2022- 6- 5  Vol.468351AECC2-5491-45BD-B0DB-F49D2F3B5208

【概要】

 ビールの「一番搾り」や「ハートランド」。発泡酒の「端麗」や缶チューハイの「氷結」 etc。
 お酒を嗜む方なら、誰でも知っているキリンビールの錚々たる商品群。実はこれらの商品群誕生には、一人の同社マーケティング部員が関わっていた・・・・・。

 メディアにはほぼ登場せず、自身の功績を喧伝することもなかったため、世間的にはあまり知られていませんが、飲料業界では「マーケティングの天才」とまで称された前田仁氏、
 本書はそんな前田氏が深く関わった商品の開発ストーリーを軸に描かれた評伝です。

【構成】

 終章を含め全9章で構成された本書。第1章で紹介されるのは、80年代に誕生した異端のビール「ハートランド」。以降第2章からは、前田氏の幼少期にはじまり、ほぼ時系列で展開されています。

【所感】

 かつてビールのシェア6割を押さえ、圧倒的な強さを誇っていたキリンビール。しかしアサヒビールの「スーパードライ」誕生や、折からの消費者のアルコール離れや飲料志向の変化もあり、徐々にシェアは低下。
 本書では、単なる個々の商品開発ストーリーに留まらず、バブル崩壊あたりから、凋落の始まったキリンビール社内の様子も丹念に追っています。

「一番搾り」「端麗」「氷結」 どの商品も、キリンビールが先鞭を切ったわけではなく、スーパードライに始まり、他社から生まれた商品への対抗で誕生したものばかり。

 一方、第1章で記される「ハートランド」は、他社との競合でなく、「ラガー」という圧倒的に強い商品をもつがゆえ、驕りが目立ち初めていた同社社風への危惧から生まれた商品だったそうです。
 潜在的に抱える自社の危機を察知し、新たな商品開発ができるだけの力量をもちながらも、その後の凋落を避けられなかった同社を象徴的に表す商品として「ハートランド」
だけを、時系列でなくあえて第1章で取り上げることで、よりその対比を鮮明に読者に与えています。

 そしてその「ハートランド」開発の立役者こそが、本書で取り上げる前田仁氏でした。
マーケッターとして圧倒的な商品開発力をもち、部下の人望も厚かった前田氏。それでも二度の左遷を受け、最後はグループ会社、キリンビバレッジの社長にはなったものの、本流であるキリンビールに席を用意されることもなく静かに同社を去ります。そして70歳という若さで他界。

「社内ではなく、絶えずお客様を見ろ」と部下を叱責。時に高価な材料を使ってまでも、妥協なき商品開発を推進。
 理に関わないことに対しては、例え経営陣であっても厳しく意見をしたその姿勢は、多くの賛同者を生みながらも、快く思わない層からは、いつしか疎まれる存在になっていた前田氏。
 こう記してしまうと、華々しい活躍をしながらも、結局、報われなかったビジネスマンの悲哀の物語かと感じてしまいそうですが、本書で記される前田氏の様子は、そんなネガティブさは微塵も感じさせないもの。書籍を通じてでも、その人物像は魅力にあふれ、一度お会いしてみたかったと誰でも感じるのではないでしょうか。

 本書は、キリンビールの知られざるマーケッター、前田氏の評伝の体裁をとっていますが、著者は本書を通じ、これと同じような物語は、この30年来、多くの日本企業で起こってきたものではないかと、我々に問いかけているかのようです。
 新市場を開発することもなく、
失敗を恐れ前例の踏襲がはびこる。社内政治に翻弄され、異端児は排除、組織の活力低下は止まらず。
 時代は移り変われど、どの社にだって、前田氏の様な人物は必ずいる筈。経営陣は、そういった人物を絶対に埋もれさせる事なかれ。そんな著者の思いが強く伝わってくる1冊でした。


                         プレジデント社 2022年5月30日 第1刷発行