息子共々風邪には気をつけていたつもりでしたが、節分からの気候の激変でやっぱりどうも調子悪いんです。

そんなわけで昨日は近所のスーパー銭湯で茹だるほど湯に漬かって帰って来たのですが、やっぱり今朝は息子と喉がやられて咳こんでいます。

息子にしんどいのかと尋ねたところ、
「ちんどい・・・・・・」
の一言に異常な感情の乗せかたを感じたので熱を測ったところ36度と平熱でした。

息子の演技力が日に日に向上していくのを感じ、末恐ろしいです。



話の温度が全く変わってしまって恐縮なのですが。
先週の日記を更新した後、少しディープになっていたように思います。

土曜の夜、24時間子供病院のドキュメントを見て、今朝のラジオにおける道場洋三さん同様、精神的に非常に動揺していました。


6歳の子供が末期がんで絶命してしまうのを、必死で食い止めようとする、ご両親の闘いを放映していたのですが、いったい何人の人が同じような思いで見ていたのだろうかと思う。

最後、全身に転移するがん細胞を完全に除去する事が出来ず、亡くなる前日の夜、久しぶりの家族団らんで過ごしていた時のこと。
家族みんなで布団に入ろうかという時、お父さんが、その子に、
「お父さんは、〇〇が大好きなんだよ」
と伝え、抱きしめる。

その時、
初めて自分の気持ちを
抑えきれないかのように両親に、
「一人にしないで」
と泣いて訴えるその子の心境は
如何ばかりのものだったのだろう。

自分の存在が無くなってしまう事が判って、寂しかったのだろうか。

同じように幼い子供を持つ親としての自覚からか、その様子から目が離せず、同時に幼い子供達が次々と血液の病気や、様々な現代環境の劣悪さに犯されているのを知って、前日にブログに記述していた事を振り返って、絶望的な気持ちになりました。

こんな幼い子供達が次々と命を落としている現実の中で、私達は前向きになんかなってはいけないんじゃないか、という考えすら頭をよぎる。
更には自分達だけ命を紡いで生き延びていく事が、申し訳なく思えてどうしても楽観的にはなれない。

これが人類の発展による環境の劣化によるものならば、こんな悲しい事ばかり引き起こす人類に、生き延びる価値はあるのかなと、どうしてもネガティブな方向にばかり思いが及んでしまっていました。

でも、
同じように自分の存在が消えていく寂しさを、
きっと人類が絶滅してしまう時に、
あの子も感じてしまうと思う。



私達が亡くならない事。

それから亡くなった人の気持ちを
ちゃんとこれからの生活に生かす事でしか
あの子を含め、存在を亡くしてしまった人を
慰めてあげる事は出来ないのでは無いかと思います。

世界が拡がっていくように。
亡くなった方たちが、幸せになりますように。