山口利昭先生のブログでも取り上げられ、業界内で話題になっておりました(?)、弁護士の松本伸也先生ご執筆による、経営判断原則に関する雑誌「金融・商事判例」の論稿(松本伸也「経営判断の司法審査方式に関する一考察」(上)(中)(下)(金融・商事判例1369、1370、1371号(2011年7月1日号、7月15日号、8月1日号))、ようやく読了いたしました。
松本先生が同論稿の中で指摘された、裁判所における経営判断原則のルールが行政裁量についての裁判所の判断基準と類似性を有するのではないか、との指摘は、「あ~確かに、なるほどそうかも!」という、新鮮なもので面白かったです。
ただ、失礼を顧みず敢えて言わせて頂ければ、その指摘の論証として、(実務家用の法律雑誌の論稿として)ここまでのページ数を割く必要ってあったのかなあ、と思ったりもしなくもありませんでした・・・。もちろん、学究的には面白い御指摘だと思うのですけれども・・・。
(以上、すみません。また、いらん事を書いてしまった・・・。)
また、松本先生が同論稿の(下)で記載された、「近時の最高裁判決の分析と評価」の項(経営者の経営判断に関して善管注意義務違反等の有無が問題となった近時の最高裁判決を分析・評価した内容になっています)については、(僭越ながら)示唆に富む部分が多く、実務上も参考になる内容でした。
本日の記事は、松本先生の上記の論稿の、特に「近時の最高裁判決の分析と評価」の項を拝読し、経営判断原則に関して改めて思ったことを、以下に書かせて頂くことにいたします。
* * *
1.
ご存じの方も多いと存じますが、「経営判断の原則」とは、経営者(取締役)の経営上の意思決定に関する会社法上の善管注意義務違反の有無の判断に関して、下級審裁判所で広く認められている判断準則になります。
そして、経営判断の原則の具体的内容は、下級審の判決によって文言に比較的ばらつきがあるのですが、(やや強引ですが)総じてまとめると、
「判断(意思決定)が行われた当時の状況下において
①当該判断の前提事実の認識に不注意な誤りがあったか否か
②当該判断の(推論)過程・内容が著しく不合理であったか否か」
という観点から検討する基準とされています。
上記②からわかりますとおり、裁判所は、取締役の個々の判断の「内容」についても検討対象とするものの、その判断の過程・内容が「多少」または「通常レベルの」不合理であった場合には問題とはせず、「著しい」不合理があった場合にのみ善管注意義務違反に該当しうるとしています。したがいまして、その点では、経営者(取締役)の判断を尊重し、裁量を比較的広く認めている訳ですね。
そして下級審では、上記①・②を明確に判断基準として定立し、その上で、個々の事案にあてはめて善管注意義務の有無について結論を下すことが主流になっています。
2.
しかしながら、下級審で広く判断基準として定着している経営判断原則ですが、最高裁では、未だに経営判断原則について真正面から判断基準を定立した上で事案を処理した事例は存在しません(もっとも、アパマン事件については議論のあるところですが。同事件の評価については後述します)。
そもそも、「経営判断の原則」という用語を使用した判例も、最高裁ではまだ一件しかなく(北海道拓殖銀行特別背任事件:最高裁平成22年11月9日決定)、しかもその一件も、一般論として経営判断の原則が適用される余地がある、と判示しただけで、その審査基準を明記した訳ではありませんでした。また、善管注意義務違反に関する近時の最高裁判例は他にもいくつかありますが(北海道拓殖銀行栄木不動産事件・最高裁平成20年1月28日判決、北海道拓殖銀行カブトデコム事件・最高裁平成20年1月28日判決、四国銀行株主代表訴訟事件・最高裁平成21年11月27日判決)、それらの判決では、経営判断の原則については全く言及がなされておりません。
3.
さて、上述したアパマン事件については、経営判断の原則を実質的に示したという評価をされる方もいらっしゃいます。そこで、以下、アパマン事件について少し詳しめに紹介いたします。
アパマン事件=アパマンショップHD株主代表訴訟事件の最高裁判決(最高裁平成22年7月15日判決)では、取締役の善管注意義務違反の判断について、以下のような判示をしています。
「前記事実関係によれば、本件取引は、ASMをASLに合併して不動産賃貸管理等の事業を担わせるという参加人のグループの事業再編計画の一環として、ASMを参加人の完全子会社とする目的で行われたものであるところ、このような事業再編計画の策定は、完全子会社とすることのメリットの評価を含め、将来予測にわたる経営上の専門的判断にゆだねられていると解される。そして、この場合における株式取得の方法や価格についても、取締役において、株式の評価額のほか、取得の必要性、参加人の財務上の負担、株式の取得を円滑に進める必要性の程度等も総合考慮して決定することができ、その決定の過程、内容に著しく不合理な点がない限り、取締役としての善管注意義務に違反するものではないと解すべきである。」(下線は川井による)
(事案の内容がわからないと上記の判示を読んでも意味不明かもしれません。申し訳ありませんが、時間の関係で事案の説明は割愛させて頂きます)
上記の判示の後、判決の文章は具体的なあてはめに入り、結論として、取締役の善管注意義務違反はなかったと判断しました。
上記の「 」内(青字部分)の判示が、本件での善管注意義務違反の有無についての判断基準を定立したのではないかと推察されるところなのですが、
(a)裁判例が判断基準を定立する際の言い回しとはかなり異なる文章の流し方をしているように思える。すなわち、きっちりとした判断基準を定立した言い回しになっていないし、事実関係と判断基準の部分がやや混在しているような文章になっている。
(b)下級審における「経営判断の原則」にいう基準①・②のうち、②を定立しているようであることは認められるが、①に対応する文言は認められない。
(c)この判示部分のみならず、判決全体で「経営判断の原則」という文言は全く使われていない。
以上から考えると、(ここは論者によって評価は分かれるところですが)、アパマン事件をいわゆる「経営判断の原則」を適用した最高裁判決と評価することには、個人的には非常に躊躇しているところです。
まあ、本判決は、「実質的に」経営判断の原則的な考えをベースに善管注意義務違反の有無を検討したのであろう、ということまでは私も同意できるのですが・・・。
4.
少なくともはっきり言えるのではないかと思われるのは、最高裁は「経営判断の原則」を明確に宣言して適用することには、かなりの程度「引き気味」な(消極的な)態度が覗えることです。
下級審の多くの裁判例で経営判断の原則に関する判断基準の①・②が明確に使用されて(アパマン事件でも第一審・第二審ともに①・②の判断基準で事案の判断がなされています)いることは、最高裁も当然十二分に認識しているはずです。それにもかかわらず、最高裁は経営判断の原則を明確に宣言したり(拓銀特別背任事件を除き)、当該原則についての判断基準を明確に定立したりすることをしていないのですから、このことからすると、最高裁は敢えて意図的にそうした行為を行うことを避けている、としか私には思えないのですね・・・。
やろうと思えば、少なくとも「平常時」の経営判断であるアパマン事件においては、最高裁はバーンと経営判断の原則について判断基準をきちんと展開することもできたはずなのですから・・・。
5.
としますと、次に疑問として生じてくるのは、「何故最高裁は経営判断原則の明言や判断基準の明確な定立に引き気味なのか」という点なのですが、ここが私にはよくわからないのです。
最高裁は、経営判断の原則はその基準を明確に定立するには、まだ十分熟した理論ではないと考えているのか、それとも、経営判断の原則という基準を立てず、「善管注意義務違反か否か」の判断を柔軟に行える余地を残しておいた方が望ましいと考えているのか・・・。ちょっとこの点の考察は私の手に負えないレベルの難問ですね。というより、誰が考察したとしても、推測に留まることになってしまうとは思いますが。
この点を考察した論稿って、実は余り見かけないような気がしております。
果たして将来、下級審が定立したような明確な「経営判断の原則」の基準を最高裁が判示する時が来るのか、善管注意義務違反に関する最高裁判例の動きを今後も注視する必要があるのではないかと思います。
* * *
なお、経営判断原則に関する近時の判例についての文献として、以下が参考になります。
・清水真=阿南剛(潮見坂法律事務所の先生方です)「取締役の責任に関する上級審判例と経営判断の原則(1)~(5)」(旬刊商事法務1895、1896、1897、1899、1901号)
・落合誠一「アパマンショップ株主代表訴訟最高裁判決の意義」(旬刊商事法務1913号4頁)
・大塚和成=髙谷裕介=伊藤菜々子「解説 アパマン株主代表訴訟事件、ライブドア株主機関投資家訴訟事件」(のうちのアパマン事件の部分。大塚和成=髙谷裕介執筆)(ビジネス法務2010年11月号14頁)
松本先生が同論稿の中で指摘された、裁判所における経営判断原則のルールが行政裁量についての裁判所の判断基準と類似性を有するのではないか、との指摘は、「あ~確かに、なるほどそうかも!」という、新鮮なもので面白かったです。
ただ、失礼を顧みず敢えて言わせて頂ければ、その指摘の論証として、(実務家用の法律雑誌の論稿として)ここまでのページ数を割く必要ってあったのかなあ、と思ったりもしなくもありませんでした・・・。もちろん、学究的には面白い御指摘だと思うのですけれども・・・。
(以上、すみません。また、いらん事を書いてしまった・・・。)
また、松本先生が同論稿の(下)で記載された、「近時の最高裁判決の分析と評価」の項(経営者の経営判断に関して善管注意義務違反等の有無が問題となった近時の最高裁判決を分析・評価した内容になっています)については、(僭越ながら)示唆に富む部分が多く、実務上も参考になる内容でした。
本日の記事は、松本先生の上記の論稿の、特に「近時の最高裁判決の分析と評価」の項を拝読し、経営判断原則に関して改めて思ったことを、以下に書かせて頂くことにいたします。
* * *
1.
ご存じの方も多いと存じますが、「経営判断の原則」とは、経営者(取締役)の経営上の意思決定に関する会社法上の善管注意義務違反の有無の判断に関して、下級審裁判所で広く認められている判断準則になります。
そして、経営判断の原則の具体的内容は、下級審の判決によって文言に比較的ばらつきがあるのですが、(やや強引ですが)総じてまとめると、
「判断(意思決定)が行われた当時の状況下において
①当該判断の前提事実の認識に不注意な誤りがあったか否か
②当該判断の(推論)過程・内容が著しく不合理であったか否か」
という観点から検討する基準とされています。
上記②からわかりますとおり、裁判所は、取締役の個々の判断の「内容」についても検討対象とするものの、その判断の過程・内容が「多少」または「通常レベルの」不合理であった場合には問題とはせず、「著しい」不合理があった場合にのみ善管注意義務違反に該当しうるとしています。したがいまして、その点では、経営者(取締役)の判断を尊重し、裁量を比較的広く認めている訳ですね。
そして下級審では、上記①・②を明確に判断基準として定立し、その上で、個々の事案にあてはめて善管注意義務の有無について結論を下すことが主流になっています。
2.
しかしながら、下級審で広く判断基準として定着している経営判断原則ですが、最高裁では、未だに経営判断原則について真正面から判断基準を定立した上で事案を処理した事例は存在しません(もっとも、アパマン事件については議論のあるところですが。同事件の評価については後述します)。
そもそも、「経営判断の原則」という用語を使用した判例も、最高裁ではまだ一件しかなく(北海道拓殖銀行特別背任事件:最高裁平成22年11月9日決定)、しかもその一件も、一般論として経営判断の原則が適用される余地がある、と判示しただけで、その審査基準を明記した訳ではありませんでした。また、善管注意義務違反に関する近時の最高裁判例は他にもいくつかありますが(北海道拓殖銀行栄木不動産事件・最高裁平成20年1月28日判決、北海道拓殖銀行カブトデコム事件・最高裁平成20年1月28日判決、四国銀行株主代表訴訟事件・最高裁平成21年11月27日判決)、それらの判決では、経営判断の原則については全く言及がなされておりません。
3.
さて、上述したアパマン事件については、経営判断の原則を実質的に示したという評価をされる方もいらっしゃいます。そこで、以下、アパマン事件について少し詳しめに紹介いたします。
アパマン事件=アパマンショップHD株主代表訴訟事件の最高裁判決(最高裁平成22年7月15日判決)では、取締役の善管注意義務違反の判断について、以下のような判示をしています。
「前記事実関係によれば、本件取引は、ASMをASLに合併して不動産賃貸管理等の事業を担わせるという参加人のグループの事業再編計画の一環として、ASMを参加人の完全子会社とする目的で行われたものであるところ、このような事業再編計画の策定は、完全子会社とすることのメリットの評価を含め、将来予測にわたる経営上の専門的判断にゆだねられていると解される。そして、この場合における株式取得の方法や価格についても、取締役において、株式の評価額のほか、取得の必要性、参加人の財務上の負担、株式の取得を円滑に進める必要性の程度等も総合考慮して決定することができ、その決定の過程、内容に著しく不合理な点がない限り、取締役としての善管注意義務に違反するものではないと解すべきである。」(下線は川井による)
(事案の内容がわからないと上記の判示を読んでも意味不明かもしれません。申し訳ありませんが、時間の関係で事案の説明は割愛させて頂きます)
上記の判示の後、判決の文章は具体的なあてはめに入り、結論として、取締役の善管注意義務違反はなかったと判断しました。
上記の「 」内(青字部分)の判示が、本件での善管注意義務違反の有無についての判断基準を定立したのではないかと推察されるところなのですが、
(a)裁判例が判断基準を定立する際の言い回しとはかなり異なる文章の流し方をしているように思える。すなわち、きっちりとした判断基準を定立した言い回しになっていないし、事実関係と判断基準の部分がやや混在しているような文章になっている。
(b)下級審における「経営判断の原則」にいう基準①・②のうち、②を定立しているようであることは認められるが、①に対応する文言は認められない。
(c)この判示部分のみならず、判決全体で「経営判断の原則」という文言は全く使われていない。
以上から考えると、(ここは論者によって評価は分かれるところですが)、アパマン事件をいわゆる「経営判断の原則」を適用した最高裁判決と評価することには、個人的には非常に躊躇しているところです。
まあ、本判決は、「実質的に」経営判断の原則的な考えをベースに善管注意義務違反の有無を検討したのであろう、ということまでは私も同意できるのですが・・・。
4.
少なくともはっきり言えるのではないかと思われるのは、最高裁は「経営判断の原則」を明確に宣言して適用することには、かなりの程度「引き気味」な(消極的な)態度が覗えることです。
下級審の多くの裁判例で経営判断の原則に関する判断基準の①・②が明確に使用されて(アパマン事件でも第一審・第二審ともに①・②の判断基準で事案の判断がなされています)いることは、最高裁も当然十二分に認識しているはずです。それにもかかわらず、最高裁は経営判断の原則を明確に宣言したり(拓銀特別背任事件を除き)、当該原則についての判断基準を明確に定立したりすることをしていないのですから、このことからすると、最高裁は敢えて意図的にそうした行為を行うことを避けている、としか私には思えないのですね・・・。
やろうと思えば、少なくとも「平常時」の経営判断であるアパマン事件においては、最高裁はバーンと経営判断の原則について判断基準をきちんと展開することもできたはずなのですから・・・。
5.
としますと、次に疑問として生じてくるのは、「何故最高裁は経営判断原則の明言や判断基準の明確な定立に引き気味なのか」という点なのですが、ここが私にはよくわからないのです。
最高裁は、経営判断の原則はその基準を明確に定立するには、まだ十分熟した理論ではないと考えているのか、それとも、経営判断の原則という基準を立てず、「善管注意義務違反か否か」の判断を柔軟に行える余地を残しておいた方が望ましいと考えているのか・・・。ちょっとこの点の考察は私の手に負えないレベルの難問ですね。というより、誰が考察したとしても、推測に留まることになってしまうとは思いますが。
この点を考察した論稿って、実は余り見かけないような気がしております。
果たして将来、下級審が定立したような明確な「経営判断の原則」の基準を最高裁が判示する時が来るのか、善管注意義務違反に関する最高裁判例の動きを今後も注視する必要があるのではないかと思います。
* * *
なお、経営判断原則に関する近時の判例についての文献として、以下が参考になります。
・清水真=阿南剛(潮見坂法律事務所の先生方です)「取締役の責任に関する上級審判例と経営判断の原則(1)~(5)」(旬刊商事法務1895、1896、1897、1899、1901号)
・落合誠一「アパマンショップ株主代表訴訟最高裁判決の意義」(旬刊商事法務1913号4頁)
・大塚和成=髙谷裕介=伊藤菜々子「解説 アパマン株主代表訴訟事件、ライブドア株主機関投資家訴訟事件」(のうちのアパマン事件の部分。大塚和成=髙谷裕介執筆)(ビジネス法務2010年11月号14頁)
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