1986年5月17日(土)も晴れ。東京行ひかり250号の車中。
 このまま乗っていれば帰れるなあなどと考えている。

 九州から北上して神戸までやってきた。
 神戸に着いたオレたちは忘れていた馴染みの匂いを感じ取り、ようやくホッとした憶えがある。
 別に神戸に馴染みがあったわけではない。街のざわめきや雑踏、人の行き交う交差点、渋滞中のクルマの列、電車から吐き出される人込み。普段なら嫌悪することすらあるそんな街の様子にホッとしたのである。
 定年退職したら田舎暮らし、というのは昨今のブームだが、田舎暮らしは憧れではあっても実践はきっとムズカシイと思う。少なくともオレにはムリだ。すぐに街の灯りを求め彷徨い、フラフラと歩き出すに違いない。そのくせ普段は静かなところを求めている。なんともワガママである。

 神戸は有名な、チキンジョージでのライヴ。店の中にはポスターがベタベタ貼ってあり、たしかだいぶあとにドクター・ジョンもここでやることを知った。
 ニューオーリンズのピアノの大御所であるドクター・ジョンがこんな小さな店でやるのかと、失礼ながらそのときはそう思った。
 今でこそ不思議ではないが、ルーツ系、ブルース系のミュージシャンを独自のルートで呼んでいたのかもしれない。チキンジョージはそういう系の店だった。アイドル系だったオレたちは、だからここに出られてどうしてどうしてかなりウレシかったのだ。

 広島でカメラが故障してしまい、この神戸以降は残念なことに写真がない。ゆえに記憶もおぼろげだ。はっきり憶えていることを書いていこう。
 ライヴ。まずこれがよく憶えていない。だが6人の結束力はもはやこれまでにないくらい強固なものとなっていたのは間違いない。この神戸あたりでは、同じ曲メニューでももうだいぶブラッシュアップされていたと思う。
「ガール」でのハコとオレの長いギターソロもこの頃には完成していたし、全次郎の「ブラッディ・マリー」も演るようになっていた。

 ライヴのあと。
「たまにはちゃんとメシ食おうぜ」
 ここんとこ夜はずっと飲みっぱなしだったSALLY。しかも連日のハードな飲みで、さすがに疲れていた。洋介の提案にはいちばん飲むこのオレも文句はなかった。
 それまで関西での仕事はテレビ絡みが多く、泊まりはきちんとしたシティホテルだったがラストツアーにはメディアは絡んでなかった。そのためだいぶ落ちたホテルに泊まっていた。神戸もそうだった。
 広島で2泊したので着るものはホテルのクリーニングに出すことができたが、それでも着替えは足りなくなっていた。そういうことを知ってかどうか、ファンからシャツや靴下などプレゼントされ、何も考えずにさっそく着たりしていた。
 そんな格好でオレたちはライヴのあと、鰻屋に行った。

 なんで鰻屋だったのかは憶えていない。だが、こういう店探しは決してハズさないオレたち。生意気にも肝吸いにうまき、白焼きなどを注文。酒はビールくらいにしておいた。そして鰻重ではなく鰻丼をもらったと思う。
 久しぶりにきちんとゴハンを食べ、さてそのあとどうしたのか。
 またしても夜の街に消えたのか。神戸はこの頃、黒塗りのタクシーはたしかヤバイ系だったような記憶がある。いや逆だったかな。
 久しぶりにまっすぐホテルへ帰って寝たように思うのだが。
 ああ、たしか、全次郎は酒屋でジンのボトルを買ってたな。
 ヤツの部屋へ行ったら、ひとりで気持ち好さそうに飲んでいたのでオレも一緒に飲ませてもらった記憶が、ああ今、蘇ってきた。ほかにも誰かやって来て結局飲んだんだ。

 そして、翌日もまたライヴ。
 京都、そして大阪2daysとハードな連夜が続くのであった。

(BGM sings standard/Dr.John)