コゲラゲラ の ブログ

2013年06月

 足の立場と言えば、なんか、足が人格を持っていると仮定してメルヘンちっくだと思われるかも知れませんが、時々、足が、可哀想に思うことがある。

 足の立場からすると、重い身体を支えて移動させているのだ。人の身体は重い、重いのに体重を平気に押し付ける、傾ける。窮屈な靴に閉じ込められる。  不自然な形にはめ込まれる。靴下は臭い匂いを発生させている。もし、自分が足だったら、絶対、反乱を起こすに違いない。

 しかし足は足であることの宿命や役割は充分理解している。だから、文句も言わず、人の思いに従ってやっているのだ。
 でも、足で感じる事があるし、足には視野もある。 足視点というか、一本歯という下駄を履かせてやるとそれがよくわかるのだ。時には、開放感のある下駄を履かせてやってほしいと思う。

 また、少し高さを持たせてやると、いつも地面に密着させられている足は、喜びと感動を感じるようだ。

 足は、いつも使役させられているけど、足が、使役する小道具、一本歯下駄というアイテムは、足にとっては
最高のパートナーである。

 最近は、特に大きな進歩も気づきもないのですが、一本歯は仕事から返って、30分は、履いて、例の丸棒の上をバランスを取って歩いています。 大分、ぐらつかずに歩けるのですが、やはり、気を抜くと、転ぶ事はないですが、丸棒から落ちたりします。

 このブログを初めたときは、これまでの経験をネタとして書いてきましたが、現在進行形になると、今の段階では、小さな進歩に、かなりの時間が必要だろうと思っていて、ネタが出にくいです。

 今は、卓球を毎週やっていて、一本歯下駄による、効果は大きいと思っています。というか、私の卓球の基本は、一本歯下駄で作っていると言っても、言い過ぎでも、こじつけでもないと、私は正直思っています。

 好きな、一本歯下駄と卓球を結びつけているだけと思われるやも知れませんが、卓球に限らず、スポーツ全般、一本歯下駄は体幹を鍛えたり、俊敏さを磨いたり、と大変有効だと思っています。

 かと言って、私が卓球がうまいわけではありませんが、一本歯下駄によって、伸び代が、沢山増えたな~と思っています。 その下部構造は、常に、一本歯下駄で鍛練しているので、毎週、少しずつですが、上達しているのを感じています。 
 
 一本歯下駄の魅力は、異形さに、目を奪われがちなのですが、かなり、私にとっては、精神に与える静けさなんですね。異形から、テンションだけがあがると思われますが、私にとっては、真逆です。 テンションが上がった、舞い上がった頭を平常心に戻してくれます。

 この平常心に戻す作用の説明をこれまで何度か、このブログで試みているのですが、表現するのが難しいです。 でも、自分にとってということが大事だろうから、敢えて、自分だけの秘密にしておいても良いと思ってもいます。 

 私にとって、はまっているとは言え卓球は、他の趣味や仕事、生活その他と同じ浮世の世界のものです。 浮世の終わりと共に終わるものと思っています。 

 一本歯下駄を浮世だけのアイテムとは思っていません。 精神世界にも通じるもので、浮世の終焉後も私はこれを頼りにしていると思っています。

 
  

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