2021-11-21  Vol.440 0465FB2E-FF53-4193-848E-68BD46D31558

【概要】

 みなさんは「マリメッコ https://www.marimekko.jp/」をご存じでしょうか。フィンランドのアパレル企業で、同社が展開するブランド名でもあります。
  
 社名やブランド名はご存じなくても、「ウニッコ」柄というポピーの花を模したデザインの製品を目にかけたことのある方は多いのではないでしょうか。
Unikko_001_13187_31497_13 1951年設立。「ウニッコ」に代表される特徴的なプリント柄をもとに、インテリア・ファッション・バッグ・雑貨など幅広いアイテムを展開しています。
 そんな「マリメッコ」ですが、創業者のアルミ・ラティアが1979年に死去後は、徐々に低迷し、1985年にはフィンランドのアメア・グループに買収されるも、赤字を垂れ流すお荷物会社となっていました。
 本書は、そんな「マリメッコ」を再建した女性経営者、キルスティ・パー
カネンの評伝です。


【構成】

 全4章で構成された本書。前半2章は、
キルスティ・パーカネンの出自から、自ら起業した広告代理店の経営から退くまでを。後半2章では「マリメッコ」の再建を中心に記されています。
 
【所感】

 貧しい出自。不妊を理由に離婚。30歳で勤め始めたフィンランドの広告代理店を経て、1969年、40歳の時に、女性だけの広告代理店ウォメナ社を設立。社名の由来は、Womenとフィンランド語のリンゴOmenaをもじったものだそうです。創業時「今日はOmena(リンゴ)、明日はウォメナ」をキャッチコピーに、見込顧客600社に対し、リンゴを送るキャンペーンを展開。いきなり35社の顧客が付いたそうです。
 当初は自転車操業ながら、社員は女性だけという特異性やユニークな広告展開。また
キルスティ・パーカネンのセンスや顧客あしらいの巧みさで、同社はフィンランドでも有数の広告代理店へと成長を果たします。60歳となった1989年に同社を売却し、ビジネスの場から一線を引きます。

 
1991年フィンランドは、深刻な経済危機に陥ります。ソビエトやスウェーデンなどへの貿易の縮小などを契機に株式市場、住宅価額は50%以上下落。国債の債務不履行、GDPは13%以上下落。失業率は労働人口の1/5に達します。
 そんな中、
キルスティ・パーカネンは自身の会社でアメア・グループが売却を検討していた「マリメッコ」を買収することを決断。
 その真意は定かではありませんが文中では「(のんびり余生を過ごすこと)はつまらない。私は自分で忙しくしてないと駄目なの。」と語るシーンが登場をします。  
 また「マリメッコ」とはかつて一世を風靡したフィンランドを代表する企業でありブランド。それを失うわけにはいかない。同社を再建するということは、経済危機にあえぐフィンランド自体を立て直すことにも通ずる。そんな思いもあったようです。

 もはや古臭いデザインと思われていた「マリメッコ」のプリント柄ですが、折しも1990年代は1960年代リバイバルの機運が盛り上がっていました。その時流をうまく掴んだこと。また若手デザイナーの起用やファッションショーやイベントの開催による新たな顧客層の拡大。また自身が広告塔になり世間の周知を集めることで、同社は徐々に業績を向上させていきます。
 1999年にはヘルシンキ株式市場のIリストに上場を果たします。2005年には買収時からの売上を4倍にまで拡大させ、2008年に引退。2021年現在もご存命だそうです。

「マリメッコ」「
ウォメナ社」2社において申し分ない経営手腕を発揮したキルスティ・パーカネン。ビジネスの場では黒い服を着て、ピンヒールを履くなど自身のスタイルを崩なかったという彼女。気分屋のところもあり、周囲の人を振り回すことも多かったようですが、多くの人を魅了し続けた結果が「マリメッコ」で大きな花を咲かせたことは間違いありません。

 自身の経営哲学や
「マリメッコ」の戦略や運営について、整理し記されているわけではありませんし、時系列が前後して記された箇所も多く、やや読みづらさは否めない部分はある本書ですが、疾走感あふれる彼女の物語は、そんな些末なことは気にさせないほど興味深く、また読み手の気持ちを鼓舞する
素晴らしいものでした。

                          祥伝社 令和3年11月10日 初版第1刷発行