今朝の茨城新聞に、鹿嶋市の職員同士の訴訟問題が掲載されている。

興味のある方や、詳しい内容を知りたい方は、新聞やネットで検索していただきたい。

当事者同士のためにも、私の口からこの事について書くことはしない。

ただ、私の経験してきたことを、今の状況と比較した別の事例を書いておく。私の経験してきたことが、正しいというわけではないし、違う言い分があるだろうこともわかっています。

私達議員は、市民と交流する機会が多いこともあり、仕事関係、人間関係、学校関係などのトラブルの相談も多い。

トラブルの解決が議員の腕の見せどころとも言えるが、トラブル解決に一番重要なのは、やはり、

当事者を本当に心配する気持ち

なのだと思う。それは当事者の話を良く聞いてあげることにもつながる。

言い方は悪いが、本当に心配する気持ちがあれば、問題解決に至らなくても、当事者の理解が得られる場合も多い。

そして、人間関係のトラブルの場合には、一方の意見ばかりを聞かずに、できればお互いの意見を、一方の意見しか聞けない場合でも、もう一方の気持ちを考えた上で、お互いを取り持つ方法を探すこと。

私一人では解決できない場合でも、問題を大きくしない上で相談できる人を探して、対処に当たる。

心底、当事者同士を心配することがやはり一番であり、それが人の義理や情につながることも経験してきた。

引退された先輩議員達の中には、職員達の相談にものっている議員もいたし、その解決方法も、幅広い付き合いと、責任感が後押しをしていた。

私もそのようにトラブルを解決できるようになりたいと思ったものだった。

最近、報道された鹿嶋市職員の不祥事は、どれも昨年の出来事。

長い時間が立ったすえに、問題が大きくなってから最終的な事態になって報道されている。

このことは、言い換えれば、

本当に当事者を心配して問題を解決してあげる立場の人間がいない

ようにも思える。

私は、例えば市長始め執行部や議員が、問題を隠して内部で揉み消せと言ってるのではなくて、
本当に当事者同士の事を考えて対応に汗をかけば、そもそも問題を隠すこともないし、対応策を公表することが遅くなることもない。

当事者同士が傷つかない方法は、間に入る人間が、当事者同様に当事者同士を傷つけないように思うことだと思う。

しかし、昨今の鹿嶋市・鹿嶋市議会には、人を思う気持ちが欠けているように思える。

仕事として表面上は人に優しくしているようなもの。こうなると相談もしづらくなってくる。

人と人とを繋ぐことができない

ことは様々な問題を引き起こしていくように思える。