2018年01月01日

戌年にちなんだ話

新年明けましておめでとうございます。

昨日の大みそかは、西蓮寺にお集まりの
皆さまに除夜の鐘を打っていただきました。
清浄な響きに聞き入り、眠気も覚めました。

見慣れた寺院の鐘楼堂も、ライトアップしますと
四方に施された彫刻の白虎や竜神さまの迫力ある
姿が鮮明に浮き彫りになってきます。
鐘楼堂に設置してあるさまざまな彫刻品の像の中で、
寺院守護の、不思議な珍獣の長い牙が迫力でした。

除夜の鐘の後は、本堂にて皆さんと元旦会の
お参りをしまして、その後、戌年にちなんだ
法話をさせていただきました。

犬の大きな特徴は、人間にとても懐いてくれる
事でしょう。
僕は初対面の犬に、15分間以上もつづけて
顔中をベロベロトとなめられた事が
あります。 (右を向こうが左や後ろを向こうが、
ベロベロ攻撃がつづくのです。)
犬は、相手を疑うと言う概念がないのですね。
たいていの犬が、人間を信頼してくれます。

しかし人間はどうでしょうか?。
人間は相手を疑います。
しかも、相手を選んでしまいます。

犬は、人を選ばずに無条件で相手に心を
開いて懐きます。

人間の私達は、相手疑う事も必要な場合がある
でしょう。
しかし、私達人間の疑う能力が、時として
災いとなってしまう事を教えてくださるのが
仏さまでしょう。

まったく次元の違う話になりますが、阿弥陀如来
さまの私達への大きな慈悲は、全くの無条件です。
「この人は善い人だから見込みがある。この人は
心がけの悪い人だから見込みがない。」と
言う分け隔てが一切ありません。

それはなぜでしょうか?。
それは、阿弥陀如来さまは、私達が心がけが
善くない面があり、信頼できなくとも、
私達の尊い可能性、これだけは全面的に
信頼してくださっているからなのでしょう。

今年も仏法に尋ねていき、私の可能性を
ほんの少しずつでも開いていきたいもの
です。

僕の自作物語その後シリ一ズ
   少しでも関心を示してくださる皆さまへ


去年、僕が手術をする前、寺報に、連載物語
「その後の兎と亀」を、六回ほど掲載しました。
あれから数か月の間が開いた現在、何らかの方法
で連載物語を再開させる予定です。

 ここで悩んでいますのが、僕なりの代表作の
「その後の兎と亀」を再開させるのか、
または、僕が二十年前から密かに取り組んでいた、
「その後の浦島 太郎」を、連載として始めるか
です。
 「その後の浦島 太郎」は、決して思い付きではなく、
おもしろおかしく描いた作品ではありません。
 僕の仏教体験を反映してまして、「凡人の約束と、
仏さまの約束の違い」が、物語に込められた
テ一マです。
 ご感想をお知らせください。
 よろしくお願いいたします。   

西蓮寺~定例会お知らせ

お参り・ 法 話・ および茶菓子を
いただきながら座談


1月月21日(第二日曜。)
時間   午後1時30分

法話   川村 妙慶 【前半】
      川村 寿法 【後半】

北九州市門司区東門司二丁目
7一21 (バス停東門司二丁目)
門司港駅からバスで8分位
田ノ浦行【※海岸通り

電話 093-321-3592 









kawamurajuhou at 20:47コメント(4) 

2017年12月06日

自分のことと相手のことを知っていくとは?

西蓮寺の紅葉が綺麗です。世間より遅れてますと?。
僕は妹からよく、「遅い」と言われますが、西蓮寺の紅葉は
僕に似ていまして、他の紅葉よりも一か月遅れの今頃になって
紅葉が味わい深い色彩になってきたのです。
(※僕は妹よりも速く行動する事もあります。ここは少し強調)

先日の夕方、公園を歩いていると、近くで中学生くらいの少年
たちが野球をしていました。
「中学生ともなると、投げたり打ったりする球に威力があるな。」
と感じていました。
その時、少年が思い切って投げた見えにくいほどの剛速球
が暴走し、間近の僕の足を直撃しました。
当たる位置と角度が悪かったのか激痛でした。

即座に少年が謝ってくれる思いましたが、少年は謝りません。

後になり情況は違いますが、世間で毎日大きな話題の、
相撲の前横綱の日馬富士関が、後輩の貴ノ岩関に対し、
先輩への高慢な態度を注意した時に、貴ノ岩関が即座に
謝らなかったことが大問題のきっかけになったのを思い
浮かべました。 この大騒動、皆さんはご存知ですか?。
注意する、注意された、謝る、謝らない、怒ってしまう。
この問題は、私達の家庭、全ての人間関係の中で常に
起こりうる出来事ではないでしょうか?。

少年の投げた球が僕の足に直撃した後、少し驚いたのは、
僕の不思議な変化なのでした。
以前の僕ならばこのような場合は、人の足に球をぶつけて
即座に謝らない少年に対して瞬間的に少し怒り、ちょっと
上からの大人の目線で、「危ないからね。」などと言って謝罪
を促したでしょう。
実際に過去に、相手に厳しく注意して後味の悪い体験が
ありました。
(もちろん、世間の常識的には正しい態度でしょうが。)

しかしこの時の僕は、不思議と微妙な怒りさえも起こらなくて、
ひと言の忠告さえもせずに、わざわざ転がったボ一ルを追い
かけて行って拾い、少年に近づいて、ゆっくりとていねいな
手つきで渡しました。
(少年への怒りは一切無い事を示すため、あえて)

僕が少年から背向けて何歩か歩きながら、まだ謝ってくれない
少年に対して内心で、「信じよう。心の中で謝ってくれている。」
と思いました。
その時です。
背後の少年が大きな声で、「すみません!。」と、言って
謝ってくれました。
振り返ると、深く頭を下げる少年を確認できました。
僕は、少年に敬意を示して頭を下げてその場を
去りました。
「言うべきでない時に言わない私になれて、本当に良かった。」
と、つくづく思えました。

この僕の態度の変化は、決して僕の人徳ではないの
です。
長い長い年月の間に繰り返し真宗に身で学んできた、
「怒ったり、相手を百パ一セント決めつけたら自分の完敗
である。
自分に問題があるのになかなか謝ることのではない横着
な凡夫の自分を棚に上げて、他人には厳しい姿なのを、
阿弥陀さまに少しずつ深く気づかせていただく。」
が、ようやく活かされてきたのでした。

常識や頭での学びは乏しいものでして、日常の生活の中
こそが真宗の学びですね。

西蓮寺~定例会お知らせ

お参り・ 法 話・ および座談

12月月10日(第二日曜。)
時間   午後1時30分

法話   川村 妙慶
      川村 寿法 (最後の10分間位)

北九州市門司区東門司二丁目
7一21 (バス停東門司二丁目)
門司港駅からバスで8分位
田ノ浦行【※海岸通り

電話 093-321-3592 


















kawamurajuhou at 15:34コメント(6) 

2017年11月04日

体験記~だまされても出遇っていける世界

先日、用事のため東京の品川に行きました。

品川駅に立ってシャトルバスを待っていますと、
東南アジア系という印象の三十代位の女性が
僕に近づいてきました。
そして、日本語で印刷されたメモを渡してきました。
「アジアの大勢の貧しい人達を助けるために
募金をお願いいたします。」
そして、僕の胸元に封筒を差し出して、僕の
目を真剣にじっと見つめます。

想像力の豊かな僕は、瞬時にアジアの貧困に苦しむ
大勢の老若男女の顔が眼前に浮かんできました。

それとほとんど同時に、僕の過去の記憶が鮮明に
次々とよみがえってきました。
今まで、さまざまな人に善意を裏切られて、だまされて
きたとても残念な記憶です。

「食事代も無ければ、帰りの運賃も無い。」と、必死に
訴えてくる六十代の男性に対して、彼には空腹を満たし、
お家に無事に帰りついてほしいと願って金品を差し上げたら、
後で酒代として使っておられたことが発覚した事
がありました。

また、「親子で空腹の日々です。」と嘆き、自殺まで
ほのめかす五十代の男性にショックを受けた事があります。
この方の少しでも生きる力になればと思い、僕の小遣いの
大半を渡してしまいました。
後になり、この男性は遊ぶ事にお金を使っていた事が発覚
した事がありました。

長い人生で、他にも、このような事が何度も繰り返されました。

品川駅で、二人の自分が僕に鋭く問いかけてきました。

一人の自分は、このように僕に呼びかけます。
「もしも今度の今度こそ本物の慈善家だったら、
どうするのか!。
この彼女の真剣な眼差しを裏切るのか?。
アジアの貧しい人々を無視するのか?。」

次の瞬間に、もう一人の自分がこぶしを
振り上げて僕に抗議します。
「いったい、何回だまされたら気がすむのか?。
以前の新聞で、偽の慈善家が募金を集めて私的に
使っている事が明らかになっただろ!。
もし再び偽の慈善家なら、彼女が罪を作るのに
君も無関係とは言い切れないのだぞ!。
彼女に罪を作らせるなよ。」

心が揺れ動きました。短い時間が長く感じました。

その一方で、「彼女は募金箱ではなくて封筒を差し出し
ているのは、小銭ではなく、お札をさりげなく求めているの
では?。
千円あれば弁当が買えるぞ。またはケ一キ二つとコ一ヒ一
が買えるぞ。」という冷静な欲望のある
三人目の自分もちゃっかりといるので、後で笑えました。

悩んだ末に結果としまして、再びだまされる怖さよりも、
信じる方を選択しまして、夕食代相当を封筒に入れさせ
ていただきました。

その場を去った後は翌日も、お金の問題だけではなく、
自分は正しかったのか、ずっと自分に問いかけました。

やはり悩んだ末の土壇場に生きてくるのは真宗の教えです。
親鸞聖人は、「遠く通ずるに、それ四海の内 みな兄弟とするなり」
(浄土論註) と伝えておられます。
国籍の枠を超えて、善人と罪人という枠さえも超えて
遇っていけるのが真宗の世界でしょう。

僕は長年、真宗の教えを通して、「罪を作る人は悪い。
救われない。」という理性による世界観を超えたい
という願望がずっとあります。

僕は宿泊した品川で最終的に至った思いとは次のような
ものです。
「仮にだまされていたとしても、人を
だまさないと生きていかなくてはいけない悲しい因縁が
あるのだ。  だました人達も、いずれは宗教に遇い、
自分の罪と向き合い、信仰によって変わっていくことも
あるだろう。
仮にだまされたとしても、互いに罪を抱える身として
信仰を通して出遇っていける可能性もあるだろう。」と
受け止めることができるようになりました。

すると、今まで僕をだましてきた人達にも腹は立たなくな
りました。
すると、ぐっすり眠れました。

理性のみで学んで生きると考えが狭くなります。
少しずつでも感性で深く体得していきたいものです。



西蓮寺~定例会お知らせ

お参り・ 法 話・ および座談

11月月19日(第三日曜。)
時間   午後1時30分

法話   川村 妙慶

北九州市門司区東門司二丁目
7一21 (バス停東門司二丁目)
門司港駅からバスで8分位
田ノ浦行【※海岸通り

電話 093-321-3592 




























kawamurajuhou at 20:43コメント(4) 
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