【人生は逆転できる!】小企業コンサル・講演家の天職ブログ

講演家・作家・雑談相手。著書は「やずやの秘密」「弱者の戦略」「小さな会社★儲けのルール」「逆転!バカ社長」「35歳から一生負けない生き方」。22年で約1000回の人生経営勉強会「ベンチャー大学」「経営人生計画セミナー」毎月開催。人生の成功は<夢×戦略×感謝>をモットーに、弱者の独立起業・経営アドバイス・講演・執筆・コンサル・勉強会・個別相談会を実施。2007年に家族で1年間の世界一周を実現!

2015年09月

ランチェスター経営・竹田陽一物語

第二章「竹田陽一の人生逆転物語」

 

 

ここで、竹田陽一自身が、どうやって人生を逆転したか。その貴重な独白を紹介したい。

 
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■成績最低の学生時代

 

小さい頃から勉強ができなかったので、学校がとても嫌いでした。母から「陽一さん。たのむから勉強して」と、しょっちゅう言われてましたが、まったくダメでしたね。しかし、私の時代は高校への進学率は低く、比較的簡単に地元名門校に進学できました。

 

でも、勉強もスポーツも全くダメだったので、学校は全然楽しくなかったですねえ。まともなのは物理だけで、ほかは全部ダメ。中でも国語と英語は最悪事態でした。

 

私の高校では年間の総合成績が一定レベル以下の場合、そのままでは進級できないので、2学期と3学期のあとの休みに、特別の補習授業を受けねばなりませんでした。

これはビリから5%にあたり、私たちはこれを4学期と呼んでいました。これに全部出席すれば、努力賞として上の学年にあげてくれるのです。

 

しかし、この授業では担当の教師から、さんざんバカにされて軽蔑されます。

「お前らがバカだから、俺は休みの日もこうして授業せんといかん!」とね。

50分の授業のうち30分はバカにされる、愚痴を言われる。それが何人もの先生から。

 

これがいやいやで、中には留年を承知の上、補習を拒否する生徒もいましたね。その友達は落第、留年しました。でも、それぐらい嫌なものでした。

 

こうして高校3年間、休みの度に「4学期」に駆り出されました。成績が常に最下位レベルだったからです。体育もダメでしたから、最悪でした。

 

私は家でも机の前に座ると何か気になり、落ち着かなくてそわそわするのです。ハエが一匹いても気になり、追い払うか、殺してしまうまでは勉強にかかれません。

 

ハエが片付くと、今度は蚊が気になります。次は裏の庭で野良猫や野良犬が騒ぎ始めますので、家から出ていってこれを追い払い、ようやく机に向かうと、今度は眠たくなるという始末です。

 

他には日曜大工のような工作が好きで、思いついたら勉強の途中でもあれこれと始めますから、成績が上がるはずがありません。

 

でも、每年「4学期」まで授業を受けたかいがあって、こんな私でもメデタく高校を卒業できました。

 

勉強はもう懲り懲りでしたから、卒業後は就職するつもりで地元の銀行に内定。ところが国鉄(JR)勤務の父が「日本は学歴主義だから、どんな大学でもいいから進学した方がいい」と云うのです。

 

仕方なく田舎の国立大学を受験しましたが、歯が立たずに1科目目で諦めました。次に当時、単科大学から総合大学になったばかりの新設大学、受験してお金を払えば全員合格の私立大学へ入学。まあ、定員割れだったんですね。今では、その大学に入るのは難しいと聞くので驚きです。

 

こうして大学に入ったんですが、授業は全然おもしろくない。先生もやる気ない。一体、何の価値があるのかと毎日のように思い、一時は学校を辞めて就職しようかと考えたくらいです。その上、私は字が下手で、文章もまったくデタラメでしたから、自分が書いたノートを見てもわけわからず、あきれ果てていました。

 

大学を卒業後、高校時代の国語の先生に街でばったり会いましたが、私の名前を即座に思い出してくれました。成績が良かったからではありません。「あなたほどひどい字と文章を書く人は今まで見たことないので、名前だけはよく覚えている」と。まさに保証書付きのヘタ字とダメ文章だったのです。

 

こんな私でしたから、大学の成績もまったくダメでした。優・良・可で優は1つもなく、これは後から調べてわかったのですが、経済学部400人中下から15番目でした。

 

しかし、こんな私にも1つだけ特技がありました。物理が好きで、電気のオーディオに関しては知識がありました。高校入学時に買った「初歩のラジオ」という雑誌がきっかけで、鉱石ラジオを組み立てました。

 

以来、ラジオに詳しくなり、ステレオの組立も自由自在でした。大学時代にバイトしたお金は全部ラジオの組立に使い、押入れには部品が山のようにありました。

 

結婚した時には白黒テレビの部品を買ってきて1日で組み立て、何度も修理しながら10年間使いました。まったくの独学でテレビの組み立てができる腕前になれたのですから、自分もバカではないなと思ってました。

 

●無名の中小企業へ就職

 

しかし、大学は出たものの、成績がひどかったので、国鉄(JR)など有名企業の就職試験を受けようとしても、学校の就職課がOKを出してくれません。

 

結局、父のコネで北九州の中小建材販売に就職。

 

ところが、経理に配属された私はまったく仕事ができませんでした。字は下手で漢字は知らないし、書くのは嘘字ばかり。経理の仕事は帳簿の記入と集計作業が中心なのに、ソロバンもまったくできず。1の集計を入れるのに、他人の10倍20倍時間がかかるのです。同じ年に商業高校を出た女子事務員はソロバンをバチバチ入れる。

 

この様子を見た上司の部長は「大学を出たのはいいが、君にはいったい何ができるのか?」と云われ、つくづく自分が嫌になりました。普通ならクビになっていたでしょう。

 

しかし、会計の名人であるH部長が大学の先輩であったことと、1つ上の先輩が仕事面でも人物的にもすばらしく、この2人の助けで、どうにか首がつながってました。

 

入社3ヶ月たった時、夜間の簿記学校の広告が目について行こうと思いました。でも入学に必要なお金はありません。上司に相談したところ、部長が社長に相談して費用は全額会社がもってくれることになりました。1年間の授業料は、当時の月給の2倍弱ですから大変な金額です。

 

仕事が終わって10ヶ月間通い、ソロバンの入れ方から簿記会計の原則や仕組みを教わりました。営業出身の講師やコンサルはほぼ会計が苦手ですが、私が会計も詳しいのは、その会社のおかげです。今でも大いに役だっています。

 

しかし、私は字が下手で、さらに注意力不足で振替伝票の記入をよく間違えます。そのたびに経理全体の仕事が遅れ、全員に迷惑をかけていました。

 

そんな時、欠員ができて営業に転向しました。仕事は金網とか石綿とか、建設材料の販売です。営業の仕事は初めてでわからないことばかりでしたが、外に出て回れるのでこちらのほうがいい。

 

しばらくして、出張中に山陰の島根県益田市の書店で「セールスに成功する秘訣」※という本に出会ったのです。アメリカの生命保険の営業をしていた、フランク・ベドガーが書いたこの本の内容は素晴らしいものでした。社会人になって初めて買ったビジネス書が当時一番いい本でしたから、私は運が良かったのです。

 

この本は今でも大事に持ってますが、あまりに何度も読み返したので、ボロボロになっています。ベドガーのもう一冊の本「私はどうして販売外交に成功したか」※も買い、本に出会ったことで営業の仕事に張り合いを見出し、人生が変わる予感がしました。

 

※数年後、この本を独自学習用にテープ化。ナレーターに10万円払う。

 

●転職に失敗

 

しかし、この会社には大変お世話になりながら、結局28の時にやめてしまいました。創業社長は良かったんですが、朝は遅くて威張ってばかりいた二代目とそりが合わなかったですね。後年、その会社は他社へ売却されました。

 

それから住宅営業、ハカリの営業と2社に転職しましたがダメ。数ヶ月で諦めました。

 

ベドガーの本で営業は勉強したんですが、私は個人向けや個人商店相手はダメでしたね。ハカリの場合、肉屋さんなんかに前掛けエプロン姿で「どうも大将!こんにちは!」って飛び込みするんですが、私はこの「大将!」が言えなかったですねえ。父は国鉄で、あとから考えると肌に合わなかったんですね。

 

その後3ヶ月失業で、2ヶ月間は失業保険で生活と、最悪状態に陥りました。

 

私は大学を卒業して1年後に結婚していて、このときすでに2人の子供がいましたから、生活にひどく困ったのは当然です。10キロ入りの米を買うお金がなく、紙袋を持って行き、米を2升とか分けてもらいましたし、新聞も断わりました。

 

子供が好きなビスコを買う30円もありませんでしたので、やむなく兄から借金して数ヶ月生活をしました。この時ほど自分の人生に失望したことはありません。

 

とにかく自分自身、今からどうしたらいいのかまったくわからないのです。

 

新聞の求人欄を見るにも、新聞を買うお金がありませんから、駅の売店で新聞を見せてもらい、よさそうな会社があったらそれを買うという状態が1ヶ月ほど続きました。

 

あるとき、朝日新聞の夕刊に、東京本社で福岡支社の求人広告を見つけ、テストを受けました。東京商工興信所(現在の東京商工リサーチ)という企業調査会社です。建材会社の経理時代、そこの社員がたまに来てましたから、あの程度ならできるんではないかと。

 

結果、合格はしましたが、その前2社も入ってすぐに失敗。失業して人生にすっかり失望して自信もなくしていたので、仕事がやれるかどうか不安でした。

 

そこで支社長に「自信がありませんので、1ヶ月アルバイトで使ってもらえませんか?ダメならいつでも辞めます」と。その数ヵ月後に本採用に。28の時でした。

 

企業調査会社では、調査の仕事をしながら営業(調査チケットや企業年鑑)もすることになってました。3年足らずでしたが、前の会社で経験あったので営業はできそうな気がしていました。さらに、兄から生活費として借りたお金を返さねばならないし、必死でした。

 

当時は靴を買う金もないので履き古し、とうとう底に穴があきました。底から入ってくる小石をそのままにして歩くと、靴下はすぐに穴だらけになります。雨でも振れば「床下浸水」になって靴の中はびちゃびちゃ。こういう時に、靴を脱いで上がらねばならない会社を訪問したときは本当に嫌でした。

 

出先で昼食をとったあと、喫茶店でコーヒー飲むお金もないので、公園のベンチで休憩したり、ガードの下に新聞紙を広げて休んだことは再々で、カバンも古いボロボロ。

着る物も2、3着しかなく、本当にみすぼらしい日々でした。

 

●朝7時半出勤で日本一に

 

こんなみじめな生活から1日でも早く脱したい。

 

それまでの自分の人生に我慢できず、なんとかしたいともがいていた私は、本採用になると朝7時半出勤を始めました。この会社は固定給+歩合給で、頑張れば、それにつれて収入が増加したのです。

 

そこで休日は1年間に5日だけ。残りは全部仕事に投入することに決めました。結果、入社3年間は祝日も盆も関係なく仕事したので、年間労働時間は4000時間を軽く上回ってましたね。

 

さらに、片道1時間10分という通勤時間がどう考えてももったいないので、片道35分から40分で通勤できる太宰府に引っ越し。これで1日あたり1時間多く仕事ができます。

 

企業調査会社の先輩社員たちは飛び込み営業を嫌ってました。社内ばかりか、福岡市に200人ほどいた同業者にも一人もいませんでした。

 

先輩社員は「保険屋でもあるまいし、そんな営業をしても実績が上がるわけがない」。

 

保険屋だろうが車屋だろうが、新しいお客を増やさない限り、売上が伸びないのは明らかです。企業調査会社の売上は、小口分散型の取引でしたから、お客の数を多くしない限り売上は伸びません。そのためには飛び込み営業がどうしても必要でした。

 

私はルートセールスながら3年ばかり営業経験あったし、フランク・べドガーの本を読んで研究もしていたので、飛び込み営業をしてみたいと考えていたのです。こうして、週に1回火曜日を営業日と決めて、130件を目標に飛び込み営業を始めました。

 

なぜ火曜日か?火のように熱く燃えて実行しよう!ということです。

 

飛び込み営業を実行するに従い、売上は確実に上昇していきました。数をこなすうち、穴場を見つけたんです。それは東京本社企業の福岡支店や営業所。どうせ支店には決済権も予算もないと、先輩やライバルが見過ごしてたんですね。

 

実際にローラーで廻ると、「ちょうど良かった。今回の調査は急ぐので本社に稟議を回す余裕がないし、支店の予算で独自に使えるから」という案件が続出。ドラッカーのいう予期せぬ成功ですね。

 

こうして、勤めている会社の九州管内に同じ仕事をしている者が130ばかりいましたが、3年を過ぎると先輩を抜いて1位に。収入も増え、経済的にゆとりが出てきました。

 

4年目に入る頃、115坪の土地だけ買い、のちに30坪の家を建てました。自分の仕事部屋を持つと、夜や休日にレポートを書けるようになり、実績はさらに伸びました。

 

さらに「営業日」を火曜と金曜の2日に増やしたところ、売上は着実に伸びました。このときはまさにガムシャラでしたね。親戚との付き合いや学校時代の同級生、町内会の付き合いも全部やめ、仕事1本に打ち込みました。

 

こうして入社5年目には千数百人いる会社で全国1位になれたのです。

 

しかし、精神的には決して安定したものとは言えませんでした。調査報告書を書くのは苦手ですし、嘘字や送り仮名のミスは相変わらず。体力的にも限界だったかもしれません。今から思うと、よく倒れなかったものです。若さだったのでしょう。

 

●ランチェスター法則との「出逢い」

 

この当時、個人の売上は社内で1位だったものの、仕事のやり方は自分では納得していませんでした。そんな時、新聞で見つけたあるセミナーに出席。

 

講師は2人で、土曜の1時から5時。前半は電通のマーケティング部長が担当し、後半はランチェスター法則の田岡信夫先生が担当されました。参加者は80名くらい。

 

1人目は肩書きは良かったのですが、内容は全くダメ。3人に1人は寝てました。一番後ろの主催者も、いびきをかいて寝ていたのには驚きましたね。

 

休憩でコーヒーが出たあと、次の田岡先生が話を始められました。

 

時間は2時間と限られていましたが、このとき初めて、「ランチェスターの法則」と「弱者の戦略」を聞いたのです。話の内容は素晴らしく、今まで寝ていた人も目をパッチリ開け、ぐっと真剣な態度になり、2時間はあっという間でした。

 

ちょうど35歳の時、手帳にこの時のことをはっきりと書いています。ランチェスターの法則が、私の好きな電気の法則と同じで、いっぺんに気に入りました。

 

さらに、私はその10ヶ月前から、お客サービスのひとつとして得意先の営業マンを対象に、「危ない会社の見分け方」セミナーを開いていたので、田岡先生の講演を聞きながら、「私も将来、このようなセミナーができる講師になれたら、どんなに素晴らしいだろう」と思ったものです。

 

セミナーが終わったあと、私は体に熱いものを感じて、居てもたってもいられず、講師の控え室に押しかけました。田岡先生はお茶を飲みながら一服されていましたが、快く面会に応じて下さいました。「これを機会にランチェスター戦略を研究したいと思います。その記念として、田岡先生といっしょに写真を撮らせてください」とお願いし、これが自称「弟子入り」の始まりとなったのです。

 

経済的な不安がなくなる

 

「ランチェスター法則」によると、売上高は「販売戦術×訪問件数の二乗」で決まります。銀行の本店や商社など大口のお客をアタックするには、販売技術が高くなくてはいけません。しかし、小口のお金を多くの会社からかき集めるような場合は、訪問件数の増加に力を入れたほうが手っ取り早いことがわかります。

 

これは私が今までやっていた通りの結論でした。では、具体的にどうすれば訪問件数をもっと多くすることができるかを考え、「自転車に乗る」ことにしたのです。

 

当時はどこの会社も給料がぐんぐん上がり、みんな良い車に乗っていた時代で、自転車に乗るということは時代に逆行することでした。

 

しかし、当時の交通規制では自転車は歩道が走れず、車道を走ることになっていたので、交通事故の危険性が高く、自転車に乗って仕事をする人は極めて少なかったのです。福岡市内にいる同業者200人の中で、自転車営業は1人もいませんでした。

 

そのため、私も随分悩みましたが、えいっと気合を入れて実行しました。同時に生命保険にもたっぷり入りました。お客は事務所から半径2キロ以内に85%が分布していましたので、その2キロ圏内を重点地域にしたところ、訪問件数は車やバスで移動する人の3倍になりました。訪問件数が3倍になれば、販売技術の高い低いに関係なく、売上高は上昇します。そのため、私のチーム全員にも自転車を使ってもらったところ、チームの実績はグングン伸びました。

 

私は会社年鑑を好んで売ってました。これは九州地区内の会社の経営内容の概略を載せた分厚い本です。1冊の重さは6キロあります。これを毎年200冊ばかり売ってましたが、社内ではナンバーワンでした。私のチームだけで支店2つ分くらいは軽く売るのです。これは各人の腕が上達したわけでも、頭が良くなったわけでもありません。訪問件数が増えただけなのです。会社を辞めるときに計算してみると、のべで12トン販売してました。

 

私はランチェスター法則を戦術面で応用して成功しましたし、私のチームの者もこれを実践して大きな実績を上げました。そのため、収入が格段に増加して、高額所得者並みの給料がもらえるようになれましたから、経済的にもゆとりがでてきました。

 

「不幸や問題には、それと同じくらいかそれ以上の良いことが隠されている。もし、その問題に対して、積極的に取り組むならば、きっとその良いことを手に入れることができる」という法則は正しかったのです。経済的に最悪の事態に陥ってから6年後には、経済的な心配は完全に解決していました。

 

◆本を出版。クビになりかかる。

 

田岡先生との出会いがあって以来、先生の事務所に電話を入れて、先生が福岡に来られる予定をうかがうことにしました。そして、先生の有料セミナーが福岡で開かれるときは可能な限り出席して、一番前に座って聴くことにしたのです。もちろん、この時の費用も個人負担です。

 

私のお客で熱心な社長には声をかけて、いつも2人から3人でいっしょに参加するようにしました。半年ばかりしているうちに先生から声をかけられ、いっしょに食事ができるようになりました。こうして年に何度かお目にかかっていたんですが、田岡先生の話を何度も、しかも無料で詳しく聴く方法はないかと考えたのです。

 

そこで営業先の社長に「社内研修で田岡先生を呼ばれる予定がありましたら、私がお世話します」と、田岡先生を売り込んで回りました。こうして12ヶ所社内セミナーのお世話をし、田岡先生の話を12回も無料で聴くことができたのです。

 

こんなことが何年か続いて、田岡先生とすっかり親しくなった頃、先生から「君も本を書いてみないか」とすすめられました。私はその頃、企業調査会社で倒産会社を取材し、それを記事にする仕事をしていました。倒産会社の調査は人から好かれる仕事ではなかったので、本気で取り組む人は少なかったようです。

 

私は自転車に乗って倒産会社を取材したり、倒産会社の決算書を分析するなどの研究を熱心にし、この研究をもとにしてテキストを作り、「中小企業の信用調査と危ない会社の見分け方」セミナーをすでに200回ほどしていました。そのため、頑張れば私にも本が書けるのではないかと、密かな自信を持っていたのです。

 

それまでは休日も1日仕事をしていましたが、これをやめて、本の原稿書きに切り替えました。しかし、字はヘタで嘘字が多く、加えて文章も全くダメときているので、ずいぶんと苦しみましたが、半年ばかりでどうにか原稿が出来上がりました。

 

こうして田岡先生の紹介で、東京の出版社から本を出版することができたのです。田岡先生のセミナーに出てからちょうど3年後、38歳の時でした。

 

ところが、これで私は会社をクビになりかけたのです。東京のある部長はすでに3冊の本を出しているのに、私にはダメだというのです。納得できるものではありませんでしたが、これはサラリーマン社会でよくあることですから、仕方ありません。始末書を書きながら、このときほどとめどなく悔し涙が出たことはありません。

 

しかし、悔し涙は私にとって大いにプラスになりました。当時、私は平均社員の7,7倍の売上を上げていて、給料は同じ年代の人から見ると3倍ほどありましたから、待遇はなんの不満もなかったし、仕事も面白かったのです。

 

が、この事件があって以来、社内での人間関係が悪くなり、今でいうパワハラですね。給料は多いし、本は出すわ、NHKテレビに取材されるわで、完全に出る杭になったんですね。そうなると、ジェラシーからか、嫌がらせが始まりました。

 

なんと、私の名刺は作らせないとか、あいつが売上あげるのは、朝が早いからだと、7時半に出てくるのを禁止とかね。男のジェラシーはどうしようもない。支店長自らですから。

 

こんなことで悩みも多く、一時は仕事が手につかない状態がつづきました。

 

その結果、私は

 

「ここは定年までいる会社ではない。

早めに辞め、自分の思う通りの仕事をする必要がある。

でないと、自分の人生そのものがダメになる」

 

と考えました。

 

前にも説明した通り、私の人生は学生時代を含めて30歳まで最低の状態でした。その上、今後の人生も「ご無理ごもっともでございます」と社内の理不尽に定年まで頭を下げ続け、手もみをして腰を低くした生活をするなど、とてもできるものではない。これでは生きているかいがない。と思ったのです。

 

◆独立計画を立てる 

 

しかし、思いつきで暴発的に会社を辞めて独立しても、「自分自身が危ない会社」になるに決まっています。事実、倒産会社を取材していて、社長や上司とけんかになり、カーっとなって暴発的に会社を辞めて独立し、経営を始めたものの1年目の決算も迎えないままに倒産してしまったという人を、何人も見ていました。

 

そこでじっくり考えた結果、会社には申し訳ないが、給料をもらいながら独立の研究をさせてもらうということに方針を変えたのです。

 

それとともに、人生のプランを立て直すことにしました。

 

まず、A3の方眼紙をタテに置き、1センチ5ミリずつ線を引きました。そして、現在から将来に向かって、自分の年齢と子供の年齢を書き込んでいったのです。これによって子供3人を大学に行かせると、一番生活費がいる時期なども解ります。

 

この方眼紙をみて、私は大きなショックを受けました。

 

自分の人生が、わずかA3の方眼紙1枚に納まってしまったからです。人生は長いように思えますが、表にするといかに短いものであるかがよくわかります。この表は今でも自宅の仕事部屋の壁に貼っています。

 

営業成績は好調でしたが、会社を辞めて起業するには自信がなく不安でした。そこで、なぜ不安なのか、不安要因をすべて紙に書き出し、検討してみたのです。

 

その第1の原因は、経済的な不安でした。

 

前にも説明したとおり、私は28歳の時に失業して、米代や子供のお菓子代にも困ったことがありましたので、まず貯金計画を立てました。5年から6年分の生活費を目標金額にして、毎年いくら貯金しなければならないかについて、書き込んで行きました。

 

第2の原因は、自分一人でやっていくだけの裏付けがないことでした。私は田岡先生の講演を聞いたあと、将来は講演活動家と経営コンサルタントになりたいと考えてました。

 

しかし、講演を本業とするからには、私独自の講演テーマの開発が必要になります。どんな会社でも競争力のある商品を持ってないといい経営ができないのと同じく、競争力のある講演テーマをいくつか持っておかないと、そうやすやすと成功するものではありません。

 

それまでの講演は、もっぱら「危ない会社の見分け方」が中心でした。しかし、「危ない会社の見分け方」だけでは講演回数が限られ、そのうちマーケットが一巡し、危ないのは自分の方になってしまうのは目に見えています。

 

東京や大阪であれば市場が大きく、しかも全国を回れますから、良い講演テーマを開発すれば一つのテーマだけで5年や10年間は十分やっていけます。

 

しかし、地方では市場が狭いためにそうはいかず、最低でも3つの講演テーマを持っていないと、1年に250回以上の講演をすることはできないのです。

 

当初は42歳で独立するという5ヵ年計画を立てました。35歳の時に田岡先生の講演を聴いて以来、「ランチェスター法則」を財務戦略と販売戦術へ応用することについては、すでに研究に取り掛かっていたので、これをもとに本格的な講演テーマの開発に取り組みました。

 

それまで、休日は会社の仕事ばかりしていましたが、それをすべて講演用の商品開発に切り替えたのです。また、自転車に乗って長時間営業すると疲れて、休日の研究開発にも差し支えますから、あまり無理をしないようにしました。

 

しかし、講演テーマの開発はうまく進みません。これでいいのではないかとテキストを作っても、実際に講演で使ってみるとうまくいかないのです。しかも、3つのテーマを開発するのは大変に骨が折れました。こういうわけで独立の予定を2年伸ばしました。

 

その間、経営戦略に関する本やスライド、カセットテープを買うなど、多くの資金を投入して研究につとめました。独立までの7年間に読んだ本は約1500冊。その他、素晴らしい本があれば、自分に必要なところだけを編集し直して、これをアナウンサーに朗読してもらい、自分専用のテープをつくることもしました。これには多くの費用がかかりましたが、同じものを何十回と聞けるので十分元は取れます。会社を辞めるまでに、自分専用のテープが10冊分くらいできました。

 

この独立準備中、「信用調査の進め方と危ない会社の見分け方」以外に、どうにか講演用として3つの商品が完成しました。

 

次はお客づくりですが、幸い私は、自転車を使っての飛び込み営業で多くの会社を回るとともに、調査の仕事で中小企業の社長と知り合いになっていたので、営業上の心配はあまりありませんでした。

 

事務所に使うマンションも独立半年前に購入。

 

こうして丸16年間お世話になった会社をやめ、1983年6月1日に独立。

独立パーティには田岡先生ご夫妻を含め、230人の参加を得ました。

 

◆直ちに軌道に乗る

 

独立後はどうなったか?

 

定期訪問する顧問契約がすぐに12社。さらに、30分という短いのも入れると304回の講演をすることができました。次の年は301回、その次の年は295回となり、3年間で平均300回になりました。

 

5月の連休と8月及び12月は講演依頼が平常の4分の1以下に落ち込むので、1年間に300回以上の講演をするには、月に35回、13回の講演をする日が何日かは必要になります。

 

それができたのは、独立までに1000回以上の講演をしていたことと、仕事を通じて中小企業の社長1000人に人脈を作っていたからです。

 

独立の時は、人間関係が深い1000枚の名刺を残して、ほかは一応整理しました。この1000人の方々の紹介の力で、独立から3年間で和歌山県を除く全国を回ることができました。この時ほど人脈のありがたさを感じたことはありません。

 

その後は1回あたりの研修時間が長くなったり、1泊2日というのも多くなりましたから、講演の回数そのものは少なくなりましたが、売上のほうは毎年増加し、結果は予想以上でした。

 

ところが、独立して1年半ばかり経った頃、田岡先生が亡くなられたのです。

 

大きなショックでした。私は独立する前、「ランチェスター戦略をフランチャイズのような形で指導していただき、私がうまくいったならば、希望者を全国から募集したらどうですか?」というプランを田岡先生に持ちかけ、私がその第一号になっていたからです。

 

しかし、このプランは実現しないまま終わりました。私は独立したものの、ランチェスター法則の理論的な部分はまだほんの一部分しか知り得ていませんでした。

 

そこで原点から研究するためにイギリスへ行き、ランチェスター先生の墓参りをすることにしました。私は英語がまったくできないし、ランチェスター先生に関する情報もゼロ同然でしたが、とにかく現地へ行ってみようと決心して1985129日、初めてイギリスを訪れました。

 

私は幸運に恵まれ、ランチェスター先生の一番下の弟さんの未亡人と面会することができました。私と通訳と妻の3人はお宅に一晩泊めてもらい、その奥さんの紹介でランチェスター先生の資料のありかを知ることができました。

 

さらにその2年後、再びイギリスを訪ねた時には、ランチェスター先生の著作物を初めとして、多くの資料を手に入れることができました。そして帰国後、直ちに翻訳作業にとりかかりました。それとともにランチェスター法則の、経営戦略への応用をテーマにした研究に一段と力を入れました。

 

●教材開発に着手

 

そのあと私は休業し、日本初の経営戦略教材を世に出したいと、「ランチェスター中小企業の成功戦略」というテーマで教材作りに取り組み始めました。講演や研修講師の合間にテキスト作成に取り組みましたが、ようやくできたと思った1年後、見直してみるとこれがヒドい。文章や脈絡がめちゃくちゃで、これはとても売り物にならない。

 

まあ、もともと文章は下手くそでしたが、全国を走り回っている合間に書くものですから、やはり疲れなどがあり、まともに書けないんですね。結局、1年目に書いたものは全部廃棄。

 

しばらく考え、本格教材を開発するには休業するしかないと思いました。しかし、休業すると、当然、売上はありません。年間5000万円ほど損することになる。欲を捨てられず、なかなか決心がつかないんですね。

 

そんな時、新聞で富士山登頂ツアーの広告が。そうだ。日本一高い富士山の上で休業を決意しよう!決断とは決めて断つこと。凡人には儀式が必要なんです。

 

こうして決意して休業。またも書いては捨て、捨てては書くという状態を繰り返し、牢屋に入ったような拘禁ノイローゼにもなりながら、最初の教材シリーズを4年と6ヶ月をかけ、のべ50数時間のテープがようやく完成しました。

 

書き潰した原稿を積み上げると、私の身長の2倍半ぐらいになったのです。朝7時から毎日10時間、4年も原稿を書き続けることは実に大変なことでしたが、長時間労働、いわゆる時間戦略の実行でどうにか完成したのです。これが55歳の頃。

 

この長期にわたる教材の研究開発とこもって原稿を書いた結果、体重は激減して顔もくぼみ、あちこちで「竹田さんはガンで余命幾ばくもないらしい」と噂されました(笑)。

 

●「戦略社長塾」を発明

 

教材が完成したあと、カタログを作って既存リストに送付。フォローとして自ら電話で説明したところ、2ヶ月で約3000万円売れて目処がつきました。そこで、マンション事務所とは別にビルにオフィスを借り、男性の営業マンも入れて本格営業へ乗り出しました。

 

ところが、雇った営業マンが売れない。私が電話するとすぐに売れるんですが、社員でも中身の見えない教材、しかも、難しい経営戦略教材は売れないんですねえ。最初は飛び込み営業、その後は電話セールス。これが全くダメ。まあ、今考えれば、そんなわけのわからない商品を私以外の営業マンが売ろうとしても、売れないのは明白ですが。

 

そんな試行錯誤した数年後、「戦略社長塾」という勉強会方式を考案しました。これは、今では教材全体のエッセンスをまとめた「戦略社長」というビデオを見ながらの勉強会。ここに参加費3000円〜で参加して試してもらい、気に入ったらシリーズ教材を買っていただくという仕組み。これが徐々に立ち上がり、今ではこの「戦略社長塾」を開催できる塾長さんが全国に25社できました。全国で中小企業の社長さん向け経営勉強会のネットワークができたのが嬉しいですね。

 

仕事を進めていると、必ず困難や不幸な出来事に出逢います。その時、消極的に対処したならば、数年後には必ず「あのときはこうしておけば良かった、ああしておけばよかった」と、それらに対してとらわれの身になってしまいます。そうではなく、積極的に対処していると、それと同じかそれ以上の良いことが必ず起きるのです。

 

先にも説明したように、学生時代にめちゃくちゃな成績であったことは、その後の私の人生に大いにプラスになりました。学生時代ダメだったから、35歳を過ぎて勉強しようという決心ができたのです。

 

28歳の時、子供に30円のビスコも買ってやれないほど経済的に追い込まれたことで、30歳から大いに働いて当面の生活には心配ない貯金をすることもできました。そして、自腹を切ってランチェスターセミナーへ出席したことで素晴らしい先生と出会えました。

 

また、長時間労働を実践し、社内で売上ナンバーワンになれたことで、時間戦略の着想が生まれ、教材も完成できたのです。人が嫌がる倒産会社の取材と研究に取り組んだことで、財務戦略に対して自分独自の考えが持てるようになりました。

 

さらに、38歳の時に本を出したことで会社をクビになりかかり、くやし涙を流したことで独立の決心がつきました。ランチェスター戦略の大家であった田岡先生が亡くなられたことは大変残念でしたが、それがきっかけになってランチェスター先生の墓参りを決心し、ランチェスター先生の何冊もの著作物と研究資料を手に入れることができました。

 

経営戦略のトータル教材も完成し、その社長塾のネットワークも全国に25ヶ所できました。まあ、まだまだこれからですが、ある意味では奇跡。

 

「不幸や困難には、それと同じくらいかそれ以上の良いことが必ず隠されている」

 

という法則に間違いはなかったのです。

 

しかし、マイナスをプラスに変えるには、積極的で熱意に満ちた精神的エネルギーと、大量の時間エネルギーの2つが不可欠です。簡単に言えば、やる気と具体的な努力ですね。この2つがあって初めてマイナスがプラスに変わるのです。

 

あなたがどんな境遇にあり、今から先の人生をどのようにしたいのか、私にはわかりません。しかし、あなたが仕事や人生に対して、何か大きな目標を持っているのであれば、今すぐ、行動してください。

 

「学生時代の成績は思わしくなく、仕事についてからも良いところを1つも作りえず、これといった実績は何もない。それだけでなく、経済的にも恵まれていない。このような人生に我慢できない。なんとかしたい」

 

と思っている人は、まずは早起き+長時間戦略の実行にとりかかってください。やってみればわかります。必ず何らかの変化が起き始めます。その時点では必ずしも自分のためにならなくても、長い人生で見れば必ずお返しがあります。

 

長時間労働は、世の中の常識からすると一番バカげた、一番つまらないやり方です。しかし、休日の7割を「仕事の研究日」とし、これと合わせて「必勝型」の3200時間以上を15年間実行するなら、自分でも気がつかない潜在能力が開発されます。

 

潜在能力が開発されるということは、質が高まることを意味します。質が高まればアウトプットは加速的に増加して、それまで思いもよらなかったことができるようになります。こうなると不利な人生を逆転できて、運命も変わるのです。やっているときは損のように思えたことが、あとで何倍にも何十倍にもなって返ってきます。実行するかしないか、これを最終的に決めるのは、あなた自身なのです。

 

成功を祈ります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

・栢野のコラム

 

◆「社長の学校」が全国に

 

某日、福岡で「竹田ランチェスター」経営戦略教材の代理店会議が行われ、私も参加してきました。北は北海道から南は沖縄まで、まさに日本全国から約25人が参加。私が見る限り、活発に稼働しているのは半分ですが、竹田陽一が開発した戦略教材の販売や、教材を使った「戦略社長塾」という経営者の勉強会を開催してます。代理店は、本業が税理士などの士業、研修、コンサルタント、生命保険販売など様々。当然ですが、竹田ランチェスター経営戦略のファンや信者が多いですね。

 

私は竹田陽一とは1992年からの付き合いですが、最初はその前年に東京の出版社倉庫で「ランチェスター・弱者必勝の戦略」(ビジネス社・絶版)と遭遇。当時、テープ起こしのバイトをしてたんですが、著者プロフィールで「福岡在住」は珍しいなと。その後、福岡の実家が他人の連帯保証1億円をかぶる事件が起こり、福岡へUターン。地元の広告代理店で営業マンを始めたんですが、誘われて行ったセミナー講師がどこかで見たようなエラの張った顔。あー東京の倉庫で見た人だと思い出し、その後に私が始めたセミナー異業種交流会「九州ベンチャー大学」で約20回話してもらい、その生ライブをまとめた本「小さな会社☆儲けのルール」が10万部のベストセラーに。他の4冊と合わせて今現在で18万部。台湾や韓国に加え、なんとインドネシアでも翻訳が出て、2003年から広告業を廃業して講演家に転身。現在まで全国47都道府県とタイやベトナムや中国、インドでも講演をさせてもらいました。話の中身は竹田ランチェスター・弱者必勝の戦略ですが、まさかこんな天職人生が待っていたとは、本を出した直後の44歳まで信じられませんでした。夢には書いてましたが、予想を超えた展開には自分でも驚きです。

 

さらに、竹田陽一が最初の教材を開発して普及始めた頃から見てましたが、最初は全然売れませんでしたね。竹田陽一本人は売れるんですが、社員がまったく売れない。教材は売るのが難しい。中身は見えませんからね。そこをDMと飛び込みと電話だけで社員が営業してました。が、ほとんど売れずに赤字垂れ流し。そこで考案したのが「戦略社長塾」という勉強会。参加者は4名以内の少人数制で、経営戦略のエッセンスDVDを見ながら、1回2時間3000円〜で4回完結の経営者勉強会。

 

営業マンはインストラクターに転身し、DVDを10分見て止め、参加者の感想や意見を聴く。それを繰り返していくと、徐々に教材も自然に売れていきました。勉強会のコツは、主催者がエラそーに教えるのではなく、教材を一緒に見て学び、意見や感想や悩みを聴くこと。すると、参加者が自分で答えを見つけたり、参加者同士の熱い会話からヒントが出ますね。

 

この教材による勉強会方式はスゴい。本格稼働はこれからですが、わずか15年の間に、中小零細企業が経営を学べる場が全国25ヶ所にできたんですから。普通、コンサルタント系の場合、ほとんどは個人の職人芸で広がりはない。たまに、社員を多く抱えたコンサルタント会社もありますが、拠点も地元だけか東名阪程度。特に地方では経営を勉強できる場が少ないですね。一般のセミナーも少ない。各県や市町村に商工会などはありますが、経営指導以外の雑用が大半で人的にも限界が。その点、教材があると学びやすいですね。安価で繰り返し、いつでもどこでもできるのが画期的。個別学習もできるし、社長塾形式なら皆で学べる。一人ではやる気も出ないが、仲間がいれば切磋琢磨しますね。

 

竹田ランチェスターの特徴は、商品戦略から地域・客層・営業・顧客維持・組織・財務・

時間戦略と、経営全体を網羅していること。しかも、世の99%を占める中小企業、特に従業員30名以下に絞って類似品がない。ライバル不在ですね。経営戦略教材では。

 

営業や人事の教材DVDや体験談、単発のセミナーや講演会はあります。が、経営全体を網羅して何度でも学習できる教材と、仲間で切磋琢磨できる「戦略社長塾」の仕組みは、師匠ながらスゴいと思います。

 

この竹田ランチェスター経営戦略の専業代理店も、私が知ってるだけで、札幌、仙台、東京、千葉、名古屋、豊橋、金沢、大阪、姫路、岡山、福岡、佐賀、沖縄に約25あります。その勉強会やオープンセミナーに参加する会社は全国で約3000社。さらに教材だけで自宅学習は推定1万社・人。本の累計販売数も竹田陽一や多くの弟子、私も入れると全部で52万部以上。他に、外部講師でも多数活躍してますから、末端で竹田ランチェスターに触れる参加者も5万人はいますね。私の動画サイトYouTubeのアクセスも累計200万回を超えました。さらに別グループのNPOランチェスター協会もあり、故・田岡信夫や認定講師の活動も含めると、40年前からの累計で約400万人がランチェスター経営戦略に触れてきました。これは今後も続くでしょう。

竹田陽一は現在74歳。今も現役バリバリです。同業のドラッカーは95歳まで現役でしたから、たぶん、竹田陽一も95までいくでしょう。が、平均すると、ほぼ80歳までには引退です。本人はそれも意識しています。メイン事業である経営戦略教材のリニューアルもこの春に終わり、いつ、何があってもいい準備も終えました。私が思うに、竹田陽一はナポレオンヒルやSMIを意識しています。自己啓発と経営戦略の違いはありますが、同じ教材系。本人がいなくなっても、本や教材は残ります。「人を動かす」デールカーネギーも同じ。本人はとっくの昔に
故人ですが、本・教材・スクールや勉強会は今も継続。本で読書会、教材で勉強会ができます。自己啓発や話し方は教材があったが、経営系では皆無。竹田陽一がある意味日本初、世界初です。竹田陽一の口癖は「学校には教科書があるが、経営にはない。まだまだ未知数。簿記学校があるが、もっと大事な営業学校、経営学校がない。商工会議所あたりがやるべきだが・・」。経営指導員には限界がある。たぶん、夢は全国の商工会議所・商工会に自分の教材が常備され、毎月、指導員あたりがインストラクターになって、社長塾が開かれれば・・・。それは自己啓発の元祖であり、竹田陽一も尊敬するベンジャミン・フランクリンが生前、抱いていた夢です。

 
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小池栄子の胸ばかり目立つカンブリア宮殿

栢野 克己さんの写真
栢野 克己さんの写真
昨夜の経営番組「カンブリア宮殿」。小池栄子は毎回この手の服装だ。経済番組だから、視聴者は野郎ばかり。視聴率を上げるため、番組プロデューサーからエロ服装の指示が出ているに違いない。しかし、彼女は巨乳だが、デビューの17年前から◯れていた。現在34歳。着衣でいくらでも造形できるが、脱いだら悲惨だろう。その点、垂れない貧乳系は長持ちする。これぞ弱者の戦略!貧者の戦略!
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佐賀◆10/7小さな会社☆成功事例セミナー【無料】

佐賀県よろず支援拠点with-Biz SAGAコーディネーターの今釜です。

10月7日のセミナーの案内です。
テーマ:『小さな会社の成功術』

概要:
佐賀県よろず支援拠点では、中小零細企業専門コンサルタントの栢野克己氏をお招きして『小さな会社の成功事例100連発セミナー』を開催します。栢野氏は、「小さな会社☆儲けのルール(フォレスト出版)」「弱者の戦略(経済界)」「大逆転!バカ社長(経済界)」などの著者であり、一度話を聞いたらファンにならずにおられない日本一過激でわかりやすくて面白い講演家でもあります。
今回のセミナーでは実際の企業が実施して成功した経営ノウハウを実例に基づいて数多く紹介していただきます。売上アップに悩んでいる方、起業を考えている方、是非このセミナーに参加して経営のヒントをつかんでください

日時:10月7日(水曜)、13時30分〜16時
場所:グランデはがくれ
参加費:無料  ※当日、直接参加下さい。

皆様のご参加をお待ちしています。                           

佐賀県よろず支援拠点 with-Biz SAGAさんの写真

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近況報告。運は待つものでなく、自分から行動しかない。を実感

■近況報告

■10/5福岡「世界の竹田陽一へ。記念講演と最後の晩餐」

■10/9東京「借金40億円から逆転!!年商13億社長実録」

■編集好奇

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※栢野と名刺・メール交換した方への独自配信メールです。

※不要な方はお手数ですが、最後で自動解除お願いします。

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「小さな会社☆儲けのルール」「弱者の戦略」「やずやの秘密」
「逆転バカ社長」「35才から一生負けない生き方」

  著者・講演家・セミナー交流会主催・DVD通販

 栢野克己(かやのかつみ)の小さな会社☆応援マガジン

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■近況

・実は1月から4月上旬まで絶望の日々でした。が、

・7月まで毎週のごとく成功者を招いてセミナー主催。
・8月は芥川賞目指して九州文学賞へ原稿執筆。応募。
・お盆は北朝鮮国境の中国丹東へ。二百三高地にも寄る

・9月中旬は東京埼玉他で5連続セミナー講師
・水害の常総市まで往復5時間歩いて現地視察

・奇跡に感謝。次作6冊目の出版決定。入稿済み。
・村上春樹の自伝読んで10キロジョギング開始

時が解決しますね。かなりの部分は。

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■10/5福岡 竹田陽一の英語版出版+交流パーティ

ダメ転職繰り返して悶々としてた35歳の時、田岡信夫の
ランチェスター講演に衝撃を受け、以来77歳の現在まで
元祖イギリスのランチェスター氏墓参りを6回決行。

孫正義やHIS澤田さんものめり込んだ弱者の戦略。
その日本における伝道師が、ついに英語版を出版!

ってな内輪の自己満足な会ですが、参加人脈が凄いので
興味ある方は以下を参照下さい。

http://bit.ly/1V9u85I

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■東京10月「借金40億から逆転した年商13億社長」

知人のブログで紹介されてた本をKindleでソク読み。
知人も1億、私も1億かぶって地獄を見たので
その40倍の地獄とそこからの生還物語を知りたい。

しかし、電子出版を買うのは初めてでしたが、
こりゃ紙の本は淘汰されますね。安いし便利。
私も紙より画面で見ることに慣れてしまった。

で、読んで大感動。普通なら自殺もおかしくない
心の立て直し方とプラス思考の維持と工夫。
経営自体の立て直し戦略と現場の戦術の数々。

自己啓発と戦略戦術と感謝が揃った実録。
これは素晴らしいと、FBで見つけて挨拶。
その1時間後には、セミナー主催決めました。

こういう自分の行動力を褒めたい(笑)

以下、強烈に薦めます。

http://bit.ly/1j8t2vn

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以下は最近、栢野克己が主催したセミナーです。
それぞれの無料動画だけでもヒント満載!
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■無料のマスコミ取材で売上アップする方法
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■ライザップ創業者にコンサル成功後にクビの通販コンサル
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■女性感情マーケティング。女の発想が売れる。
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■「経営人生計画」http://bit.ly/1LiTQEf
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■リピートとファンが増える「個人通信」の作り方
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■「怪しくない情報販売で1億」ネット成功事例
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■「創業して235億円で会社売却までの裏話」皇潤創業者
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■「夜逃げ破産寸前から大逆転中の2人」年商1億と4億
 http://qvenshop.com/?pid=89210443
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■「やる気と成功には筋トレが大事」鬼才・鬼頭宏昌
 http://bit.ly/1OJJFYC
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■編集好奇

6冊目の本は執筆に2年以上かかり、途中で私の個人的な
問題と、担当編集者の鋭いツッコミに心が折れ、
もう、ほぼ、出版は諦めていました。

が、今年の春にふと、ピカっと来て構成を変更。
章の入れ替えをやっただけなんですが、これが
うまくいきました。

恐る恐る厳しい担当編集者へ送ると、以前と違って
「これはイイ!これで進めましょう!」
とお墨付き。

他の出版社からも声をかけていただき
運が巡ってきたことを実感します。

が、それでも全部、自分から行動したから。

運は待つものではなく、掴みに行く行動ありきですね。


※10/8箱根、10/9東京で仕事です。10/10や11に関東あたり
で、私で良ければ講師で使って下さい。私自身はクソですが
中小零細企業の成功事例は多数紹介、お話できます。

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※以下へ移転しました。(2015年4/24〜)
※住所だけで他は同じです。

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栢野克己(かやのかつみ)

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□福岡空港→博多駅→地下鉄「赤坂」か「天神」徒歩7分

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東京10/9「ある日突然、借金40億を背負う。それでも人生はなんとかなる」セミナー

■参加できない人は http://qvenshop.com/?pid=93787601

東京10月◆借金40億から生還【実録】

















■参加できない人は http://qvenshop.com/?pid=93787601
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本を読んで感動して著者へ直メール。ナマで話を聞きたい。多くの人にも聞かせたい。救われる人多数いるはずと。以下は興奮して書いたFB投稿。
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著者は現在、鎌倉周辺で居酒屋を14店舗で年商13億・経常利益1,5億の二代目経営者52歳。キリンビールの優秀なサラリーマンだった36歳の時、父の急死で嫌だった家業を継ぐことに。当時は33店舗で年商22億・経常利益7500万円。と黒字だったが、借金は40億。それをこの16年間でほぼ完済した実録。座右の銘は「朝の来ない夜はない」「ネバーネバーネバー、ギブアップ」と根性論かと思いきや、具体的な戦略や戦術の見直し+最後は理念経営の導入で全社的な改革に成功している。という分析は誰でもできるが、それを実際に実行できるのは至難のワザ。実際、湯澤さんは思わず自殺未遂したり、下記ような修羅場をくぐっている。年商の2倍も借金があったら普通は万事休すだが、予想通り、オヤジは自社ビルや資産もあったので、その売却で13億円穴埋め。しかし、残り25億円は多角化の店舗閉鎖など減収増益の本業で返済している。16年間×毎年1億5千万円の返済で。最初は金融機関から「返済には80年でしょう」とか、リスケを申し入れたメガバンクのクソ副支店長から「ここで支店長に頭を下げなさい」とか、殺人犯してもおかしくない精神状態にも。普通に考えると返済は無理。というマイナス思考の毎日だったが、気合の入る「ゴッドファーザー」や「風と共に去りぬ」を100回見たとか、とりあえず5年は死ぬ気でやろうと「1823日めくりカレンダー」を手作りで毎日めくるとか、ありがちだが99%はやってないプラス思考の自己啓発行動も最高で、でもやっぱビジネスだから、客層を中高年男性に絞るとか、大手チェーンの少ない来ない立地に絞るとか、仕入れを市場で直セリで不揃い品を安くとか、戦略と戦術の改革もしっかり。最後は同友会の理念経営で社員とか周囲に感謝を態度で示す。夢戦感の行動が完璧ですね。信頼できる知人のブログに「読んで涙しました」とあり、私も親の連帯保証で1億円かぶって地獄を経験したことがあったので、読んでみようと初めてKindle版を購入。今は読むのにKindle不要で無料ソフトいろいろ。こうして紙の本は無くなるのだと実感。が、「居場所」としての本屋は残るか。しかし、こういう実録読むと思う。成功に占める戦略や戦術の割合はやはり半分もない。気合と根性と覚悟と決断と行動と人間力が8割だ。が、2割が間違ってると根性ややる気あっても結果出ない。両方大事ね。と、私は評論家に徹する。

以下はアマゾンより
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第0章 屈辱と混乱の日々―眩しく見えた元同僚
第1章 青天の霹靂―ある日突然、40億円の借金を背負う
第2章 どん底の、さらに底―逃げる気も失せるほど過酷な現実
第3章 「5年だけ」の勝負―瀕死の飲食店を立て直せ
第4章 天国の先はすぐまた地獄―過去最高益、からの新聞沙汰
第5章 後悔も迷いも消えた日
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◆本書は、ビジネスノンフィクションです。著者の湯澤氏は、人も羨むようなエリートサラリーマンだったにもかかわらず、父の急逝により、家業と莫大な借金を受け継ぐことになりました。その額、40億円。継いだ企業は「会社」と呼べないほどの崩壊状態、家にも督促の電話がかかってくる日々でした。やっと調子が上向いたと思えば、店の火事、ベテラン社員の死、食中毒事件と、驚くべき不運が続きます。しかし湯澤氏は、何度倒れても立ち上がるボクサーのようにKO寸前でよみがえり、ついには「80年かかる」といわれた返済を目前に控えるまでにこぎつけました。人生、いつ、何があるかわかりません。今どんなに“のっている”人も、今どれほど追い詰められている人も、湯澤さんの数奇な体験に胸が熱くなり、勇気をもらうことでしょう。机上の空論や飾り言葉ではない、真の「経営論」「人生論」がここにあります。
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◆講師について

株式会社 湯佐和 代表取締役。1962年神奈川県鎌倉市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、キリンビール株式会社に入社。国内ビール営業を経て、人事部人材開発室ニューヨーク駐在、医薬事業本部海外事業担当などに従事。

1999年、創業者であった父の急逝により株式会社 湯佐和を引き継ぐ。40億円という莫大な負債を抱え倒産寸前の会社を16年かけて再生。現在は神奈川県下で、14店舗の飲食店を経営し、これまでの経験から、「あきらめなければ道は拓ける、朝の来ない夜はない」をテーマに講演活動等を行っている。経営学修士、認定レジリエンス・トレーニング講師。
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まえがき
   
 この本は、大手企業でバラ色のサラリーマン生活を謳歌していたにもかかわらず、父親の急死により36歳で突然、倒産寸前の家業と40億円の借金を引き継ぐことになった不運な男の、泥まみれの16年間の記録である。

 これだけ不幸の女神に愛されながら、なぜ男は首を吊らずに済んだのか。なぜ「会社を継いでよかった」といえるようになったのか、本書ではその顛末を記す。

 不運な男とはもちろん、私だ。

 長らく実家のことなど見向きもせずにいたサラリーマンの長男が突然家業を継ぐことになったという話も、離れて暮らす子供たちが気づかぬうちに親が多額の借金を抱えていたという話も、世間ではよくあることだろう。

 しかし、連帯保証人でもないのに会社を引き継いで、背負った借金が40億円となると、いささか珍しいかもしれない。それもただの40億円ではない。大勢の社員を抱えた立派な企業の借金40億ではなく、地域密着型居酒屋経営の中小企業での借金40億である。

 父の葬儀の直後、私か初めて本社事務所を訪ねたときから、株式会社「湯佐和」は資金ショートの連続だった。ショートなどという生易しいものでなかった。

 金庫がすっからかんのところへ「7日以内に1200万円を用意できなければおしまいですよ」と畳み掛けられ、仕方なく10日ほど勤め先を休んで社員の相談に乗っているうちに、気づけば私は「社長」と呼ばれるようになっていた。どれだけ必死に対応しても、ありとあらゆるトラブルが毎日のようにこれでもか、これでもかと襲ってきた。

 地下鉄飛び込み未遂事件や、立て直しの兆しが見えてきたところへの狂牛病問題、食中毒での新聞沙汰、失火による店舗の全焼、信頼する社員の死、ベテラン社員の退職……。まさに悪夢のような日々だった。

 16年間、泥の中を這いずり回り、何度も川に突き落とされるような人生を送ってきたが、時は経ち2015年5月、私は借金をほぼ返済した。36歳だった私は、52歳になっていた。

 社員の力を借りてどのように会社を立て直したのかは本文に譲るが、世間に数多ある素晴らしい会社の経営をされている方々と比べれば、企業経営について何かを語る資格は私にはない。40億という絶望的な金額にしても、私がこれを返せたのは、明日にも倒産寸前だったとはいえ年商20億円あった中小企業を引き継いでいたからである。

 置かれた条件が違えば、借金が4億だろうと、4000万だろうと、400万だろうと、それは地獄の苦しみだ。だから、私がお伝えしたいのは、仕事や人生において、死んでしまいたくなるような苦境に陥ったときに脱出するための方法と考え方の一例である。

 サラリーマン時代は、海外事業という念願の職を得て、精神的にも経済的にも満たされた生活を送っていた。家族と愉快に、健やかに過ごす安楽な日々だった。

 ある日突然、ボロボロの会社の経営者となったことで、そのような「夢に描いたとおりの生活」は永遠に失ってしまったわけだが、その代わりに今は、大企業にいては知ることのできなかった大きなやりがいと感謝の気持ちを持つことができた。

 自分の足で立っているという充実感、一緒に働く仲間と共に成長していく幸せ、地域社会や経済に貢献する喜び、そして、人生や家族への感謝――。この境地にたどりつくまでには、本当に長い年月が必要だった。

 人生を憎まなくなったのは、つい昨年くらいのことだ。だからきれいごとはいえない。きれいごとはいえないが、信念となった言葉がある。

 「朝の来ない夜はない」

 「Never Never Never Give Up」

 私はこの言葉に命を救われた。

 中小企業の経営者の方はもちろん、起業を目指す方、実家が会社を経営されている方、そして、自分は今どん底にいるのだという方、将来の進路や働き方に悩む学生さんにも、私の思いもよらない人生を覗いてみていただけたらと思う。

 人生、不条理なことが山ほどある。そんなことばかりだと思う日もある。

 でも、朝の来ない夜はない。あきらめるのはまだ早い。

 まえがきを読んでくださり、ありがとうございます。私の数奇な体験が、誰かのために少しでもお役に立てるとしたら、これ以上の幸せはありません。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■日時:10/9(金)18:30〜20:30 ※18:00〜交流タイム
■費用:5500円 会場で。終わって別途懇親会。
■場所:東京都新宿区四谷1-8-6 ホリナカビル3F
□四ツ谷駅・徒歩3分 地図 http://bit.ly/1LHiolY
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参加できない人は http://qvenshop.com/?pid=93787601
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フェイスブックは https://www.facebook.com/events/1498166057170729/
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■主催・事務局・栢野克己(かやのかつみ)

【人生は逆転できる!】講演家・作家・天職コーチ・過激派・コンサル・旅人。「悲惨な半生」経て、人生逆転を目指すバカ社長向けに日本・アジアで講演1000回


■著書は累計17万部・新刊「35歳から一生負けない生き方」「弱者の戦略」「やずやの秘密」「小さな会社★儲けのルール」「大逆転!バカ社長」はアマゾン<中小企業経営>で10年間ベストテンのロングセラー■セミナー交流会「ベンチャー大学」「経営人生計画」「早朝サロン」他20年1000回開催。人生成功の法則<夢戦感>で人生逆転を応援。■2007年に家族で世界一周(24カ国)を実現!■現在57カ国→死ぬまでに世界200ヵ国渡航が夢。必ずやる!

◆福岡市出身。百道中学・小倉西高・立命館大学卒・ヤマハ発動機・リクルート・IBMリース・ベンチャーと転職失敗後に東京で無料職業相談業は半年で廃業。出版社のバイト経て、実家が他人の借金1億円かぶったので帰郷。7社目は地場広告代理店アド通信社で広告営業。同時にセミナー交流会「九州ベンチャー大学」開始。実家売却・親自殺。残債弁済のために8社目は広告代理店で独立。借金完済。本と講演に天職を見出し、2003年〜は講演家・作家・天職コーチ。

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栢野克己(かやのかつみ) ■日本一過激な小企業コンサル・講演家。計15万部の著書「弱者の戦略」「小さな会社★儲けのルール」「逆転バカ社長:天職発見の人生マニュアル」はアマゾン<中小企業経営>ジャンルで7年300週〜現在までベストセラー第1位〜5位。台湾(中国語)・韓国・タイ・インドネシアでも出版。零細企業☆人生逆転の事例講演・執筆・勉強会主催の(株)インタークロス代表取締役。主催のセミナー交流会「九州ベンチャー大学」や「経営人生計画セミナー」「やる気会」「早朝マーケ会」「個別相談会」は17年1000回を越え、累計で約1万人参加。全国+アジアで年間講演約100回+勉強会100回が自主ノルマ。2006年〜2007年に家族で1年間の世界一周を実現!夢は全世界で1000万部の著書+世界200ヶ国渡航 ■福岡県立城南高校+小倉西高校は裏口入学・立命館大学卒。新卒入社のヤマハ発動機を9ヶ月でノイローゼ退社、バイトのリクルートは3年弱で正社員試験落第。失意と復讐を誓い、大阪のIBMリースへ転職するが、またも仕事失敗+ウツ+婚約破棄+自殺未遂で退社。東京へ逃げ、半年失業後チラシ宅配ベンチャーへ転職。しかし、そこも詐欺的FC会社でまたも転職に失敗。もはや「同級生に勝つには独立しかない」と決意し、様々なセミナーや交流会に参加後に「無料職業相談業」で起業。しかし、半年で金がなくなり、出版社:ビジネス社でテープ起こしのバイトをするも先の人生が見えない。そんな92年実家が他人の連帯保証1億円かぶり博多へUターン。6度目の転職で広告代理店へ。同時にビジネス交流会「九州ベンチャー大学」立ち上げ。 95年、借金返済のため2度目の起業。97年完済するも実家失い親は自殺。2002年〜今までの人生への復讐スタート。お楽しみはコレからだ。公式HPも参考に。 ■インタークロス ■九州ベンチャー大学 代表・雑談担当 栢野克己/カヤノカツミ 〒810-0073福岡市中央区舞鶴2-7-21-803 電 話 092-781-5252  携 帯 090-3604-6735 FAX 092-781-5354 メールkaya@hf.rim.or.jp
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