2016年06月16日

罪と向き合う

西蓮寺の境内にいる二匹のカエルが、今日も元気
いっぱいに鳴いています。

今、最も注目されている問題として、都知事の舛添さんが、
国税や都税を個人的に利用したのではという、さまざまな
疑惑について、連日、非常に厳しい追及を受けました。
そして今日、都知事の舛添さんが、いよいよ辞任しました。

辞任した舛添さんに、追い打ちをかけるような、とても厳しい
罵声の声をあびせたり、ネットで非難をしています。

いかに国民を裏切るような大きな間違った行為をした
人であろうとも、長い日数、毎日、四方八方から多くの
鋭い言葉の剣で責め続けられた人です。

痛手を受けて去りゆく人に対しては、剣をおさめて
静かに見届けるのが、人間としての情けでは
ないでしょうか。

舛添さんの罪を許すなどと言うつもりは、毛頭も無い
のです。

しかし、真宗のものの見方として、罪を背負った人が、
行き場を失い、これから長く、静かに自らの罪と向き合う
であろうその姿を見届けていきたいのです。

阿弥陀さまは、「自分に限っては、罪は無い」と思って
いても、実は誰しも小さな罪を積み重ねながら生きて
いることに少しずつ深く気づかせてくださります。
僕自身、罪を重ねて生きて来た身と知らされながら
生きてきました。

家族同士、知人同士、相手を厳しく責め続ける
ばかりでは、相手は息苦しく、自分の罪や間違い
と向き合う余裕さえも失ってしまいます。
責める方は、怒りのため、そこを見失うのです。

また、相手には過失がないのに、疑念によって
相手を追い詰めてしまう場合もあります。

互い、相手に思案するだけの余裕を与え、
そして自分自身、常に自分に問いかけをする
余裕を与えていきたいものです。


※はな様、返信が遅くなりましたが、書き込み
 ました。

西蓮寺~定例会お知らせ

お参り・ 法話・ 茶菓子をいただき
 ながら座談


6月19日(第三日曜)
時間   午後1時30分

法話  住職(川村 寿法)

北九州市門司区東門司二丁目
7一21 (バス停東門司二丁目)
門司港駅からバスで8分位

電話 093-321-3592 

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kawamurajuhou at 21:18コメント(0)トラックバック(0) 

2016年05月11日

現代でのお寺の存在意義とは

今日は、天気がよいので、仕事が終わった後
散歩にでかけました。
改めて自分が住む町内を、ゆっくり眺めながら
歩いていますと、昔の面影が少なくなった様子
に愕然としました。

僕が小さい頃は、昭和初期の簡素な構造の木造
の家が立ち並んでいました。
僕が小さい頃は、かろうじて昭和のよき時代の
風習が残っていました。

友達の家に遊びに行くと、壁が比較的に薄いため
お隣の食卓を囲んでの談笑の声か左右から
響いてきて、近所の家々と生活感を共有している
かんじでした。
すき焼きなどの匂いと、子供たちの興奮
までが伝わってくるかんじでした。

友達の家で遊んでいると、突然、お隣のお母さんが
まるで身内の家を訪ねるような感覚で、勝手に
戸を開けて、「ごめん、しょう油が無くなったの、
貸してちょうだい。」と言って、借りてます。
友達のお母さんも、笑顔で貸してます。
この親しげな人間関係が好きでした。
かろうじて西蓮寺の前には、僕が生まれる前
から建つ、昭和の面影がそのまんまの姿を残し
ている長屋があります。
そこに長く住むご年配の方々には、できる限り
声をかけて、会話をするようにしています。

ところが、町内全体では、今や、昔ながらの
家族同士の温もりが伝わり合う密集する家々や、
長屋が、あちらも、こちらも次々と跡形なく消え去り、
駐車場となったり、空き家となって
います。
以前、僕と妹もブログで取り上げた、老夫婦が半世
紀も経営していた古い文具店も
取り壊されていました。(長年、昔の昆虫採集セット
など、四十年前の貴重な品々が置いてありました。)

皆さんの顔を思い出しながら、日本のどこに引っ越し
たのかを想像しながら、町を隅々まで歩いて、
虚しく、憂鬱な気持ちで寺に
帰りました。

しかし、お寺に戻ると、改めて現代こそ、お寺
が必要ではないかという実感がこみ上げて
きました。

殺伐とした現在、希薄な人間関係となりつつ
ある現代で、お寺の存在価値がいかに重要で
あるかをじっくりと考えました。

お寺では、さまざまな世代、さまざまな職業
さまざまな世代の主婦の方、ご年配の方々
鬱や、ひきこもりの若者などが集います。
そして、昨日まで話をしたこともない人々が
阿弥陀さまの前て共に手を合わせます。

そして語り合い、それぞれ抱える悩みを共有し、
いっしょに仏さまのみ教えを聞きます。
仏さまの領域(お寺)で、仏法、お念仏を通して
つながる仲間のことを御同朋(おんどうぼう)、
御同行(おんどうぎょう)と呼びます。

どんなに殺伐とした、合理的で、人間関係が
希薄な現代であめろうとも、お寺での人と
人とのつながりの輪を大切にしていきたいと、
改めて思いました。

西蓮寺~定例会お知らせ

お参り・ 法話・ 茶菓子をいただき
 ながら座談


5月15日(第三日曜)
時間   午後1時30分

法話  住職(川村 寿法)

北九州市門司区東門司二丁目
7一21 (バス停東門司二丁目)
門司港駅からバスで8分位

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kawamurajuhou at 23:55コメント(3)トラックバック(0) 

2016年04月09日

ほんとうの幸せとは? 

先日、「世界一貧しい大統領」言われる
ウルグアイ元大統領のホセ・ムヒカさんが初来日
しました。
今、世界中から最も注目される人物です。
ムヒカさんの目には、私達日本人の
姿が、どのように映ったのでしょうか。

ご本人は、「私は、貧しいのではなく、質素なだけだ。」
とおっしゃったのが印象に残ります。
ムヒカさんは、私達日本人に、「本当の幸せ
とは何か?」 
と、問いかけてくれました。

ものの見方を変えると、貧しさへの受け止め方も、
まったくと言っても決して大げさではないほどに
違ってきます。
また、ものの見方を変えると、「幸せ」についての
価値観もガラリと大きく違ってきます。

ムヒカさんの言葉の中で、特に印象に強く残った
言葉があります。
「貧しさとは、物を持っていない人ではなくて、
物を欲しがり、さらに、もっともっと物を欲しがる
人の事である。」
貧しさの本質を突いているのではないでしょ
うか。

数年前に西蓮寺で、「幸せとは何か?、
貧しさとは何か?」というテ一マで定例会
を行いましたが、今、改めて考えてみたいものです。

先ほどのムヒカさんの言葉は、正しく、お釈迦さま
がお示しくださる、「六道の天上界」の姿です。
つまり、欲しい物に囲まれて生活は満たされて、
何不自由ない生活を過ごしている。それなのに、
まだ満たされようとして、さらに次の物を欲しがる、
という生活です。

天上界の境地に生きる現代の快適な私達は、
あることを失っていることに、なかなか気がつけ
ません。

その、失っていることとは、「新鮮な感動」では
ないでしょうか。

皆さん、テレビや携帯電話、電気製品などを買い
換えて、新鮮な感動が持続していますか?。

僕は、「あえて、少し不足の生活をすることにより、
物事のありがたみを噛みしめる、何事にも感動で
きる感覚を回復していく。」ということを心がける
ようにしています。
つまり、「天上界の恵まれ過ぎた状態」から少しでも
脱却するように抵抗をしているわけです。

有言実行で、テレビも洗濯機も、多少のガタはきて
も、あえて20年間以上、使い続けています。
ところが先日、我が家の古い旧式の分厚いブラウン
管テレビが、とうとう故障してしまいました。

23年前、西蓮寺を拠点に、アナウンサ一、テレビや
ラジオの仕事でがんばっていた妹と、経験の浅い
僧侶の僕とで限られたお金を出し合い、買った
テレビでした。(妹が、「私が出したお金の方が少し多
かった。」と主張するので、一応は認める)

また母が、鉢巻をしめて、メガホンを両手に持って

巨人戦の大応援をしていた思い出のテレビです。

先日、古いテレビに悲しい別れを告げ、新しい
超薄型のテレビを買いました。
長い長い年月、心のどこかで憧れつづけてきた、
待望の超薄型テレビです。

1か月かけて、とりあえず10人の人に、さりげなく自慢
するつもりでした。
記念すべき最初の一人目への自慢
「とうとう、薄型の高画質のテレビに買い換え
ました
ところが、相手の、明らかに露骨に表した、
「へぇ~、たったのそれだけのことで、そんなに
感動するものですかね。」という、携帯電話を拾っ
て興奮する原始人を見下すような冷めた眼差しを、
多分、僕は12年間位は忘れることがないでしょう。
いささかショック

それと同時に、薄型高画質のテレビに興奮する自分と、
世間の人達との感覚の大きなズレに今さらながらに気
がつきました。
「そうか、世間の人達は、とっくの昔に、超薄型
の高画質テレビに買い替えているのだった」

この時の僕の心境は、大都会のど真ん中で、
ただ僕一人だけが稲刈りをしている

それほどの取り残されてしまった感覚なのでした。

ここからが本題ですが、待望の薄型、高画質
テレビを買って2日目、気がつけば、なんと最初の
大興奮と感動が早くも薄らいでいるのです。

この時、痛感しました。

お釈迦さまが説かれる、恵まれ過ぎて感動の乏しい
天上界の姿と、ムヒカ元大統領の伝える貧しい姿が、
実は自分の中に潜んでいるのだ。」

現代の私達は、生活面の全てにおいて、と
ても便利で快適な品に囲まれながら暮らしてい
ます。
一つの物が手に入れば次を求める、
地位と物質で満たされ続けるのが、ほんとうの
幸せとは言えないのではないか、ということが、
頭の理解ではなくて、実感として疑問が持てた
最近の話しでした。

今後、皆といっしょに、
仏法にお尋ねして、「本物の心の幸せについて
少しずつでも会得していきたいです。

西蓮寺~定例会お知らせ

お参り・ 法話・ 茶菓子をいただき
 ながら座談


4月17日(第三日曜)
時間   午後1時30分

法話  住職(川村 寿法)

北九州市門司区東門司二丁目
7一21 (バス停東門司二丁目)
門司港駅からバスで8分位

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