【姓名】中島 敦(なかじま あつし)
【本名】-
【誕生地】東京都新宿区四谷三栄町
【生~没】1909年~1942年(享年33)
【墓所】多摩霊園

【生涯】中島敦は、明治42年(1909)5月5日、父・中島田人(たびと)と、母・チヨの長男として生まれました。東京四谷の地は母の実家の岡崎家でありました。


父・田人は、儒学者・中島撫山(中島慶太郎)の六男で、漢学の教育を父兄から受けた影響により旧制中学校の漢学教員となり、敦が誕生した34歳当時は千葉県海上郡銚子町(現・銚子市)の中学校に勤務していました。

母・チヨは東京女子師範学校出身の元小学校教員で、チヨは頭脳明晰で才気あふれる女性でしたが、家庭的でなかったともいわれ、敦が1歳前の生後9か月のときに両親は別居(事実上の離婚)となり、2歳のときから5年余り、父の郷里の埼玉県南埼玉郡久喜町大字久喜新(現・埼玉県久喜市)に引き取られ、祖母や伯母、従姉たちに育てられました。
多くの門人を育て当地の教育の基礎となった学塾・幸魂(こうこん)教舎(さきたま教舎とも訓む)を開いた漢学者の祖父・中島撫山や父・田人をはじめ中島ヶの家学・漢学と歴史の豊かな素養に支えられた敦の小説は、格調高く趣き深い文体を特徴としています。

作品に「山月記」「弟子」「名人伝」「李陵」をはじめ「光と風と夢」「かめれおん日記」「斗南先生」などがあり、いずれもこの作家の幅広い学識が紡ぎ出したものです。

森鴎外の再来・第二の芥川龍之介と評されながら作家活動は短く、持病の喘息によって昭和17年(1942)12月4日、33歳の短い生涯を終えました。(久喜・中島敦の会/教育委員会説明板より)

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中島 敦(案内板より)

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中島撫山(案内板より)

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幸魂教舎(案内板より)

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中島撫山墓(埼玉県久喜市 光明寺)

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中島撫山邸跡(埼玉県久喜市久喜中央2-6-26 あけぼの薬局)

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中島邸宅跡の保存樹林 槐(エンジュ)(所有者 中島撫山)

2023-6-2
※中島撫山は、NHK『らんまん』に出たジョン万次郎役の宇崎竜童さんに似ていると感じた。