ひごころ

ひとひ ころころ こころころ

おちょこCD

仕事を終えて、三瀬の山をぶーんと超えて
佐賀の夢来人(murabito)というお店のライブに行ってきた。

ギター片手に弾き語るのは、おちょこちゃん。

去年、糸島のライブカフェGreen Choedで出会ってから
どっぷりファンになった。


ちいさくて黒くて四角い車で
彼女はひとり、全国を旅しながら歌う。
今年のツアーは東北から始まったようだ。

彼女の歌を聞くと
知らない風景が見えてくる。

誰かの後ろ姿であったり
雨の粒、光の粒であったり
深い森の緑であったり
みたことのない、宇宙の真ん中であったり。

曲の合間に語られるのは

いわき放射能市民測定室「たらちね」を立ち上げた
お母さんたち
雑誌「ビッグイシュー」を通して親しくなった
ホームレスの男性の、あいたいひと
赤ちゃんが発する喃語(なんご)は
あらゆる言語の発音を含んでいること。

彼女の何が、わたしを気持ちよくさせるのかな。

彼女のうたが、彼女そのものだからかな。

きっと
森の中で
島の突端で
ひとりで歌っていても
こんなふうに、うたうのだろう。

語るように
叫ぶように
ねむるように
あそぶように

うたうのだろう。

いいなあ。


うたうたうひと。

憧れの、ひと。


ねこだんご。

新月の夜を抜けて

椅子の上に、ねこだんご。

***

わたしより、はるかに痩せているダーが、糖尿病予備軍と診断され
医師から2キロの減量しなさい、と言い渡された。

せっかくなので、ダイエットに便乗することにした。

医師曰く
ひとには、適正体重というものがある。
あなたはそれが、51.5キロですね。

もちろんダーの話である。

実はダー、近年、体重を増やす努力をしてきた。
それがよくなかったらしい。

適正体重は、顔に書いてあるのだろうか。

ちなみにわたしの適正体重は、何キロなのだろう。

知りたいような、知りたくないような。

***

減量するにあたり、友人が薦めてくれた本を読んだ。

基本的に、友人がいいよと言うものは、取り入れる質だ。

海外のひとが書いた本なので、そもそも食文化がちがう。
どれだけ検証されたとしても、有名なひとが書いたとしても
たくさんのひとにヒットした方法だったとしても
自分に合うとは限らない。

けれどその答えも、取り入れてみないと、わからない。


気に入った部分だけ取り入れて、三ヶ月。

ダーはあっさり、2キロ減量した。
食生活は変えていないが、それ以上は減らないようだ。

わたしは、といえば
三ヶ月かけて、1キロ落ちた。

痩せたうちに入るのか。
いや、入るでしょ。

食の量に関係なく、体重の波があることに興味がわいた。
月の満ち欠けにも関係がない。
なぜか夫婦で、波が似ている。
なんだろう、これは。


自分を観察する、というのは、おもしろい。

もうすこし減るのか
それともこれがわたしの適正体重となるのか。

観察はつづく。




封筒の中は地図。

カードを取り出して
手づくりの封筒の中をのぞいたら
美しい地図が広がっていた。

インドから届いた手紙。

メールを書けば、すぐなのに
こんなふうに送ってくれたことが
とても、とてもうれしい。


2019年初めには、引越しの予定。
次はどこに行こうか、考え中。

現在、転職活動中という彼女。

自分の気持ちに正直でいられる働き方ができるところと
巡り会いたいと念じています。


内なる
ポップで華やかな未来。

わたしたちは、

今日を選んで生きている。

大江教会

ダーと旅に出た。

宮崎の高千穂を計画していたのに、なぜか長崎の天草になる。
前日に同僚が「天草でイルカと泳ぎたい」とつぶやいたせいだ。

わたしの体調はいまいちだった。
糸島から長崎へ、ただひたすら車を走らせるダーの横で
海をみたり、船を漕いだり。

しかし、島原までやって来ると
フェリーに乗らなければ天草に渡れないことが判明。
下調べをしていないから、こういうことになる。
イルカと泳ぐわけではないが、こうなればもう、天草に渡らなければならない気がしてくる。

フェリー乗り場の待合室に置いてある冊子から、天草の津集落(潜伏キリシタン関連)が世界遺産になっていたことを知る。

海のむこうから長崎へ伝えられた、キリスト教。
信仰が広がる中、禁教、弾圧、潜伏の歴史は長い。

命をかけた、信仰とはなにか。

そもそも、信仰とは、なにか。

***

カトリック教会が母体の養護施設で育ったダー。

『信仰のあるひとに守られて育った』

ダーの言葉が、わたしの中でずっと残っている。

彼自身、自覚的な信仰はないという。
教会に通うわけでもない。
けれど、旅先の教会の入り口で、静かに十字を切る彼の後ろ姿には
誰かに見せるためのものではない、敬虔さを感じる。
それは、「信じる」「信じない」の域で区切られるものではないのだろうと想像する。

***

フェリーで30分、白波を遠く眺める。
昔はちいさな船で行き来したのだろうか。
静かな港から、静かな港へ。

頭上の案内板に誘われるままに、教会を訪れた。

観光バスと、他国の言葉が行き交う。
抜けるような青空、掃いたように薄い雲。

天井に響く笑い声は、祝福なのだろうか。
まるで申し合わせたように、無口になったわたしたち。

何を祈っていいのかわからないまま
わたしは目を閉じ
ありがとうと、ごめんなさいを繰り返した。



南天つわぶきピラカンサス

すこし美しいと言われる時期を過ぎた
南天、ツワブキ、ピラカンサスを摘んで、大きな壷にどっさり入れる。

お花の生け方は、習っていると役に立つよと
若い頃から母に言われてきたけれど
結局その機会は巡ってこず。

習うより、倣う。
野に咲くように束ねることができたらいいなと、思う。

***

習う、というのが
とにかく昔から苦手である。

答えを決められる、と思うせいかもしれない。
体やこころの一部を、枷に嵌められたような不自由さ。
息苦しくなる。

どうしてみんな、疑問なく素直に習うことができるのだろう。
居心地わるくならないのだろうか。

うまくできる、ってなに?

実感を得る前に答えを知るって、こわくないかな。

誰かの答えがわたしと同じだと
なぜわかるの?

***

めんどくさいこどものまま
めんどくさいおとなになってしまった。

それでも、わたしは自分の実感を、何より信じる。

美しさは、つくり出すのではなくて
そこにある。

野の花

このひとの、こういうとこが
ゆるしがたく嫌いだ、と思うことがある。

それくらい思える相手は、大抵は近しいひとだ。
思いの強さが、そういう反動のようなものを生むのだろうか。
それともわたしの中にある、抑えて我慢している何かを
いとも簡単に表現してしまう相手が、にくらしいと思うのだろうか。

自分が望むように相手が変わるなんて、さすがにもう思っていないのに
それでもどこかで、ひっそりと
誰にも見つからないように、ひっそりと
望んでいる自分がいる。

きっとわたしも同じように
周りに望まれているだろう。

あんなことや、こんなこと。


いやなあなたと
いやなわたし。

どっちもどっちなんだろうけど。

やっぱりあなたが変わったほうがいいと思うの。

わたしがそう思っていることは
まだ内緒にしている。


海辺の猫

海辺の猫が夕陽を見送っている。
いや、明日を見ているのか?

もしかしたら、腹へったなーと考えてるだけかもしれず。

それにしても、絵になるなあ。


わたしから見えるものは、わたしというフィルターを通して表現される。
わたしの表現に、共感するひとも、しないひとも
そのひとのフィルターを通して見える世界に生きている。

*****

問題が起こったとき
なぜその問題が起こってしまったのか、すこし歩を戻して考えたりする。
けれどそもそも、その「問題が起こった」と決めたのは、わたしで
そこから「問題」は、形を持ち始める。
(ここでいう「問題」は「不安で不快で、解決しなければいけないもの」という位置にあるもの)

『問題を問題としないとき、問題は問題にならない』

わたしの迷いのようなものに、そんな答えをくれたのは
初めての海外旅行となった、台湾での出来事だ。
5月の終わりのこと。


外に出かけようと誘ったダーに、あっさり断られ、プリプリしながら、ひとりホテルを出たわたしは、目当ての美術館に向かった。しかし間の悪いことに休館日。
そのままホテルに戻ることがくやしくて、石畳を蹴るように、ホテルにほど近い公園に向かった。

四角い石のベンチに、ひとまず座る。

ああ、腹立たしい。
せっかくふたりで外国に来たのに、あの態度はなんだ。
なんなんだ。
そもそも……

太極拳をするおばちゃん集団
鉄棒に並ぶ高齢の男性たち
木の下で瞑想する若いひと
名も知らぬ木に咲く、豊かな色の花々
強い日差し、乾いた風
なにひとつ、わたしの世界になかったもの。

しばらく、ぼーっとしていた。

すると、頭にぼんやり問いかけが。

そんなに、苛立つことか?


ダーは出かけたくない、と言っただけだ。
そもそも「そこに至るまでの問題」として、あれこれ繋げて悲劇に仕立てたのは、誰なのか。
遡ること、数ヶ月までの事柄まで含めて「問題」にまとめあげたのは、誰なのか。

わたしだ。

今、目の前で起こっていることは、わたしにとって初めてのことだ。
日本に居れば、見慣れた登場人物、見慣れた風景であるように思うけど
今ここで感じることと同じ、なにひとつ経験したことのない「今」なのだ。
「今」は、なにもかも、初めて。
それなのに、まるで昨日の続きみたいに、ぼんやりと受け取っていた。

問題は、そこになかった。
最初から。

問題を問題と決めたのは、わたし。
だからわたしが問題としなければ、「問題」は「問題」になりようがない。

今まできっと、誰かが教えてくれたり
本で読んだりしたのかもしれないけど
体感できないうちは、わたしの辞書には載らない。
だから、知らなかった。

こんなに簡単なことだったのだ。


『問題を問題としないとき、問題は問題にならない』



台湾の食べ物は
なにもかも、最高においしかった!

ありがとう、台湾!


朝市の完熟ライチ。



阿蘇

春に「休みたい」と書いてから
休んでいたかというと、ブログを書いていなかっただけで
変わりない生活を送っていた。

それでもやっぱり
わたしのどこか一部分は、いまも休んでいるのかもしれない。

家事は今まで以上にいい加減だし
同僚が笑うほど、わたしはよく有給休暇をもらう。


一年間、自分の中心を地中奥深く埋めてしまったかのように休んでいたダーは
昨年末、いちご農家さんでアルバイトを始め
今年の2月から、以前いた会社の同じ部署に、派遣社員として復職した。

戻ってこないか、と提案されたのは
ダーのことを思いやってのことではない。
ダーがいた部署が、人材が足りなくて困っていただけだ。
仕事ができるひとがほしい。ただそれだけだったと思う。

けれど。

必要とされる

それは、どんな励ましや慰めや理屈より、力強い。

もちろん、戻ってきてほしいと言ってもらえるのは
過去のダーが誠実に働いてきたからだ。

当初は、正社員じゃないの?と思ったものだが
落ち着いてみると、派遣でよかったね、と思う。
以前とちがい、プライベートの遊びのために
自発的に休みを取るダーがいる。

「働く」が中心の生活から
「生きる」が中心の生活にシフトした。


過去の自分はいつも、いまの自分を、応援している。

できたことも、できなかったことも。

生きるとは、そういうことなのかもしれない。


足をとめて休むことは、こわかった。
みんなが先にいってしまうようで。

でも、休むことは、すばらしい。

そのことを知っていることが、うれしい。


海にて

書くことを忘れていたわけではないけれど
気づけば長いこと書いていなかった。

この夏は、海にばかり行っている。

数年ぶりに海にザブンと入ったら、離れがたくなってしまった。


海は
ただ浮いているだけで
水の中の音を聴いているだけで
なにもかも、どうでもいいと思えてしまう。
それは刹那的な感覚ではなくて
なるようになるから、わたしがジタバタしなくていい、という安堵に似た感覚。

そんなわけで
ダーに対して伝えたいことを、海辺に持っていっても
無言のまま、海へ還してしまう。

結局「問題」は、わたしが「問題」だと思わなければ成立しない。
要するに、心配事や問題を作っているのは、ほかの誰でもない
わたし自身なのだ。

まるで誰かが悪いと思っていた。
何かが正しくて、何かが間違いだと思っていた。

問題も答えも
わたしの外にはなかったのに。


目を閉じて海に浮いていると
上も下も、前も後ろも
過去も未来も
混在しているような気がしてくる。

こわいのか、きもちいいのか。


ひとまず、このブログしか読めてないひとに
元気にしているよと伝えたくて
書きました。

読んでくださって、ありがとう。

卓上パネル

友人が、結婚した。
たくさんの事柄と、たくさんの年月を乗り越えての、入籍だった。

わたしも、ダーとの事実婚時代が長かった。

あのね。事実婚と結婚て、ちがうのよ。
とてもいいよ!

入籍報告に、そう返信した。
うれしくて、うれしくて、たまらなかった。

***

夫に内緒で、結婚記念パーティーをしたいという計画を打ち明けられたのは
そのあと、すぐ。

ホテルで記念写真撮るという名目で
新郎、新婦、娘ちゃんの三人で正装し
ドアを開けたら、友人縁者60名が待つパーティー会場!という設定。
しかも、その日は娘ちゃんの23歳の誕生日。

想像しただけで、鼻息が荒くなってしまった。
予定も確認せず、夫婦での参加希望を申し出た。

そこで彼女が提案してくれたのが
わたしが、会場で配る席次表とプロフィールを作るということ。

「手作り感満載のパーティーにしたいんよ。
和美ちゃん、作ってくれんやろか」

いろんなことに余裕のない時期で、わたしにできるのか?と思ったはずなのに
やる!と即答していた。

文章を、何度も何度もやりとりしながら、ふたりで推敲した。
結婚式というものに、片手に満たないくらいしか出席したことのないわたしだ。
彼らを祝福するひとが集まることを想像しながら
良いと思える提案は、何でもした。
仕事で多忙な中、一番報告したい夫に内緒で
彼女は、ほんとによくがんばったと思う。

根っからの表現者ゆえ
いろいろ希望もあっただろうに、多くをわたしに任せてくれた。
頼まれたから、というのではなく
わたしが企画したパーティーだぞ!くらいの気持ちで、仕上げることができたのは
全面的に信じて任せてくれた、彼女のおかげだ。


パーティは、昨夜、大成功で幕を閉じた。

「みんなに恩返ししたい!」

彼女が言っていたとおりの、笑いと感動がいっぱいの
もりだくさんのパーティーだった。
司会業、絵描きをやっているだけあって、多彩な友人ばかり。
夫婦のやりとりも漫才以上で、涙を流して笑った。

ふたりの登場の時点で、涙が止まらなくなったわたしだが
安定の「手ぶら参加」していたため、
これまた安定の「気が利くダー」が横からハンカチを差し出してくれた。

ああ、このひとが旦那さんでよかった。←ダーの心中は不明


夫婦って
家族って
ともだちって

ほんとにいいよね。

またゆっくり、会おうね。


おめでとう!
ありがとう!
だいすき!




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