ついに「夜のヒットスタジオ」初出演のハナシを書く段となった。オレも洋介も飲みネタとしてあちこちでさんざん云ってきているハナシである。だがあらためてこのときのスケジュールを見て驚いた。
「夜ヒット〜」は通常、午後イチ入りし、本番終了まで拘束されるのが常だ。特に新人においてはそうであった。だがこの日のSALLYのスケジュールではそれができなかった。
 まず朝はテレ東「おはスタ」に出演、10-13時はフジ「60年代ポップスベスト100」の収録、13-15時半「セブンティーン」取材、16時から「夜ヒット」、さらにその合間を縫うようにレコーディングが入っていた。

 だからと云うわけではないが、オレたちは大失態をやらかした。
 1日に3本ものテレビ出演、しかもその一つが当時テレビ界最高峰と云われた「夜のヒットスタジオ」である。
 大御所と云えども出たくても出れない番組として名高いことで知られていた。ここ以上にいわゆる華やかな、すなわち芸能界的匂いがするところはなかったと思う。その最高峰に君臨するプロデューサーが疋田拓氏であった。

「いいか、おまえら、Gスタに入ったら、とにかく挨拶しまくれ!誰であろうとおはようございます!と大声で挨拶しまくるんだ!とにかく疋田さんには絶対だぞ!!」
 同行していたフォノグラム宣伝部芦田さんに口酸っぱくそう云われ、コワイもの知らずにして世間知らず、くわえて無知無教養、だが品行だけは方正と固く信じて疑わないオレたちは今日だけはチワワのごとく従った。
「おはようございます!!おはようございます!!おはようございます!!」
 とにかく連呼しまくった。
 もちろん誰もSALLYなんぞに挨拶なんぞ返しはしない。
 当時のフジテレビでいちばん広いGスタには、局のスタッフはもちろん、出演者、プロダクション関係者、レコード会社関係者、その他ももろもろの芸能関係者でごったがえしており、もちろんオレたちには知り合いもいなければ誰が誰かもまったくわからない。断っておくがオレたちとはメンバー6人プラスマネージャー近藤である。近藤もオレたち同様誰一人関係者の顔を知らなかった。

「夜ヒット」は生放送、生演奏が掟である番組ゆえ、サウンドチェック、カメラリハーサル、ドライリハーサル、ランスルーなど綿密なリハーサルがきっちり組まれ、その緊張感たるや大変なものだった。
 出演者以上にスタッフが大変で、本番のときのテレビに映っていないこのスタジオの風景は、まさに本当の戦場こそ知らないがたぶん戦場さながらという表現がぴったりだったと思う。
 オンエア用のマイクには入らないので視聴者には絶対にわからないが、関係者の怒号や罵声はもちろん、飛び蹴り、バックドロップ、延髄切りなどは日常茶飯事であり、怪我人、負傷者、死者がよく続出していたが誰も驚きはしなかった。またそれはリハーサル時も同様であった。

 冒頭に記したようにオレたちはこの日、不幸にも多忙を極めていた。
 同じフジテレビの「60年代ポップスベスト100」はスタジオではなく、六本木にあったデイブ平尾の店での収録だった。その収録のあとに「夜ヒット」入りしたように思うが、ひょっとしたら午前中に一度Gスタ入りしていたのかもしれない。だから2度目、あるいは3度目のGスタ入りで、いくらか挨拶がおろそかになってしまったのは致し方ない。
 とはいえ、なにしろ大道具のアルバイトにまで海老のごとくカラダを曲げ「おはようございます!!」と連呼ししていたSALLYである。
 もう十分だと思っていた。
 サウンドチェックも終わったし、衣装を着てのカメラリハーサルも済んだ。
 ようやく周囲の雰囲気が見えるようになった頃だった。
 近藤と芦田さんがほんのわずかな時間オレたちの側を離れていたそのとき、
「あ、オマエらがSALLY?オレに挨拶ねえんだな」
「へ?」

 中肉中背で、レイバンのサングラスを掛けた40がらみのオトコが目の前に立って、そう云った。
「ほう、そうかいそうかい」
 何を云っているのかオレたちはわからなかった。
 初めて見た顔かもしれないが、とにかくこのGスタでは挨拶はもう十分過ぎるほどしていたはずだ。いったいこの人はなんだと云うのだ。
 するとはるか彼方から、まさに光のような速度で芦田さんが走ってきた。
「申し訳ございませ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!疋田プロデューサー!!」
「げげっ、この人が!」
 大道具のバイトに最敬礼なんぞして、こともあろうにあれだけ芦田さんが口酸っぱく云っていたカンジンの人の前でシカトぶっこいたのであった。
「おお芦田、オマエんとこのか。そうか、今日出るんだったな、楽しみしてるよ」
 楽しみにしてるよと云われたのか、してろよと云われたのか、よく聞き取れなかった。

 とにかくこの番組、司会の井上順と芳村真理以外は個人の楽屋がないので有名だった。
 新人だろうと大御所タレントだろうと全員同じひとつの楽屋というスタイル。だがさすがに広く、教室2つ分はあったと思う。女性タレントも同室で、ただ着替えだけはカーテンで仕切られていた。
 この扱いからしてもタレントとプロデューサーの力関係を如実に物語っていたと云えるだろう。
 だがそれでもこの番組にみな出たかったのである。「夜ヒット」に出ることはステイタスでもあった。

 やはり楽しみにしてろよ、と云われたみたいだった。
 なんとか無事、「バージンブルー」生演奏を終え、全員事務所に戻り、録画したヴィデオを観てぶっとんだ。
 サビの部分には、付き添ったボーカルさんの指示で、レコードと同じタイムでディレイをかけてもらうことになっていた。ディレイというのは実音と実音を少し遅らせた音をミックスして奥行きを出すエフェクターだが、そのレヴェル(ヴォリューム)が異常に大きかったのだ。
 ♪想い出(想い出…想い出…)なんて(なんて…なんて…)〜
 という感じで、初めて聴く人にはよくわからない歌になっていたと思う。

 だがそれにめげず、「夜ヒット」にはその後も何度か出演した。

 それにしてもあの当時テレビ界最高峰である「夜のヒットスタジオ」でほとんどトチることなく生放送、生演奏していたSALLYは今から思えばなかなかどうして大したものだと思ってみたりするが、それはコワイもの知らずにして世間知らず、くわえて無知無教養だったからどうにかできたのかもしれない。
 
 蛇足であるが、SALLYに同行し土下座する勢いで謝った芦田さん。
 だが、その後3カ月間、フジテレビには出入り禁止となった。
 すべてはオレたちのせいであった。
 9月3日に23位、そしてこの日、「バージンブルー」はオリコンで13位にまで躍進した。

注・この項、さらなる詳細は洋介に聞いてください。

(BGM nothing)