5925ca0b.jpg 最後の渋谷公会堂での衣装は自由だった。
 スタイリストはついていたが、特にコンセプトはなく、着たいものを自由にとのことだった。
 デビューの頃から衣装では何度もモメた。ようやく最後になって、いや最後だから自由になったのか。
 
 オレは代官山の輸入衣料の店で、ラインストーンの入った袖がカットされたGジャンを見つけてきた。ブランドにこだわることは特にしていなかったが、あとからそれがキャサリン・ハムネットだと知った。イギリスの女性デザイナーである。この頃はまだ日本ではそれほど有名ではなかったと思う。またレディースもメンズの区別も特になかったように思う。
 中に来ていたアロハはアトリエ・サブのもの。これは京都のサンクスコンサートでも着ていた。下はGパン。どこのものかは忘れた。細身のタイプだった。そしてこの上にはスタイリストと相談して合わせた白いスプリングコートを着た。これは最後の出演となったNHK「ヤングスタジオ101」で着ていたコートである。だがラストライヴのヴィデオにそのコート姿はない。ライヴが始まって早々に脱いでしまったのだ。
 ほかのメンバーも好きなものを択んで着ていた。基本的にスタイリストが持って来たものを着ていたのはハコだけだった。全次郎は汗をかくということで最初からランニングシャツ姿でいた。

 1986年5月27日火曜日。
 朝から晴れていた。結局ラストツアーは一度も雨にやられることはなかった。
 この日も半袖で十分な陽気だった。
 渋公ではヴィデオ撮影のためのカメラが10数台入ることになり、そのためのリハーサルがあるのでオレたちの入り時間は早かった。
 当初はヴィデオのほかにライヴ盤レコードを出す予定でもあった。チーフとなったのはフォノグラム林さん。だが直前になってフォノグラムの社長から待ったがかかり、中止を要請されたという。突然の中止の理由はわからない。売上げが見込めないと読んだのだろうか。
 だがチケットは完売だった。渋公前にはダフ屋も出ていた。当日入れなかったファンもいると聞いている。また中に入ったら入ったで大変な混雑と混乱状態が続いていて、その結果開演時間は大幅に遅れた。

 結局林さんは独断で、責任を負うということで、ラストライヴをヴィデオに残すことを決断した。だからこのヴィデオはフォノグラムからの販売ではなく、メリーゴーランドでの限定販売ということになっている。一般には流通しなかったのだ。
 そしてこの日のリハーサルはサウンドチェックだけでなく、当日のメニューをまるっきり全曲フルでやった。これはすべて撮影用だった。
 客のいない渋公のステージ。いや、公彦くんがポツンと座っていたか。
 カメラクルーはステージ上でも激しく動き回っていた。
 約2時間弱。どっと疲れてしまった。
 だが客がいなければどうにもノレない。結局このときに収録したものは一切使われることはなかった。
 つまりあの日は2ステージやったことになる。すなわち本番は「2ステージ目」であった。
 オレたちにとって大阪でのステージが最高だと云ったのは、そのテンションがとても自然であったからだ。もちろん渋公はラストライヴにとても相応しい出来だったと思う。逆に云えば大阪はラストではないという安心感があった。ただそれももう、今となってはそれほど差はないようにも思える。
 
 楽屋にはいろんな人が訪ねて来てくれた。
 関係者はもちろん友人その他もろもろ…。「マイナーコードにHeartbreak」のPVで共演したモデルの女のコもやって来た。洋介の練馬の友人トシヤもやって来た。かつてはオレとも気安く喋ったりしたはずだが、洋介と仲違いしていると思ってか、彼は遠慮しオレには話しかけてこなかった。別に仲違いなんぞしちゃあいないのだが。
 来訪者はみな、花や差し入れ、酒を手に訪れ、中には早くも紅潮した顔で接して来る者もいた。オレたちの最後を特別な思いで見送ろうとしているのがわかった。
 だが、オレは、いやオレたちは、なぜか特にそんな感慨深いものを感じてはいなかった。
 楽屋はいつものようにキツいジョークと笑いが飛び交い、ハコや全次郎は旭さんとくだらない話で盛り上がっている。まるで明日も仕事が入っているんじゃないかというくらい落ち着いた普通の気分だった。信じられないかもしれないが本当にそうだったのである。またすでに「1ステージ」終えていたという疲労感も多少あった。
 ツアー中は本番前にウイスキーの1ショットをやっていたが、このときはさすがにその気にはならなかった。せいぜいビールに少し口をつけるくらい、だったかな。
 
 近藤と森本社長が出たり入ったりし、大声で何かを伝え、誰かに指示していた。
 会場入口ではグッズやパンフが飛ぶように売れているらしい。開演時間が迫っていたが、渋公の周りを取り囲むように並んだ女のコたちの最後尾がまだ見えないという。その中には男のコの姿もあるという。
 オレはまったくと云って好いほど落ち着いていた。
 まるで緊張感はなかった。
 開演時間が過ぎた。
 舞台監督からの知らせで、会場は収拾がつかず、まだ始められないとのこと。
 どれくらい押すのだろうか。
 最後だ。
 いくら押しても構いやしない。

 全次郎は、旭さんからもらった右と左でレンズのカタチが違う、スティングがかけていたのと同じサングラスをしてはしゃぎ、スタッフや関係者そして来訪者たちを笑わせていた。
 これからデビューする島田奈美が来ていた。
 速水清司が来てくれた。
 野々村真の姿も見えた。
 吉川晃司から花が届けられた。
 本当にこれで終わりなのだろうか。
 何本目かのショートホープに火をつけ、まるで現実感がないような、夢の中にいるような、そんなふわふわした不思議な気持ちでオレはざわついた楽屋を眺めていた。

(BGM the complete decca sessions/ billy holiday)