●ありがとうございました

第2回九州戯曲賞の発表があり、この度佳作を受賞することができました。生まれて初めての演劇に関する受賞で、とてもうれしいです。僕は普段カンパニーで演出をやらせてもらってて、メンバーやその他の方々から見るとどうしても戯曲そのものに関して怠けているようで、今回も大賞を受賞できなかったことを非常にたしなめられました。甘い。甘い、と。そう言ってもらえているうちが華です。たしかにそうなのだと思います。これからどれだけ生きていられて、どれだけの戯曲を書くことができるのか。死ぬまでに「戯曲」だと胸を張って言える代物を書けるのだろうか。果たして書けるのだろうか。書けようが書けまいが、続けるしか道はないんですけど。
あ、それ以上におめでとうの言葉もたくさんいただいたことは言っておかねば!みなさん、自分のことのように喜んでくれて、僕は幸せ者です!本当にありがとうございました!!

●次の本も書いているのですが

しかし、なんと言うかとても疲れています。受賞後、永山さんに「これからだよ」と言っていただいて、ようやく僕は劇作家のスタートラインに立てたのかもしれない、と気持ちが引き締まる思いでした。書きたいことは尽きることはないし、もうこれ以上どうして行けばいいのか、とかいうことに悩むことはないんですけど、でも、とにかく疲れている。本を書くことに絞った方がいいのか、演出をすることを最優先にした方がいいのか、もしくはカンパニーの成熟を目標にした方がいいのか…やるしかないんですが、どうも僕はいっぺんにたくさんのことをやれないです。今、重要な岐路に違いないんですけど、どうしていいのか暗闇でもがいているような気がしています。

●ヒント

先日、岩松さんと電話で話していて、「河野の戯曲のいいところは、同時に欠点でもある」と言われて考える。こういったことは以前からたびたび言われて来てたので、欠点を直していくために、じゃあ、自分の「いいところ」ってなんなんだろう、と。言葉で説明できない良さ(悪さ)は、きっと普遍的に伝わらないはずで、「上手く言えないんだけど、いい(悪い)」ということから脱却しなければならないとここ数年考えていて、それはやはり「自分を知る」という作業に尽きて来るんだなぁ。何年もかけて「自分を知る」という、遠回りにも見える作業ばかりをやってきて、まぁ、だから一方ではカンパニーでの公演頻度は極端に下がったし、新作を何本も書けているわけでもないので、自分自身のある種の表現欲が満たされないまま沸々と、まるで電気ポット、いや、魔法瓶のようだと自嘲してしまいがちにもなる。しかし、そんな活動の中で確実に形になっていることはあるのだ。自分の、ひいては自カンパニーの良さを噛み締めながらそれを言葉にしていく、という作業だ。それは身近なものを使って生活便利グッズを発明して特許をとったりすることにとても似ている。若い頃のように「戯曲構造?そんなんくそくらえだぜ!」などとは今は思わない。基本公式の掛け合わせで新しいものが生まれる。だけど既存の構造から脱却することも求められている。当然と言えば当然だ。でも、それはカンパニー存続、という切り口から見れば、脱却に向かう実験のような何かは、必要のないことなのだなぁと思う。一刻も早く「発明」できなければいけないんだ。

●ヒントその2

太陽族の岩崎さんから「例えばセクシャルなものを封じ手にして書いてみたら?」というヒントももらった。たしかにやったことなかった、やってみる価値は十分にある。自分で「いいところ」だと思っていたことが単なる勘違いかもしれないし。岩崎さんとは「セクシャルである意味」についていろいろお話しできて、僕の意見も述べた。カンパニー中心の思考回路で、セクシャルであることは自分にとってものすごく意味のあることだったけど、劇作家はカンパニーや公演に奉仕するのではなくて、「戯曲」そのものに奉仕しなければならない、ということなんだ、と感じた。カンパニーや公演はその先に待っているもので。そんな当たり前のような、でも見失っていたことに改めてたくさん気付くことができました。九州戯曲賞は僕にとっていい機会になりました。これまでずっと支えてくださった方々、一緒に作品を創ってきてくれたカンパニーメンバー、お客様、そして、これまでに出会った全ての皆様に、感謝いたします。ありがとうございました!これからも少しでも前に進んでいけるように精進します。