【人生は逆転できる!】小企業コンサル・講演家の天職ブログ

講演家・作家・雑談相手。著書は「やずやの秘密」「弱者の戦略」「小さな会社★儲けのルール」「逆転!バカ社長」「35歳から一生負けない生き方」。22年で約1000回の人生経営勉強会「ベンチャー大学」「経営人生計画セミナー」毎月開催。人生の成功は<夢×戦略×感謝>をモットーに、弱者の独立起業・経営アドバイス・講演・執筆・コンサル・勉強会・個別相談会を実施。2007年に家族で1年間の世界一周を実現!

2007年08月

一風堂の社長ブログ

ラーメン一風堂・河原社長のブログが始まりました。乗りにノッテルみたい。飲食系・経営系にはものすごく勉強になる内容です。たかが昼飯で、弁当を5つも買うスゴサ。そのわけは・・・。この中の、名古屋でのお客のクレームを受けた朝礼の話は秀逸です。福岡の大名本店では9/3・9/4と河原さんが自ら店に入る四季のラーメン・原点の日です。9/3は限定150杯の2000円ラーメン。チャレンジを!直接会話するチャンスですよ。 ベンチャー大学での最高の講演←私は100回は観ました聴きました。見る度に感動とやる気と決意を得られます。経営人生系で超オススメの一本です!

俺は富裕層を越えた?

9/15東京「小さな会社の売上を倍増させる4大戦略セミナー」

出版コンサル・エリエスブック土井さん(このスゴイCDの感想を見よ)のメルマガで、自分も同類だと思う「下流社会」を叩いた俺の嫌いな人間の書いた富裕層に関する書評があった。いつもの切り口がわかりやすいだけで中身はないと思うが、別途調べたら、誰が決めたか知らないが、一応、富裕層とは世帯年収3000万円以上+純資産1億円以上とか(フン。心が富裕層ならそれでいいのさ)。純資産1億円以上は日本では約80万世帯で、全体の2%弱。確か全世帯数は4900万世帯だから、多くはない。職種は医者・弁護士・会社経営者が大半という(俺の廻りにも超富裕層の社長は山ほどいる。が、みんな気さくな人ばかり。貧乏からの叩き上げが多いから、普段も目線を合わせてくれる人が多い。まあ、そういう社長としかつき合わないが)。

俺の実家も1990年には福岡都心に土地と家と株券数万株あったので、計算上は資産5億あった。昭和50年・1975年に44歳で脳血栓で死んだ銀行役員の親父は、昭和48年頃に見た給与明細は月給40万円だった。今から30年以上前だから、今なら150万円くらいか。ボーナス入れると年収3000万くらいにならないかな。まあ、どうでもいいが。俺が小学生の頃から、家には銀行役員車の黒塗りの車がお出迎えだった。わからんが、いわゆる富裕層だったと思う。父方の爺さんは福岡シティ銀行の前身である福岡無尽の創業メンバーの一人であり、出資者で、取締役検査役。社内の不正を検査する役だ。下駄屋や陶器屋なんかやって憲兵もやっていたという。俺は親戚づきあいがないので詳しくは知らないが・・。母方の爺さんも、岡山県総社市で「カヤノ写真館」を経営。戦前の写真館だから、やっぱ富裕層だっただろう。

そうか、本当に今気づいたが、俺の家系は創業者・経営系ではないか。全くの成り行きで流れ流れて、俺も一応は弱小株式会社の経営者だ。親父が取締役とは言えサラリーマンだったから、気づかなかった。血は争えないのだ。かつ、父は昔の相互銀行だったから、つき合うのは中小零細企業ばかりだったはず。昭和40年代、高度成長期の銀行は、まさに企業と共に成長するパートナー=コンサルタントだったのだ。家には経営学とかビジネス書が山のようにあった。その影響もあって、大学は経営学部を選んだのだ。そう。確かに意識した。まあ、経済学部は難しく、後発の経営学部の方が偏差値低くて入りやすかったのも大きいが。

しかし、'92年に母が地上げ屋の連帯保証を被り、俺も共同債務者になり、その後はバブル崩壊で10年以上も土地が下がり続け、'97年に全財産を処分したときには何も残らなかった。ふん。ザマアミロの諸行無常。まだ借金5000万残っていた'95年に独立し、自力では1200万円ほど返済に充てた。その頃の年商は8700万で夫婦2人の弱小事務所でわずかな時期だが毎月粗利が250万ほどあり、実質年収は3000万ほどあったかも。その大半は返済に充てたが。年収だけは瞬間風速で俺も富裕層だ。その後、売上の95%を占めるクライアントを失い、年収も激減。それまでの広告代理業をやる気力も興味もなくなり・・・2002年まではまさに暗中模索の時期が続いた。

そして、過去10年のベンチャー大学ゲストの経営+人生事例と竹田ランチェスター戦略を初心者用にまとめた「小さな会社★儲けのルール」「逆転バカ社長」が当たり、講演依頼が山のように増え、年収も一時は2000万くらいになったか。しかし、その後は調子に乗り、ケーブルテレビに毎月70万円協賛して自分の番組持って散財したり、苦しい。助けてという友人にポンと100万円振り込んだり、講演や相談をタダや格安で受けまくり、気づけば年商はなんとか1000万円を超える程度で、表向きは年に100回の講演で全国を飛び回り、新聞や雑誌に取材されまくり、毎月「ベンチャー大学」+毎週「やる気会」+毎日「個別相談」をボランティアでやりまくり、ふと気づくと会社の金が無くなっていた。が、あの1億の連帯保証借金を被ったことに比べれば、借金がないだけ丸儲け(約30人から300万円の出資を得ているので、それは実質借金だが)。

そんな2005年の初頭に震度7の福岡大地震で死を意識し、その後に知り合いだけは多いので友人知人が死んだり末期ガン宣告され、さらに偶然見たサーファー飯島さんのブログで、それまでの人生と独立起業で成功して幸せな人生と家庭を築き上げていたのに、38歳の若さで末期ガンで死にゆく様子をライブのブログで見届け、多くの人が飯島さんの生き様にエールを送る書き込みを見て、天の邪鬼の俺は、飯島さん+マネージングしていたサニーサイドアップとかいう会社(確かサッカーの中田も)が、末期ガンの可哀想なサーファー+作家としてプロデュースするのを見て、まあ、それは広告屋出身だから充分にわかるのだが、近親憎悪のような感情もあり、皆が右なら俺は左だみたいに、ブログのコメントへ「死をも商品とするサニーサイドアップと飯島さん。大成功ですね」みたいな強烈な皮肉を書き込んだ。すると、当然、ファンからの反撃メールを数通もらったが、その中で覚えていないが、俺の行為を優しく諭すようなメールに、静かで穏やかな懺悔の気持を抱き、少し反省した。

その数日後、ふと思った。人は死ぬ。いつか死ぬ。平均余命は40年ほどあるかもだが、そんなことはわからない。地震や飯島さん、格闘技「K−1」アンディフグのように突然死もありだ。事故で明日かも知れない。で、死ぬ前にやっておきたいことは・・夢は・・みたいなことは数年前からよく書いていたので、あらためて考えてみると、「世界一周」が頭に浮かんだ。子供のような、まさに夢のようなこと。が、幸い、妻は格安海外バックパッカーとして数十回の経験がある。子供も当時、小学2年と4年。なんとか一人でも身のまわりのことができるようになり、受験とかそういうのも関係ない年齢で、親子で家族旅行をするなんて素晴らしい。

幸い、個人の通帳には1000万円弱の印税があった。妻が節約して管理していてくれたのだ。概算すると、旅行に4人で約500万。家や事務所の維持費に500万。なんとか行けるではないか。世界一周に行くなら、世界を廻るなら1年は行きたい。問題は帰国後。果たして仕事があるのか?俺が仕事を頼む側なら、1年も世界をうろついていた人間に発注なんかしたくない。永年の失敗人生が、やっと逆転しかけたところ。そんな時期に行くのは無謀。多くの人から、今行くのは勿体ない。早まるなと言われたが、職安に行って帰国後の年齢をインプットして検索すると、バイトや派遣など入れて約2500件の求人が出てきた。いざとなれば仕事はあるさ。

で、2005年4月の人気メルマガ「がんばれ社長!」武沢さんの会で、対外的に宣言・アファーメーションし、あとに引けない状況にし、1年後の2006年4月〜2007年3月まで、北米〜中南米〜マゼラン海峡を越えて最南端まで行き、南アからアフリカ大陸を北上〜中東〜アジアを廻った。それはもう、この世のものとは思えない「もう死んでもイイ!」と前向きに何度叫んだことか。人生の至福。こうして書いている今も、南米最南端のウシュアイアの上野山荘での想い出や、素晴らしい海峡や氷河が目の前に広がり、地球人としての感謝の気持ちが芽生える。最大の感謝は妻にだが。全部のスケジュールや宿探しや危険回避やなんやはすべて妻のおかげ。ありがとう。

で、案の定。帰国後の預金残高は150万円前後。幸い、仕事や本の依頼は以前をはるかに上回るのだが、金になるのはまだまだ先。相変わらずの清貧?生活をスゴしています。これがいいんだね。

で、アンケートによると、富裕層の一番の夢は「世界一周」という。フッ。行けばいいのに。金なら、うなるようにあるだろう。でも行けないだろうねえ。様々なものを捨てねばならないからね。行っても引退後に豪華客船の旅とかツマラン欧米だろう。文字通り、歩きと地場のバスを乗り継いでの過酷な旅は・・・沢木耕太郎のような・・・実は誰でもできるさ。女ひとりもわんさかいたし、ニートやフリーターに負け犬組も沢山いた。裕福で自由な自営業や、修行のために世界を廻っている美容師や料理人、芸術家もいた。作家もいたね。大企業を40歳で辞め、夫婦でネットで投資しながらまもなく1億になる夫婦もいた。旅先で出逢ったカップルも多数。カイロやアンコールワットには、日本を出て帰れない「外こもり」の中年もいた。途上国では月に数万で生活できる。移動が少なければ、数十万で1年も過ごせるのだ。だから良くも悪くも怠惰にハマルのだが・・。

アジアは安全だが、中南米やアフリカでは確実に強盗や窃盗には1〜2度会うだろうが、金品をうまく取られるか渡せば大丈夫。いい想い出になる。

どうせ人生なんて大したことはない。イイ意味で。あなたがいなくても、良い意味で周囲には関係ない。迷惑もかけない。あなたがいなくなれば誰か代わりがやる。仕事もライバルに流れる。まともな大企業には就職できない。それでいい。またゼロからやればいいのさ。天の摂理。世界の大半を占める途上国では、昔も今も毎日がゼロからの人生のような人達ばかり。逞しかったね。あの貧困を知れば、今の日本は恵まれすぎて、贅沢は言えないし云う気もますますなくなった。

9月末から旅のエッセイストで世界旅行家で秋には作家になる素晴らしい妻の久米美都子(ブログ)が、天神のカルチャーセンターで旅の教室を始めます。

タンゴ2

バルデス・クジラ尾大

氷河の平原で皆と

 

 

 

 

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雨にも負けず 風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち

欲はなく 決して瞋(いか)らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米4合と 味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見 聞きし 分かり そして忘れず

野原の松の 林の蔭の 小さな茅葺きの小屋にいて
東に病気の子供あれば 行って看病してやり

西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくてもいいと言い

北に喧嘩や訴訟があれば つまらないから止めろと言い

日照りのときは涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず 苦にもされず

そういうものに 私はなりたい
 
 
宮沢賢治の手帳
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

★改めて宮沢賢治の余りにも有名な一節を読み進もうと思う。 

雨ニモマケズ 
風ニモマケズ 
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 
丈夫ナカラダヲモチ

賢治がこれを書いたのは、昭和六年(1931)十一月三日である。この年の二月に賢治は、「東北砕石工場」の技師となり、宣伝販売を任され、夢を抱いて上京した。

しかし運命は皮肉だった。賢治は急に発熱をして倒れてしまった。その症状は思いの外深刻なもので、九月三日に遺書を書いたほどだった。何とか花巻の実家に戻った賢治だったが、床に伏せる日が延々と続いた。

そんな時、枕元に置いていた手帳に書いたものが、この「雨にも負けず・・・」という散文だった。特に初めから、作品として意図して書かれたものではないはずだ。

きっと、死に対する不安を抱えながら、己の人生を俯瞰(ふかん)し、その時の心情を、さり気なく綴ったものと思う。病に倒れた賢治の心境がつくづくと分かる書き出しである。そこには健康であることへの儚い望みが見え隠れしていて、どこか悲しい・・・。 

慾ハナク 決シテ瞋ラズ 
イツモシヅカニワラッテヰル 
一日ニ玄米四合ト 
味噌ト少シノ野菜ヲタベ

35才になった賢治にとって、依然として人生は不可解極まりないものだったに違いない。10年前に25才の賢治は、作家になる覚悟をもって、東京に出たものの、まったく中央の文壇からは相手にされなかった。「どうしてこんな私の才能を認めないのか」きっと賢治は、こんな思いを持って、故郷の花巻に戻ったに違いない。

どうも東京という所は、賢治にとって、鬼門のような雰囲気を持つ都市だ。しかも今回は、東京に行った途端に発病である。だからこの「雨にも負けず・・・」を書いた賢治の心境は、諦めに近い深い落胆に支配されていたと言っても決して嘘にはなるまい。 

アラユルコトヲ 
ジブンヲカンジョウニ入レズニ 
ヨクミキキシワカリ 
ソシテワスレズ

通常人間というものは、諦めという境地に至った場合、悪いことばかりを考えがちだが、賢治にとって「諦め」は、彼自身の思想的バックボーンとも言える「法華経」の大乗精神が、大いに顕現するためのきっかけを与えている。簡単に言えば、賢治が若い頃に望んでいた人生の夢が、無惨にも次々とうち破られて、健康までもが、原因不明の病によって害されるに至って、初めて御仏の有り難さを実感として受け取ったようなものだ。 

若い時分には、賢治に限らず、誰でもとてつもない大きな夢を抱く。健康な時には、たとえ100才になっても生きる生命力が自分にはあると思うものだ。体力が充ち満ちていると、ナイフひとつあれば、百獣の王でも倒せると思ったりもする。だからそんな時には、誰にも頼ろうとはしないし、神や仏がどこに居て、どのようなものであろうとも、それは経典の中の言葉に過ぎないのである。言葉の上で、「大乗の教え」「白蓮の教え」として、理解したつもりでも、けっしてその意味を実感を持って分かっている訳ではないのだ。 

賢治が、35才になり、発病の結果、もう長くは生きられないと直感した時、賢治は初めて、御仏の有り難さとその教えの深きを心から知ったのである。この「アラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニ」というフレーズは、私がこの「雨にも負けず・・・」の詩の中で、最高に美しい心境と思う一言だ。このようにありたいと思うが、どうしても多くの私欲や我執というものに縛られ、がんじがらめの精神状態で生きているのが、偽らざる私であり、世間というものだ。 

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

庵というものにひっそり住みたい。そこで余命短い自分の人生を、人のことを思い、世の中のことを思い、そして静に最期を終えたいものだ。という一種の死への準備あるいは助走のような感じを受ける。 

東ニ病気ノコドモアレバ 
行ッテ看病シテヤリ 
西ニツカレタ母アレバ 
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 
南ニ死ニソウナ人アレバ 
行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ 
北ニケンクワヤソショウガアレバ 
ツマラナイカラヤメロトイヒ

賢治の心は、この文脈に至って、急に機関銃のように激しく言葉を放つ。それはそのようにできない自分の肉体に向かってむち打つ言葉とも感じられる。またそれは世の中が、余りにも自己中心的な感覚に毒されていて、万人が幸せを共有しようという崇高な人間精神を拒絶していることに対する憤りを内包した言葉とも取れる。 

この中で、私は特に「南ニ死ニソウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ」という言葉に注目したい。これは賢治の死生観そのものである。何故怖がらなくていいか、と言えば、賢治は来世というものを、間違いなく信じている。再び自分が生まれ変わって、何者かに転生してくることを確信しているのだ。だからきっと死にそうな人の耳元で賢治は、きっとこう囁くはずだ。


「大丈夫。**さん。生命というものは巡るものです。良い心を持ち、静かに清浄な気持ちを持って旅立てば、仏様が迎えてくれますよ。良き心、そして静に逝きなさいな。もうじき私も逝くのです。その時は私を迎えに来てくれますね・・・」そしてその死に逝く人の手を取り、にっこり微笑むはずだ。この言葉は、賢治が最後に到達した生命あるいは魂というものに対する秘密の独白なのである。 

ヒドリノトキハナミダヲナガシ 
サムサノナツハオロオロアルキ 
ミンナニデクノボートヨバレ 
ホメラレモセズ 
クニモサレズ

これは農業というものを愛し、寒冷地花巻での農作業の厳しさ肌で感じた自然あるいは天というものに対する賢治の心情を表している言葉であり、結局役立たずの「デクノボー」として死に逝く自分というものを敢えて、これで良かったのだという自らの生様に対する自己容認ということになるであろう。 

サウイフモノニ 
ワタシハナリタイ

最後のこのフレーズは一種の謙譲である。この謙虚さがあることによって、この「雨にも負けず・・・」の詩文そのものが、救われるものになっている。おそらく高き理想を歌った全フレーズを全肯定し、永遠回帰の憧れあるいは夢として「デクノボー」の自分であることを誇りとし、賢治は、晴れ晴れと青く澄み渡る空に向かって真っ直ぐに伸びる天国への真白き階段を一歩また一歩と昇っていくのである。 

  星空を眩しき梯(はし)の下り来て賢治は昇る星となるため  ひろや 
 

改めて賢治の「雨にも負けず・・・」を読みながら、人間というものは、死というものが、身近なものに感じられるようになった瞬間、初めて生というものの尊さを実感として受け止められるのだな、と思った。

そして賢治死後、68年経った2001年賢治がこれほど日本中の人々に愛され、新たなる国民文学とまで表されている秘密の一端が分かったような気がした。

それはあらゆる事について、彼の紡ぎ出す言葉の一語一語が、他人や世間に「こうしろ」「ああしろ」などとおこがましいことは一切言わずに、「サウイフモノニワタシハナリタイ」としてあくまで「一人称」(自分の問題)として語る賢治の心の優しさと謙虚さにあるのではないか、ということである。

このようにして、賢治個人の「諦め」は、一種の悟りの心境にまで変化を遂げ、ついには単なる諦めが「諦念」となり、日本人いや人間精神のもっとも美しい心境を描いた「雨にも負けず・・・」の詩文として結晶したのではあるまいか。 

エッセイスト佐藤さんの義経伝説より 

要は宮沢賢治も、生前は失意の敗者だった。良い話。

目標達成=集中力アップ方法

ランチェスター経営(株)伊佐さんから大変な有益情報をもらいました。ありがとう!以下はNHK「ためしてガッテン」8/29放映分より

「集中力大幅アップの秘策とは?」

あるゴム成形メーカーの工場を訪ねました。生産されるたくさんのゴム製品を毎日厳しく検査しているのが、品質保証部の女性職員たちです。小さな傷も見落とせない、高い集中力が求められる仕事です。

ここでの悩みの種は、職場内の雑音。ある製品の検査目標は1時間に800個ですが、集中力が途切れてなかなか目標を達成できません。

ところがガッテン流の集中術を伝授すると、雑音がまるで気にならなくなり、作業の能率が大幅にアップしました。

音をもって音を制する

協力していただいた2人の女性職員には“ある音”をイヤホンで聞きながら作業してもらったのです。その音とは、聞いても脳が働かない、自然の音でした。

自然の音のように、一定で変化のあまりない「環境音」は、聞いていても脳が働きにくいのです。そこで、環境音を聞くことで、その他の気になる雑音を覆い隠してしまえば、余計な雑音に脳が働かなくなり、自然に集中状態になりやすいのです。

こうした“音をもって音を制する”技術は、すでに実用化もされています。たとえば、都内のあるオフィスでは、フロア全体に“気になる雑音をかき消す音”を流す装置を取り付けています。天井裏にあるスピーカーから、ゴーッというノイズ音が流れているのです。この音によって、離れたところで行われている打合せの話し声がかき消されて内容が聞き取れなくなるため、気にならなくなるという仕組みです。

「紙とペンだけで集中力が持続する!?」

人の集中力は、疲れや慣れなどでも途切れてしまいます。それを防いで、集中力の持続をグーンと高める、“もうひとつの方法”があります。

先ほどのゴム成形メーカー工場で働く女性職員たちは、自然の音を聞きながら作業することで、職場内の雑音はまるで気にならなくなりました。しかし、長時間作業していると、やはり集中力は途切れやすくなるものです。

そこで登場した秘密兵器は、なんと「紙とペン」。自分で“あること”を紙に書くだけで、集中力がグーンと持続するのです。

実際に、検査の間に集中力が途切れそうになるたびに、“あること”を書いた紙を見てもらったところ、1時間で目標の800個をはるかに上回る個数を検査し、なんと先ほどの1.5倍の成果になりました。

2人の女性職員の集中力を驚くほどアップさせた紙の内容は、こういうものでした。

  • 「10分間に130個以上検査する」
    ⇒ 1時間800個の目標を、小刻みな目標に書き換える
  • 「クリアできたら定時に帰れる」「クリアできたら旅行に連れて行ってもらえる」
    ⇒ 自分のやる気を高める言葉「集中ワード」を書く

しかも、ワープロで印刷するより、手書きのほうが効果的です。ある目標をワープロで印刷した紙を見た場合と、同じ目標と集中ワードを自分で書いた紙を見た場合で、脳の反応の違いを調べたところ、自分で書いた紙を見たほうが、脳が反応しやすいという結果になりました。

この脳の反応は「自分で決めた目標を実行しようとする、強い意識の現れ」と考えられます。

専門家の解説

「脳を余計なことに働かせない」「小刻みな目標と集中ワードによって、脳を活性化する」。これらがいわば“車の両輪”として働くことで、高い集中力が発揮・維持されます。

前頭前野は脳の前頭葉の一部で、計画を立てたり、それを計画通りに実行するよう、脳の各部署に指令を出す役割を担っています。立てる目標は、達成度を確認しやすい「小刻みな目標」であるほど、前頭前野は活性化されやすくなります。

「集中ワード」には、こんな言葉

次のような集中ワードが、脳の集中スイッチをオンにする役割を果たします。

  • 自分への「ごほうび」
    例:「達成したらおいしいものを食べに行く」
  • 自分への「はげまし」
    例:「がんばれ!」「絶対合格!」

その他の集中力をアップするポイント

  • 集中する前は…
    • 自分が興味や関心のあるものは、身近に置かない
    • 好きな音楽を聞いたり、深呼吸をするなど、リラックスして「集中エネルギー」を高める
    • 集中ワードを口にしたり、あるいは自分が集中できた時の直前にやっていたこと(コーヒーを飲む、入浴する、など)をするなど、「集中儀式」によって、脳の集中スイッチをオンに!
  • 集中している間は…
    • 休憩を定期的に入れて、消費された「集中エネルギー」を再び補充する 

今回のまとめ「ガッテン流集中力アップ術」

  • 「環境音」で気が散る雑音を消す
  • 「小刻みな目標」と「集中ワード」で脳を活性化


伊佐さんは今後、ますます自他への「手書きハガキ」+勉強会の後に「自分で書いて自分へ出す目標必達宣言ハガキ」にこだわるという。良いことだ。イングリッシュ・フォーユーの桑原さんも「あの伊佐さんのやってる自分宛ハガキはイイ。ああいうのを継続して欲しい」という。自分で自分を定期的に叱咤激励する仕組み。または「栢野さんのような人も、皆に定期的に叱咤激励をするべきよ」とも。俺はまだそんな資格はないが、つまり、人間は弱い。自分だけで自己管理デキル人はいいが、極めて少数だ。よって、何らかのカタチで他人の力を借りること。それは定期的に叱咤激励されるコンサル顧問契約であり、契約コーチであり、ある意味ではメルマガやブログもそうだろう。一部に携帯メールを使った叱咤激励システムがあるが、俺もやる。「定期的切磋琢磨」の仕組み。

上のガッテン!は「集中するには、自分の興味だらけの家や事務所を離れ、何もない会議室や部屋や自然の中に移動+夢実現への小刻みな目標=年・四半期・月・週・日ごとに目標達成のための行動計画+自分を励ます集中ワードを手書きで書くこと」=これはつまり、外へ出て+何もないセミナー会場や研修所へ行き、それはできれば自然の中の立地での研修会そのものではないか!!

なるほど!その手のセミナーや勉強会や研修の場は、まさに集中する環境だ!だからたまに職場を離れ、その手の場所へ行くのが良いのだ!そういうことか!セミナー屋や研修会社はここまで知っていたのだろうか?しかし大発見だ!そういうことだ。

俺が本の原稿をなかなか書けないのは、ネットに繋がるパソコンで書いてるから。これを遮断せねばならない。出版社が人気作家を旅館やホテルへ閉じこめるのも、文字通り集中させるためだ。そうか。そういうことか。考えてみれば当たり前のことだが、こうして理論と理屈も理解すると、より行動に移しやすい。

先日の「特別セミナー」や「経営計画セミナー」が成功したのも、講師や参加者の素晴らしさもさることながら、皆が普段と違って自分の興味のあるものが何もない「会議室」にこもったからだ。さらに皆の目指すベクトルも一緒。まさに納得だ。かつ、第2回「小さな会社★経営計画セミナー10/26〜28」は、メイン講師で九州一の宅配鮨「ふく鮨本舗の三太郎」蔀社長が思索+毎年の経営計画書を書く定宿を選んだ。博多駅から送迎バスで1時間の、佐賀の田舎の川のそばの旅館なのだが、最初は都心から離れるのは不便だなと思ったが、普段の生活場所から離れて遮断することに、大きな意味と効果があるのだ。そういうことだ。

さらに、独学を継続できる人は少ない。一部の努力の天才を除き、例えば受験でも塾や通信教育を使う。何らかの他力を利用した「強制」がいる。仕事や経営も同じ。俺も以前はそうだったが、同じ営業活動でもサラリーマン時代より、独立した後の方が気合が入らずじり貧になった時期が長かった。それは、サラリーマンの場合は周囲にライバルもいるし、うるさい上司もいる。だから負けたくないとしゃかりきにやった。

ところが独立して一人になると、誰からも「ヤレ!」と言われない。ライバルも上司も社内にはいない。自由=油断すると堕落への道。俺が思うに、独立起業は10年で8割前後が廃業倒産するが、その最大の要因は戦略を知らないからよりも、目標を立てなくても達成できなくても、誰からも文句を言われない=自堕落自滅するからだと思う。

事実、中小企業白書でも、表現は違ったが「将来の目標や計画は特にない。その日暮らしで、自由気ままにやれればいい」という経営者が多かった。日本の会社の82%は社員10名未満だが、経営計画書はない会社が99%だろう。自由気ままな旅のような人生経営。寅さんのような。憧れの生き方の一つ。が、一歩間違えば安易に難破船となる。俺もつい最近まで同じ。恥ずかしいが、毎年毎月の売上目標や粗利目標もなく、まさにどんぶり勘定のその日暮らしの山下清のようだった。他人にはアーダコーダ言いながら、じゃあ自分はどうなのかと言われると下を向く・・のは去年まで。

この春からは変わったね。自分でも思う。ウツには何回もなったが、元々、自己成長・向上心・見栄・自己顕示欲は強いので、勉強や行動は活発な方。結果として、何となく毎月食えてきた。頑張ってるけど自由気まま。何ものにも束縛されない。でも、独学は苦手なので、自他共にセミナーや勉強会や相談会は鬼のようにしている。喜ばれるのが好きだ。「栢野さん!ありがとう!」と沢山言われたい。というか、今はそのために日々生きている、パワーをもらっているようなものだ。有り難い人生。感謝しかない。

何から何まで順調だ(願望の小さな俺の価値観ではね。でも死ぬまで+相田みつをみたいに死後も合わせて100万部は必達する)。有り難い日々。今は朝の3時半。昨日の昼から飯を食ってない。が、腹は減ってない。減ってるが気にならない。なんというか、食欲よりも接近戦とブログに集中している。・・・・・死ぬなよ栢野。早く飯を食いに行き、少しは寝ろ。明日のために。今日か。 応援お願い!→人気ブログランク

 

「あの正直ダイレクトマーケティング起業家」実録セミナーあと3名

吉田透

参加者前同友会

 

 

 

アエラや週刊ダイヤモンドで紹介の起業家。吉田アイエム研究所代表。広告+チラシ+メルマガ+HP+無料サンプル+ニュースレター+社内ブログ+男性社員5名+αで年商10億上。商品は天然温泉+育毛剤「髪之助」化粧品「リモネア」他。宮崎生。東京の弱小広告代理店リストラ解雇→Uターン入社のヘアドライヤーメーカー1年で退社→旭化成関連商社でダメ営業→成功哲学で最年少所長→焼酎会社クビ→37歳で独立。温泉開発や農家向け霜防止装置発明他で科学技術庁・中小企業庁・日経優秀製品賞等受賞。温泉の効能で育毛剤・化粧品を開発・通販。アナログ+ネットで「無料サンプル請求者の7割が注文」の仕組みを構築。顧客獲得実践会で最優秀賞。正しい?超能力や精神世界も詳しく「視力や肩こりも治す法」修得。当日9/21【1部】10〜17時は10名限定「正直ダイレクトマーケティング実録セミナー+個別コンサル」【2部】19時〜ダメ営業マンから独立起業物語。日本初公開の内容です。先行予約←あと3名

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本当の情報は個別接近戦のみ

延髄斬り今は8/31の午前0時過ぎ。朝からアナログ+ネットの接近戦ラッシュ。朝5時〜某県から経営相談の電話。8時過ぎ〜先日の第1回「小さな会社★経営計画セミナー(次回10/26〜)」のアンケートまとめ+フォローシート作成+送信+個別フォローアドバイス・コンサル。

午後一で長野NO1の地場英会話スクール「イングリッシュ・フォーユー」桑原絵美子社長と電話ミーティング。夕方はセミナー打ち合わせ+資料作成。夜は経営計画セミナー参加者で九州一の洋服お直し「リフォーム三光サービス」宮崎社長が来社会議。その後、中洲NO1の福一不動産・古川社長と電話会議。今は9/15に東京で4人合同セミナーやる富裕層リフォームコンサル・岡さんと電話で情報交換。

最近、直接会う話す接近戦を意識的に増やしているからわかるが、同じ事でも、本や雑誌やネットやメルマガなんかとは、桁違いに情報量や中身や質が違う。当たり前だが、本当に大事なことは個別+気心の知れた(ライバルのいない)少人数の前でしか話せない、聴けない。今日接近戦した7人との会話も、どれも深いココだけの真実は話せない。

経計セに出たTさんの個別内容と実行案、桑原さんが地場NO1の理由=創業5年でやった=誰でもできるがしてないあのこと+実は右腕の北澤取締役嬢がいないと今はないとか+チラシや広告しないのになぜ生徒が1000人以上も毎年集まるかとか、3年後はOOするとか、なぜ顔を見ただけでOOがわかるかとか、超能力者の正体はOOだとか、とてもじゃないが話せない、書けない。かつ、リフォーム三光の次の極秘戦略や役員会議の内容+後継者との最高の会話内容+銀行との丸秘のつき合い方も話せない。古川社長とはうつわ屋・フランジパニ地蔵代表33歳が「アイツ!変わらなかったら火あぶりの刑!叱咤激励作戦」とか、今、岡さんと話した住宅リフォーム業界のカリスマOOOO断末魔の今後と、「じゃあ、オレが人生逆転コンサルやるぜ!」なんて話したとか、とてもじゃないが言えない、書けない。

ちょっと茶化したが、当たり前だが、真実は接近戦にしかない。この数年、人に会わない広域戦・間隔戦のマーケティング手法やネットや広告だとか一部で流行ったが、完全に化けの皮が剥がれてきた(一部の強者はOK)。知ってる人は知ってるが、例えば普段は顧客と会わない通販で成功している企業の秘密。それは「ウラでアナログ接近戦」を驚くほどしていること。具体的には、個別に会う+電話+ハガキなど。詳細はまた後日。講演会場ではうっかり話すかも。特にこの9/15東京合同セミナーは気心が知れた講師同士で、OOには滅茶苦茶反発反骨心+ルサンチマンパワー(弱者の強者に対する正義感的妬み)を持ってるので、当日は爆発するかもね。録音は禁止(上のこともバOすかも)。

今もこのワープロ打つ手がまどろっこしい。話したくてたまらない。ブログも、話せば精度の高い音声入力できるようになってほしいね。というわけで、今日は事務所に泊まりだ。暇な人は息抜きの電話頂戴。興奮して頭の血管が切れそうなので

もう一度言います。最近うまく行ってない人は、お客やパートナーやメンターや師匠に「面会か電話」すること。または「個別に会ってじっくり話しをする」こと。相手と会わない広告とか何かを読むだけとかメールだけは危険(その筋の強者はOK。でも・・)。経営と人生の原点に戻ろう。時代はアナログ接近戦だ!

昨日の夜、約3年ぶりにある弱小起業家を訪問した。その人は以前、大きな挫折を経験し、1999年の「特別版・九州ベンチャー大学」に参加した。通常のベンチャー大学とは別に、毎月土曜の朝〜夕方まで、毎回各分野の起業家セミナー+その分野に合わせた竹田先生の講義のダブル講師制でやった。俺もきつかったが、当時の夢は「真の実戦起業家大学を創る」で、'99年の2月に独自のFCフェア企画書を作成している最中、フェアの名称を考えているときに「九州ベンチャー大学」を思いついた。それまでは「不況撃破懇談会」だったが、このネーミングに触発され、大学だから「営業学部・新規開拓学科」「ルートセールス学科」「独立起業学部」「挫折克服学科」「商品開発学部」など、冗談で科目名を考えていたら、講師候補が次々と浮かんだ。勿論、講師はツマラン大学院上がりの講師ではなく、現場の実戦をやっている、俺の知り合いの起業家。当時の本業は広告代理業だったが、異業種交流会は'92年から7年間で100回以上やっていたので、電話とFAXで「今度、九州ベンチャー大学という起業家大学をやるので、賛同の名前をお願いします」と流したら、アッという間に100名の賛同者が得られた。そして・・・・・・・腹減った。晩飯食ってきます。またあとで。

栢野克己(かやのかつみ) ■日本一過激な小企業コンサル・講演家。計15万部の著書「弱者の戦略」「小さな会社★儲けのルール」「逆転バカ社長:天職発見の人生マニュアル」はアマゾン<中小企業経営>ジャンルで7年300週〜現在までベストセラー第1位〜5位。台湾(中国語)・韓国・タイ・インドネシアでも出版。零細企業☆人生逆転の事例講演・執筆・勉強会主催の(株)インタークロス代表取締役。主催のセミナー交流会「九州ベンチャー大学」や「経営人生計画セミナー」「やる気会」「早朝マーケ会」「個別相談会」は17年1000回を越え、累計で約1万人参加。全国+アジアで年間講演約100回+勉強会100回が自主ノルマ。2006年〜2007年に家族で1年間の世界一周を実現!夢は全世界で1000万部の著書+世界200ヶ国渡航 ■福岡県立城南高校+小倉西高校は裏口入学・立命館大学卒。新卒入社のヤマハ発動機を9ヶ月でノイローゼ退社、バイトのリクルートは3年弱で正社員試験落第。失意と復讐を誓い、大阪のIBMリースへ転職するが、またも仕事失敗+ウツ+婚約破棄+自殺未遂で退社。東京へ逃げ、半年失業後チラシ宅配ベンチャーへ転職。しかし、そこも詐欺的FC会社でまたも転職に失敗。もはや「同級生に勝つには独立しかない」と決意し、様々なセミナーや交流会に参加後に「無料職業相談業」で起業。しかし、半年で金がなくなり、出版社:ビジネス社でテープ起こしのバイトをするも先の人生が見えない。そんな92年実家が他人の連帯保証1億円かぶり博多へUターン。6度目の転職で広告代理店へ。同時にビジネス交流会「九州ベンチャー大学」立ち上げ。 95年、借金返済のため2度目の起業。97年完済するも実家失い親は自殺。2002年〜今までの人生への復讐スタート。お楽しみはコレからだ。公式HPも参考に。 ■インタークロス ■九州ベンチャー大学 代表・雑談担当 栢野克己/カヤノカツミ 〒810-0073福岡市中央区舞鶴2-7-21-803 電 話 092-781-5252  携 帯 090-3604-6735 FAX 092-781-5354 メールkaya@hf.rim.or.jp
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