山川さんの【動画】成功事例セミナー

★先日、高額納税者の発表がありましたが、納税額約4億3千万円で医者として業界日本一、全国でも総合17位となったのが、福岡で創業した「聖心美容外科」山川院長です。

 実は彼と私とは10年以上前からのつき合い。私は地元の広告代理店:アド通信社の営業マンで、彼は品川美容外科の福岡院長として勤めていました。

 '93年の秋頃、彼から会社に電話がかかってきて「栢野さんのやっている異業種交流会(九州ベンチャー大学)に参加したい」というので、金のかからない西鉄グランドホテルのロビーで会いました。

 「僕はこれから独立を考えているが、医者は世間知らず。様々な人との交流で、勉強したい」。

 山川さんは当時、昭和39年生まれの28歳。鳥取大学医学部、大学病院を経て「学閥や医師会や保険診療の規制がなく、実力で勝負したい」と自由診療の世界である美容外科へ転職。業界最大手だった品川美容外科で全国最年少院長でした。 

 勤務医時代は週休2日でしたが、「1日でも早く技術を覚えたい」と、休日も出社して前勤務先オーナーの執刀を見学&手伝い。プラス、小学生時代からなぜか裁縫部で磨いた腕+大学病院時代は救急医療で3日連続徹夜も辞さずと、身を粉にして修行した成果でしたね。

 ほどなく、彼から「独立に際して広告をお願いしたい」と言われたのですが、私はあまり友人とは仕事をしたくない。他の広告代理店を廻るように言ったんですが「電通や博報堂はけんもほろろに追い返され、他も色々廻ったが、2回目に会ったときに美容外科を調べていたのは栢野さんだけ。やっぱりお願いしたい」。

(かなり栢野の都合のイイように脚色:笑)。

★実は私も本当は仕事が欲しかったので、「そんなこれから脱サラする人の広告は回収が心配。ダメだ」と会社の経理からは言われましたが、上司の中村さんや冨永さんと一緒に古賀支局長を説得。「聖心美容外科」のオープンからその後の販売促進を担当することになりました。

 開業場所は、現在の福岡院である天神3丁目の雑居ビル。医院としては決して大きくはないですが、山川さんは両親が医者でもなく裕福でもない小さな自営業。開業資金も鳥取の実家を担保するなどしてかき集めた数千万円で、オープンして2ヶ月で回収できないと廃業というせっぱ詰まった状態でした。

 美容外科はその性質上、口コミや紹介が出にくく、集客は広告に頼らざるを得ません。調べた結果、同業大手はCMや全国雑誌に派手な広告を展開。いかにも過大広告・・が氾濫していました。

 それに対して、私達で話し合ったのは、1,本気=イメージの悪い業界を変える。2、正直=ウソをつかない。脱税しない。3,感謝=お客には誠心誠意尽くし、アフターフォローを完璧にする。 なんだ、そんなの当たり前じゃないかと思われたでしょうが、当時の美容外科はイメージが悪く、事実、不良医師や悪徳医師も横行し、消費者センターへのクレームも、エステなどと同じく多かったですね。  

 しかし、既にアメリカや韓国では女性が美容外科に通うのは「二十歳の記念に二重瞼=韓国」と言われるほど普通で、出来る美容外科医のステイタスは非常に高い。山川氏は「今に日本にもそういう時代が来る。いや、僕がそういう改革を起こしてやるんだ」、私も「うん、いいね。俺もウソや誤魔かしは好かん。変なマネをしたら、俺が許さんぜ」と息巻き、ちゃらちゃらしたコピーライターには任せられないと、広告の文章は私自ら書きました。

 各種タウン誌に出したその広告は「美容外科の安全性について」。通常の広告は、すぐモデルのようにキレイになる、簡単、痛くない・・というものでしたが、私達は「美容外科は病気や怪我を治すものではありませんが、やはり痛みや腫れも多少あります。危険もないとは言えません・・」という、極めて真面目な内容の意見記事広告。

 つまり、広告はイイ事ばかりを並べ立てるのが普通ですが、あえて真実というか、読者が本当に求めている情報を提供することにしました。これは単純に、私が美容外科を考える女性の立場にいた場合、知りたいことを文章にしてみたのです。

 しかも、通常、美容外科やエステでは常識のモデルや「使用前」「使用後」の写真も使わず、ほぼ、文章のみのレイアウト。果たして効果はどうかと第1回目の広告反響を待ちました。

 しかし、思ったほどに電話が鳴らない。やはり失敗だったのかと考える間もなく、2回目の広告原稿の締め切りが近づき、再度、「本気意見広告」を掲載。

★実はもし、この2回目で反響がなければもう資金が枯渇し、廃業して実家を売却か、という状態でした。

 山川氏は今もそうですが、感情を余り表面には出しません。しかし、なんとその頃、彼の指の爪は精神的なプレッシャーか、「爪が生えてこない状態で」、表面が波打ってましたね。

 「患者というか、客の立場に立てば、あの広告は必ず当たるはず。派手ではなく、目立たないが、真面目な女性には訴えられるはずだ」と投じた2回目は、見事ヒットしました。

 一気に採算ラインに乗り、3ヶ月目からは早くも月次で黒字転換。優秀な受付や看護婦、事務長のバックアップもあり、そして勿論、日本一といわれる山川氏自身の腕の良さが一番でしたが、開業3年で福岡一、九州一の美容外科と言われるようになり、広島院に継いで東京、大阪、名古屋にも医院を開業。

 そしてちょうど、開業10年目の今年、冒頭のように「日本一」となったのです。

 私が独立した'95年以降も聖心美容外科の仕事はしていましたが、今から5年前に「もう、これ以上、山川氏に提供するノウハウはない。なんか、昔のよしみで惰性でやっている」と確信し、自ら契約を破棄。大喧嘩もしましたが、その後は親友として年に数回、会う仲になっていました。

 そしてこの5月に私が出張で東京に行ったとき、電話するとお母さんが出て「あー、栢野さん!大変なことになったのよ!」の第一声で、六本木の本院に行ってみると、その日の昼に発表になった高額納税者ニュースでテレビや雑誌社の取材が殺到。

 私は事務局長である山川氏のお母さんと1時間ほど雑談し、その後、取材を終えた山川さんとじっくり話しましたが、「やっぱり、本気、正直が一番だね」という意見で一致。また、「弱者は調子に乗るな。小さな成功で生活態度を変えるな=竹田陽一の番外法則」を守るために下世話なワイドショー取材は断り、昼飯も牛丼で、休憩は紙コップのインスタント珈琲で過ごしましたね。 

 まあ、彼の場合も、これまでには従業員が1ヶ月で全員辞めるなど、「人には話せない過酷な試練や失敗、挫折」も山ほどありました。

しかし、全部一人で切り回せないといけない立場に追い込まれ、結果として眠れる自分の可能性に目覚め、逆に自分の限界も知り、年々、山川氏は優秀な医師から事業家へと、ステップアップしました。

その過程を「創業メンバー」の一人として、間近に毎日勉強できたのは、零細起業コンサルタントに転身した私にとって、もの凄い自信となっています。

 ありがとう、山川!

 そしてこれからもよろしく。

山川さん本人執筆の起業物語

日本一になるまでの起業物語2

(2005年、数十億で事業売却。医療コンサル経て、現在ザ・クリニック総院長

 

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