コゲラゲラ の ブログ

2013年08月

 人生、生きていると、様々な人の感情に遭遇し、ぶつかり、囚われてしまう。
それも、善悪、正誤、単純に割り切れる事は少ない、人それぞれの立場によって、悪になり、邪魔者になる。

 自分だけの立場だけを考えていれば、そんなに悩む事もないのだろうけど、相手の立場を考えるあまり、
相手の内なる糾弾の声が、必要以上に自分自身を責め立てるのだ。

 この現象は、ある意味、これは病気の域なんだろうか?と思ったりする。 

 頭の中を無意味なキャッチボールが無限に往復し、摩擦が起こり神経を傷つける。

 多分、病気なんだろうと思う。

 恐らくだが、精神の病に陥る原因は、私自身が、極めて中途半端な人間であることが原因だと思う。

 仕事であるプログラミングも、そうだ。 集中するときは、めちゃくちゃ集中するのは良いのだが、

 その後に、集中して得たものの整理が全く出来ないのだ。

 結果的になんで、こんなロジックになったかわからない事がある。ロジックを考えているときは、

 根拠があって、導き出したものであるが、その後始末が、中途半端な為、結局保守が出来ないものに

 なってしまう。 

 恐らく、この法則は、プログラミングにとどまらないと思う。

 結果的に、神経に摩擦の多い生き方をしているのだと思う。

 この無意味な自傷行為ともいえる摩擦が起きる習慣を改善するのが、私にとって、一本歯下駄だと思う。

 もっともっと、精神を開放してあげようと思う。

 不必要な摩擦が消滅したとき、新たな人生のステップに繋がるのだと思う。
 

 

 一か月前程から、泊りがけの仕事で、世俗世界にすっぽりと埋まっています。

ホテルには、一本歯下駄を持ってきて、思い出したように履いてはいるけど、
意識がどうしても、世俗に向かっていました。

そして、今日は、久々の休みで自宅で、意識を一本歯下駄に下げてみました。

意識を下げるというのは、主観的な事で思い込みの範疇なんだろうけど、

ある意味、勇気のいる行為だと思います。

矛盾しているのだけど、普通は、様々な思い煩いに頭の中は占領されていて、

不愉快な気持ち、だるい気持ちを引きずりながらも、この世界を捨て去る事が出来ない

のだろうと思います。

だから、意識を下に下ろして、頭を真っ白にするのは、結果的には、大変、心地よいのだけど、

踏ん切りがつかないというか、自傷を続けてしまうというか、ともかく難しいのだと思います。

ホテルで何度か一本歯を履いても意識が変わらなかった事を思えば、

一本歯下駄を履いたからといって、自動的に意識を空白に出来るわけでなく、

やはり、しっかりと、一本歯下駄を履いた上でしっかりと負荷をかけて、バランスなどの崩す要因など

考え、足で感じる必要があるのだと思います。

足で感じる事を受け入れる必要があるのだと思います。

きつい仕事に追われていた日々の中で、

今日は、久々に、一本歯下駄に意識を強く向ける事によって、平常心?を取り戻せたように思います。

まだ、仕事は続きますが、その中で世俗に埋もれるのは仕方のない事だと思いますが、

時には、しっかりと意識を戻すようにしたいと思います。

 

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