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2019- 2-10 Vol.294

【概要】

「しょぼい」
 デジタル大辞泉によれば「元気がなく、さえない。貧相である。みすぼらしい。ぱっとしない。」などの意味が記されています。

 そんな人を食ったようなタイトル。ふざけてるのかと言いたくなるような筆名。ビジネス書のコーナーにあっても、なかなか手を伸ばさないタイプの本かもしれませんが、なかなかどうして。

 1990年生まれ、慶応義塾大学卒業で妻子ある著者。「就職活動はしたくない」「毎朝早起きして満員電車なんかに乗ってられない」そんな理由から、一度も就職することなく起業。

 事業計画もなく、資金借入なし。初期費用50万円ほどでリサイクルショップを開店。その後イベントバーというちょっと変わった形態のバーを開店。そのビジネスモデルを人に勧めるうちに系列のお店が10を数えるようになっていた・・・・・。

 本書は、そんな「しょぼい起業」の進め方について綴った1冊。
ふざけた内容かと思いきや、その発想は極めて合理的で納得感のあるもの。細々した起業ノウハウを記した本ではありませんが、仕事をし生活をしていくとはどういうことなのか。その極めて根源的な問いに示唆を与えてくれる奥深い内容となっています。


【所感】

 6章と2本の対談で構成された本書。

 まず1章目では、これまで仕事といえば会社勤めが当たり前でしたが、もはやそれは「最適解」ではないこと。サラリーマンが出来ない=落伍者というレッテルを自分にも人に貼らないこと。そして嫌なこと(仕事)からは逃げてしまえばいいのだ。人は嫌なことばかりしているとすぐに死んでしまうからと説きます。

 2章から5章では、自身の体験を踏まえた「しょぼい起業」の進め方について記した後、6章では、筆者ではないあるしょぼい起業の事例を紹介し締めくくられています。

 著者の発想の秀逸さは2章にあります。いわゆる一般的な起業とは、需要がありそうで、初期投資と手間はかかるけれど高品質なものを、ブランディングして高単価で売って儲ける・・・・・。
そんな発想に陥りがちですが、「しょぼい起業」とはそれとは真逆の発想なのだと説きます。

 面白いのが、埼玉あたりで野菜のとれる実家から、東京の学校に通っている学生がいると仮定した場合の例え。
 なにもしない通学はただの移動。
でも実家の野菜をリュックに背負ってきて東京で売ったら、それは通勤でなく輸送となります。つまり東京で野菜の買い手さえ探せば、毎日の通学がお金に変わるのだと。何もしなければ通学定期はただの「コスト」ですが、このように使えばそれはコストではなく「資本」。

 つまり「しょぼい起業」とは「生活の資本化」。普段やっている行為をお金に変える発想こそが、肝なのだと説きます。

 そして売るためにわざわざ作るのではなく、基本は自身が消費することを前提に、余ったものを売ることが前提なのだとも説きます。例えば食事。生活に不可欠なコストですが、これも余った食事を販売すれば、単なるコストが利益へと転じます。

 またアパートやマンションを借りるなら、そもそも店舗に住んでしまえと。これも家賃というコストを資本に変える発想。確かにそうですよね。

 外にも、店舗を持つ効用や協力者を集める重要性。お金をかけず店舗を流行らせる方法などにも言及していますが、ユニークな発想の数々が記され、大変面白いものになっています。

 折しも「働き方改革」が声高々に叫ばれる昨今。どんな施策をしようとも現在の雇用という枠組みの中では、軋轢は避けられません。多様な働き方が模索される中、起業も当然大きな選択肢の一つかと思います。とはいえ起業支援と銘打った施策は世の中にごまんとありますが、事業プランや資金調達、そんなことばかりを教えるのに汲々としたものばかり、そして多額の負債を抱え早期に行き詰る例が尽きない・・・・・。

 具体的な起業手法も大事ですが、まずは「生活の資本化」という発想の大切さ。
本来は幼少期からそういった教育が大切なのかもしれませんね。


                  イーストプレス 20181225日 第一刷発行