不登校やアスペルガー症候群や受験国語や将棋や相撲などのブログ

・不登校の問題を考えます。 ・アスペルガー症候群の問題を考えます。 ・古文や漢文のコツをメモしていきます。 ・将棋や相撲のネタを書き込んでいます。 ・河合奈保子さんの想い出を書き連ねています。

立呼び出し ( だった? )
拓郎さんが
相撲界に入門したのは
昭和50年の3月場所
だそうですが
この頃大相撲界は
どんな感じだったのか
と言うと、
横綱が輪島と北の湖
 
それで三保ヶ関部屋に
入ったのかな?
この当時、例えば
二所ノ関部屋には
呼び出しが4人もいましたが
同じ時期三保ヶ関は
在籍ゼロ。
それもあるかもしれません。
 
大関が貴ノ花、
それから魁傑に、
若三杉や麒麟児などの
花のサンパチ組が
上位を席捲
自分と同世代の若者が
活躍する相撲界に、
拓郎少年も憧れた
のかもしれません。
 
ちなみに、力士で
昭和50年の3月場所の
入門と言うと、
若島津、太寿山、
霧島、鶴嶺山、
花ノ国、
花車 ( 高橋山 ) 、
関の花など
 
この中で、高卒で入門
したのは若島津ですが、
拓郎さんの方が1学年
上のようですから、
拓郎さんは「高卒一浪」
のタイミングで、
相撲界に入ったようです。
 
それから、ここで
キーマンになりそうなのが、
千代の富士。
 
千代の富士はこの頃まだ
十両下位ですが、
拓郎さんと同じ学年ですね!
 
当時浪人中の ( 多分 )
拓郎少年は、
同学年の千代の富士が、
まだ細いけれど、
カッコいいルックスで
大きな相撲を取る姿に憧れ、
相撲界に注目
したのかもしれません。
 
あれっ、拓郎さんは、
千代の富士と同じ
北海道出身
じゃないですか!
まあ、それはもちろん
北の湖もですが。
北海道の少年が、
相撲界を目指す
下地がありました。
 
それから、
この年、高校生が
大人の全国大会に
出場し、ラグビー
ワールドカップの
日本みたいに
決勝トーナメントに
残る、なんていう
出来事がありました。
 
当時高知高校の
藤沢、
のちの琴藤沢です。
 
高校生では、
やや年下ですが
中京高校の
後藤も
注目の選手でした。
 
のちの栃司です。
 
呼び出し拓郎は
のちに栃司と
同門になりました。
 
その入間川親方に
今回通報されて
しまいました。
これは残念。
.
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以前、国技館に
観に行った時の事、
途中で
館内を一周していたら、
一定の距離ごとに、
ちょっと凹んだ?
スペースがありますよね。
それごとに、何かの売店とかに
活用されているのですが、
 
すると、呼び出しさんが
4人5人と居る
スペースを発見。
テレビで顔を知っている人
ばかりで、
拓郎さんなど、
名前も知っている人ばかり。
それで、立ち止まり、
ずうずうしく話し掛けました。
 
( そこで色紙を売っていて、
そこで買ったのか、
他で買った色紙をその時点で
私が手に持っていたのか、
どっちだったか、
ちょっと忘れました )
 
 
しばらくお話ししていただきました。
すると、拓郎さんか、他の呼び出しさん
だったか、「ん?」と
何かに気がつきました。
私が、その場に居る全呼び出しさん
の名前を全員知っていて、
私が「〇〇さん」と
個人名で呼びながら
話していることに、
その呼び出しさんが、
気がついたのです。
 
「相撲に詳しいんですか?」と
訊いていただきました。
色紙のサインについては、
本場所中はしないのかと思ったら、
取組が終わって帰る途中の関取は、
してくれる人もいる、と聞きました。
こっそり、特に、してくれるのは
〇〇関とか〇〇〇関、という、
秘密の情報?も。
私が子供の時、巡業で、
みんなしてくれず、
してくれたのは若島津と青葉城だけ
でしたが。
 
拓郎さんも、
笑顔で優しく
応対していただきました。
.

2019年7月場所で
鳴戸部屋の3人が
序ノ口で優勝決定戦、
近大出身の元林が優勝
彼は次の9月場所で
序二段でも優勝。
もともと、高校時代は
貴景勝と同じくらいの
実力だったそうで、
次の三段目でも
幕下でも
優勝するでしょう。
 
元林は近畿大学出身
なので
関取になったら
四股名は近欧山かな?
 
えっ、本人は欧州出身
じゃないだろ?
いえいえ、鳴戸部屋では
日本人にも欧の字を
付けています。
 
 
さて、近畿大学では
朝乃山関も大活躍だし
力士の報道も
多いですが、
その中で
「近畿大学出身の力士
一覧」もあります。
朝潮、旭富士などで
名簿が始まりますが、
 
第一号力士は
長岡大ちゃんの
朝潮ではなく、
別な人。
 
なんと、
時津風部屋の佐々木
という人ですが、
知っていますか?
 
彼は、昭和47年の
第50回全国学生相撲
選手権で
準優勝した佐々木栄選手で
三位の舛田 茂選手
(拓殖大、舛田山)
と、この時のベスト4では
二人が
大相撲に入門しました。
 
 
ところが、舛田山が
最高位関脇まで上がり、
協会で同じ部署の後輩だった
隆三杉と年寄名跡を交換し、
常盤山親方として
定年後も協会に再雇用され
千賀ノ浦部屋に
今も現存?しているのに
比べ、
 
あれっ、佐々木選手は
その後どうしたんでしょう?
 
 
実は佐々木は
入門して
2年足らずで、
関取にもならぬまま、
幕下で廃業
していってしまいました。
 
当時は、糖尿病のため
などと言われましたが、
学生準優勝から
2年しか経っていないのに、
変じゃない?
 
当時、同じく
学生から時津風部屋に
入っていた長浜の豊山も
同じで、それで不調だ
などと言われていましたが、
 
長浜は苦学生で
糖尿病になる原因なんて
何もありませんし、
彼はその後は普通に活躍し
定年退職しています。
 
当時の長浜の不振や
佐々木の廃業も、
何か別な理由では?
 
ちなみに長浜は、引退後の
年寄名跡の確約を条件に
時津風を選んだのですが、
 
同じケースで豊国は、引退時に
年寄株を確約されていたはずなのに
無しにされ、廃業しています。
 
こういう確約は
本当は当てにならん。
.
 
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「日本大学は本日、
創立130周年を迎えました」
という全面広告が、
4日 ( 10月4日金曜日 ) に
掲載されました。
 
その最初に載っているのが
理事長の田中英壽氏。
彼は、かつて日大の相撲部
で活躍し、
学生横綱、アマチュア横綱として
最強と言われたという経歴の持ち主。
 
その相撲選手が、
体育学部のトップならともかく、
総合大学自体のトップに
上り詰めたのですから、
大変な出世です。
アメフト事件ぐらいで
慌てるはずがないですね。
 
 
 
有名アマ選手が、オールスター的に
一堂に集まったことで、
大変な注目だったのが
1974年、
昭和49年12月8日の
第23回全日本選手権。
 
参加選手は
史上最強のアマ選手、
日大職員の田中、
前年度優勝者の
石川孝志 ( 日大、のち大ノ海 ) 、
学生横綱の尾形
( 駒大、のちの天ノ山 )

あれ、大ノ海と天ノ山は
字が対になっていますね

それにこの年の高校ビッグ2、
高知高校の藤沢 ( 琴藤沢 ) 、
鹿屋農業の花田 ( 琴花田 )
も出場枠に入りました。
 
 
星稜高校の奥川投手と
大船渡高校の佐々木投手が
大人の大会に
特別に参加するような感じ?
 
その2人の高校生、
藤沢くんと花田くんは、
なんと決勝トーナメントに
進出します。
 
そこで、
尾形と藤沢が直接対決、
尾形が上手投げ。
 
準決勝では
田中が尾形を突き出し。
今、こんなシチュエーションは
無いですね。
 
そしてこの大会、
田中英壽選手が
三度目の全国優勝。
こんなに強いのに、
なぜプロ入りしなかったか、ですが、
田中選手は身長が175センチ。
例えば輪島は184センチ、
豊山 ( 長浜 ) は187センチ、
舛田山188センチ
出羽の花186センチ
尾形の天ノ山190センチで、
この時代は今と違い、
身長が高くないアマは、
プロに入るという発想では
なかったようです。
 
さて、学生横綱の尾形ですが、
この時会場に、
引退して間もない北の富士、
当時井筒親方が熱心に通い、
尾形を狙っていました。
日大や東農大と違って
特定の相撲部屋と
つながっていない駒沢大なので、
スカウト合戦も熾烈でしたが、
結局、時津風部屋になりました。
 
 
もしも、という仮りの話ですが、
尾形がもし北の富士の部屋に
入っていれば、
のちの九重部屋で、
千代の富士と保志のあいだの入門
だったことになるのですが、
そうすると、尾形は稽古で鍛えられ、
弱点の下半身の硬さも克服して、
もっと大力士になっていたかも。
尾形が入門した時の時津風部屋は、
関取も、もうベテランの人が多く、
尾形を引っ張り出して
鬼のように鍛える、というタイプの人も
部屋にいませんでした。
 
その場合の四股名の候補
千代尾形
千代の駒
千代大駒
尾形富士

北尾形?
 
 
それから、高校ビッグ2ですが、
同じ部屋に入り、
結局、二人とも幕内力士にも
なれないまま。
 
アマ横綱の石川は、
結局、どうして短期間で
力士を辞めたのか、
よくわからないままで、
そのあと、
輪島と一緒にプロレスを始め、
一緒に辞めました。
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4、「たった一回のケガで
やる気をなくし
廃業しちゃった小沼」事件
 
 
この年の5月、と言えば
千賀ノ浦の隆三杉、
当時金尾くんが
序ノ口デビューした
場所ですが、
 
3日目、その青葉城と、
1月場所十両優勝、
飛ぶ鳥を落とす勢いの
新鋭小沼の取組で
小沼が左足を骨折
してしまい、
あとを休場しました。
 
この時小沼はまだ20歳、
この時代は公傷制度があり
次の7月場所全休しても
番付も下がらず、
また復活すればいい
話ですが、
 
ところがその次の
9月場所も全休すると、
なんとびっくり、
11月場所の番付では、
幕下まで下げられて
しまいました!
 
この際、
西幕下5枚目の
三杉磯が5勝2敗
東幕下8枚目の
忍の山 ( おしのやま ・
理事長の部屋 ) が
6勝1敗
 
この二人は
翌場所十両に
無理に上げる星
でもないですが、
二人が上がり、
小沼が落とされました。
 
小沼は、
ここではグッと我慢し
11月場所では
東幕下2枚目から
再出発!
 
と思ったら
3勝3敗から
再十両を賭けた
七番相撲に敗退!
 
ここで、もう気持ちが
キレたのではないでしょうか。
有望力士小沼は、
そのあと廃業して
しまいました。
 
なんだか、
今の貴ノ富士のよう。
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3、「宮城野後継者
のはずの陸奥嵐が
離婚したら
部屋を追い出され、
結局廃業」事件
 
 
この年の1月に
とんでもない事件が
起きました。
陸奥嵐と白田山が
暴力団と交流した
ということで、協会から
処分を受けて
しまったのです。
 
千賀ノ浦の隆三杉、
金尾くんの新弟子検査合格の
前々日です。縁起でもない
 
なお、この時、吉葉山の
師匠宮城野も
一緒に戒告されましたが
このことは後に
伏線になります。
 
 
さて、すっかりやる気を失った
陸奥嵐は
引退を決意しますが、
 
ところが、引退相撲が
終わると
義父 ( 吉葉山 ) から
部屋から出ていけ、と
言われ、結局離婚させられ
その後、独立して始めた
安治川親方も
廃業してしまいます。
 
ちなみに、この時
宮城野と陸奥嵐の
あいだで仲介したのが、
 
前のブログの
「青葉城の予約株を
強引に獲っちゃった」事件の
当事者、S組長です。
 
S氏は、
こんなところにも
登場するんですね。
 
なお、青葉城も
次の4にも登場します。
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2、
「大麒麟の独立強行
に巻き込まれて
天龍が廃業」事件
 
 
先代二所ノ関から
後継を頼まれていた
と主張する大麒麟は、
金剛が娘婿に決まると
激怒、自分を慕う
弟子を連れて籠城し、
抗議しましたが、
 
その中の一人、天龍は
結局大麒麟の独立に
付くことを認められず、
「お前は二所ノ関に残留」
と勝手に
決められてしまいます。
 
 
9月場所前に
金剛が引退すると
それが、よほどイヤなのか、
 
天龍はその9月場所
8勝7敗と勝ち越した
にも拘わらず
廃業届を出して
しまいました。
 
なので、結局
金剛と天龍が
同じ場所で
同じタイミングで
辞めたことに
なっています。
 
天龍は、
押尾川部屋に
行けなかった
というよりも、
金剛がよほどイヤ
だった、と
推測されます。
.
信長の野望 Online

昔は、力士を辞めて
親方になるのを引退、
それ以外を廃業
と分けていました。
今は両方「=引退」と
していますが、
今回の話は「廃業」
なことがポイントなので、
すべて廃業とします。
 
さて、貴ノ富士は
結局廃業になりましたが
こういう時には、
もう何も言わず
辞めていく方がよい。
相手を悪く言ったまま辞めると
将来困りますので、
もう止めた方がいいでしょう。
 
ところで千賀ノ浦の
隆三杉が入門した年は、
大相撲界で
廃業トラブルが多数。
千賀ノ浦は当時のことを
思い出したことでしょう。
 
1、「朝日山事件で
トンガ力士が廃業、
なぜか巻き込まれた
琉王まで廃業」事件
 
この年の1月若二瀬が引退、
18代朝日山になり、
先代17代の未亡人から
部屋の建物※も
とりあえず五年間借りたはずが
半年もしないうちに、未亡人は
やっぱり出ていけ
と言い出しました。
口も達者な若二瀬を追い出し、
おとなしい琉王を、
代わりに朝日山にしよう
というのです。
 
そんな無茶な。
 
仕方なく、葛西の
建設会社の社員寮を
急拠借り、そこへ移ると、
トンガ力士たちが、
そっちに行かないと言い出す。
栃錦の春日野理事長が
未亡人を説得しましたが、
失敗。
理事長が仲介・斡旋しても
ノーなんですから、
どうしようもない。
トンガ達は廃業し、
未亡人が連れて
帰国してしまいました。
 
こうなると、
もう居づらいのが琉王で、
相撲も投げやりになり、
不成績で幕下に落ち
廃業してしまいました。
 

と、話はここで終わらない。
(ケガで治療中の福ノ島以外は)
みな帰国したはずですが、
実は南ノ島は
すぐ折り返し戻ってきて
部屋※に帰り、
日本で生活していました。
しかし、公式記録では、
そんなことはなかった
ことになっています。
 
2に続く。
.
LECオンライン(東京リーガルマインド)

貴ノ富士問題で
千賀ノ浦親方、
隆三杉の心労も
大変な事でしょう。
 
隆三杉が二子山部屋に
入門した時貴ノ花が
部屋の大関。
それもあって
貴ノ花の息子の
貴乃花の弟子を
引き受けてきたのでしょうが
厳しいことです。
 
隆三杉の金尾少年が
入門した昭和51年の
3月場所は、この当時の
最多入門者記録の場所。
なので次の5月場所は
序ノ口が43枚目まで
ありました。
 
 
金尾の他の同期生には
尾形 ( 学生横綱、天ノ山 )
千葉 ( 北天佑 )
飯橋 ( 若高鉄、維新力 )
矢木 ( 富士光、富士乃真 )
=入門時、井筒
今関 ( 峰の富士 )
=入門時、九重
市来 ( 伊予桜 )
定久 ( 大鷹 )
野村 ( 和歌の里 )
池田 ( 桧山 )
渡嘉敷 ( 琴椿 )
宮田 ( 琴剣、マンガ家 )
 
など、多彩な人材がいました。
 
 
なお、出羽海部屋の
鈴木 ( 駒勇 ) と加賀美
という力士たちも
同じ同期ですが、
私は、私事ですが、
ある巡業地で
このお二人と楽しく会話
したことがあります。
お客さんたちに
優しく声を掛けていました。
こんな良いお相撲さんが
関取になれずに
去っていったのは
大変残念です。
お元気でしょうか。
 
それから、その場で
部屋の半年先輩の
志州山に少年が
サインをねだっていましたが
幕下以下はサインが
できません。
あとで少年を手招きし、
できないんだよと
当時、教えてあげました。
志州山も、幕下筆頭まで
いきながら、十両に
上がれませんでした。
厳しいですね。
 
そして、これは蛇足ですが、
彼らの一番出世披露と
同じ日に
横綱審議委員の交代も
発表されたのですが、
 
横綱の輪島が日大なのに
日大の総長に
委嘱する、ってどうなの?
ちなみに、輪島は
この場所優勝
.
NURO光

稀勢の里と並んで、
荒磯親方のイメージが
強いのが、以前、
長く荒磯を務めた
先代若三杉、
またある時は大豪。
この人は、
この両方の四股名が
同じくらいの知名度、
という珍しい人
 
若三杉だけじゃなく、
大豪という四股名の方も
後輩の「弓取りの板倉」
が改名しましたが、
 
二代目の若三杉と、
二代目の大豪は、
年が一歳しか違わないので
同じ時期の幕内の番付に
若三杉と大豪が両方居る
という珍現象が起こりました。
貴乃花と貴花田が
同時期に居るようなものだ。
先代 ( 同一人物 ) を
知っている人は、
変な感じだったでしょう。
 
 
二代目若三杉は、
その前は朝ノ花
という四股名でした。
朝のように爽やかな
イケメンの美少年
だったからかな?
 
ある時急に改名したのですが
若乃花の二子山親方が
勝手に届けを出しました。
 
先代若三杉に許可も取らず、
朝ノ花にも内緒。
二人両方に断りもなく
届けを出すあたり、さすが二子山?
 
萩原本人と話し合って
少しずつ決めた、
隆の里の先代鳴戸親方
とはえらい違いです。
 
ところが、実は伏線がありました。
朝ノ花がまだ幕下力士の頃、
足腰が強いので、
自分から攻めず、
受けの相撲ばかり取っていました。
 
この消極的な?取り口が、
一門の先輩若三杉に似ていたので
相撲記者たちから、
「 若三杉とそっくり 」 と
噂されていたのです。
 
ちなみに、これは悪い意味なので
悪口ですが。
 
それが、その後朝ノ花は、
人気力士若三杉
に替わったのですから、
偶然にもほどがある?
 
それとも、そもそも二子山は、
二人が似ているから
同じ名前にしたのかな?
 
なお、二代目若三杉の
下の名前は、幹士に。
 
二子山が、自分が横綱時代の
下の名前を付けたのです。
もちろん、こっちも勝手に。
 
若三杉のその後を
今考えてみると、
なんだか悪い予感がする
出来事でした。
.
dTV チャンネル

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