2007年04月29日

古都奈良散策(前編)

古都奈良散策─BLOG蚊焼湧水3

 2007年4月の、
「古都奈良の文化財」を散策した記録です。
 当時、遷都1297周年祭がありました。

 2007年4月

近鉄西大寺駅

 大阪・心斎橋駅から急行でわずか30分ちょっと。
 すぐ近くはもう平城京跡。

遷都祭

 「平城遷都祭」が行われていました。
 出店は掘っ立て小屋風、行列は天平風。

大極殿へ

 行進は、大極殿まで続く。
 大極殿はただ今復原工事中(2007年当時)。

復原工事中

 復元工事現場を見ることは出来ず、残念。
 しかし工事の様子など色々な資料が展示されていました。

出店の通貨

 さて遷都祭では、「通貨」に換金してお買い物。
 100円=100せんとに換金されます。
 和同開珎は500せんと。

地産地消

 明日香産赤米のお赤飯100せんと。
 同じく地元産のヨモギ団子100せんと。
 地産地消の上に、「物価」が安くて有難いです。

和同開珎

 こちらが本物の和同開珎。
 100枚あるから5万セントか。違うか。
 平城京跡資料館で見られます。入場無料。

朱雀門と近鉄電車

 復原された朱雀門の前を横切る近鉄電車。
 かなり衝撃的な光景でした。
 1922年「史跡平城宮」に指定された時、鉄道既に敷設。
 まぁ致し方ありません。

朱雀門と石碑

 朱雀門の映える朱色が綺麗です。
 1998年世界遺産に登録。

復原された建物

 再び大極殿へ戻る。その隣辺り。
 復原された宮内庁施設がありました。

発掘された礎の遺構

 そして発掘された遺構も公開されていました。
 沢山の穴。何度も立て替えられたらしいです。
 他の遺構は、緑の原っぱの下に埋め戻されています。

 後半は、橿原市を散策です。

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2009.9.19 記入
  

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古都奈良散策(後編)

古都奈良散策─BLOG蚊焼湧水3

 「古都奈良の文化財」を散策記録の後半です。

 2007年4月 (つづき)

興福寺

 ところ変わって、興福寺。
 平城京跡からバスで20分、さらに歩いて数分かかります。

興福寺工事中

 興福寺の前の敷地、工事中。
 3年前の2004年に訪れたときもそうでした。

国立奈良博物館

 国立奈良博物館で仏像を鑑賞。
 最近の研究で、一木造の仏像はヒノキが使われているという定説が、 実はカヤをを使っていたと分かった、と博物館の方に教えていただきました。

薬師寺

 博物館で時間を過ごしすぎました。
 橿原町の薬師寺に到着したときは、閉門の時間でした。

唐招提寺

 唐招提寺も同じく閉門。

塔だけでも撮影

 致し方ないので、塀の外から塔を鑑賞。

歴史の道

 しかし此処は大変趣のある道が整備されて良いです。
 「歴史街道」と名付けられています。

落書きが目に余る

 けれども、塀の落書きが気に掛かります。
 丁度同じ時期、大学生がイタリアの世界遺産で落書きという問題がありました。 旅行者はもっとマナーの向上に勤めてもらいたいところです。

歴史の道

 帰りはあえて駅の一区間分を歩きました。
 世界遺産でなくとも、周辺は歴史遺産に溢れています。
 そして田畑も多く長閑。なんとも豊かな土地です。

石の標識

 「垂仁天皇陵・安康天皇陵」と書かれた石の標識。
 安康天皇は推古天皇より前の時代、垂仁天皇は仁徳天皇よりも前の時代。 とてつもなく古い古墳であることが伺えます。

巨大古墳

 小道を抜けると、巨大な古墳がありました。
 予想外の大きさに驚きです。

垂仁天皇陵

 古墳の夕景を拝み、今回の散策は終了です。

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2009.9.19 記入
  
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古都奈良の文化財─日本の世界遺産

日本の世界遺産─BLOG蚊焼湧水3
古都奈良の文化財─BLOG蚊焼湧水3

【概要】
 文化遺産・1998年登録、登録基準?/?/?/?
 8世紀の中国・朝鮮及びシルクロード交易を示す建造物・美術品が多数。
 旧首都として貴重な遺跡群。木造建築は世界屈指の高さ・規模・古さを誇る。

 平城宮跡・橿原/2007年4月

大極殿復元中

 奈良市中心にある東大寺や春日大社とは異なり、 何もない広大な空間の、世界遺産。
 しかしここは、平城宮跡。何も内容に見えるが、 足元の数メートル下には、石の土台や柱の穴など、 遺構が眠っている。保存のためにわざと埋め戻されている。

宮殿の遺構

 遺構の一部は、屋根の下で一般公開されている(「平城宮跡遺構展示館」にて)。
 柱の穴がやたら多いのは、何度も建て替えられたためと考えられる。
 尚、柱や瓦などの建材が殆ど見つかっていないのは、平安遷都の際に移築のため持ち出されたため。

内裏の復元

 遺構を基に、建物が復元されている。写真は内裏の復原。
 そして、2010年の遷都1300年祭に向けて、大極殿(第一次大極殿正殿)の復原プロジェクトが大規模に進められていた(一番上の写真)。

復元された朱雀門と近鉄

 平城宮跡の発掘は、1955年から始まった。その時既に、 近鉄の鉄道が敷かれていた。
 今も尚、平城宮を近鉄列車が横切っている。
 その奥に見えるのは、先に復原され完成した、朱雀門。

朱雀門

 朱雀門は、大内裏(平城宮)の南側にある正門。

平城遷都祭(2007年)

 訪れた当時は、平城遷都祭が催されていた。
 舞台(第二次大極殿基壇)では、当時の衣装を身にまとった役者がパフォーマンスを披露していた。

薬師寺の門

 平城宮より南、しかし平城「京」内にある、薬師寺と唐招提寺。
 薬師寺は元々、680年に藤原京で建立された寺。平城遷都の際に移築された(新築説もある)。
 訪れた頃、既に夕方5時を過ぎていた。中に入ることが出来ず。

薬師寺の門・反対側から

 しかし敷地の外から、西塔と東塔を鑑賞。
 東塔は、白鳳文化の代表的建築。つまり中国の唐の文化を色濃く繁栄している。フェノロサが「凍れる音楽」と讃えた。
 西塔は焼失、1981年に再建されたものが現在建っている。金堂を挟んで、対を成している。理想的なシンメトリーだ。

唐招提寺の門

 唐招提寺も、5時過ぎのため入れず。
 759年に鑑真が建立。金堂には日本最古の千手観音像など宝物が沢山あるのだが。見られず終いで残念。

2009.8.4 作成

 春日山周辺/2004年9月

 →こちらです。

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