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【概要】

 2015年、米国連邦航空局の型式証明を取得し正式に販売開始。2017年上期(1月~6月)の出荷が24機となり、小型ジェット機の分野で世界一となったホンダジェット。
 1996年、20世紀には完成しないと言われていた自立型二足走行ロボット「P2(ASIMOの前身)」の発表。

 本田技研工業(ホンダ)。同社の自動車の年間販売台数は約500万台。トヨタ、フォルクス・ワーゲン、GMのような事業規模もなく、他自動車メーカーとの資本提携もありません。
 年間の研究開発費用は、およそ7,500億円(トヨタ自動車の約2/3)。超大企業に比べ決して潤沢ではない資金力ながら、ホンダには冒頭で記したような、世界初、世界一、日本初の技術や製品が少なくありません。

 天才技術者、本田宗一郎が創業。没後四半世紀を過ぎても、今なお生き続ける創業の精神と、チャレンジする組織風土。そんなホンダを「不思議力」を備えた会社と称し、その秘密に迫った一冊。
 日本企業の活性化を考えるうえで、この「不思議力」はきわめて示唆に富んでいるのではないか、そんな著者の思いが本書執筆の動機となっているそうです。

【所感】

 ホンダの「不思議力」の源泉は本田技術研究所。なんと戦後間もない昭和23年に設立。
本田宗一郎を支えた名参謀、藤沢武夫が「目先の業績に左右されない自由な研究環境と、研究員の待遇改善を目し」設立されています。その原資はホンダからの委託研究費で、その額はホンダの売上の概ね5%程度と言われているそうです。
 ユニークなのはそのテーマ設定。「将来性」「対価獲得性」などの項目で点数化したがる企業が多い中、「それは多分、失敗しますね」語る研究所関係者。
 研究テーマはずばり「自分のカン」「自分の思い」で選ぶしかない。「カン」とは「個」の適応力であり、「思い」とは「無」の信念。それこそ知的創造活動の要諦なのだと、関係者の談話を整理しています。

 本書は、そんな本田技術研究所とそれを取り巻く人々。そして1986年の開発開始から、紆余曲折30年の月日を経て誕生したホンダジェットの開発過程を基軸に描かれています。
 ホンダジェットのスタートは1986年。当時、ホンダ4代目社長の川本信彦の「そろそろ飛行機をやりたいのだけど」の一言から開発が始まっていきます。
 実はホンダは昭和30年代後半に一度航空機製造に乗り出そうとした経緯もあり、相応の技術者もいましたが四輪注力への必要性から凍結。20年以上経過した後となったはノウハウも0。そんな中から30年かけてエンジンのみならず、航空機本体までも作り上げてしまいます。

 筆舌難い苦難を超えて開発に成功。しかしながら航空機製造販売はリスクが大きいこと。ましてや同社が参戦するF1グランプリと同じように、最先端技術や製品に取組姿勢がもたらす企業イメージに貢献すれば十分との首脳層の判断から、まったく事業化は想定されていませんでした。
 
 それを覆したのは藤野道格(現ホンダエアクラフトカンパニー社長)。「つくったものを世に問わなければ意味がない」との思いが、周りを動かし状況を少しずつ変えていきます。
これこそまさに「個」の強い思いが道を切り開く様子であり、本田宗一郎DNAが脈々と生き続ける同社の強みを垣間見た思い、胸打たれた瞬間でした。

 ホンダジェット関連本は、何点も発表されていますので、一連のストーリーをご存じの方も多いかと思いますが、「個」に観点を置き描いた本書の手法は、また新鮮なものでした。

 また秀逸なのは、ホンダジェットの陰で、世に問われなかったレシプロエンジン(プロペラ機エンジン)に関する内容。優れた性能で既に販路も確保しつつ、研究所の組織変更。そしてホンダジェット開発陣に握りつぶされた悲運の製品の物語。
 
 ホンダジェット、本田技術研究所の礼賛にととどまらず、こういったアナザーストーリーにも迫った本書。著者の目論見通り、大変示唆に富んだ一冊。面白かったです。


                               東洋経済新報社 2017年9月14日発行