【人生は逆転できる!】小企業コンサル・講演家の天職ブログ

講演家・作家・雑談相手。著書は「やずやの秘密」「弱者の戦略」「小さな会社★儲けのルール」「逆転!バカ社長」「35歳から一生負けない生き方」。22年で約1000回の人生経営勉強会「ベンチャー大学」「経営人生計画セミナー」毎月開催。人生の成功は<夢×戦略×感謝>をモットーに、弱者の独立起業・経営アドバイス・講演・執筆・コンサル・勉強会・個別相談会を実施。2007年に家族で1年間の世界一周を実現!

2007年01月

イエメンキック2

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世界最古の摩天楼、由緒あるイエメン門にキックするバカ。

イエメンキック1キック2キック3

 

 

 

 

 

イエメンガキと格闘

イエメンがき大喜び

が、ガキどもには大受け。喜んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

キックたか

キック光

私のガキどもも奮闘努力。

 

 

 

イエメンキック2

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↓岩の上に立つパームロックビラ。その下の民家。

パームロックビラロックビラ下の家ロック日本の援助

 

 

 

 

↑遺跡維持に日本が援助。

 

 

イエメンの最終日に格闘!!

↓廃墟同然の石の家。窓には子供の顔。イエメン門。イエメンの金持ち。財務省官僚。

写真はクリック拡大 真ん中のやつ↓なんかスゴイ!

石の家イエメン門全景金持ちイエメン

 

 

 

 

↓この国ではサダムフセインは英雄。処刑され神になった。キリストと同じ。「ここイエメンでは、サダム・フセインはアラブの救世主として絶大な支持を得ており(アデル曰く「100%の人が彼を尊敬している」そうだ・・イエメン通信より。

フセイン人気フセイン子供イエメンゴマカシ

 

 

 

 

イスラム創業者

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ムハンマド

 

I

 

プロローグ

ムハンマド Muhammad 570頃〜632 イスラム教の創唱者。最後の預言者とされ、その教義の内容は宗教的なものから政治、社会におよび、イスラム文明の土台をきずいて世界に大きな影響をあたえた。マホメットともよばれる。

ムハンマドはメッカの有力な部族クライシュ族の氏族ハーシム家に生まれた。父は誕生前に死に、母も6歳のときに死んだので、叔父であるアブー・ターリブのもとでそだてられた。物思いにふけりがちで内気な性格であったが、おさないころから厳格な道徳性をしめし、アル・アミーン(誠実な人)として知られた。

国際商人として知られたクライシュ族のほかの人々と同じように商人となり、たびたびシリアにいき、そこでキリスト教徒と接触した。しばらくして、裕福な未亡人ハディージャといっしょに仕事をするようになった。彼女はムハンマドの誠実さと能力に心をうたれ、2人は、ムハンマド25歳のとき結婚した。

II

 

最初の啓示

ムハンマドは商取引をとおしてキリスト教徒やユダヤ教徒の宗教的な意見をきき、彼らのなげかけるさまざまな問題になやまされたと思われる。ある時期からメッカ郊外の洞窟にひきこもり、導きをもとめて瞑想にふけったり、いのったりした。そうしているうちに大天使ガブリエルがあらわれ、ムハンマドに彼が神の預言者であることをつげた。この体験にひどく狼狽(ろうばい)したものの、妻にはげまされ、またつづけて新しい啓示がくだったこともあり、しだいに自分が預言者であることを自覚しはじめた。

妻のハディージャと、いとこのアリーが最初の信者になった。そして徐々に社会に対して神の啓示を説くようになった。コーランはこれらの啓示を記録したものである。少数の有力者の支持をえたが、改宗の動きはなかなかすすまなかった。

III

 

教義

ムハンマドの最初期の教義は、超越性と人格性をかねそなえた神と最後の審判を信じること、そして社会的・経済的正義を強調していた。ムハンマドは、神は諸民族に預言者をつかわしたが、それらの改革はことごとく失敗して国家はほろんできたとし、そのうえで、自分こそが最後の預言者であり、それ以前の預言者のすべてに卓越すると主張した。

IV

 

反対派と迫害

ムハンマドは社会改革をうったえ、奴隷や孤児、女性、貧者の地位の改善や、部族的特権を廃止することを説いた。この平等主義的、革新的傾向は、メッカを支配していた富裕な商人たちの反目をまねき、信者に対する迫害がおこったので、ムハンマドは615年、83の信者の家族にエチオピアににげるよう命じた。

619年ハディージャと叔父のアブー・ターリブがあいついで死んだのにともない、メッカには保護してくれる人物がいなくなったため、近くのターイフという町で布教活動をはじめたが、うまくいかなかった。そのとき、メッカの北方300kmにあるヤスリブ(のちのメディナ)から使者がやってきて、メディナにきて、部族間対立を調停してほしいと要請した。念入りな交渉のあと、これをうけいれ、信者たちとともにメディナに移住した。

イスラム創業者

V

 

ヒジュラ

ムハンマドは、ちょうど反対派が彼を殺害する準備をしているときにメッカをのがれ、8日後メディナについた。この移住はアラビア語でヒジュラとよばれ、この年がイスラム暦の紀元とされている。

メディナで権威をえたムハンマドは、イスラム教の信仰を体系化し、社会改革を実行した。町にいるイスラム教徒、ユダヤ教徒、そしてほかの宗教、宗派に属する人々の権利や関係を規定したりもした。その間もメッカの人々のムハンマドへの敵意はかわらず、彼と彼の信者の引き渡しを要求してきた。メディナには、コーランの中で「偽善者」と称されている3つのユダヤ教徒のグループが存在していた。彼らはイスラム教にしたがっているふりをしながら内密に反対活動をつづけており、メッカの人々と通じあっていた。

 

VI

 

メッカとの戦争

メッカとの戦争におけるムハンマドの戦略は、シリアからかえってくるメッカのキャラバン隊をおそって、メッカを経済的に弱体化させようというものだった。624年に最初の大きな戦いがおこり、イスラム教徒は数のうえでも武器の面でもおとっていたにもかかわらず、メッカ軍をうちまかした。翌年の戦いでは、メッカが優勢ではあったが決定的勝利をおさめることはできなかった。627年、1万人のメッカ軍がメディナを包囲したが、それでも陥落させることはできなかった。ムハンマドはその間にメディナ内における敵を排除していた。ユダヤ教徒のグループは徐々に追放され、3回目の大きな戦いのあと、敵に協力したとして、のこっていたユダヤ教徒の男たちも処刑された。

 

VII

 

勝利

630年、メディナを陥落させることができず、貿易ルートもとめられたメッカは、ついにムハンマドにしたがうことをうけいれた。彼はメッカを寛大にあつかい、恩赦をあたえた。アラビアじゅうの部族の使者が到着し、それらの部族はすぐにイスラム教に改宗した。

有力な指導者となったムハンマドは、イスラム教の教義を強化し、イスラム帝国の基盤を確立させた。メッカの伝統的巡礼地であるカーバの偶像を破壊することを命じ、そののち、そこはイスラムのもっとも聖なる神殿となった。ユダヤ教徒、キリスト教徒に対しては、「啓典の民」として宗教上の自由をあたえた。631年、巡礼で最後にメッカをおとずれたとき、彼の改革を総括する説教をおこない、そこでイスラム教団の設立と、階級や肌の色や人種間のすべての差別の撤廃を宣言した。彼は63268日、メディナで息をひきとった。

 

VIII

 

後継者

妻ハディージャの生前は、ムハンマドはほかに妻をもたなかった。619年に彼女が死んだとき、彼は50歳であったが、それから9人以上の女性と結婚した。その中には、最初のカリフとなった、親戚で最初の信者でもあるアブー・バクルの娘アーイシャもふくまれていた。コプト教会のキリスト教徒の奴隷もいた。ムハンマドの息子はおさなくしてすべて死に、彼の死後唯一生きのこった娘のファーティマは、4代目カリフのアリーと結婚した。

 

IX

 

イスラム教における役割

ムハンマドの死後、信者たちは彼の生涯の歴史に、ほかの宗教の話からひきだした伝説をつけて、かざりたてることをはじめた。たとえば、エルサレムからムハンマドが天にのぼった話は、イエスの昇天をモデルにしたものであろう。初期の信者たちが主張するには、ムハンマドの心臓は彼が16歳のときにとりだされて洗浄され、邪悪なものは浄化されたという。だからまちがいをおかすことはなく、争いを仲介することができるのである。

コーランは明らかにムハンマドが奇跡をおこしたことを否定しているが、信者たちは彼が多くの奇跡的行為をおこしたと信じている。しかし、イスラム教徒は信仰を神のみに帰しており、ムハンマドの神性は否定している。彼の特別な能力と性質は、伝統的な偶像崇拝、部族間のねたみやうらみ、有力者たちの敵対をのりこえて、イスラム教の創唱とその急速な拡大に成功したことにしめされる。

イスラム教

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栢野克己(かやのかつみ) ■日本一過激な小企業コンサル・講演家。計15万部の著書「弱者の戦略」「小さな会社★儲けのルール」「逆転バカ社長:天職発見の人生マニュアル」はアマゾン<中小企業経営>ジャンルで7年300週〜現在までベストセラー第1位〜5位。台湾(中国語)・韓国・タイ・インドネシアでも出版。零細企業☆人生逆転の事例講演・執筆・勉強会主催の(株)インタークロス代表取締役。主催のセミナー交流会「九州ベンチャー大学」や「経営人生計画セミナー」「やる気会」「早朝マーケ会」「個別相談会」は17年1000回を越え、累計で約1万人参加。全国+アジアで年間講演約100回+勉強会100回が自主ノルマ。2006年〜2007年に家族で1年間の世界一周を実現!夢は全世界で1000万部の著書+世界200ヶ国渡航 ■福岡県立城南高校+小倉西高校は裏口入学・立命館大学卒。新卒入社のヤマハ発動機を9ヶ月でノイローゼ退社、バイトのリクルートは3年弱で正社員試験落第。失意と復讐を誓い、大阪のIBMリースへ転職するが、またも仕事失敗+ウツ+婚約破棄+自殺未遂で退社。東京へ逃げ、半年失業後チラシ宅配ベンチャーへ転職。しかし、そこも詐欺的FC会社でまたも転職に失敗。もはや「同級生に勝つには独立しかない」と決意し、様々なセミナーや交流会に参加後に「無料職業相談業」で起業。しかし、半年で金がなくなり、出版社:ビジネス社でテープ起こしのバイトをするも先の人生が見えない。そんな92年実家が他人の連帯保証1億円かぶり博多へUターン。6度目の転職で広告代理店へ。同時にビジネス交流会「九州ベンチャー大学」立ち上げ。 95年、借金返済のため2度目の起業。97年完済するも実家失い親は自殺。2002年〜今までの人生への復讐スタート。お楽しみはコレからだ。公式HPも参考に。 ■インタークロス ■九州ベンチャー大学 代表・雑談担当 栢野克己/カヤノカツミ 〒810-0073福岡市中央区舞鶴2-7-21-803 電 話 092-781-5252  携 帯 090-3604-6735 FAX 092-781-5354 メールkaya@hf.rim.or.jp
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