2018年11月02日
此性と固有名
Quand je disais Felix et moi, nous avions ete plutot comme des ruisseaux, je voulais dire que l'indivuation n'est pas necessairement personnelle. Nous ne sommes pas du tout surs, d'etre des personnes : un courant d'air, un vent, une journee, une heure de la journee, un ruisseau, un lieu, une bataille, une maladie ont une individualite non personnelle. Ils ont des nom propres. Nous les appelons 《 hecceites 》. "Pourparlers" p.193 フランス語のアクサンは表示されません。
「此性」は概念形成が困難な自閉症的認知特性に適合している。概念を形成するとは、個々の具体的事物のあいだにある差異をあえて無視して抽象化することであるのだから。Steven Shaviro は "the universe of things on speculative realism" の一つの章でこれに関して論じている。一方、固有名はクリプキの議論(確定記述に還元されない過剰)に従う。
このことは「構造以前あるいは手前」と「構造の内破あるいは過剰」の差異に等しい、さらにはバディウのいう「下への超越」と「上への超越」にも等しい。しかし、ドゥルーズはこの差異を無視している。さらに、これはドゥルーズがASDとスキゾの差異を無視していることとパラレルでもある。
此性と固有名の短絡は、ドゥルーズの症状であるようにも思われてくる。
関連記事:★フロイト・ラカン・ドゥルーズの三つ巴関係
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「此性」は概念形成が困難な自閉症的認知特性に適合している。概念を形成するとは、個々の具体的事物のあいだにある差異をあえて無視して抽象化することであるのだから。Steven Shaviro は "the universe of things on speculative realism" の一つの章でこれに関して論じている。一方、固有名はクリプキの議論(確定記述に還元されない過剰)に従う。
このことは「構造以前あるいは手前」と「構造の内破あるいは過剰」の差異に等しい、さらにはバディウのいう「下への超越」と「上への超越」にも等しい。しかし、ドゥルーズはこの差異を無視している。さらに、これはドゥルーズがASDとスキゾの差異を無視していることとパラレルでもある。
此性と固有名の短絡は、ドゥルーズの症状であるようにも思われてくる。
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kay_shixima at 20:00││思考の断片