かわべり日記

今は航空関連の記事が多いですが、元々は単なる日記です。

神戸港は、かつて世界一だった。深くて浅かった神戸港。

神戸港は良港の条件を比較的多く備えており、かつ、埋め立て地大造成を行った関係で1973年から1978年までコンテナ取扱個数は世界一を誇り、その後も震災前まで世界有数の大規模港湾として栄えに栄えた。コンテナ取扱個数が世界一だった理由は、何だろうか?
 一つは摩耶埠頭やポートアイランドの落成時期に大きな投資がかのうだったからだろう。60年代に最新式の大型クレーンを大量に投入できたのだ。これは、当時の他のアジアも含め国内主要港よりいち早く対応できた強味であった。その一方、後発の香港や高雄、シンガポール、釜山が上回る設備を用意したので抜かれていったのもやむを得ない。
 また神戸港(と兵庫湊)のメリットとしては波が少ない入江で古くから陸上交通の往来も多く、明石海峡という瀬戸内海のチョークポイントのそばであったからだ。だからこそ明治期の開港場にもなり、非常に発展していったわけであるが、そして波や流れが少ない割に深さが確保できる。自然にパナマックスの深さがある。昔からの良港に有りがちな、鞆の浦のような浅さはない。もちろん長崎港の南側や舞鶴軍港や横須賀は狭いながらも神戸港より深いところもあるので一概には言えないが昔の良港は概して浅く、特に河口近くは堆積があるので浅くなりがちである。その点で言えば神戸は川が少ない為堆積は少ない。しかし海流が無いため、深くはない。
 深いか浅いか何言ってるのか解らなくなってくる前に整理する。神戸港の深さを説明すると、簡単に埋立し突堤をこしらえれば8mから10mぐらいの深さが得られる。そこを浚渫整備して12mのちょうどパナマックスサイズ以下のコンテナバースをポートアイランドに設置した。つまり、パナマックスが神戸港の最適な条件であり、それ以上は大きな浚渫工事、航路工事が必要になる。これは現在の基準で言えば浅い港として大きなマイナス点として指摘はされている。
 しかしポストパナマックスのコンテナ船は、こちらのブログコンテナ船の歴史にて書かれているように1988年に登場しており、だいぶ時代が過ぎてからである。それよりも
神戸港が世界一から徐々に埋もれていく中で、一番興味深いと感じるのはコンテナ船の荷役の高速化によって一航海が早くなったことが大きく取り扱われていること、また初期のコンテナ船は、その高速性を重視したため軽量船や軍艦に多いガスタービン船だったということだろうか? 今のような費用対効果の効率性より高速性を重視していたことは間違いないだろう。高速小型のガスタービンのコンテナ船が燃費重視のディーゼルに置き換わったのは二度のオイルショックと船舶不況によって置き換えられたのであり、その後大型化に進むことになった。
 速度自慢のコンテナ船が神戸港にとっては非常に相性が良かったと考えられる。阪神工業地帯の雑多な物流拠点として、高速性の物流手段が常に必要だった可能性は十分にあり、その為には神戸こそ航空貨物ハブとしての空港があってこそ。そうであったと筆者は考えるのだが。

戦後の歴代神戸市長を考える その1 

神戸市長選挙が公示された。 現職の久元市長が一歩か二歩リードしており恐らくそのまま押し切るだろう。(結果当選)
 神戸市長職は戦後初めての民選市長であった小寺氏を除けば全て前職が同じという不思議な伝統が守られている。前職は全員、助役または副市長なのである。戦後の五大都市でこんなことになったのは神戸だけ。閉鎖性があるというよく言われる京都市も二人続いて市教育長だが、そういったレベルじゃ無く神戸市長職は選挙が無く官撰が条例で決まってるんじゃないかと疑うレベルである。
 前回選挙に及んで、読売新聞の地域面で助役市長64年 神戸の系譜」という れ
特集が組まれたほどである。その中でも民選二代目の原口忠次郎氏と三代目の宮崎辰雄氏で両名は20年市長職にあった。また二氏とも著作や列伝も多く、それだけ注目を浴びる市長であったことは間違いないだろう。そして関西新空港神戸沖案にも二氏が大きく関わっている。
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