March 19, 2005
富める者とは自分の分け前に満足する者である(ミシュナ・アヴォート四・一)
いかに幸せであるかは、この世のことである。
いかに恵まれているかは、あの世のことである。
ゆえに、人は幸せを追求する為に働くのである。
イナゴマメの木は七〇年間、実を結ばない(バビロニア・タルムード・タア二三a)
彼は不思議になって、「イナゴマメは七〇年間、実を結ばない。あなたはこのマメを食べられるほど、長生きできると本当に思っているのですか」と訊ねた。
すると、彼は答えた。
「わたしは後々の世界の為に植えているのです。自分の祖先が自分に残してくれたように、自分の為ではなく自分の子孫の為に植えるのです」
February 20, 2005
人になろうと励む者がいない場所で人になろうと励みなさい(ミシュナ・アヴォート二六)
すなわち、人は公共の場では、目立ったり、自分の能力をことさら誇示したりしてはならない。
誰の目にも映らないとしても、私利私欲を持たずに一心に仕事に打ち込みなさい。
February 18, 2005
手に職をつけた者は、垣根のあるぶどう畑のようなものである(トセフタ・キドゥ一・一一)
また、通行人に覗かれたり、泥棒に入られたりする心配もない。
だから、生きていく上で、手に職をつけるということが、大事なのだ。
February 17, 2005
自分に難解すぎることを探求するな(ベン・シラ三・二一)
あなたは、自分の領分と決められたことについて考えなさい。
例えば、神がこの世を作られた日以前のこと、すなわちアダム以前のことについて、あれこれ思索しても仕方ない。
この世以降のこと、現世の問題だけに集中しなさい。
February 15, 2005
良質の器は何度たたいても壊れない(詩編一一・五)
現代社会に置き換えても、会社でも人でも「バッシング」を受けるものというのは、それに耐えうるだけの存在価値を得ている証左ということでもあります。
例えば、時間外労働ひとつとっても、一部上場企業では企業倫理を問われ、時に訴訟騒ぎになるのに、町工場のそれは話題にもならない。そればかりか、半ば暗黙の社内ルール化しているケースさえあります。
同じように、周りから責められる人というのは、裏返せば「ひとかどの人」あるいは「実力がある人」と認められていることが多いものです。
しかし、人は自分のことほど見えないもので、「何故、自分だけが攻撃されるのか?」、「何故、自分だけがこんな不幸な目にあうのだろう?」と勝手に思い込んだりもするものです。
米雑誌「フォーブス」の発表する「富豪四〇〇人」の常連、天才投資家として知られるハンガリー系のユダヤ人のジョージ・ソロスは、一七歳の頃、イギリスに単身で留学してきました。
自伝(〜「ソロス」ダイアモンド社)の中で、英語がうまくできないので友達さえ作れず、貧困生活にあえいだ「試練」を、ナチスドイツの迫害より「ひどい」、「生涯、忘れられぬ、最悪の思い出」と言っています。そこから何としても逃れたい、二度と屈辱を味わいたくない、という必死な気持ちが、今の成功を築くバネになったのだと語っています。
長い目で見れば、その時、「試練」と思えたことが後々、その人にとっていかに大きな糧となるか、財産となるかを示しています。
そして、生涯を通じて、成長し続けるとは、その「試練」を乗り越えることの連続なのかもしれません。
むろん、「試練」を与えるといっても、重圧を加えすぎ、壊れてしまっては、元も子もありません。タルムードでは「独学が一番、大事だ」と説いていますが、結局のところ、自分の限界を最もよく知るのは、「自分」です。
その意味において、自分の能力を最も発揮する為には、自分自身をよりよく知るということが重要なのでしょう。
POINT!
打たれ強くあれ!
打たれるのは「強さ」の証拠。
February 14, 2005
聖書に次ぐ聖典、「タルムード」の成り立ち
ユダヤ教のはじまりは、紀元前一三〇〇年頃、モーセがユダヤ人六十万人を連れ、エジプトを脱出した時、定めた「十戒(トーラー)」にさかのぼります。「十戒」は、ユダヤ人がお互いに社会秩序を守って生活していく為の指針となるものです。
しかし、十ケ条しかない「十戒」では、日常の多くの問題を処理できないので、それを補足する為の掟やエピソードが追加されました。これらを集めたものを、モーセ五書「創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記」と言います。
そして、「十戒」に基づく無数の法規を「ハラハー」と言い、口伝で継承されてきた「ハラハー」をまとめたのが、「ミシュナ」となります。
さらに「ミシュナ」をめぐって、議論を収集したものが「ゲマラ」で、「ゲマラ」をさらに注釈したものが「トセフタ」であす。そして、「ミシュナ」、「ゲマラ」、「トセフタ」をまとめて編集したものが「タルムード」です。
「タルムード」は、四世紀にエルサレムである程度まとまっていました(エルサレム版タルムード)が、最終的に今の形になったのは、六世紀頃、バビロニアでした。通常、「タルムード」と言えば、このバビロニア版タルムードのことを言います。
全六十三巻、五〇〇〇ページを超え、現在も日々、新しい解釈が付け加えられているのだそうです。
イスラエル建国にあわせて復活した公用語のヘブライ語は、旧約聖書にも書かれている文字です。よって、イスラエル人はこれらの文書をほぼ原文のまま読むことができ、古代と現在がつい最近のことにように、非常に密接に関係している歴史感覚を持っていると言われます。次の項から、タルムードに書かれている言葉について、探っていきましょう。
February 13, 2005
「ユダヤ人」とはそもそも何者なのか?
例えば、アメリカで一般にユダヤ人と言われる人に、「ユダヤ人って、そもそも何でしょうか?」と訊いても、「うーん」と考え込み、「正直なところ、よく分からないが、多分……」と曖昧な返事が返ってくることがあります。「自分はユダヤ人の血筋であるが、ユダヤ教徒でもないし……」といった具合です。
一九五一年に制定されたイスラエルの帰還法によれば、ユダヤ人とは、ユダヤ人の母親から生まれた人、ユダヤ教徒の人とあります。しかし、ユダヤ人の母親と言っても、前述したように、ユダヤ人は世界中に散らばり、混血化しているので、ドイツ系、スペイン系、イエメン系、インド系……とあるので、何をもって、ユダヤ人とするのか、実は曖昧なところがあります。ドイツ人でしかもユダヤ人であるとも言える訳です。
厳密に言えば、我々、日本人だって、北方から来た人種と南方から来た人種の混血だそうですから、日本人という概念だって血筋的には実は曖昧なのです。また、宗教をとりましても、ユダヤ教はヘブライ語、聖書を学び、戒律を身につけ、宗教法に基づく手続きを経て、ラビ立会いによる試験、そして、男子は割礼を受けなければならない、といった約束事があります。簡単にユダヤ教徒になれる訳でもないので、自分はユダヤ人に生まれたが、戒律なんて知らないといった人がいる訳です。
すなわち、血筋といっても曖昧なものであるし、また人によっても信仰心の厚い人、薄い人と当然、いるので、実はユダヤ人とは何なのか当のユダヤ人さえもよく分からない、というのが実情でしょう。
しかしながら、聖書やタルムードに基づいたユダヤ的発想は、親から子へ、そして孫へと脈々と受け継がれています。
ちなみに、タルムードでは、人の一生を次のように定義しています。
「人は五歳で聖書を学ぶ年齢に達し、十歳でミシュナを学ぶ年齢に達し、十三歳で戒律を行い、十五歳でタルムードを学び、十八歳で結婚、二十歳で生活のために労し、三十歳で体力は絶頂に達し、四十歳でものが分かるようになり、五十歳で相談相手がつとまるようになり、六十歳で老境に達し、七十歳で白髪の老人になり、八十歳で特別の力を授かり、九十歳にして腰が曲がり、百歳ではもう死んだも同様で、この世には無用の長物となる」(ミシュナ・アヴォート五・二一)
このように、聖書、タルムードが世の中に出る前に学んでおくべきもの、として捉えられています。当然、その後の生き方や我々の現代社会に大きな影響を与えていることが分かります。
さて、ここで出てくるタルムードとはどんな文書なのでしょうか?
February 12, 2005
流浪の民「ユダヤ人」の苦難の歴史
以来、イスラエル建国に至るまで、「不幸はユダヤ人を見逃したりしない」と揶揄されるほどの苦難の歴史をユダヤ人たちは経てきました。
紀元前一七〇〇年から一三〇〇年はエジプトでは国家奴隷で、紀元前五八七年にバビロニアに滅ぼされ虜囚となり、同三三三年にギリシア帝国に支配され、紀元後七〇年にローマ帝国に神殿を破壊され……というように、ユダヤ人国家が成立していたのは、紀元前一三〇〇年からの七〇〇年間と、紀元前一六四年からの約一〇〇年の間だけで、それ以外は他国の支配下にありました。
東アジアからユーロッパにおける迫害も熾烈をきわめ、十一世紀の十字軍遠征では二万人が虐殺され、十四世紀にはスペインの異端審問で十万人が拷問で虐殺され、十九世紀にはロシアでポグラムと呼ばれる集団暴行運動が起き、二十世紀にはナチスドイツのホロコーストによって六百万人が殺されました。
定住民族から見るとユダヤ人は「流浪の民」であり、キリスト教徒から見るとイエスを殺した異教徒であり、共産主義者から見ると資本主義者であり、ナチスドイツのアーリア人思想から見ると劣等民族であり……と、歴史上、その時々の支配的勢力によって、運命を翻弄されてきました。
タルムードでは、「ある世代に義人がいる時、義人はその世代の罪のために罰せられる」(バビロニア・タルムード・シャバ三三b)と書いてあります。
すなわち、義人ほど苦行が多く、その時代の不合理な理由によって罰せられる、という教えです。
例えば、あなたが強い牛と弱い牛を飼っていたとして、畑を耕す時、どちらに荷車をひかせるだろうか? 強い方に決まっている。同じように、神様も強い人間に苦行を与えるのだ、ということです。
辛い時でもそれを「試練」と受け止めよ、という教えでしょうが、島国に暮らす我々日本人にとって、歴史上、異民族からの脅威にあまりさらされなかった、外国との戦争が数度しかなかった、ということがいかに幸運だったかがよく分かります。
ちなみに日本にほど近い朝鮮半島では、ロシア、中国、日本、という強国に囲まれ、外国との戦争が数千回を数えると言われますから、同じアジアでもその雲泥の差は比較のしようのないほどです。
何故、ユダヤ人は優秀なのか? 過去もしくは現在の成功者
政治社会学者のセイモア・マーチン・リプセットの調査(一九九二年)によると、アメリカの富豪四〇〇人のうち、四十%がユダヤ人、さらに上位一〇〇名では二十五%を占めるそうです。ちなみにアメリカのユダヤ人は六百万人、人口比率では、わずか二%程度です。
過去から現在まで、経済界で成功している人を見ても、錚々たる名前が並びます。あらゆる業界において、ユダヤ資本がいかに多くの影響を世界に与えているかが分かります。
世界的によく知られているところでは、
アンディー・グローブ(米インテル社、元社長)
アンドレ・シトロエン(フランスの自動車王)
ウィリアム・フォックス(映画王)
ジュリアス・ローゼンウォルド(世界一の通信販売会社の創業者)
ジョージ・ソロス(ハンガリーの投資家)
ジョセフ・ピュリッツアー(新聞王)
デービッド・サーノフ(米NBC元社長)
ベルナルド・バレーチ(米投資家)
ハーバート・レーマン(銀行家)
ポール・ジュリアス・ロイター(ロイター通信創業者)
マーカス・サミュエル(シェル石油創業者)
マイケル・デル(デル・コンピュータ創業者)
マイヤー・ロスチャイルド(金融財閥の創業者)
リーヴァイ・ストラウス(ジーンスのリーヴァイス創業者)
ロバート・ルービン(ゴールドマンサックス元会長)
……等、挙げていけば、枚挙にいとまがありません。
ただ、アメリカのすべてのユダヤ人が裕福であるかと言うと、さにあらずで、現在、アメリカのユダヤ人の八十万人は貧困階層に属しています。
しかしながら、人口比率からすれば、やはり傑出している人物が多いのも事実です。
では、何故、彼らが他人種に比してこれほどまでに優秀なのか、大富豪と呼ばれる人物が多いのか、まずは、その苦難の歴史から探っていくこととします。
はじめに
十五歳といえば自分の将来のことについて悩んだり不安に思ったりする、もっとも感受性の強い時期ではないでしょうか。その暗澹たる多感な年代に、タルムードはひと筋の光を照らします。すなわち生きる為の術を教える訳です。
そんなタルムードが完成したのは、古代バビロニア時代の西暦五〇〇年。通常、「タルムード」といえば、このバビロニア版「タルムード」のことを指します。(後で詳しく述べますが、他にエルサレム版「タルムード」もあります)
内容は、宗教的、法律的な実学から、逸話や物語、伝説まで含み、書式に統一性がありませんが、その量たるや五千数百ページとも言われ、今なお研究と議論が続けられ、新たな解釈が付け加えられ今日まで未完となっています。
古代ローマに滅ぼされ、イスラエル建国に至るまで、国家を持たなかったユダヤ人は世界各国に散らばりました。その後、混血化し、人種も肌の色も異なるユダヤ人たちを同胞として結びつけるのは宗教や哲学、すなわち、聖書であり、タルムードでありました。
「今なお、ユダヤ人とは何か?」という議論がされていますが、実際のところ、当のユダヤ人と言われる人でさえ、よく分からない。また、その信仰心の強さも人によって様々です。
しかし、我々、日本人が特に「日本人たれ!」と教えられた訳でもないのに、日本人らしいのと同様、ユダヤ人と付き合ってみるとやはりユダヤ人らしいことが、実感できます。
議論好きで、勉強家、そして逆境に強い──。ユダヤのDNAは長きにわたり、彼らの血肉の深いところに根ざしているのかもしれません。
ユダヤ系とされる人が今日、経済的な成功をおさめ(一説によると、アメリカ富裕世帯の上位四割を占める)、世界金融の中心地「ニューヨーク」が「ジューヨーク」と呼ばれ、ユダヤ人なしに成り立たないと言われるのは、アメリカおよび世界に与える影響力の大きさ所以でしょう。
このブログでは、その膨大なタルムードの中から主に「経済的」に関する記載を中心に、そのエッセンスをご紹介します。
古代に編纂されたものなのに、今日、我々を取り巻く契約社会、持続可能な循環型社会づくりに言及する記述があったり、また先端のコンプライアンス経営、ストックオプションやデリバティブ取引の源になる記述があったりと、その先見の明に驚かされます。
日本人は「世界一、勤勉な民」と言われますが、歴史の荒波にもまれ、幾多の試練と戦い、「世界一、効率的な民」となった彼ら。
我々、ビジネス社会に生きる者は、誰でもその発想と知恵に学ぶところは多いのではないでしょうか。
ちなみに、日本マクドナルド会長の故藤田田氏は、ユダヤ的発想に大きな影響を受けた人物として知られ、「ユダヤの商法」という本を書いているほどです。ソフトバンクの社長、孫正義社長は十六歳の時、その本を持って米国に渡ったそうですから、実は、我々の身の回りには、気づかないうちに、ユダヤ的な発想があふれているのかもしれません。
今やハンバーガーやインターネットは当たり前の光景ですが、当初は誰も手をつけたがらない未知の事業領域だった、というのも、いかにもユダヤ的です。
本ブログが、皆様方にとって何かの示唆になれば、幸いです。