SALLYはテレビですでに品行方正にして清廉潔白なイメージを定着させていたが、ラジオに関しては顔が見えない分その方正ぶりにはさらに拍車がかかり、もはやブレーキをかけてみようなどという考えが頭をかすめることも、またチラリとよぎることもなかった。
「なんつったっていちばん楽しい仕事はラジオだぜ!」
と、これはメンバー全員が一致していた。険悪な仲になった解散前でさえこれだけは一致していた。
トークでの過剰とも云えるサーヴィスぶりは、リスナーから大きな反響を得ていた。またアイドルから遠く離れたその微笑ましいトーク内容は、局のパーソナリティーやDJ、ディレクターたちのウケもよかったようだ。
レギュラーを獲得した文化放送以外では、ニッポン放送の明石家さんまのラジオをはじめTBSでは所ジョージのバホバホ隊など何度も出演した番組も多い。夏木ゆたかの番組にも何度も出ている。
ラジオ日本の「曽根幸ののってる気分」では、パーソナリティーの作曲家・曽根幸明さんに「GSで云うならチェッカーズがタイガースできみたちはテンプターズだね」と云われたりした。
テンプターズはあのショーケンがいたグループである。
オレなんかはウレシイに決まっている。
ちなみにSALLYが解散した86年、大晦日に放送されたショーケンこと萩原健一と佐藤浩市が主演したドラマで、ドラマに出演するバンドにショーケン自らがSALLYを指名したと聞いたときは、オレは解散したのを死ぬほど後悔した。そしてSALLYに代わってそのドラマに出演したのがCCBだったのをこの目で見てオレはCCBのコンサートに行って自爆テロをしてやろうと思ったがすんでのところで思いとどまり現在に至っている。
そんなラジオ出演が毎週何本か入っていた。
そして古くから付き合いのあったバーディー企画というラジオ番組制作会社からはさらなるレギュラー番組を持ちかけられた。零細企業特有の強引さとしつこさでSALLYに食い込み、だがオレたちもなかなかどうしてバーディーの人たちとは不思議にウマがあった。寡黙なディレクターだったが、オレたちがどんなに激烈な品行方正ぶりを披露してもカットすることはなかった。その番組のひとつが「SALLYのバッドボーイズクラブ」。だがこれ、なんと東京ではオンエアされず聞けなかったのである。ゆえにオレはこの番組を一度も聞いたことがない。
放送していたのは北日本放送、西日本放送、長崎放送。しかも10分の番組だ。ここでも例によってモーファーやらダンボーラー、ペーパー(←忘れてました、ぼーさんありがと!)についてのトークをしていたのだろう。もちろん下ネタ、エッチネタ、コワイ話も満載だったと思う。
構成作家がつくった台本があるにはあったがたいていは脱線し、フリートークにして無法トークとなっていた。たまにマネージャーの近藤も出演することもあり、やがて近藤のファンや追っかけさえ現れるようになった。
その近藤、あろうことかファンからのプレゼントを相当数搾取していたようだ。オレあてに届いたプレゼントをいかにもマネージャー然として開封、点検し、金目のモノや高価でお洒落な衣類、アクセサリーなどは近藤がそっくりそのまま戴いていた。
「あれ〜、キーチくんに贈ったセーター、なんでコンちゃんが着てるの?」
と贈ったファンに指摘され彼の犯行が発覚したことはたびたびあった。それでも近藤、のらりくらりとかわしたあげく、図々しくも自分のファンにしていたのだから呆れて言葉も出ない。そしてオレはと云えば近藤がいらないものをただただ恵んでもらっていたのである。
また近藤はSALLYメンバーのサインを完璧に書くことができた。
テレビ局やラジオ局に行くと、楽屋には山と積まれた色紙が待っていた。それ全部にサインしろということなのだが、いかんせん疲れているし、打ち合わせはあるし、弁当を食わなければならないし、ときに下痢でトイレにこもりっきりになることもある。前夜の酒がたたることは当時から多かったのである。そういう際にサインなんぞ出来ない。近藤の出番であった。
全員のサインを完璧にこなす近藤。
だからSALLY全員のサインが書かれた色紙のうち、何割かは近藤ひとりの手によるものである。
だが今となっては近藤はこの世にいないわけで、むしろそれの方がオレたちなんぞのものより値打ちがあるかもしれない。
ところであいつのサインはあったのだろうか。見たことはないがなんだかありそうな気がする。
(BGM bad boys come tonight/sally)
「なんつったっていちばん楽しい仕事はラジオだぜ!」
と、これはメンバー全員が一致していた。険悪な仲になった解散前でさえこれだけは一致していた。
トークでの過剰とも云えるサーヴィスぶりは、リスナーから大きな反響を得ていた。またアイドルから遠く離れたその微笑ましいトーク内容は、局のパーソナリティーやDJ、ディレクターたちのウケもよかったようだ。
レギュラーを獲得した文化放送以外では、ニッポン放送の明石家さんまのラジオをはじめTBSでは所ジョージのバホバホ隊など何度も出演した番組も多い。夏木ゆたかの番組にも何度も出ている。
ラジオ日本の「曽根幸ののってる気分」では、パーソナリティーの作曲家・曽根幸明さんに「GSで云うならチェッカーズがタイガースできみたちはテンプターズだね」と云われたりした。
テンプターズはあのショーケンがいたグループである。
オレなんかはウレシイに決まっている。
ちなみにSALLYが解散した86年、大晦日に放送されたショーケンこと萩原健一と佐藤浩市が主演したドラマで、ドラマに出演するバンドにショーケン自らがSALLYを指名したと聞いたときは、オレは解散したのを死ぬほど後悔した。そしてSALLYに代わってそのドラマに出演したのがCCBだったのをこの目で見てオレはCCBのコンサートに行って自爆テロをしてやろうと思ったがすんでのところで思いとどまり現在に至っている。
そんなラジオ出演が毎週何本か入っていた。
そして古くから付き合いのあったバーディー企画というラジオ番組制作会社からはさらなるレギュラー番組を持ちかけられた。零細企業特有の強引さとしつこさでSALLYに食い込み、だがオレたちもなかなかどうしてバーディーの人たちとは不思議にウマがあった。寡黙なディレクターだったが、オレたちがどんなに激烈な品行方正ぶりを披露してもカットすることはなかった。その番組のひとつが「SALLYのバッドボーイズクラブ」。だがこれ、なんと東京ではオンエアされず聞けなかったのである。ゆえにオレはこの番組を一度も聞いたことがない。
放送していたのは北日本放送、西日本放送、長崎放送。しかも10分の番組だ。ここでも例によってモーファーやらダンボーラー、ペーパー(←忘れてました、ぼーさんありがと!)についてのトークをしていたのだろう。もちろん下ネタ、エッチネタ、コワイ話も満載だったと思う。
構成作家がつくった台本があるにはあったがたいていは脱線し、フリートークにして無法トークとなっていた。たまにマネージャーの近藤も出演することもあり、やがて近藤のファンや追っかけさえ現れるようになった。
その近藤、あろうことかファンからのプレゼントを相当数搾取していたようだ。オレあてに届いたプレゼントをいかにもマネージャー然として開封、点検し、金目のモノや高価でお洒落な衣類、アクセサリーなどは近藤がそっくりそのまま戴いていた。
「あれ〜、キーチくんに贈ったセーター、なんでコンちゃんが着てるの?」
と贈ったファンに指摘され彼の犯行が発覚したことはたびたびあった。それでも近藤、のらりくらりとかわしたあげく、図々しくも自分のファンにしていたのだから呆れて言葉も出ない。そしてオレはと云えば近藤がいらないものをただただ恵んでもらっていたのである。
また近藤はSALLYメンバーのサインを完璧に書くことができた。
テレビ局やラジオ局に行くと、楽屋には山と積まれた色紙が待っていた。それ全部にサインしろということなのだが、いかんせん疲れているし、打ち合わせはあるし、弁当を食わなければならないし、ときに下痢でトイレにこもりっきりになることもある。前夜の酒がたたることは当時から多かったのである。そういう際にサインなんぞ出来ない。近藤の出番であった。
全員のサインを完璧にこなす近藤。
だからSALLY全員のサインが書かれた色紙のうち、何割かは近藤ひとりの手によるものである。
だが今となっては近藤はこの世にいないわけで、むしろそれの方がオレたちなんぞのものより値打ちがあるかもしれない。
ところであいつのサインはあったのだろうか。見たことはないがなんだかありそうな気がする。
(BGM bad boys come tonight/sally)