A!Blog of SALLY


 SALLY解散から、20年。
 あの蒼い「夏」は永遠に終わらない…。
 『バージンブルー』『愛しのマリア』
 『HEARTはキュートなままでいて』などのヒットで80年代を駆け抜けたロックバンド、
 SALLYのリードヴォーカル/ギタリスト 加藤喜一が語るSALLYのこと
 
 

SALLY

あの頃スローレイン−あとがきに代えて

301305b4.jpg 今日は2007年3月12日月曜日。
 デビューした年、すなわち1984年の3月12日も月曜日だった。

 この日SALLYは吉祥寺・曼荼羅でライヴをやっている。タイバンは同じ山田パンダカンパニーに所属するジャック・オー・ランタン。その前後の日は、代々木にあるユイ音楽工房のスタジオや渋谷ヤマハでリハーサルをしている。そしてこのときすでに近藤はマネージャーもどきでオレたちにくっついていた。高校を留年した近藤はこの年ようやく卒業を迎えようとしていた。そして17年後の2001年3月12日、突然他界した。この日もまた月曜日だった。

 裸足で過ごした向こう見ずな日々。
 キラキラと輝いていた月日。

 最後まで読んでくれて、どうもありがとう。
 毎回のコメントに励まされ、遂に完結まで辿りつくことができました。

 SALLY7人目のメンバーと云われた近藤慶一に、このブログを捧げたいと思う。





2007年3月12日 月曜日
加藤 キーチ
Keach Kato
              

入りは前ノリ、カセットは先行

8ac898d7.jpg 1986年1月26日。富士急ハイランドにてラジオ公録ライヴ。富士急ハイランドには取材や公録で何度か訪れたことがあった。
 さて、遊園地が大好きな岡田尚。ひとりだけ前ノリしている。1月28日放送の「ナマいきSALLYは絶快調」のエンディング「SALLYニュース」でそう云っている。

尚「俺は前ノリしましてですね、富士急でですね、オールナイトでスケートしちゃって…、朝帰りじゃねーんだよ、もうそのまんま帰らなかったの!」
洋介「(いたずらっぽく)尚さん、地方へ行くとす〜ぐ出かけますからね。ホテルに泊まったことないですからね」

 チクリと、いや、えぐるように突っ込んだ洋介に対し、尚は「うるせーな」と若干キレかかっている。詳細は推して知るべし岡田尚。
 まあそれぞれ叩けばホコリが出てくるSALLYであるゆえ、またそれが「らしさ」としての魅力であったと云えないこともなかったわけだが、それにしても岡田尚はとにかく単独行動が多かった。
 オレはと云えばこの河口湖畔富士急ハイランドのあまりの寒さで風邪をひき、これがワリカシ長引いている。

 みなさま。あらためまして多くのコメントありがとうございます。
 20年も前のこんなSALLYのラジオをお聴きになりたい方もいらっしゃるようで、やっていた当事者としてはウレシイ限りです。オレにとっては記憶を引き出すネタ探しでもありますが、時にあまりのバカぶりに不覚にも笑い転げることもあります。そういうハナシはぜひ紹介していきたいと思っています。引き続きどうぞご贔屓に。

 一方、2月5日には初のベストアルバムをリリースしている。タイトルはそのまま「SALLY THE BEST」。LPとCDとでは仕様が異なり、CDには「涙のハートブレイクナイト」のインストver.が収められている。これは「SALLY’S MAGICAL TOUR」のヴィデオに収録されていたものでもある。
 またジャケットも違っている。LPはファンクラブ「BAD BOYS CLUB」発売の86年カレンダーを撮影したときのカット、CDは雑誌「PATI PATI」の取材で撮影されたカットが使われている。またLPにはカレンダー付きのポスターが挟み込まれていた。
 収録曲を挙げておこう。以下はLP ver。
SIDE A
1. バージンブルー
2. 悲しきYOUNG LOVE
3. 雨のミッドナイトステーション
4. 君の瞳に恋してる
5. ハートはキュートなままでいて
6. 愛しのマリア
7. サマータイム・メモリー
8. 涙のハートブレイクナイト
SIDE B
1. BAD BOYS COME TONIGHT
2. LONELY DREAMER
3. あの頃スローレイン
4. オー・ヴィーナス
5. 恋はメリーゴーランド
6. ガール
7. GOOD-BYE マイ・ダーリン

 CDにはこのあとに「涙のハートブレイクナイト・インストver」が加わる。
 またカセットは85年12月に先行発売していて、こちらにも同曲インストが収録されている。実はこのベスト・カセットが好評だったため、レコードでの発売を望む声が多くなったという経緯がある。
 CDはこの頃、LPからひと月遅れで発売されるのが普通だった。だから3月に入ってから発売されたものと思う。
  
 それとは別に新たなシングルとアルバムの発売日もすでに決定していた。
 シングルは3月25日、アルバムは4月5日。さらに解散ツアー最終日となる渋谷公会堂も発表された。当初は5月26日(月)だった。もちろんこの時点では解散ツアーではなく、春のLIVE HOUSE TOURの最終日というカタチでの発表であった。実際には26日ではなく27日になるのだが、なぜ変更になったのかその経緯についてはオレは知らない。

画像:文化放送「ナマいきSALLYは絶快調」オンエア中

(BGM hard bossa/joyce)

あけましておめでとうございます5

あけましておめでとうございます。

旧年中は当ブログをたのしみにしていただき、もちろん「加藤キーチ sings SALLY」にお越しくださり、
ありがとうございました。

今夜からキーチさんがまたこのブログを書かれるのか、はたまた明日からなのかわかりませんが、とりあえず、みなさまから加藤キーチさんへの新年のあいさつなど、書き込めるエントリーをしておこうと思いまして。

というわけで、今年もまだまだキーチ先生のブログはつづき、そしてみなさんには、キーチさんの音楽を、さらにたのしんでいただける年になると思っております。

ではではよろしくお願いいたします。

葛飾ホックニーでした。

新幹線のSALLYと日航ジャンボ墜落の8月

 1985年8月16日、仙台・青葉山公園で行われた東北放送夏祭りに出演したあと、日帰りの新幹線で帰京。その足で観音崎マリンスタジオに向かっている。さらに18日は文化放送「全日本歌謡選抜」に出演。
 
 ところで大阪、札幌などは泊まりが多かったが、名古屋や仙台くらいなら日帰りの新幹線で帰京していた。その車中は云わずもがな大宴会状態で、出発の際は辛うじてアイドルづらを保ってはいたが、東京駅あるいは上野駅に到着したときにはべろんべろんにしてぐでんぐでんの大酔っ払いであり、アイドルの面影は微塵もなかった。特にオレはひどかったようだ。
 先日、「月刊平凡」の担当記者だった重山さんに云われた。
「キーチ、名古屋駅で知らないおじさんにカラんだの覚えているか。俺がおまえをハガイジメにして必死になって止めたんだぞ」
「ああ、キーチはしょっちゅうだったよ」
 洋介がそう云ったが、オレはまるで記憶にない。だがその洋介に云われた次の話は思い出した。

 仙台からの帰り、新幹線の発車と同時に缶ビールを開けた。
「おつかれ〜、カンパ〜イ!」
 プッシュ〜!!
 するとオレの缶ビールだけなぜか勢いよく泡が吹き上がり、真っ白いそれは天井に向かって大きな弧を描いたあと、前の座席にすーっと消えて行った。
「…」
 そこに座っていたのは上品な老夫妻。いかにもフルムーン旅行の途中といった雰囲気で、それまできっと良き旅の思い出を重ねていたのであろう。だがSALLYの座席近くになったのは不運だったとしか云い様がない。
 ご主人のきっちり整えた白髪頭の上に、オレはこんもりとビールの泡の白い冠をかぶせてしまった。ご主人、目が点なり、口をあんぐりと開けたままオレたちの方を振り返った。
 さすがにオレと近藤、平謝りに謝ったのは云うまでもない。

 とにかく帰りの移動の車中ではよく飲んでいた。
 仙台ではそのことをファンもよくわかっていて、帰りの新幹線に乗る際には笹かまをプレゼントしてくれるのが常であった。これにわさび漬けを乗っけてビール。たまらんね。思い出すなあ。
 上野まで約2時間半の車中、ひとり最低5、6本飲んでは馬鹿騒ぎのあと高イビキ。老夫妻のせっかくのフルムーン旅行を台無しにしてしまったのは火を見るより明かだった。
 このときかどうかは定かではないが、洋介の追っかけのコが間違って乗りこんでしまい、結局東京まで来てしまったことがあった。駅員に何をどう説明したのか知らないが、キップを持っていなかったのにも関わらず改札を抜け出れたらしい。オレは完全に泥酔していてその記憶はないが、洋介はそのコのことが気になって酔えなかったと後に述懐している。
 
 ところで話は前後するが、1985年8月といえば日航ジャンボ機が墜落したときでもある。
 8月12日、群馬県御巣鷹山に墜落した日航ジャンボ機。坂本九ら乗客乗員520人が死亡という大惨事を招いた。だが辛うじて4人だけ助かっている。
 日本中が騒いだが、頻繁に飛行機に乗っていたオレたちもこれには相当衝撃を受けた。まかり間違えば自分たちもその可能性は十分あったからだ。
 8月12日。当時の予定表には松江となっているが、たしかオレたちは大阪から飛行機で帰ってきているはずだ。つまり墜落したジャンボとはもしかしたらすれ違ったのかもしれない。
 ちょうど羽田に着いたとき、夕方6時くらいだったと思うが、空港ロビーは大阪行きの飛行機が行方不明というアナウンスがされていた。
 オレたちはその混乱に巻き込まれるのを避け、早々と羽田空港をあとにしたがまさか墜落しているとは思ってもみなかった。
 あとから聞いたところによると、墜落したジャンボ機はその前のフライトが札幌かどこかから羽田に向かって来たとのことであり、そのときには早見優が乗っていたとか、本当かどうかはわからないがそんな話を聞いた憶えもある。
 
 それからすぐに、幸いにも助かった4人のうち、当時15歳だった川上慶子さんの搭乗券のコピーが業界内に出回った。不謹慎にも「おまもり」と称してそのコピーを持って搭乗するのが流行ったのだ。
 SALLYもまた然り。
 廻ってきたそのコピーは、もはやうっすら字が書いてあるだけでよくわからないシロモノだった。
 こういうことになるとお調子者のマネージャー近藤慶一はノリにノる。メンバーを煽るだけ煽り立て、オレもまたそのコピーのコピーを持たされた。
 ところがしばらくして、その搭乗券のコピーを一斉に処分することになる。
 あるとき近藤が大騒ぎして事務所に入ってきた。
「おい!川上慶子ちゃんの搭乗券のコピーには、死んだ人たちの怨念がとりついているらしいぞ!」
「え〜〜〜〜!」
 オレたちもまた、近藤に輪をかけて馬鹿で、お軽いお調子ものであった。
 今の今まで後生大事に身につけていたそのコピーをあわてて取り出し、忌まわしいものでも見るかのように近藤の前に抛り投げるのであった。

(BGM nothing)

あと5日です5

af4f3870.jpg「加藤キーチ sings SALLY」エッグマンワンマンライヴまで、ついにあと5日です。

みなさん、もうすでにチケットはゲットされましたでしょうか。前売券は、前日14日のある一定の時間で発売が終了します。お早めにお買い求めください。

当日は、会場限定で、加藤キーチ待望のソロデビューシングル『東京バックサイド・ブルース』が発売になります。表題曲は、加藤キーチの往年の相棒・杉山洋介が、かつてSALLY時代に加藤キーチに贈った未発表曲に、あらたに、元GO-BANG'Sの森若香織が詞を書き下ろした傑作です。20年ぶりに、Yosuke & Keachの黄金のコーラスが聴けるのです。

また、「BALLAD OF "G"」は、加藤キーチがSALLY解散後に結成して活動していた幻のバンドJealousy for the moon時代の名曲です。アコースティックでしっとりと聴かせる曲になっています。

「飛べないエアポート」は、加藤キーチソウルライヴで彼とデュエットしたmetro tripの日野友香の作詞、おなじくmetro tripの青木多果の作詞作曲による、まるでKinkiKidsや山下智久の楽曲のような若々しい曲。彼らの若さに余裕で返す、加藤キーチのパワフルなヴォーカルが炸裂しています。

というわけで、Picture Yourselfレーベル第一弾でもある会場限定発売のこのマキシシングルもおたのしみに!

ところでこれはチラシの画像です。サニーデイサービスのジャケットデザインを手がけた、小田島等がつくってくれました。1986年の加藤キーチの歌う姿がフィーチャーされています。

さてさておじゃましました。今夜も、加藤キーチ先生のブログをおたのしみください。葛飾ホックニーでした。
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