや) 一応W大の院生卒業後も教授の助手として就職もせずいまだ学生気分が抜けない。付き合った女の子たちの別れ際のセリフはいつも「あなたって最低ね!」

 あまり……多分……天使。