【人生は逆転できる!】小企業コンサル・講演家の天職ブログ

講演家・作家・雑談相手。著書は「やずやの秘密」「弱者の戦略」「小さな会社★儲けのルール」「逆転!バカ社長」「35歳から一生負けない生き方」。22年で約1000回の人生経営勉強会「ベンチャー大学」「経営人生計画セミナー」毎月開催。人生の成功は<夢×戦略×感謝>をモットーに、弱者の独立起業・経営アドバイス・講演・執筆・コンサル・勉強会・個別相談会を実施。2007年に家族で1年間の世界一周を実現!

2006年11月

世界一周!南米・世界遺産の氷河!

アルゼンチンの南、南米大陸のパタゴニアの末端にある世界遺産にもなっている「カラファテ」の氷河です。素直に感動しました。生きてて良かったと思いました。感謝!

世界一周!南米カラファテ・世界一の氷河!

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氷河1

流氷ブルーホール流氷船で皆と

 

 

 

 

光の氷

迫る氷河1迫る氷河2

 

 

 

 

・カラファテはアルゼンチンの南にある氷河の観光地。氷河か・・・あまり期待はしてなかったが、ブルーの氷河には驚いた。天然の氷河や流氷が、目の覚めるような透き通るようなスカイブルー、青色なのだ。こんなに綺麗なブルーは生まれて初めてかも。氷は実際は白というか透明なのだが、ここの氷は光の青以外の光線を吸い込むが、青だけは反射するという。だから青く見えるとか。まあとにかく、自然の創りだした色彩は見事。しかし、俺にはそれだけだ。素晴らしいが、なんというか、日頃のストレスを発散する・・今は普段、ストレスがない。自然に浸りすぎると鈍感になる。幸せすぎるのだ。

迫る氷河3青い氷河崩れる氷河

 

 

 

 

崩れる氷河はしゃぐ子供たち美しい山河と氷河

 

 

 

 

・カラファテでも富士旅館という日本人宿にお世話になった。日本人の夫と韓国人の奥さんの夫婦経営。日本でアパレル関連の営業をやっていたらしいが、アルゼンチン在住の韓国人の友人知人に誘われて移住。色々考え、最初は日本人向けの弁当屋を開業。知り合いや地元新聞への広告でぼちぼちの注文。

ある日、日経新聞のアルゼンチン販売代理店の人から、「そういう商材は駐在員を狙わねば。駐在員は地元新聞ではなく、日本の新聞を読んでいる」と助言され、アルゼンチンで配られる日経新聞や朝日新聞に折り込みチラシを入れたところ注文が殺到。それが2000年前後のこと。日本食の弁当を宅配する会社は他に1件しかなく、日本の大企業のアルゼンチン駐在員に大受け。大いに儲かったという。

しかし、2002年のアルゼンチン経済の崩壊で貨幣価値が暴落し、売上は3分の1に減少。副業でやっていたブエノスアイレスの格安ホテル事業を日本人専門の宿に改良し成功。2年前からはこのカラファテにも支店を出している。が、このカラファテはまだ赤字。稼働は夏の11月〜2月程度で、他の1年の半分は雪と氷に閉ざされて実質、営業は不可。ブエノスアイレスは充分黒字なので、全体として廻っているという。

カラファテの街から湖

 

宿から見たカラファテの大自然

 

 

この宿で2組のカップルに遭遇。1組は夫婦で夫は38歳。昨年まで16年勤めた大手ゼネコンを退社し、夫婦で2年以上旅している。もう1組は未婚のカップル。女性の方とは以前、別な南米の宿で会ったが、29歳の彼女は日本で彼氏と別れてきた、ある意味で傷心の旅?俺が独身で彼女がいなかったらぜひアタックしたいと思う素敵な女性だが、先月、他の宿で会った彼氏とカップルになり、今は一緒に旅行しているという。残念というか良かったというか。

旅には様々なスタイルがある。一人旅、カップル、家族、同性の友人同士、自由旅行、パック旅行などなど。私らのような親子の旅は喧嘩も絶えないが、にぎやかで楽しい。カップルや友人同士なども同じ。それに比べ、一人旅は寂しい。孤独に強い人を除き、移動中も食事の時も、話し相手がいないのは淋しい。特に語学力がない身で海外の場合は。しかし、旅の醍醐味を海外の現地人や他人との交流に求めるなら、一人旅が有利。家族やカップルの旅だと、仲間内だけで話す。他の旅行者や現地人も、遠慮して話しかけてこない。仲間内での会話はたやすい。見知らぬ人と新たに人間関係を創るのは営業活動と同じで労力がいる。

私の場合、今はあまりに家族に浸かりすぎている。旅の計画や手順はすべて妻に任せ、朝から晩まで話し相手は子供と妻ばかり。たまに同じ宿の日本人や外国人とはカタコトで話すこともあるが、話は浅い。挨拶程度。というか、相手が日本人の場合、どうせ学生か無職のフリーターで話しても得るものがないだろうと腰が引けているね。実際、話してみると半分は当たりなのだが。どうにもこうにも、人間関係の新規開拓に煩わしさを感じてしまっている俺。というか、今までずっとスペイン語かポルトガル語圏が多く、勉強もチャレンジもしてない俺は現地人と会話ができない。現地と話さなくても生きられる家族旅の難点でもある。

一人旅で現地人と話さざるを得ない場合、もう8ヶ月目なのだから日常のスペイン語は話せるはずだが全くダメ。まあ今回はスペイン語は諦めた。家族と日本人との会話に専念しよう。一番大事な家族。家族と今までこんなに会話したことはない。特に子供とは。今ではすっかり友達だ。妻には迷惑をかけっぱなし。俺は完全に3人目の子供になりきっている。旅行会社に頼らず、3人の子供を引き連れて世界を旅している妻に感謝。

■ドキュメント・強盗事件

11/11カラファテからバスで約40時間、首都のブエノスアイレスへ。

市内中心部よりバスで約45分の日本人宿・日本旅館へ。地図を見ると近所にコリアンタウンがあるので韓国料理を食べようと、昼前に宿に着いてすぐに外出。途中、浮浪者が寝ていて「デネーロ!」金をくれと言われたが、そのまま無視して通り過ぎる。韓国食堂は期待通りの味で大満足。その後、私の草履の鼻緒が切れたので新しい草履を買い、ブラブラと歩きながら宿へ戻る。

行きに浮浪者がいたバス通りにさしかかり、気持ち悪いので浮浪者がいない反対側の歩道を家族で歩く。ふと右を見ると、なんとなくスラム街のような、しかし活気もありそうな大衆庶民街が目に入る。今まで行ったアルゼンチンの町はどこも欧米のように洗練されていて素敵なのだが、個人的にはこういう貧困的な大衆街がいいなあ、あとで歩いてみるかなあと思いながら歩き続ける。ふと、俺の前にカジュアルなシャツを着流した若者が、俺の後ろかなんかにいる仲間と何か話しているなあ、

と思った瞬間、いきなりその男が俺のウエストバッグにしがみついてきた。「うわー、何をするんだあ!!やめろう!!」みたいな日本語を叫んだが、数秒ほどのもがき合いの後、「バリッ!」という音と共にウエストバッグを引きちぎられた。男が逃げる。一人だと思ったが3人だ。俺もすぐに追いかけたが、あっという間にグングン引き離される。さっき買ったばかりのゴム草履が足に馴染まず、痛くて走ろうにも走れない。

男達はバス通りから右へ曲がってスラム街の中に逃げ込み、私も後を追ってスラム街へ入ったが、その時にはもう50m以上の差が。同時に、このまま追って深追いになればヤバイかも。クレジットカードも入っているから、追いついたら逆に暗証番号を言え!と凶器でやられるかもねと足取りも遅くなり・・・

しかし、金やカードはどうでもいい、アナログ手帳と電子手帳、あれが痛い。アナログ手帳には亡くなった親父とお袋の貴重な写真、6年越しの夢目標カードや今年になってからの気づきメモ、般若心経の大家・松原泰道先生のサインもある、一番痛いのは電子手帳。あれには社会人になってから20年以上連綿と入力してきた1000人前後の住所録がある。この数年は名刺やメールが会社に残っているからまだいいが、大事なのは10年20年前の人脈データ。金には換えられない情報。お前なんかには一銭の価値もないだろう。金ならもっとやるから、せめて手帳を返してくれ!!!と言いたかったがスペイン語はほとんど話せない。

これは本当に大変なことになった!!神様、誰か助けてくれ!ああ、しかし、もうダメだ・・・。道沿いから地元住人が何人か出てきて、俺があの男をどうにかできないものか?あの犯人を何とか捕まえられないか?俺の大事なものを奪って逃げたんだ・・と言葉は出ないので目とゼシュチャーで訴えたが、もはや無理だ、もう追いかけるな、あぶない!と追い返す仕草。この野郎、貴様らも共犯者か!と新たな怒りが湧き出てきた。

追うのは止めよう、しかし、悔しい、あの電子手帳は何とか取り戻せないか、諦めきれないと迷い思っていた時、後を追ってきた妻の「もう戻りましょう。良かったわ、ケガもなくて。カードはすぐに発行停止処分できるから大丈夫よ」の言葉に我もプラス発想をせねばと「うん、電子手帳が痛いけど、俺も皆もケガが無くて幸いだったね」「パパ、大丈夫?すごかったね」「やられたね」

「この子達、パパが襲われているとき、パパを助けなきゃ!なんて犯人に向かう素振りを見せたから、私は必死で止めたのよ。とにかく、子供達の命が一番大事だから」「うんそうだね。すまなかった。しかし、何もできなかったな。やられたね。スゴイ」「びっくりしたわ。でも、いきなり4人の男がパパの腰に飛びかかり、ウエストバッグをひったくったからねえ」

「4人?そんなにいた?気づかなかった」と何気なくポケットに手を入れると、1週間前、ウスアイアで買ったばかりのデジカメもない!ああ、またもショック!「でもいいわよ。それで済んで」「本当にそうだね」で、すぐに妻が国際電話でVISAカードに発行停止の電話。こちらは昼の午後2時半で日本は夜中の2時半で大丈夫かと変な気遣いをしたが、無事に使用停止措置が完了。ざまあみやがれ、これであいつらはカードが使えない。でも手帳が・・・

いや、ケガも命も無事で良かったのだ・・でも痛い・・と気持ちの揺れは続いたが、妻はすぐに次の行動。「さあ、観光警察に行くわよ」で、ブエノスアイレスの都心にある観光客専用の警察へ。宿に泊まっている長期旅行カップルの女性から「英語が通じて対応が親切なのは観光ポリス」と聞いて地図で場所探し、飛び込みで訪問することに。運良くすぐに見つかり、確かに対応が丁寧で、迅速に被害証明書をワープロプリントアウトしてくれた。スペイン語だが。これがあれば、海外保険でデジカメや電子手帳の購入金額が支払われる。

まあしかし、そんなものはどうでもいい。返して欲しいのはデータだ。ソフト。いやほんと、大事なのはハードよりもソフトだ。なんでバックアップをしてなかったのか。あのカシオの電子手帳はもはや後継機種もなく、パソコンにも接続できず、いつかはしっかりバックアップをせねばと思いながらのばしのばし・・。

あーあ。しかし、なんというか、前向きな捨てる行為。何かを得るには捨てねばならない。本が出たこの数年、講演も年間100回近くになり、人に会う機会が数倍に増えた。しかし、その分、確実に人付き合いも薄くなった。数が多くなった分、つき合いが浅くなったね。かつ、全国に広がり過ぎた。結果として地元軽視。

俺は全国区でやるタイプではない。所詮は田舎モンなのだから、東京や全国は無視すべき。ある意味、データが消えてすっきりした部分もある。これで個人的にバブルな人脈やデータが消え、本当につき合うべき人とだけに絞れるのではないか。とかなんとか自分の心をなだめるのに必死な私。いやいやショック。

あとで聞けば、あの地域はアルゼンチンでもっとも危険な場所だと。ネットでいろいろ調べたり、宿の長期滞在者からも、「あー、あのボリビア人街は2ヶ月に1人は日本人がやられてますね。だから皆、あの通りは歩きません。コリアンタウンへ行く場合は、迂回して行くんです」と後の祭りで聞いた。「ボリビアからの移民があそこに住み着いてるんですが、不法滞在者も多く、だからこそまともな職に着けない。勢い、犯罪に走るんですね」。

先住民が多いボリビアやペルーは貧困国だが、それなりに必死にもがいて努力している様に好感を持っていた。スラム街に漂う明日のジョーみたいなハングリー精神も好きだ。アルゼンチンの綺麗な欧米的な観光地もいいけど、個人的には先住系貧困系スラム系に親しみを感じるねえと思っていた。

今回、犯人はどうみてもボリビア人。先住民とスペイン人の混血みたいな典型的なメスチソの若者。18歳くらいか。豊かに見えるアルゼンチンに夢を見て貧乏なボリビアを抜け出してきたのか、それとも、先駆者の子供か。あのボリビア人街で生まれ育ち、生まれも育ちもアルゼンチンだが、親はボリビア人移民か不法滞在者で、外見も経歴も身分も親も、このアルゼンチンではどうやっても這い上がることはできず、学歴もなく、職歴もない。生まれたときから圧倒的に差別されている。圧倒的に無力。

コリアンタウンの韓国人のように、例えば韓国料理とか本国の強さに裏打ちされた教育や財力や勤勉力は、このアルゼンチンの非合法地帯の街のボリビア人にはない。そんなボリビア人を、韓国人は従業員としてこき使うと聞いた。タダでさえ職がないボリビア人だが、不法滞在の場合はもっと職にありつけない。その足元を見られてか、この国のボリビア人は劣悪な労働環境で安い賃金で働かざるを得ないと聞いた。俺を襲った犯人もそういう輩だろう。

奪ったデジカメや電子手帳を上手く換金し、現金と合わせたら2万円くらいになるか。それで何日遊んで暮らせるか知らないが、まあ犯行に及んだ4人で分ければ大した小遣いにはならないかもだが、それが君らのなにがしかのより良い自立につながることを少し祈る。

氷河の平原で皆と

カラファテの氷河と山河。まさに別世界。狭い日本でせっせと働いている皆には申し訳ないと思う。そんなことは思う必要はないのだが。何というか心苦しい。大自然を眺めながら、意外に他人の目を気にする俺の心の小ささを自覚。それも良し。すべてにありがとう。

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世界一周!世界最南端の街で

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ウスアイア全景海■11月上旬 

世界最南端の街ウスアイア・アルゼンチン

泊まっている日本人宿・上野山荘のオーナーは84歳の上野おばあちゃん。2年ほど前に亡くなった夫と共に40年以上前に「移民の多いブラジルやペルーやパラグアイは嫌だ」と日本人移民のほとんどいなかったアルゼンチンへ移住。様々な商売をやりながら、趣味の魚釣りの場所を追い求めているうちにウスアイアへ漂着。南米のスイスと言われる世界最南端の理想郷に自宅を構え、優雅な年金?生活で釣り三昧という夢のような毎日(実際は1年の半年近くが雪に閉ざされた世界)。

ウスアイア先住民

 

欧米人がこのアルゼンチンの最南端にまで侵略してきた1500年頃にいた先住民。ほとんどは死亡。末裔みたいな混血系の地元民が多数いる。 ブエノスアイレスなんかでは見かけない人相。

 

 

 

上野さんと子供達ところがある日、街で見かけた日本人バックパッカーを家に泊めるうち、口コミで広まって押すな押すなの大盛況で簡易宿を開業することに。この上野山荘、至る所に手書きの張り紙や注意書きがある。風呂の入り方、ペットの犬トルーチャの散歩の仕方他。そのほとんどは、宿に泊まった客がおばあちゃんの手を煩わせないよう、親切で書いている。なぜなら、上野おばあちゃんは84歳にしては大変元気で矍鑠(かくしゃく)としているが、片手が動かず、片目も見えない。かつ、宿の経営と日々の運営はおばあちゃん一人で、何があってもおかしくない状態。「緊急時」の連絡網も親切丁寧に書いてある。

掃除は地元のアルゼンチンのおばさんが週に1回のみ。つまり、宿泊客はおばあちゃんに労力がかからないよう自然と宿を丁寧に使うようになり、自炊の出きる調理場やトイレもキレイだ。

随所に親切な空気が流れている。親切ではない俺自身、自分の心がキレイになり、善人に変わるのを感じる。人間は環境で変わるのだと実感する。

下記、南米大陸を徒歩で縦断した池田さんの本の、池田さんの親によるあとがきを読んで驚いた。

池田さんは縦断の最後にこのウスアイアの上野山荘に到着したが、「1年以上かかった南米大陸縦断より、わずか1週間の上野山荘での滞在経験は僕の人生を大きく変えるだろう」と両親に話している。残念なことに、その1年後に池田さんは東京の建設現場でのバイト中、落ちてきた鉄骨に頭を砕かれて死亡。その数年後、労災認定で約1000万円の補償金が出たが、なんと両親は、そのお金を全額、息子がお世話になったと上野山荘に寄付。上野さんはその寄付で上野山荘を増改築した。

俺達が泊まった部屋にキッチンと五右衛門風呂と居心地のいいリビングがそうだ。上野山荘に泊まりに来るお客で一番多いのは、池田さんのような20代前半の若者、それも学生か無職の長期バックパッカーが大半。通常、こんな世界最南端の街に来るということは、日本からだと数週間以上の休みが必要で、まともな社会人や普通の旅人は訪れない。池田さんのような、ある意味で人生に迷う若者、良くも悪くも、一歩間違えれば世界の放浪人となるバックパッカーが多い。

しかし、この私もそうだが、長期のバックパッカー・貧乏系旅人の目的は世界を見ることと同じくらい、自分を見ているというか、自分探しをしている人が多い(と感じる、というか、そう見たがる俺)。自分探しというか、世界を放浪しながら、自分の進むべき道、天職、運命、やるべきこと、決断すべきことを探している。世界を旅しながら、様々な人に会いながら、多くの出来事やトラブルに遭いながら、自分とは何なのかを見極めようとしている。青臭いモラトリアム、執行猶予、就職したくない症候群、青い鳥症候群、自分探し症候群、下流社会系。

いろいろだが、悩み苦しみ、果敢に自分の人生にチャレンジした自分の息子のようなバックパッカーを応援支援したいということなのだ。息子は上野山荘をゴールとする南米の旅で、環境保護の道に進むという夢と目標を見つけたが、志半ばで死んだ。同じく、何かを探しに上野山荘に来た若者を、自分の息子のごとく支援したい、見守りたい。これが池田さんの両親、上野夫妻の夢であり志なのだ。

悩める永遠の青年。俺も全くそうだね。正直、17歳〜20代の頃と変わらない部分が沢山ある。あの頃がつい最近のような気がする。俺は20代から30代前半まで7回の転職をした。転職活動というのは履歴書や職務経歴書や自己PR書などが伴い、良くも悪くも過去の人生を振り返ざるをえない。俺の場合、負け転職というか、ダメ退職・転職が多かった。

幸いなことに、40代で「自分なりには」最高の逆転劇が演じられたと思っているが、これ以外で自分の人生で最高だった時期というのは、高校2年の17歳から大学を卒業する23歳までの時期。一般大衆の世界ではまあまあの大学に入り、遊びの文系大学生としては文武両道で頑張った。高校まで作文が苦手という反動で大学に入ってからは読書と日記に没頭し、その傍らには虐め克服のために通った少林寺拳法で関西大会優勝。オフロードバイクで全国をツーリングの旅もした。

高校2年のまりちゃんとの恋は半年で儚く散ったが、手を握っただけで息子は超勃起状態の超プラトニックラブで、その恋心は今もときたまときめくね。大学時代は彼女ができず、留年した5年生の夏まで何もない童貞で焦ったが、最初がトルコ嬢とかは避けたかった。そして、何気ないアメリカニューヨークへの3ヶ月の英語サマースクールで出逢った先生のジュディさんと動物のようなセックス三昧の、でもしっかり恋愛感情も湧いた夢のような初体験はニューヨークはアメリカ人の女性で先生という大物?をゲット!大きな課題だった童貞喪失は社会人になる前の逆転満塁ホームラン(1980年頃の大学生性交経験が3割、今で6割という統計はうなずける。意外に遅いのよ、皆さん)。

就職も一部上場会社のヤマハ発動機に決まり、京大法学部でアメフト出身とかのスーパースターには勝てないが、上中下で言えば明らかに俺は上の人間だと思ったのもつかの間、就職後はダメ転職を繰り返すサラリーマン落第生の坂を転げ落ち・・。とどめ(と思った)は実家がかぶった連帯保証1億円事件で、それを俺も引き継ぎ、さらにその翌年には母が自殺し、しかもその原因の何割かは確実に俺の責任で、実態は俺が母を殺したようなもので、こんな最低な人生も珍しいと、客観的に見ればなかなか面白い火曜サスペンス物語だと思いながら、仕事も失敗人生だったが、正社員試験には落ちたが、身分はバイトだったが過去の仕事人生の中では燃えた24歳から26歳までのリクルート人材センター時代のようなパワーはもう出ないだろうと悲観的だったが諦めきれず、かと言って死ぬ気の努力をする機会もなく、仕事は適当で努力も適当というか、遊び感覚で続いたのが九州ベンチャー大学であり、俺と同じように過去の人生は大したことないか失敗したが、その後逆転好転した人物を見つけてその人生遍歴を取材して講師で呼んで話を聞いて俺もこうなりたい、皆もそうだろという活動を、気づけば10年以上続けていた。

食うや食わずの独立開業もいつの間にか10年を突破。サラリーマンは3年以上続いたことがなかったから、結果としては今のような自営業(最初は広告代理業、その後は起業家人生研究家?・異業種交流事業?・作家?講演家・無料人生雑談業)が合っていたのだろう。

そう、無料職業相談業。それは内向的な悩める人を対象にした作家の本多信一さんが30年以上やっている仕事。私もそういう人に出逢いたかったというか、そういう悩める人の相談相手になりたかった。というか、昔の自分のような人の役に立ちたい、救いたい。昔の自分に、大丈夫だよ、最初の就職が失敗しても、その後の転職が失敗しても、借金を被っても、起業してうまくいかなくても、鬱病になっても、人生は何度でもやり直せるよ、大丈夫だよ、共に歩もう!

トルーチャ大■上野山荘の番犬トルーチャが最高に可愛い。宿にはいると即、我々を迎えてくれた。初めて会うにも関わらず、最初からなついてくる。最高に受けたのは、私らがテーブルで食事をしていると、トルーチャが膝や太ももに顔を乗せてくること。その食事、少しは私にも分けて下さいとおねだりしているのだ。かつ、その大きな瞳に見つめられるといちころだね。犬嫌いの次男も喜び、すぐに仲良しに。翌日からトルーチャの散歩が子供達の日課となった。

「上野おばあちゃんは高齢で足も弱いので散歩の相手ができません。だから、宿泊者の皆さん、なるべくトルーチャを散歩に連れていって下さい。注意点はこうで、ルートは・・」と、宿の情報ノート(旅人の情報交換)に詳細が書かれている。素晴らしい親切に感動したね。客人が自然と宿の維持に協力するようになる。これが上野山荘だね。笑ったのは散歩チェック表。ラジオ体操の出席簿みたいなもので、散歩した人が名前と日付を書く表欄が手書きで作ってある。ラジオ体操の時と同じく、子供も私も、この表欄への記入印を並べるのが楽しみになった。

「人は自分の足取りや成果を記したい、残したいのだ。俺はここまでやったと。自己顕示欲は本能のようなものだ。犬が縄張りを示すように」。おー、うだうだ日記の楽しみの一つは、こういう格言が出てくること。書くと出てくる、見つかる。話すのもそう。人に話していると、自分でも思いも寄らぬ言葉を発する。話すこと、吐き出すことで悩みや問題の9割は解決する。書くこと、話すこと、そして、読んであげること、聞いてあげること。書く、話す、読む、聞く。この4つがあれば楽しい。今の旅に飽きてきているのは、自然や観光地を見るだけで、現地との会話がないこと、スペイン語やポルトガル語を敬遠していること。そういう意味では、英語が通じるアフリカは楽しみだ。

西岡さん・宿の同宿者、西岡さんは素晴らしくやさしい人。料理上手で親切。そのへんは子供達がすぐに見抜く。南米が好きで、今回の旅が3回目くらいで1年以上か。先住民の子供向けのボランティア活動もしている。日本では何の仕事をしているか忘れたが、こんな人が海外で日本人宿を経営してくれたらいいなと思う。

 

カニ世界最高jの味

最終日、近海で取れたカニを食う。一匹500円くらいか。これがもの凄くうまい。上野さん曰く「この冷たい近海で取れたて、茹でたて」。世界最南端のウスアイアのカニ。ここは公害とはほど遠い。まずいはずがない。

 

 

世界最南端の街ウスアイアの上野山荘のHP

 

■トルーチャとの別れが名残惜しかったが、ウスアイアから氷河のカラファテへバスで向かう。約20時間の旅。もう慣れた。車中は沢木耕太郎の深夜特急2を読む。香港の後、マレー半島をうろうろするあたり。今から30年前、沢木さん26歳の時の、全部で1年2ヶ月の旅のドキュメントエッセイ。

「人のためにもならず、学問の進歩に役立つわけでもなく、真実をきわめることもなく、記録を作るためのものでもなく、血湧き肉躍る冒険大活劇でもなく、まるで何の意味もなく、誰にでも可能で、しかし、およそ酔狂な奴でなくてはしそうにないことを、やりたかったのだ(「深夜特急」 第一章)。」

 26歳の沢木耕太郎は、机の引き出しに転がっている一円硬貨までをかき集めて1900ドルを作り、仕事の全てを放擲して旅に出た。「デリーからロンドンまで乗り合いバスで行くことができるか。」その酔狂な旅の途中で、彼はさまざまな場面に出会っていく・・・。決して色褪せることのない最高のノンフィクション。


 「もし、この本を読んで旅に出たくなった人がいたら、そう、私も友情をもってささやかな挨拶を送りたい。
 恐れずに。 しかし、気をつけて。」

(「深夜特急 第三便」 あとがきより)

深夜特急1深夜特急2深夜特急3

インドのデリーからイギリスのロンドンまで、乗合いバスで行く  。ある日そう思い立った26歳の<私>は、仕事をすべて投げ出して旅に出た。途中立ち寄った香港では、町の熱気に酔い痴れて、思わぬ長居をしてしまう。マカオでは、「大小」というサイコロ博奕に魅せられ、あわや・・・。一年以上にわたるユーラシア放浪が、今始まった。いざ、遠路二万キロ彼方のロンドンへ!

沢木さんの多くの読者がそうだろうが、感心があるのは旅の各地の観光情報ではなく、旅を通じた沢木さんの心の描写の部分。この有名なロングセラーを読むのは初めてだが、沢木さんは私が思った以上に体当たりで世界の国々を訪ね、思った以上にねばり強く値引き交渉などをし、異国の人とつきあい、トラベルのトラブルを楽しみ人し、時には罵詈雑言も吐いている。ガイドブックを持たず、現地で手に入れた地図を頼りにめぼしい町や村に飛び込んで、とにかく歩く。歩きながら五感を研ぎ澄まし、何かを探している。

何かとは何か。それは単純に素晴らしい青い空だったり、人だったり、出来事だったりするかもだが、一番大事なのは、自分の心。旅を通じて発見したいのは新しい自分だ。文中、我が意を得たりと膝を打ったのは、

「・・・私はバスの車窓から外の風景を眺めていた。気づけばもう10時間も経っていて、外は真っ暗だった。私が眺めていたのは風景ではなく、自分の心の内だったのだ・・・」。

まったく。こんな誰でも思う心情を上手く描写するから、それは時には太宰治のように堕落しているが、だからこそ、これは自分のことだと本を読むのだが、海外ホームレス長期旅行者を生み出した。そうか、読書とは新しい知識や感動を得るだけでなく、新しい自分を発見するためだ。

旅や読書は心の旅。「心の旅」。いいねえ。心の旅。チューリップは当てたねえ。いい曲名だ。

ああ、だから今夜だけは、君を抱いていたい
ああ、明日の今頃は、僕は汽車の中

そう、深夜特急が多くの若者の心を捉えたのは、それが単なる旅行記ではなく、瑞々しい(みずみずしい)26歳の沢木さんの、心の旅の日記だったから。

■宗教の対象は、自分よりも頭の悪い人が対象。いわば洗脳だから、頭のいい人は対象になりにくい。自分で考えない人が操作しやすい。知識や知恵のない人が感化されやすい。自立心が無く依存心が高い人、が操作しやすい、洗脳しやすい。下流社会の人。貧困、病気、悩み、苦難が宗教にはチャンス。

■南米大陸やアフリカでキリスト教が多いのは、識字率が低く、学業制度も進んでいなかったから。進んでいたアジアの日本や中国などではキリスト教への改宗洗脳は進まなかった。もちろん、素晴らしいキリスト教の指導者はいる。が、敬虔や博愛を売り物にするクリスチャンの指導者や商売人も多い。作家や講演家やコンサルタントも。騙されるな。

■さっき、イスラム教の創始者であるムハンマドの生涯を読んだが、自分が神の預言者だと心底から言えるのはなんというおこがましいヤツ。奇跡を起こす?子供だましの手品を駆使したか。他の教祖も皆そうだ。仏陀もキリストもとんでもない。天皇も。恥ずかしくないのか。何でもない人間を、赤ちゃんの頃から愛子様とか様付けで呼んだり呼ばれたり。生涯を税金で食わせてもらっている。まさに公務員か。公務。公僕。大衆に仕えよ、威張るな皇族。恥よ。可哀想な雅子さん。気楽な紀子さん。結果、イイ所取り。

世界一周!世界最南端の街で考えたこと

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ウスアイア全景海■10月下旬、世界最南端のウスアイア。アルゼンチンの最南端の町でもある。昨夜は夜10時頃に町に入ったために見えなかったが、それはもう素晴らしい景色。まさに南米のスイス(と言われる場所は各地にあるが。他には南米のパリとか)。観光化で小綺麗な避暑地のような町を、ビーグル海峡とその向こうの南極に近い山脈、後ろのダーウィン山脈が囲む。世界の果てにこんな素敵な場所(今までの価値観=欧米的・マスコミ洗脳=先進国の一般大衆的な価値観)があるとはね。現地の人には、単なる厳しい雪の山々と海なのだろうが。

いや、この自然が金を生む。バカな先進国の奴らはこんな自然を有り難いとわざわざ金と暇をかけてこんな僻地に来てくれる。しめしめ。有り難い。が、はっきり言って、こんな素晴らしい大自然の景色を1分以上楽しむほどの感受性や文学性や芸術性に関する仕事や能力のない私。素晴らしい。でも、もういい、が素直な気持ち。長期旅行者にありがちらしいが、世界のあちこちを巡るたびに自然や観光地に慣れ、感動しなくなるという。まさに俺がそうだ。

ウスアイア山こんな世界の最南端の、南米の大都市のブエノスアイレスからは約3000キロもあってバスでは30時間以上もかかるという(飛行機ならすっと来るが金額が高い)、なんという贅沢な旅でしか来れない場所なのに、ある意味では夢のような景色なのだが、お世辞のかけらもなく逞しく生きている次男も「うん、もう飽きた」と素直に言うが、俺達は、この素晴らしいが、ここで働くのではなく、一時の気休めのリフレッシュの旅人の目から見れば、ビジュアル的には素晴らしいに決まっているが、それまでのこと。

なんというか、一番の満足は、とりあえず、世界最南端の町まで来たという達成感はある(町ではない村や自然の島はまだまだ南極に到達するまでに無数にあるのだが)。こんな場所まで来た恵まれて幸運?な人間は、「世界が100人の村だったら」なら1%はおろか0コンマ数パーセントもいないだろう。

こんな機会に恵まれた今までの人生を支えていただいた親や先祖や友人知人やお客や読者や世代や時代や地球や宇宙やこの世やあの世に感謝せねばならない。本当にありがとうございます。

上野山荘全景■まあ、人によってはこんな最果ての町に来るのは何の意味もない旅であり場所だろうが。宿泊したのは「上野山荘・上野大学」という、なんと84歳になる上野さんというお婆ちゃんが経営する日本人専門の安宿。

元々は、戦後、「移民で皆がブラジルやパラグアイやペルーへ行くなら、俺は誰も行かないアルゼンチンだ」と夫婦で移民し、様々な自営業を経て釣りが好きな夫の上野さんはブエノスアイレスからこちらまで南下してきて居を構え、ウスアイアの町で会った日本人のバックパッカーを好意で無償で家に泊めていたら、それが旅人の間で口コミとなってどんどん増え、ならばと40年前から安宿をやるようになったらしい。

残念ながらおじいちゃんは数年前に亡くなり、今はお婆ちゃん一人で経営している。一泊一人約500円という安宿ながら、人に優しい木を贅沢に使った造りで、キッチンやリビングやテレビに加え、豊富な湯量のあるシャワーと五右衛門風呂もあり、しっかりした暖房もある。

五右衛門風呂五右衛門風呂の由来は、石川五右衛門(という名は知っていたが)という江戸時代かなんかの大犯罪人を熱湯で処刑した釜からとは知らなかった。

俺達にとって、異国の旅の楽しみの一つは自炊ができる宿。自炊=日本食、特に白米が食えるのが幸せ。普段は現地食が多く、それはそれでそうあるべきなのかもだが、やはり体と舌の味覚の細胞は日本食が美味しいと形成されている。かつ、小学生の子供が自炊の手伝いをするのが楽しみらしく、もしかしたら将来、飲食業の道に行く場合は役立つかも。そうでなくても、自炊や料理ができる男は重宝されてもてるし。

私の自炊宿での楽しみの一つは、ポップコーンを自前で作れること。何を隠そう、私はポップコーンが大好き。日本時代はセブンイレブンとファミリーマートのポップコーンが大好きで、日曜午後の休みのドライブ時にはほぼ毎回買っていた。福岡・今宿の牧のうどんで家族4人で大盛り2人分の1050円のコロッケうどんを食い、その後はポップコーンを食いながら糸島半島をドライブしながら海で泳いだり、遊んだり、読書したり、散歩したり、公園でサッカーや野球をやったり・・。

おお、日本での日々が懐かしい。糸島半島の、弊の浜の海は素晴らしい。あれ以上の海はこのラテンでは少ない。コスタリカの無名海岸はすごかったが、他は汚れている。発展途上国=日本もだが、戦後急いで工業化した国はどこも公害垂れ流しで自然破壊が進んで汚い。

■ああしかし、俺は日本で復活できるのか。かなり退廃化してきている。人間が腐ってきている。堕落。海外長期バックパッカーに多い症状。長期旅行ということは、一部の例外を除いて会社や仕事は辞めてきている。失業者、無職。いや、職は求めていないのだから失業者ではないか。自発的に無職になり、日本での生産的な生活を捨て、世界を放浪している。

欧米を除くと、世界の大半は貧乏な発展途上国で、貧乏=先進国から見た価値観だが、貧乏=物価が安く、物価の高い日本の円が100万円あれば1年は世界を旅して暮らせる。世界といっても欧米以外のアジアやラテンやアフリカだが。移動せず、つまり、飛行機やバスなどの交通手段を使わず、ホテルも使わずに現地で知り合った人の家とかに居候すれば、もっと金はかからずに生活できる。

ボリビアなんかは外食で100円以下、宿も200円とかでOK。1日500円あればいい。つまり、計算上は、年間で20万あれば過ごせる。実際、その程度で世界を暮らしながら、旅しながら、歩いている日本人にあった。私らの場合は1年一人100万円だが(飛行機代なども含む)。100万円あれば、3〜5年くらい、世界の貧国で旅というか沈没できるのが日本人なのだ。それは日本の乞食というかホームレスと変わらないかもね。実態は。資本主義的な競争社会からの脱落。というか拒否。積極的な脱出。

人生は一度だ。迷惑もかかるかもだが、所詮は自分の人生。旅先でそういう沈没旅行者に会うと以前は軽蔑したというか、今も少し軽蔑するが、というか、嫌悪感を抱くが、それはそれで一つの生き方だし、狭い日本で狭い価値観にがんじがらめで生きるより、異国を旅しながらのホームレスって素晴らしいかも。「寅さん」や「山頭火」の世界放浪版か。

いや、寅さんも旅先では露天商というか香具師をやって最低限は稼いでいるか。いずれにしろ、世界の貧国の日本人安宿には、無職の長期海外滞在旅行者=通称、「沈没」が少なからずいる。そうかあ、あの存在の違和感というか、どう解釈したらいいのかわからなかったが、日本でいう乞食、いや、乞食は街頭で「お金や食い物を下さい」という仕事をするが、彼らの場合はそれはしない。ならば海外在住のホームレスか。でも、宿には居着いているからホームレスではない。自分のホームがないという意味ではホームレスか。

ホームグラウンドがない。故郷も職場も国もなく、生きがいも夢も目標も大志も使命も何もなく、ただ、日々を流されて生きている。世界の貧国を漂白する日本人。貧国。ここだ。欧米では物価が高くてやっていけない。いや、欧米でも、日本ではホームレスの大半が一番物価が高い東京に生息するように、欧米にも沈没宿があるのだ。いや、本当に、プロの沈没者は、貧国とはいえ世界の都会の日本人宿とか、つまり、他に仲間がいる場所には寄りつかない。一人では寂しいから集まる。人間は孤独を嫌う。というのは孤独に弱い人間で、孤独に強い、好きな人間もいる。そういう孤高の人は、人が集まる場所にいない。世間から知られていない。真のホームレスは表に出ない。

まあ、どうでもいいが、世界的に見て経済的に強い円を持つ日本人の場合(一部の欧米人も含む)、わずかな金で世界の貧国で生活できる。旅できる。様々なものを捨てれば。捨てるというか逃げるというか昔の移民のように積極的に行くというか脱出するというか世界企業の先兵として開拓するというか。

ここまで書いてきて、俺は無職の長期海外旅行者を軽蔑している、嫌悪しているのがよくわかる。正しい人生の成功は、仕事をバリバリやって金を稼いで家族や友人知人や社員や地域社会や国に貢献し、結果として世界にもこの世にも貢献することだと。それは昔ながらのまじめな日本人の価値観かもだが、マジメに勉強して働いて頑張って、その結果、日本は戦後わずかな期間で世界一の経済大国になった。その恩恵で、俺達も特別な金持ちでもないのに、家族で世界一周1年間とかいう贅沢な海外旅行をさせてもらっている。

贅沢?家族4人で1年間約800万円の予算。半分は国内の家や事務所の維持費で、海外旅行費用は4人で400万円。一人あたりは100万円。わずか100万円(世界の貧国では国によっては一生遊んで暮らせる額だが)で世界一周ができる。つまり、ほとんどの日本人に世界一周(貧乏バックパッカー)のチャンスはある。特別な能力は必要ない。

事実、沈没系やバックパッカー系長期旅行者は、日本では学生か無職かフリーターや派遣労働者が多く、いわゆる一流企業やエリートの道からは外れた人がほとんど。そんなダメ脱落者でも、世界一周はできる。だから、世界を旅すること自体は大したことではない。事実、世界一周するとはいっても、言ったときには私らの場合も他の人の場合も、周囲の家族や友人知人は多少驚いたりするが、スゲエ!とかそんな無謀をとかいうが、羨ましいとも言われるが、今どき、世界一周、長期の旅なんてなんも珍しいことではなく、(とはいっても100人中半分もしてないが40代以下なら友人知人に1人はいるはず)「世界一周、スゴイですね」と表向きは言うが、学生ならOKだが、社会人の場合、会社や仕事を辞めて、仕事に関係ない長期の旅をして、帰国後の仕事はどうするの?

堕落するね、あんたは。もうダメだよ。そんなことをして・・とも、俺も第三者なら少し思う。お堅い日本の大企業の場合、基本的にはそんな人間はサラリーマンとして採用しない。自営業の場合でも、例えば、日本滞在時の俺のような零細中小企業向けの起業・経営コンサルタント講演家・作家の場合、そんなヤツには仕事は頼みたくないね。と半分は思う。こっちは必死扱いて死ぬ思いで独立自営の世界を戦ってるんだ。世界一周?ふざけるな。だね。

全部が全部そうではないだろうし、人生は仕事ばかりではないと思う人の場合、「栢野さんの、その捨てるチャレンジ精神がスゴイですね」と評価も支持もしてくれるが、少なくとも今の時点では、今回の世界一周旅行は、家族の絆は強くなったが(そりゃ感動も多いが見知らぬ異国の旅でストレスも多く、各自の我が儘を抑えねばならぬ局面も多く、摩擦係数も高まっているが)、零細起業コンサルタント・講演家・作家(へっ、たかが2冊だけで作家だとよ。しかもその1冊はゴーストライター)としては、沢木耕太郎や椎名誠や五木寛之や司馬遼太郎のような旅の体験そのもの、または感じたものをそれなりに意味があるように書くのが仕事ではないので、旅自体は仕事には関係ない。

本当は、貧国中心とはいえ、海外の様々な商売や起業人に勇気を出して声をかけたり、インタビューしたりすればいい。が、悲しいかな、今までで言えば中南米の場合はスペイン語かポルトガル語が会話するほど、意志疎通するほどの語学力がない。実は旅の最初はそういう意欲があったのだが挫折した。

旅自体は妻が隊長で、ほとんどすべての行動は妻が仕切る。任せきり。ということは、言葉もなにも覚えなくても生きていける。=語学力が身に着かない。淋しいときには家族という日本語の話し相手がいつでもいる。これでは現地の語学力も人脈も接触力も身に着かない。ある意味の堕落。海外を添乗員付きで廻る、金持ちの日本人海外パックツアーとある意味変わらない。表向きは海外留学、実は語学留学、実は授業以外は異国でも自分と同じような傷を舐め合うダメ系日本人とばかり話して、海外でなれ合い友人を作ってくる金持ちのバカぼんぼん息子や娘となんら変わらない俺。

そうは言っても、この半年でも普通の日本人が行けない世界遺産のような場所へ数多く行った。ある意味、日本人は世界一、世界へ旅しているが、そのほとんどは学生かゆとりのある定年退職者とかのリタイヤ組か世界放浪ホームレス系(その99,9%は一人かカップルか夫婦か)で、子供連れには今まで会ってない。もしかしたら、俺達は日本で唯一の、子連れ世界一周バックパッカーかも知れない。へースゴイねー。でも、それがどうした。そうですか。旅先で出逢う、日本企業から派遣された現地駐在員:現地ではエリート:がまぶしい。2年間とはいえ、派遣されてマジメに働いて貧国に貢献しているジャイカ:海外青年協力隊の人にも引け目を感じる。個人的に一番尊敬するのは、移民やなんやで世界の国に移り住み、現地でしっかり働いている日本人。そういう、いわゆる正社員や正自営業(企業派遣や自力系の海外留学生も含む)、海外でバリバリ働いている人に会うと、俺は何をやってんだと思うね。あーあ、俺はいつまでたっても、隣の芝生は青い、人の目を気にする、世間のメジャーな価値観に流されている。まあそれもいいさ。そうであっても、実際は今回のような無謀な旅もできる行動力も持っているのが俺のいいところ。一般大衆の価値観も持ちながら、ホームレスのような行動もできるのは素晴らしい。傍観者としては面白いね。多くの人が、寅さんのような気ままで自由な人生に憧れる。でも、それは映画を見ている一瞬程度で、憧れるがああはなりたくないはず。まさにフーテンの寅、香具師、はぐれ雲、浪人、ヤクザ、フリーターな自営業。気ままな旅人でも、沢木耕太郎や五木寛之や椎名誠ならなってもいいと思うかな。俺は思うね。でも一瞬ね。思うけど、本気でなろうとは思わないが。なるなら別な分野だな。ジャンルが違う。あいつらは一流だ。メジャーだ。それはそれでいい。俺はもう捨てた世界だ。捨てたというか、昔はその世界を目指したが、今は積極的に別な世界を支持して生きようとしている。貧国の反体制ゲリラを支持したチェ・ゲバラのように、俺も反体制側というか、マイナーで生きる。即ち、一流企業から脱落して悩む転職者、転職も失敗して起業するしかない独立開業希望者、開業したが苦戦している零細起業家、挫折や失敗を繰り返し、仕事以外の人生ももがいている、でも諦めてはいない、それも積極的ではないが、諦めたふりをして、でも、なんとか人生を逆転したいと思っているダメリーマン、ダメ起業家が私の客層。客層というか同志。ダメは失礼か。大成功した起業家でなく、小さな成功でOK。ま、現実はその小さな成功も継続するのが難しい。一般的に、起業で10年継続できるのは1割。30年継続は1%もないのではないか。小さな成功と失敗を繰り返しながら、なんとか自分の家族とお客とわずかな従業員や取引先と、仕事には関係ないが励まし合う友人知人を持ち、孤高、一人では生きていけない弱いタイプの零細自営業:転職を繰り返して起業するしかない:の応援団・評論家・作家が俺の生きる道だ。

ついに世界最南端の街へ!世界一周!人生の旅

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で、このウスアイアの上野山荘ではいくつかの印象深い本に出逢った。「ビーグル海峡だ!」。著者は秋田県の無名堂?とかいう出版社の社長だが、中身は23歳で南北アメリカ大陸を徒歩で横断+縦断した池田拓という青年の旅行人生記。アメリカ大陸を歩いて!この南アメリカでは、たまに自転車やバイクで大陸を横断・縦断している長期旅行者に会う。しかし、昔も今も「歩いて」というのは滅多にいない。

 

今、日本人でリヤカーを引きながらこの南米を旅している人がいるらしいが。池田さんは1989年〜1990年、まず北米大陸を横断。これが約4000キロ。次ぎに南米大陸を北から南へ縦断。これが約7000キロ。合わせて約1万1000キロを1年ちょっとかけて歩いて旅している。本の中で「スゴイと言われますが、僕はただ道を歩いただけです。道があるということは、その周辺に人がいるということ。いざとなれば助けを期待できる。だから冒険でも何でもない。歩き続ければ、誰でもできることです」みたいな趣旨の言葉がある。

旅を終え、故郷の秋田に帰ったときは、地元マスコミのテレビや新聞で大々的にその快挙が報道されたらしい。彼が私のような普通の人間なら、おそらく彼はマスコミ露出で勘違いし、なんらかの失敗をしたかもしれない。先の謙虚な言葉はそこからかも。

池田さんは幼少時にネフローゼという腎臓病を患い、その影響で顔が常にお多福風邪のように膨らんでいて、虐めを受けた。闘病のため、2年くらい小学校を留年。中学時代には生徒会長みたいなこともやったらしいが、医者を目指した受験は2度失敗。3度目にチャレンジする際、親の世話になる自宅浪人に苦しみ、東京でバイトしながら受験勉強に励むが、若い今しかできないことがあるのではと、大旅行を決意敢行。

父親は高校教師の傍ら、国内外の登山に挑む旅人。その友人知人に植村直己のような冒険家がいて、そういう環境の中で影響されたようだ。旅の途中、故郷秋田の鳥海山の観光開発に触発され、自分の道は自然環境の保護だと目覚め、そのためにはアメリカの大学で学ぶ必要があると決意。が、留学資金を貯めるため、東京で肉体労働をしている際、落ちてきた鉄骨材に頭を直撃されて死亡という事故という悲劇でわずか26年の人生を閉じた。

■旅に出たのが23歳。進学校だった彼の同級生は大学を卒業し、大企業への就職なんかで羽ばたいていたはず。ところが自分は三浪にも失敗し、東京で肉体労働をしている。アメリカ大陸を横断・縦断することは21歳くらいに決意していたらしい。が、本には書いてないが、自分の人生の先が見えない、同級生に明らかに出遅れた、という焦燥感は相当強かったのではないか。学歴で遅れ、大企業でエリート人生という道は難しかった気がするが、中小企業や自営業の道に進む場合、10代や20代ので数年の人生放浪はほとんど関係ない。私も自他の様々な経験をしたり聞いたりした35歳過ぎには気づいたが、まだ大企業エリートサラリーマンを諦めていなかった20代は、学歴や社歴はもの凄く大事だと思っていた。

池田さんが似たような価値観を持っていたとしたら、20歳過ぎて無学歴・フリーターという状態には相当焦ったはず。その鬱屈したパワーが南北アメリカ大陸横断縦断という快挙に向かったのだ。間違いない。同級生は大卒でエリート人生を歩み始めたのに、自分は浪人を重ねるフリーター。一方で、高卒の人はすでに3年も4年も社会経験では先を行っている。幼少時代から病気で遅れたが、二十歳を過ぎても遅れたのはツライだろう。遅れただけでなく、自分は何も成していない。強烈な劣等感。浪人でも、まだ学生の身分なら様々な逃げやモラトリアムを楽しめる。大学生でもない、何かの正社員でもないバイトや派遣社員のフリーターはツライ。音楽や芸術など、何か自分の強烈で明確な夢があるならまだいい。さらに、バイトもしてない、自宅や親の金でブラブラしているニートや浪人はもっとつらい。職業は無職。序列は無職・浪人・ニート<フリーター・バイト・派遣社員<契約社員<学生・正社員・自営業か。何かで成功してのリタイア生活ならいいが、何も成していない、かつ、夢も希望もない、見えない無職・浪人が一番ツライ。自営業でも、実質無職な人も沢山いる。私も経験した。ある意味、今もそうだが、自営業なのに、仕事がない状態はツライ。名刺は社長だが、実質的には失業者。独立開業者は10年後には1割くらいしか生き残っていないから、大半の人は食えない。仕事はしていても、赤字状態ということは実質、無職みたいなものだ。俺も今は無職。果たして帰ってから仕事があるのだろうか?それはどうにか最低限は食う自信はある。しかし、当たり前だが保証はない。安定軌道に乗るまでにはしばしの時間がかかるはず。それまでがキツイね。精神的に。無職・浪人はツライ、キツイ。俺は学生時代の浪人経験がない。社会人になってからは数度の無職=失業者を経験した。職が決まるまでは辛かったね。決まった後も、給与以上の成績を上げ、会社の中に自分の居場所を作るまでが大変だ。かつ、2:6:2の法則というか、できる社員・普通の社員・ダメ社員、中より下の社員だと居心地が悪い。釣りバカ日誌のハマチャンのような性格ならダメ社員でもいいが、まじめな上昇志向があるのに、頑張っているのに中より下の社員だとツライね。劣等生はツライ。下の下の社員だったヤマハ発動機時代、正社員に慣れなかったリクルート人材センター時代、またも下の下の社員だったコンピューターシステムリース時代は本当に辛かった。リクルート時代は営業成績はまあまあだったけど、身分はずっと契約社員のままで、他人に自己紹介をするときは肩身が狭かった。一部の友人を除き、自分がアルバイト・契約社員で正社員ではないことは話していなかったからだ。ナンパでリクルートの名刺を出したときも、ウソをついているようで嫌だった。相手の女性の「リクルートにお勤めですかあ。スゴイですねえ」との声を聞き、個人の評価は勤務先の社格で決まると俺も思っていたので、「実はバイト・契約社員なんです」と言えず、いつも悶々としていた。本気で恋愛ができなかった。もちろん、結婚も考えられなかった。今のニートやフリーターなど、下流社会の人に未婚が多い理由はよくわかる。明確な夢や目的があればまだいいい。達成可能で夢も希望もある目的や目標があるバイトやフリーターならいい。昨日、矢沢栄吉の自伝を読んだが、高校時代から作詞作曲をしてアマバンドながら、俺は絶対にスーパースターになると夢と自信を持ち、高卒後に広島から東京へ行って様々なバイトをしていたが、どんなツライバイト時代もキラキラ光っていた。その後、バンド活動でキャバレーを廻ったり、飛び込みでレコード会社を廻ったりしているうちに、たまたま出演した歌番組を見ていた元歌手で芸能プロデューサーのミッキーカーチスの目に留まり、キャロルでデビューしてソロになっても大成功(借金30億など大失敗も山ほどあるが)という絵に描いたような成り上がり。歌手で成功するまでのバイトやフリーターと、夢も目標もなく、まともな会社の正社員にもなれないからバイトやフリーター、夢も目標もないけど縛られたくないからフリーター、正社員になっても出世できないダメ社員、人生、いろいろだ。受験や就職やその後も挫折がない、人生が順調に推移している2:6:2の先頭の、デキル2割の人には想像もできないだろう。まあ、仕事以外の病気や男女問題や家族の悩みなどはあるだろうが。

文書構成を考えず、思うままにうだうだ書いてきたが、池田拓さん、もし生きていたら今は何をやっていたか。南北アメリカ大陸を徒歩で横断縦断はスゴイ。1万2千キロは日本列島約2000キロの6倍。まあ、実際はそれでどうしたというわけでオリンピックでもなんでもなく、達成したからと金も資格も得られない。旅日記の本は出たが、それは死んだ後のことで、まあそれでもその旅日記に感動して勇気と気づきをもらった人は数多く、悲劇を知った故郷には銅像まで建っているのだが、植村直己や堀江謙一のように冒険家としてスポンサーや作家や講演で食えたのではなく、沢木耕太郎や椎名誠のように旅の経験と思いの本で食えるわけでもなく、芸能人や世界不思議発見のレポーターでもなく。しかし、池田さんの生き方は、同じように?学歴や進路に悩むフリーターや浪人生にとって、一つの指針になるに違いない。

池田さんのことを書いた他のブログ

トルーチャ

 

上野山荘の番犬「トルーチャ」と散歩の長男11歳。最高に素敵な犬で、私もガキどもも大喜び。

 

 

■他に読んだ本は、作家・椎名誠の「パタゴニア」(あるいはタンポポの物語)と「自走式漂流記」。後者は、椎名誠の人生と著作や映画活動などをまとめたもの。有名人は皆呼び捨て。なぜ?

椎名さんは6人兄弟の末っ子?に生まれ、東京写真大学を卒業後、数人の編集会社へ入社?その後、デパートニュース社で調査月報とかいう百貨店業界の一部の業界紙の取材編集に従事。しかし、誰も読まない雑誌ではつまらないと、同じ百貨店対象だがより広範囲で読者層の広い「ストアーズレポート」という雑誌を社内ベンチャーの形で創刊。これが当たり、25歳で編集長となって30代後半まで勤め、その後は作家としてフリーに。

なるほどなあと思ったのは、小学生時代に「壁新聞」を作りだし、その延長でその後も仲間と手作りの文集なんかを作り続けていること。そして、友人の目黒さんが趣味で始めた「本の雑誌」という本の評論雑誌の編集執筆にサラリーマンの傍らのめり込み、その本の雑誌に連載していた「さらば国分寺書店のおババ」が数十万部?の大ヒットになり、その後は作家+本の雑誌編集長に。「おババ」の出版元は(株)情報センター・出版部という、確か関西の求人情報誌の関連部署で、出版社としては三流か。そこの何とかいう編集者がガリ版刷りの「本の雑誌」の中の変な文体のエッセイに目を留め、相当な営業力で椎名さんをプッシュし、出版になった。その後、「本の雑誌」も成功させ、ベストセラー本も次々に出し、サラリーマンの「ストアーズレポート」編集長との兼務は難しくなっていたよう。

なんとこの30代後半、椎名さんは諸々の板挟みが原因?でノイローゼになり、神経科に通院している。うれしいねえ、俺と同じだ。「パタゴニア」はその後サラリーマンを辞め、本格的に作家活動をし出した頃のエッセイ作品。テレビ局の依頼で南アメリカ大陸・チリ南部のパタゴニア:広大な平原と大自然(ペンギン島、南極近くの無人島、海と山と川)を訪れ、その映像(日本ドキュメント映像賞?を受賞)とエッセイはその後テレビ番組と本になった。本は旅行エッセイの形だが、書き出しで妻の精神異常と椎名さんのうろたえのような私的な夫婦のことが書いてあり、私小説でもある。

奥さんがウツ的な神経症のような状態になり、しかし、椎名さんはパタゴニアの取材で3ヶ月ほど家を留守にする。半分は旅先から奥さんのことを思う本でもある。奥さんがなぜうつ病になったか。またかというパターン。この頃の椎名さんは連載も多く抱える売れっ子作家の他、「本の雑誌」編集長、映像レポーター、CM出演、その他で猛烈な日々を送っていた。大ブレーク。仕事が殺到し、しかもその仕事は全部椎名さんの個人的な仕事のため、椎名さんの自宅に電話も集中。仕事以外のマスコミ取材やファンも殺到。しかし、超多忙の椎名さんは不在がちで対応は奥さん。スケジュール調整や断りやファンのストーカーや怒号は深夜を越えて度重なり、かつ、夫婦の会話もなくなり、すれ違いが多くなり、しかし、仕事依頼は洪水のように増え、しかし、それは自分のことではなく、夫不在でわけわからなくなり、夫は売れていいけど妻の私はどうなるの?的な疑問も重なり、他には当然、家や子育ての仕事もあり、椎名さんの奥さんはパニックになったのだ。

「パタゴニア」は基本的には旅のドキュメントエッセイだが、途中で何度も妻への思いや反省を吐露する場面がある。椎名さん自身、「これは妻へのラブレターでもある」と書いている。他の椎名さんの本は数冊パラパラ目を通した程度で、かつ、週刊文春のエッセイ「新宿赤マント」もあの大衆受けした軽い文体が俺にはふざけてんなあと合わず、まあ椎名なんて中身のないタレント作家みたいなものだが、でもああいう作家系の成功者にもなりたいなあと思ったり。

しかし、皆同じだ。俺も少し売れた2003年〜妻がノイローゼになっていた。ウツ病と診断され、通院していた。川上クリニック。そこは俺が以前通っていた医院。理由はなんとなくわかっていたが・・俺だった。本が多少売れ、講演依頼や読者からのメールやハガキや来社が山ほど増え、お金は今から考えると大したことはなかったが、それまで年収300万もなかった数年間をはるかに上回ると言っても、2000万はなかったかだが、舞い上がったね。俺は天才だと思った。コンサルタントというか、アドバイザー・事例研究家として、創業起業・零細企業分野のコンサル・作家・講演家なら日本一だと思った。大企業分野では敵わないが、独立起業・零細・中小ベンチャー分野なら、その読書量・勉強量・人脈量で俺に敵うヤツはいないと気づいた。

本「小さな会社☆儲けのルール」は竹田先生の講演録を8大戦略ごとにまとめ、その合間に俺がつき合った起業家の成功事例を散らした。俺の価値観ではなんてことはない本なのだが、福岡の竹田ランチェスター勉強会仲間の中では入門編レベルの内容で、正直、こんな低レベルの本を出して恥ずかしいと、本が出た直後は鬱病の薬も久々に飲んだほど落胆していた。俺はこんなレベルの本しか書けないのかと。というか、この本は当初、竹田先生のゴーストライターとして話が進んだもので、企画GO段階では共著でと変更になってはいたが、全体の流れは竹田先生が話しかけるような文体になっており、俺が自由に自分オリジナルを出すわけにはいかなかった。だから良かった部分もある。

というか、自分を出さなかったから売れたのだ。守破離の守だけで書いた本。あえて言えば、「事例」の部分はオリジナル。最初にしては良かったね。その後、2ちゃんねるやメルマガで狂った独り相撲状態が続いて目覚め、2003年2月の山口・西京総研でのやけくそ講演でアドリブに目覚め、読者や講演参加者などの質問や相談にスラスラ答える自分に驚き、楽天日記でブログに目覚め、本も楽天とかアマゾンや丸善でベストセラーになり、本当に驚いた。俺程度の人間が通用するとはと。というか、通用する、役立てる客層を見つけた。それは起業を考える人、起業したての小さな自営業、ローカルの商工会議所・JCなどの青年部の勉強会、20代〜30代の異業種交流会他。

そう。それは今までに俺がベンチャー大学他の運営や人脈で経験・勉強してきたことばかり。経験や勉強が俺と同等か下のレベルには役立てる。当たり前のことだが。東京の一流のコンサルや作家のように、肩肘張って全部の客層を相手にすることはない。客層を絞る。14年間毎月毎週、起業系の勉強会をやってきた成果が出たね。自分で気づかなかった。その程度のことが役立つとは。まあしかし、起業系の本を読むより、実際に起業で成功した人、起業目指す人、人生逆転したい人、した人と生で会って話を聞いた方が何倍も入るね。感謝しかない。

栢野克己(かやのかつみ) ■日本一過激な小企業コンサル・講演家。計15万部の著書「弱者の戦略」「小さな会社★儲けのルール」「逆転バカ社長:天職発見の人生マニュアル」はアマゾン<中小企業経営>ジャンルで7年300週〜現在までベストセラー第1位〜5位。台湾(中国語)・韓国・タイ・インドネシアでも出版。零細企業☆人生逆転の事例講演・執筆・勉強会主催の(株)インタークロス代表取締役。主催のセミナー交流会「九州ベンチャー大学」や「経営人生計画セミナー」「やる気会」「早朝マーケ会」「個別相談会」は17年1000回を越え、累計で約1万人参加。全国+アジアで年間講演約100回+勉強会100回が自主ノルマ。2006年〜2007年に家族で1年間の世界一周を実現!夢は全世界で1000万部の著書+世界200ヶ国渡航 ■福岡県立城南高校+小倉西高校は裏口入学・立命館大学卒。新卒入社のヤマハ発動機を9ヶ月でノイローゼ退社、バイトのリクルートは3年弱で正社員試験落第。失意と復讐を誓い、大阪のIBMリースへ転職するが、またも仕事失敗+ウツ+婚約破棄+自殺未遂で退社。東京へ逃げ、半年失業後チラシ宅配ベンチャーへ転職。しかし、そこも詐欺的FC会社でまたも転職に失敗。もはや「同級生に勝つには独立しかない」と決意し、様々なセミナーや交流会に参加後に「無料職業相談業」で起業。しかし、半年で金がなくなり、出版社:ビジネス社でテープ起こしのバイトをするも先の人生が見えない。そんな92年実家が他人の連帯保証1億円かぶり博多へUターン。6度目の転職で広告代理店へ。同時にビジネス交流会「九州ベンチャー大学」立ち上げ。 95年、借金返済のため2度目の起業。97年完済するも実家失い親は自殺。2002年〜今までの人生への復讐スタート。お楽しみはコレからだ。公式HPも参考に。 ■インタークロス ■九州ベンチャー大学 代表・雑談担当 栢野克己/カヤノカツミ 〒810-0073福岡市中央区舞鶴2-7-21-803 電 話 092-781-5252  携 帯 090-3604-6735 FAX 092-781-5354 メールkaya@hf.rim.or.jp
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