2016年07月13日

弱くて、迷う私

よく、妹の本や記事などを読んださまさまな方から、
「引きこもり、さまざまな迷いから立ち直ったきっかけ、
要因は何ですか?」といったご質問をいただきます。

まず、私のような凡夫の身で、迷いから完全に抜け出す
ことは、できません。
弱い存在です、
ですから常に迷いが起こります。

先日、以前、僕の講演を聞いてくださった四十代
の男性から電話がありました。
「私は、上司にも、部下にも、どの同僚にも、
仲間にも、自分の弱点は見せたくありません。
家族にさえも、できるだけ自分の弱点を知られたく
ありません。」と言います。
僕は、「その状態がつづくと、しんどくありま
せんか?。」と聞きました。
相手の男性は、しばらく黙ったままでしたが、
小声で、「はい。」と答えました。

私達は、どのようにもがいても凡夫です。
無理やり悟りを気取って、迷わない強固な私に
なろうとして無理をして生きると、いずれは疲れ
てしまいます。
しんどくなってしまいます。

阿弥陀さまは、迷いを切り抜けてから、その後に立派
な者へと導く、という教えではないのです。

次々に湧き起こる煩悩、そして、強く見せかけてはいて
も実は弱い私、それゆえに迷いを重ねる私を、その
まんま全面的に受け入れて導いてくださるのです。

このような迷いや弱さを抱えながら、仏さまに確かな
方向性を示していただきながら生きていくことがで
きる、ということが有り難いことですね。

西蓮寺~定例会お知らせ

お参り・ 法話・ 茶菓子をいただき
 ながら座談


7月17日(第三日曜)
時間   午後1時30分

法話  住職(川村 寿法)

北九州市門司区東門司二丁目
7一21 (バス停東門司二丁目)
門司港駅からバスで8分位

電話 093-321-3592 

講演・ 朗読演劇のご依頼

 【市町・寺院・学校・その他】

  現代劇時代劇

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2016年06月16日

罪と向き合う

西蓮寺の境内にいる二匹のカエルが、今日も元気
いっぱいに鳴いています。

今、最も注目されている問題として、都知事の舛添さんが、
国税や都税を個人的に利用したのではという、さまざまな
疑惑について、連日、非常に厳しい追及を受けました。
そして今日、都知事の舛添さんが、いよいよ辞任しました。

辞任した舛添さんに、追い打ちをかけるような、とても厳しい
罵声の声をあびせたり、ネットで非難をしています。

いかに国民を裏切るような大きな間違った行為をした
人であろうとも、長い日数、毎日、四方八方から多くの
鋭い言葉の剣で責め続けられた人です。

痛手を受けて去りゆく人に対しては、剣をおさめて
静かに見届けるのが、人間としての情けでは
ないでしょうか。

舛添さんの罪を許すなどと言うつもりは、毛頭も無い
のです。

しかし、真宗のものの見方として、罪を背負った人が、
行き場を失い、これから長く、静かに自らの罪と向き合う
であろうその姿を見届けていきたいのです。

阿弥陀さまは、「自分に限っては、罪は無い」と思って
いても、実は誰しも小さな罪を積み重ねながら生きて
いることに少しずつ深く気づかせてくださります。
僕自身、罪を重ねて生きて来た身と知らされながら
生きてきました。

家族同士、知人同士、相手を厳しく責め続ける
ばかりでは、相手は息苦しく、自分の罪や間違い
と向き合う余裕さえも失ってしまいます。
責める方は、怒りのため、そこを見失うのです。

また、相手には過失がないのに、疑念によって
相手を追い詰めてしまう場合もあります。

互い、相手に思案するだけの余裕を与え、
そして自分自身、常に自分に問いかけをする
余裕を与えていきたいものです。


※はな様、返信が遅くなりましたが、書き込み
 ました。

西蓮寺~定例会お知らせ

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6月19日(第三日曜)
時間   午後1時30分

法話  住職(川村 寿法)

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7一21 (バス停東門司二丁目)
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2016年05月11日

現代でのお寺の存在意義とは

今日は、天気がよいので、仕事が終わった後
散歩にでかけました。
改めて自分が住む町内を、ゆっくり眺めながら
歩いていますと、昔の面影が少なくなった様子
に愕然としました。

僕が小さい頃は、昭和初期の簡素な構造の木造
の家が立ち並んでいました。
僕が小さい頃は、かろうじて昭和のよき時代の
風習が残っていました。

友達の家に遊びに行くと、壁が比較的に薄いため
お隣の食卓を囲んでの談笑の声か左右から
響いてきて、近所の家々と生活感を共有している
かんじでした。
すき焼きなどの匂いと、子供たちの興奮
までが伝わってくるかんじでした。

友達の家で遊んでいると、突然、お隣のお母さんが
まるで身内の家を訪ねるような感覚で、勝手に
戸を開けて、「ごめん、しょう油が無くなったの、
貸してちょうだい。」と言って、借りてます。
友達のお母さんも、笑顔で貸してます。
この親しげな人間関係が好きでした。
かろうじて西蓮寺の前には、僕が生まれる前
から建つ、昭和の面影がそのまんまの姿を残し
ている長屋があります。
そこに長く住むご年配の方々には、できる限り
声をかけて、会話をするようにしています。

ところが、町内全体では、今や、昔ながらの
家族同士の温もりが伝わり合う密集する家々や、
長屋が、あちらも、こちらも次々と跡形なく消え去り、
駐車場となったり、空き家となって
います。
以前、僕と妹もブログで取り上げた、老夫婦が半世
紀も経営していた古い文具店も
取り壊されていました。(長年、昔の昆虫採集セット
など、四十年前の貴重な品々が置いてありました。)

皆さんの顔を思い出しながら、日本のどこに引っ越し
たのかを想像しながら、町を隅々まで歩いて、
虚しく、憂鬱な気持ちで寺に
帰りました。

しかし、お寺に戻ると、改めて現代こそ、お寺
が必要ではないかという実感がこみ上げて
きました。

殺伐とした現在、希薄な人間関係となりつつ
ある現代で、お寺の存在価値がいかに重要で
あるかをじっくりと考えました。

お寺では、さまざまな世代、さまざまな職業
さまざまな世代の主婦の方、ご年配の方々
鬱や、ひきこもりの若者などが集います。
そして、昨日まで話をしたこともない人々が
阿弥陀さまの前て共に手を合わせます。

そして語り合い、それぞれ抱える悩みを共有し、
いっしょに仏さまのみ教えを聞きます。
仏さまの領域(お寺)で、仏法、お念仏を通して
つながる仲間のことを御同朋(おんどうぼう)、
御同行(おんどうぎょう)と呼びます。

どんなに殺伐とした、合理的で、人間関係が
希薄な現代であめろうとも、お寺での人と
人とのつながりの輪を大切にしていきたいと、
改めて思いました。

西蓮寺~定例会お知らせ

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5月15日(第三日曜)
時間   午後1時30分

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