____________________________________

Aさんの介護状況のあらまし

Aさん(50代・女性) 

・広告代理店勤務。勤続30年。職場では、管理職を務める。

・お母様が要介護5、お父様が要介護4の、両親お二人の介護を実施中。

・現在、お母様は有料老人ホームに入居し、お父様は近居でヘルパーに頼った生活を送っている。

・上に姉、下に弟の3人姉弟でケアにあたる。

____________________________________

                                (聞き手:となりのかいご・川内潤)


image001


 

■車椅子の父、アルツハイマーの母。ダブル介護の始まり

 

川内:私がAさんとお付き合いさせていただくようになってからは5年位になるでしょうか。

まずは、最初に介護の必要性を感じ始めたときのことから教えてください。

 

Aさん:はい、まず、父は86歳で10年以上前から歩行が不自由で、歩行器や車椅子の生活を送っていました。その父を同居している母が家で看ていたのですが、5年くらい前、母にアルツハイマーの兆候が出始めました。最初は、料理の段取りがわからなくなる、食材を眼の前にしてどうしていいかわからない、というところから始まりましたね。母の姉がアルツハイマーだったこともあり、だんだん「絶対そうだな」と確信するようになっていきました。そこからヘルパーさんが週に何回か来てもらう、とこからのスタートでしたね。

 

川内Aさんはどんなところから介護に関わり始めたんでしょうか?

 

Aさん:平日は、ヘルパーさんに食事と掃除を頼んでいましたので、週末、姉と自分が交代で食事を作り置きしていました。だんだん、お皿に「これは誰がいつ食べる分」とポストイットを貼っておかないとちゃんと食べられなくなり、そうこうするうちに、母が勝手に家を出て帰ってこなくなる、ということが始まりました。勤務中にも、心配した父からしょっちゅう電話がかかってくるんです。

 

■近所の人の、「あの家のおばあちゃんだね」の目があった

 

image002


 

Aさん:一度、勝手に家を出ていって、遠くまでタクシーに乗って行ってしまったことがありました。近所を探してもみつからないわけです。でもたいがい1時間以内に帰ってくる。戻りが遅くて一度だけ、顔写真をもって、警察に行きました。結果的には、親戚の家で見つけることができました。他にもコンビニでドーナツを食べていたり、自転車屋さんと話し込んでいたり。でも、良かったのは、宅配ドライバーの方や、コンビニの店員さんといった近所の人が、「ああ、あのお家のおばあちゃんだね」とわかってくれていたことです。誰かが交番に連絡したり、連れ帰ってくれてたんです。

 

川内:ご近所の人がゆるやかに支援してくれていた、という状況なんですね。とてもよいことですね。そうした周囲の状況は、Aさんご自身が作っていったのでしょうか?

 

Aさん:迷惑をおかけした方には、父が「菓子折り持ってお礼にいけ」と言うのもあって、ご挨拶しに行っていましたね。何人かの方には、「何かあったら連絡ください」という形で、電話番号を教えていました。ある日、母が転倒して前歯を5本折ってしまったんですが、その時、最初に救急車を呼んでくれたのも近所の床屋さんでした。近所の人が古くから住んでいる地域であったことは助かりましたね。

 

 

■下着にダウン・コートで玄関に立っていた母を見ても、「ここまで歩けたんだ」と思えるようになった

image003



 

川内:そうした介護のご経験のなかでも、一番つらいな・・と思ったことってなんでしょうか?

 

Aさん:ある真冬の日に、夜家に帰ると、うちの玄関先にダウン・コートを着た母が立っていたんです。話しかけると、「あら、ここはあなたの家だったの?」と。すでに洋服の着方がわからなくなっていたので、コートの下は下着だけ。その姿をみたときは、さすがにショックを受けました。かわいそうという気持ちもあったし、正直いって「怖い」と思いました。しばらくは、帰宅時に玄関に電気がついていると、ドキドキしていました。また母が立っているのではないか…と思って。

 

川内:それはショックでしたね…。Aさんの中で、そのショックに対しては、どういう消化のしかた、気持ちの整理をされていったんでしょうか?

 

Aさん:母のお姉さん、私にとっての伯母がすでにアルツハイマーを患っていたこともあり、もともと関心があったことが役に立ったかもしれません。認知症になっても、その人の元々の性格が変わるわけではなくて、何かしらの我慢がきかなくなる病気なんだ、と。今までできていたことができなくなることは悲しいことですが、「いま、まだできることはある。そのことを大事にしよう」という気持ちでいるようにしていました。勝手に出歩いて、コンビニでドーナツを買い食いしていたとしても、「あぁ、ドーナツを食べられたんだ」「そこまでは、一人で行けたんだ」と思う。困った行動でも、それが「これからの母のなかでは、ベストの状態なんだ」、と。そのことが達成できる、達成できた、ということに対してプラスの面を見るようにしていました。

 

川内:介護の相談を受けていると、好きであるお母さん、お父さんのあってほしい姿が、失われていったときに戸惑ってしまう方が大勢いらっしゃいます。そうした中で、プラスを見る発想になれるというのは、すごいことだと感じます。

 

Aさん:母は、もともと温かい感じの人で、私にとっては、いつも傍で笑って見守っていてほしい存在でした。できるだけ笑顔でいて欲しい。今では母は施設に入り、すでに立つこともしゃべることもできず、意思の疎通もとれない要介護5の状態です。そんな母が、いま目に見える感情で唯一残っているのが、「笑う」ということなんです。本当にたまにしか笑ってくれないけれど、それでも笑っていてほしいと思っています。

 

■わからなくても、どこかで届いている

 

Aさん:先日、伯母が亡くなりました。伯母は何年もの間アルツハイマーだったのですが、年末は一緒にご飯を食べていたんです。そうしたとき、「妹(わたしの母)は、今どうしているの?」と同じことをよく尋ねてきていました。

その伯母が、ある日突然、「妹はもう施設にはいっているのに、色々聞いちゃってごめんなさいね」と言ったことがあった。びっくりしました。全部わかっていたんだ、と。こちらが覚えていないだろう、伝わっていないだろう、と思っていたことが、いきなり向こうからでてくる瞬間があったんです。この人は「もうわかんないんだな」なんてことは、簡単にはわからないんだ、そう思いました。

 

川内:話しかける言葉に反応はなくても、どこかで届いているんだな、と感じることは現場でも多く感じることです。医学的にはわからないけれど、「確かに伝わっている」、そういう確信を持てる瞬間は介護の場では本当によくありますね。

 

■仕事をしながらの介護のために──いい意味で「無責任でいつづける」

 

川内:やはり、介護の負荷がだんだん上がっていくと、仕事に影響が及んできてしまう人が多いです。介護の物理的負荷もそうですが、大きいのは気持ちの負荷です。介護に向かい合う気持ちがついていかなくなって、「仕事どころじゃない」というところまで自分を追い詰めてしまう人が多いのが今の状況です。Aさんは、どうやって仕事と介護をともに安定して続けられているのでしょうか?

 

Aさん:私の場合、まず一つは、やっぱり兄弟がいるということが大きいですね。うちは三人姉弟ですが、誰かに負担が偏らないよう、相互に見て、見られている関係にあります。そうすると、「あぁ、私は最近病院に連れていってあげれてないな・・・」という偏りを意識する。一方で、ある意味で、どこか「無責任」でいられている。それぞれが、「わたしがやらなきゃ!」という気持ちに追い詰められないことが大きいと思います。姉弟は姉弟なり、私は私なりの役割を果たすこと、を考えてやっている状況です。

 

例えば、部署の評価会議の間に、母がいなくなり、父から電話がかかってきても、「いま帰れるわけないでしょ!」と切ってしまっていました(笑)。「1時間戻って来なかったらまた電話して!」と。今や笑い話ですが、「そこで焦って仕事を切り上げて帰っても、(母を)見つけられるわけじゃないよね」と姉弟でよく話していました。その時考えていたのは、「無理をしていると、我慢していると、続かない」ということです。逆に、「いつまで続くんだろう」だとか、その裏にある「終わりになってくれたらいいのに」なんて思うのは絶対に嫌だったんです。

 

川内:私も、まさにそこが、気持ちの面での介護の真髄だと思います。だんだんと負荷が上がっていくなかで、どこかに無理が発生すると、その無理がどんどん大きくなっていってしまいます。

 

■「言ってみたら、なんとかなる」ということ

image004



 

川内:これから介護に直面する人や、今まさに直面している方はたくさんいます。Aさんがメッセージを送るとしたら、なんと言ってあげたいですか?

 

Aさん:親との関係は一人ひとり違うでしょうから、単にこうしたらいい、とは言えませんが…。子育てを母親ひとりだけに背負わせるのは良くないように、色んな人の力を借りることでしょうか。その方が、子供にとっていいことがあることも多いですよね。介護も同じだと思うんです。基本的には、認知症は不可逆的に進行していきます。どこかで自分だけで背負いこんだり、犠牲的な精神を持ってやっていると、続かないと思います。

具体的には、兄弟・地域の人たちとの関わり方ですね。困ったとき、人に相談してみる。そうしたら「こういう方法ありますよ」と解決策が出てくることって、思った以上にたくさんあります。

私は、大人用おむつなんかが入ったゴミ出しをしに、仕事の打ち合わせの途中に一旦帰宅して実家に行ったりしていました。そのことをヘルパーさんに言うと、「個別に回収してもらえますよ」と教えてもらえたんです!それでゴミ出しがすごく楽になりました。こんなふうに、単に知らないから苦労していることはたくさんあると思います。出張や旅行で不在のときなど、すごくゴミが溜まって不衛生だった…なんで早くそうしなかったのか、という話です。情報を積極的に得ることは大事だ、と痛感しました。

 

川内:「自分がやらなきゃ」「これは自分の役割だ」と思わずに、そういう情報に自ら向かっていくことが大事ですね。家族だから、娘だから、自分しかできない、なんてことは無いですし、本当は介護される側も、そんなことは望んでいなかったりするんですよね。

 

Aさん:以前、川内さんにお会いしたとき、「介護はプロに、家族は愛情を」と言っていましたが、やはり自分自身が母に対して笑顔で接することができること、そういう余裕が持てることが大切だと思います。父は「俺の育て方がよかったな」と言っていてカチンときますが(笑)。

これからは、胃ろうを入れるか入れないか、の判断をしなければならないときが来ると思います。父は家長的でとても強情なので、「俺より先に死なせない」「俺の気持ちなんてわからないだろ」といって全く話し合いにならないのが今の困りごとです。

 

川内:お父様に、お母様にとってどうなのか、という視点を持ってもらえるか、が大事になりそうですね。胃ろうをして延命すればその次は呼吸器など、今後もいろんな意思決定の場面がでてくるので、早めに話し合いを始めたほうがいいと思います。

今日は色々とお話を聞かせていただきましたが、一つ一つの介護に、絶対的な「良い/悪い」はありません。なにか原則のようなものがあるとすれば、「一人で決めてしまわない」、「自分の想いだけで決めない」というのが大切ですAさんの今までのスタンスを崩さずに、ご姉弟と話し合いながら、ステップを踏んで決めていけば互いに穏やかでいられると思います。

Aさん本日はお忙しい中、本当にありがとうございました。

 

 

■インタビューを終えて_______________

 

Aさんが行っている仕事をしながらの介護のポイントは、介護のアクションを決めるとき、それが「サステナブル(持続可能)であるかどうか」という基準で、意思決定ができていることだと思います。どこかで無理をしている、我慢している状況だと、介護が長期化するに従って困難を抱えてしまいます。ですが、眼の前のことが「持続可能かどうか」という基準で判断することは、たとえ介護以外の普通の仕事であったとしても、なかなか難しいことです。そこがまず素晴らしいな、と感じました。

また、介護における戸惑いや悲しみなど、自分の揺れる感情にきちんと向き合い、いったん受け止めた上で、お姉さんや弟さんとの関係づくりをされています。互いに感情に素直に、日常的にLINEで愚痴を言い合うという、コミュニケーションの蓄積がある。その関係をこれまで築いてくることができた、ということがAさんにとってとてもプラスに作用していると思いました。

 

インタビューの最後に、Aさんのスマホから今のお母様の写真を見せてもらいました。お母様の誕生日に、弟さん夫婦の初孫をつれ、施設でお祝いしたそうです。スタッフの方がお化粧してくれて、一緒にプリンを食べたときの写真でした。Aさんいわく、「もう、孫の顔もわからないようでした」とのことでしたが、その写真のお母様は、確かに、かすかな笑顔を浮かべているように見えました。そして、その笑顔は、写真を私に見せてくれているときの、Aさん自身の笑顔につながっている、そんな気がしました。

 

(聞き手:川内潤)