1986年4月5日、デビュー以来何度もゲストで呼ばれたテレビ東京「おはようスタジオ」に最後の出演を果たす。曲はもちろん「マイナーコードにHeartbreak」。いつものはしゃぎっぷりは影をひそめ、SALLYらしからぬしんみりとした出演だった。笑顔も少なかった。オレのヴォーカルはどことなく投げやりだった。

 ラストツアーのリハーサルは毎日続いていた。スタジオはいつもの代々木上原・ワキタスタジオ。ワキタのスタッフとも仲好くなっていたSALLY。休憩のときは1Fのオフィスに入って彼らと雑談することもあった。
「おい!大変だぞ。岡田有希子が自殺したぞ」
 地下のスタジオから休憩で上がってきたオレたちにワキタのスタッフが大声を浴びせた。
 4月8日午後、快晴。
 オフィスのテレビには、四谷4丁目サンミュージックのビルがヘリからの俯瞰のカメラで映し出されていた。
 同期デビューでもありついこないだまで仕事でよく逢っていた岡田有希子。あたりまえだが自殺なんぞ信じられなかった。しかも所属事務所の屋上からの飛び降りだという。オレたちはリハの続きはほとんどやらず、テレビ画面に見入っていた。

 岡田有希子はSALLYとは普通に仲好くしてくれていた。特に岡田尚が彼女のファンでもあり、また男性マネージャーもオレたちと年が近いせいか何かと話す機会は多かった。
 地方での公録やイヴェントでよく同じステージになったりしたが、そのとき熱狂的な岡田有希子ファンから暴言を吐かれることもしばしばあった。なにやらSALLY全員で岡田有希子に手を出したとかどうとか勘違いも甚だしい指摘をされ、「SALLY全員ブチ殺す!」と、オレたちのステージ中に喚かれたりすることもあったりした。岡田尚は知らないが常に品行方正にして清廉潔白なオレたちがそんなことをするわけがない。
 こんなことを冗談にしてはいけない。断じてそれはありえない。もちろん岡田尚もしちゃいない。
 10日の告別式にはリーダーとして洋介とそして尚が参列している。洋介はこのとき同じく参列した吉川晃司と逢っている。吉川もSALLYも岡田有希子とは2年前の新人賞関係の仕事では頻繁に接していたのだ。

 同期のデビューで年齢も近くしかも女の子。芸能界で生きていくことは辛く、悩みも多かっただろう。オレたちはグループだからそんな辛い思いも分かちあうことできた。誰に対しても文句も云いやすかった。だがそれでも煮詰まり、口を閉ざし、そして遂には解散を決め、その解散ツアーのリハーサル中の訃報。
 時に斜に構え、閉塞した状況に投げやリ気だったオレたちだったが、すっかり毒気を抜かれ、むしろ事の重大さを噛み締めていた。

 同期デビューの新人賞受賞者に終焉が訪れてしまった。だがカタチは違うもののオレたちもまた終焉を迎えようとしていた。
 快晴で、4月にしては暑い日だったのを今でも憶えている。
 またオレ個人としては、いつだったか羽田到着の飛行機から到着ロビーまでのバスの中、たまたま隣り合わせて立ち並び、話をしたときの彼女の笑顔が思い出される。

(BGM chet/chet baker)